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86.町から国へ、マッチから電化製品へ 3

 ――少し現状について説明しよう。


 真っすぐに王都に攻め込むかと思われたイニティア王国軍。

 しかし、その刃は王都ではなく、王都以外の領地へと向けられた。


 東方諸国の動きはあまりに鈍い。

 この動きの鈍さが故意であることを知ったイニティア王国軍は、戦力を分散させて王都以外の領地の制圧にかかったのだ。


挿絵(By みてみん)


 女王オリヴィアを討てば、ドライアドの地は誰のものでもなくなり、東方諸国は途端に襲い掛かってくる。

 逆に言えば、オリヴィアが生きている限り、ドライアドの地は対外的にはオリヴィアのものであり、東方諸国は攻めてこない。東方諸国がドライアドの地を得るための口実を失うからだ。

 東方諸国のその愚かで独善的な考えを利用し、イニティア王国がドライアドでの足場を着実に固めようという腹積もりなのは、誰が見ても明らかなことだった。


 こうしてドライアド王国は、王都の四周から、たちまちに制圧されていったのである。

 各領主はすぐさま降伏するか、少し戦ったのちに降伏するか。

 それだけだった。


 じわじわと真綿で首を締められるように、王都は包囲されていく。

 もはや起死回生の一打もなく、ドライアド王国はただ滅びゆくのを待つばかりの状況であった。





 王都ドライアド、リーシュンデット城の円卓の間。

 即応体制が求められる緊急時、その部屋には女王を始めとした主だった者が待機することになっている。


 だが、今まさにドライアド王国存亡の危機という状況にもかかわらず、円卓の間には女王オリヴィアと近衛兵を除けば、イーデンスタムしかいなかった。

 大臣たちはドライアド王国の敗北を予感して出仕せず、将軍たちはあまりの劣勢に兵が反乱を起こさぬよう軍を見張っているのだ。


「まだか……!」


 玉座の間にて、イーデンスタムは焦燥に駆られていた。

 待っているのは、イニティア王国軍へと送った講和の使者。

 それは敗北を免れ得ないドライアド王国にとって、最後の手段であった。


「講和の使者が戻って参りました!」


「通せ!」


 入り口からかけられた使者帰還の報告に、イーデンスタムは期待を込めて入室の許可を出した。

 しかし部屋に入ってきた使者の顔は、顔色優れず、意気消沈といった有り様である。


 聞かなくてもわかる。

 講和は失敗したのだ。


「駄目です。取り合ってもらえませんでした」


 予想通りの報告を聞き、イーデンスタムは拳を強く握って、何もない空間に振るった。

 無制限の領土割譲に加え、オリヴィアの婚約も辞さない、無条件降伏に等しい講和条件を提示した。

 だが、それは断られた。

 イニティア王国は、ドライアド王国を欠片も残さずに滅ぼすつもりなのだ。


(どうするどうするどうする!)


 イーデンスタムは考える。

 己の細首ならいくらでもくれてやる、しかしオリヴィアだけはなんとか助けねばならない。

 だが、状況がそれを許さなかった。


 東方諸国に亡命させるという案はあった。

 どんな待遇を受けるかわかったものではないが、死よりはましだ。

 されど、決断が遅すぎた。


 亡命を考えるまで戦況が悪化した時には、既に東の地は敵の手に落ちていた。

 東方諸国へ繋がる道は断たれたのである。


 報告では、東の領主たちは一線も交えずに降伏していったらしい。

 東方諸国が援軍を出し渋っていることを、東の辺境伯たちはいち早く知りえた。

 もはやドライアド王国に未来はない。

 そう考えたゆえのイニティア王国への帰順だったのだ。


「……どうやらここまでのようですね」


 この非常時に似合わない、涼やかな声が円卓の間に響いた。

 女王オリヴィアのものだ。


「エマ、リゼル、これまでよく仕えてくれました。ただ今をもって近衛隊は解散とします。皆にもよろしく伝えてください」


「そんな!」と声を上げたのはエマ。

 大きなくりくりとした眼と、紫色の短い髪が特徴の、活発な性格をした近衛兵だ。


 現在、オリヴィアを守る近衛隊の兵士はいずれも元孤児であった。

 彼女たちは、オリヴィアに拾われて、生を繋いだ。

 誰もが深い恩義を感じ、オリヴィアのために命を捨てても構わないほどの忠誠を捧げていた。


「私たちは死ぬまで、いえ、たとえ死んでも陛下についていきます! 陛下に救われたこと、片時たりとも忘れたことはありません!」


 そう言ったのは切れ長の瞳をした黒髪の近衛兵、リゼル。

 普段、感情を表に出さない彼女らしからぬ強い言葉だった。


 されどオリヴィアは、優しく微笑んで首を横に振った。

 その顔には、あきらめにも似た、すがすがしい感情が見て取れる。

 はかなくも死を覚悟した者の顔であった。


「イーデンスタム、敵軍に降伏の使者を。この首を一族の命を差し出すと。そののちは、あなたの任を解きます。早く城からお逃げなさい」


「……まだ何か手があるはずです」


 絞り出すような声でイーデンスタムは言った。

 その顔は苦しみに歪んでいる。


「いいえ、ありません。あとは王としての務めを果たすのみ。もっと早くこうするべきでした。そうすれば、無駄な犠牲を出さずに済んだのに。全ては、わが身かわいさゆえ」


 沈黙がその場を支配した。

 しかし、イーデンスタムはまだあきらめていない。

 逆にその瞳にはギラギラとしたものが燃え上がった。


(まだだ、まだあきらめん。たとえ国が亡ぼうともオリヴィア様だけは救ってみせる)


 それは臣下として務め――いや、己を爺と呼ぶオリヴィアへの親心のような感情であった。

 イーデンスタムは考え込み、石のようにその場を動かない。

 近衛兵の二人は部屋を出ていったが、すぐに戻って来た。


「近衛隊は皆、陛下と運命を共にすると」


 リゼルが伝えたのは近衛隊全員の意思。

 隣ではエマも大きく頷いている。

 オリヴィアは「馬鹿ね……」と小さくつぶやいた。


「陛下と一緒にいられるなら馬鹿でいいです!」


 エマが元気よくいつもの調子で言う。

 それを聞いて、くすりと笑ったオリヴィアの瞳には、涙が滲んでいた。


 ――そんな時だった。


「面会の要請が来ております」


 部屋の外を守護していた近衛兵から声がかかったのである。

 使者ではなく面会、つまり味方側からの動きだ。

 イーデンスタムは、降伏論でも唱える輩であろうと予想しつつ、尋ねた。


「誰からだ」


「それがフジワラ領――」


「通しなさい! すぐに!」


 兵士が言い切る前に、その態度を一変させたのはオリヴィア。

 普段とは、あまりにもかけ離れたその姿に、イーデンスタムはギョッとした。


「早く!」


「は、はい」


 間をおかず現れたのは、金色の髪が美しい冷然とした雰囲気のある女性である。


「ポーロ商会のレイナと言います。今日はフジワラ男爵より書状を預かってきました」


 女性――レイナが慇懃な礼をしたのち、取り出した一通の書状。

 どれ、とイーデンスタムが書状を受け取るよりも早く、オリヴィアが席を立ち横からそれを攫った。


 イーデンスタムがぱちくりと目をしばたたかせる中、オリヴィアが書状に目を通す。

 即座に読み終わると、「これを」と言って、書状はイーデンスタムに渡された。

 イーデンスタムは、オリヴィアのいつもと変わった所作の数々に首を傾けながら、書状に目をやった。

 そこにはこう書かれている。


『火急の事態ゆえ、要点だけを述べます。

 我々は巨大な城壁都市を用意しました。

 その都市には敵が持つ新兵器も無数にあり、防備は万全といえるでしょう。

 そこに女王陛下をお連れしたいと思っております。

 しかし、条件が二つあります。

 一つ、王権をノブヒデ・フジワラに移譲すること。

 一つ、六千人の市民をフジワラ領に移住させること。

 この二つの条件を受諾できるのでしたら、女王陛下の御身は必ずや守り通しましょう』


 読み終えた瞬間、何を馬鹿なとイーデンスタムは思った。

 世迷言。明らかな嘘。

 おそらくはオリヴィアを手中に収め、そしてイニティア王国に引き渡し、栄達を望もうという考え。

 書状を信じさせるため、わけのわからない条件を吐いたのだ。


(誰が信じるものか。ポーロ商会ならば、もしやサンドラ王国へ亡命する手段があるかと思ったが、まやかしもまやかしだ)


 北に行けばそれこそ袋の鼠である。

 他国までの距離が遠くなり、それは分厚い壁となって、決して逃げられなくなるだろう。


 考えるうちに、イーデンスタムの中でレイナに対する沸々とした怒りがこみ上げた。

 このような状況である。

 怒りをぶつける的があれば、溜まりに溜まった鬱憤をぶつけるがごとく攻撃したくなる、というのは仕方のないことであろう。


 イーデンスタムは、少々の残虐性を伴わせて、この不敬な者をどうしようかと企んだ。

 しかし次の瞬間、オリヴィアの口から出た言葉は、イーデンスタムの考えとは大きく異なったものであった。


「予定が変わりました。死ぬのはお婆ちゃんになってからとします。すぐに書状の通りに準備をしなさい」


「し、信じるのですか!?」


 寸分たりとも考える価値のない、唾棄すべき書状。

 それゆえに、オリヴィアの発言はあまりに意外。


「もう少し生きあがいてみようと思います」


「ですが、ここに書いてあることなど到底信じることはできません!」


 イーデンスタムが言うと、オリヴィアは言葉を探すように黙った。

 この書状を信じる確固とした理由があるにもかかわらず、言えない。

 オリヴィアの様子を見て、何故かそんな風にイーデンスタムは感じた。


 すると、オリヴィアに助け舟を出したのはレイナだ。

 レイナはあくまでも落ち着いた様子でイーデンスタムに言った。


「私たちの差し出した手を掴まないで、何か展望がおありですか? 小国群では、のちの禍根を断つために王族は皆殺しにされたという話を聞いております。このままでは陛下の死は確実。亡命でもなさるのかと思いましたが、いまだここにいる」


「ぐ……! ならば聞こう! この市民の移住というのはなんなのだ」


「我々は巨大な都市をつくりましたが、住民が足りません。人あってこその都市。人がいなければどんな建物をつくろうと張りぼてにすぎないのです」


「馬鹿なことを申せ! そんな大きな都市をつくっていたのならば、人の流れですぐにわかるわ!」


 もとよりフジワラ領には密偵を放っている。

 あの領地、異常な速度で人が増えていったが、都市をつくるなどという動きは何一つなかった。


「北の地に逃げてきた獣人たちを我々は支配下に置いています。彼らを秘密裏に使いました」


「な、なに!?」


 獣人という言葉にイーデンスタムは驚いた。

 たしかに北の地には、各地から異種族が多く逃げてきた。

 把握はしていないが、相当な数だというのはわかっている。


(獣人たちを従えたのならば……)


 イーデンスタムの眉間に深い溝がつくられていく。

 嘘だと断じた天秤は、もしかしたら本当なのかという方へ、わずかに傾いたのである。


「どのように人を移住させるのですか? 皆、住む場所があり、この地から離れるとは思いませんが」


 イーデンスタムが口ごもった隙に、オリヴィアがレイナに尋ねた。


「流民同然の困窮した者たちがいるではありませんか。仕事と家と食べ物を与える、とだけ言えばいいのです。貧民街に住む者は元より財産などありませんから、疎開のついでとでも考えて、やって来るでしょう」


「私の身の安全の保障は?」


「わざわざ連れていくのです。危害を加えるような真似はしませんよ。一緒についてきた兵たちの人質程度にはなってもらうかもしれませんが」


「新兵器というのは」


「金属の大筒のことです。火薬という物の燃焼によって生み出された暴風が、筒によって指向性を与えられ、筒の中から金属の球を撃ち出すのです。

 理論的には吹き矢と同じですよ」


 新兵器の説明に、近衛兵の二人はよくわからないという顔をしたが、オリヴィアは納得したように頷いた。

 そして、イーデンスタムは――。


「す、素晴らしい!」


 歓喜するような、しかしどこかわざとらしい声でイーデンスタムは言った。


「陛下、フジワラ男爵に公爵の位を授けてはいかがでしょう。敵を破った暁には大公爵になってもらい、北方の自治権に加え、あらゆる税の免除を行い――」


「イーデンスタム!」


 オリヴィアがその名で呼ぶ時、それは絶対の命令権を行使する時である。


「オリヴィア様……書状の通りにすれば、ドライアドは……陛下は……!」


 それはイーデンスタムの最後のあがきだった。

 助かるかもしれない。

 そう考えた時、イーデンスタムは王国の滅亡を憐れみ、オリヴィアが王ではなくなることを悲しんだ。

 投げ捨ててもいいと思ったものが、途端に惜しくなったのだ。

 だからこそのあがきだった。


「……もうよいのです、爺。私のことを思ってくれるのなら、もう何も言わないでください」


 優しく諭すようなオリヴィアの言葉。

 オリヴィアにここまで言われては、イーデンスタムは何も口にすることはできない。


「陛下……わかりました、陛下の命に従います……」


 消え入るような声。

 イーデンスタムは瞳を落とし、床には一粒の小さなシミができた。

 それは、もう何十年も流したことのない涙だった。



「小国群での暴虐を知っているか! イニティアの軍は女も子どもも皆殺しにしたそうだ!」

「北のフジワラ領を知っているだろう! ジャガイモと胡椒によって巨万の富を築き、ここでも領民を募集していたはずだ!」

「我ら困窮した民が、イニティアの軍に見過ごされるとは思えない!」

「皆でフジワラ領に行こう! 領主であるフジワラ男爵は誰も攻撃できないような巨大な都市をつくったそうだ! 女王陛下が我々を思い、フジワラ様と話をつけてくださった! フジワラ領では家も食べ物ももらえるそうだ! 道中は城の兵が護衛してくださる!」


 金で雇った者たちが、貧民街のある一画にて大きな声で騒ぐ。

 いつ王都が攻められるかもしれぬ状況で、ボロボロの家に引きこもっていた者や物陰に隠れていた者たちが、空の下に出てきて耳を傾けた。

 貧困街では、これと同じ光景が各所で広がっている。


 そんな様子を眺めながら、レイナはほっと息を吐いた。

 なんとかなったという安心のため息だ。


 思えばあまりに危険な使者の役目。

 女王に対し、あまりに不敬な書状を届けた。

 この首が飛んでもおかしくなかった。

 しかし、女王にそれをさせなかったのは、絶体絶命の状況ゆえ。


 信秀からは事前に二つの書状が渡されていた。

 一方は、王宮が依然として血気盛んに交戦の意思を示していた時のもの。

 こちらは、貧困街の移住の相談が書いてあるだけだ。


 もう一方は、王宮の士気低く、もはや敗戦を受け入れていた時のもの。

 これが先の頃、実際に女王へ渡したものである。

 

 城には文官はいなかった。

 もし城にいれば、女王に忠誠を誓っているとみなされ、命が助かってもイニティア王国に取り入る機会を失うかもしれぬ。そのような考えの下、皆自宅に引きこもっている。

 こんな状況を許しているのだから、女王もあきらめているのだろうとレイナは結論付けた。


「全く、割に合いませんよ」


 ぼそりと愚痴をこぼすレイナ。

 その脳裏には、先日信秀が口にした言葉が思い起こされていた。


『北に巨大な都市がある』


 信秀との付き合いは長い。

 もう三年ほど一緒にいる。細かな仕草、癖なども、大体把握できるくらいにはなっていた。

 そんな彼の『北に巨大な都市がある』という言葉は、嘘をついているようにも見えたが、しかし自信に満ちていたという矛盾をレイナは感じた。


 信秀があるといった時、なかったことはなかった。

 つまり大都市はあるのだろう。


 そこに人を呼び込み、国をつくると彼は言った。

 本当に可能なのか。

 そんな疑問はなかった。

 何故か本人でもないのに、可能なのだという確信がレイナの中にあったのだ。


『城への使者はとても危険な任務だ。けれどこれはレイナ以外の者には任せられない。対価は貴族の地位。獣人と人間が住む都市だ。その人間たちを君にまとめてもらおうと思っている。……どうだろうか?』


 大都市の存在を口にした時とは違って、どこか不安そうに信秀は尋ねた。

 おかしかった。

 付き合いが長くなればなるほど、こういった面が見えてくる。

 気を遣っているのだ。

 信秀は仲が深まれば深まるほど、相手に気を遣うようなそぶりがある。

 まるで何かに怯えるように。


 とにかくも気を遣われるくらいには、己が大事に思われているということを知り、レイナは微笑した。

 そして、わかりましたと答えたのである。


 長い商人としての生活。

 レイナの中で、貴族という地位への執着は薄れかけていた。

 しかし、信秀が己に与える貴族の仕事は嫌いではない、とレイナは感じていた。




 どんよりとした空の下に広がる、今にも潰れてしまいそうなおんぼろの家屋の群れ――貧民街。

 レイナに雇われた者の演説は今なお続いている。

 演説は人を集め、人はさらなる人を呼び、やがて道を埋め尽くさんばかりの群衆となった。


「さあ、皆でフジワラ領に行こう!」


 演説者が拳を振り上げる。

 すると聴衆たちは、曇天を吹き飛ばすような大声で「フジワラ領に行くぞ!」と叫んだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] まさに急転直下の展開だな
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