81.園遊会 3
園遊会の会場、チェス勝負の末に互いに手を取り合う信秀とローマット。
信秀を巡る騒ぎも、これで一件落着したのだ。
しかし、これに歯噛みする者がいる。
「ぐぬぬぬぬ」
木の影からわずかにはみ出る白い髭。
眉を怒らせて、顔中に限りない不満の色を湛えているのは、ドライアド王国宰相イーデンスタムである。
何故、イーデンスタムが悔しそうにしているのか。
今日この日、彼には作戦があった。
それは、信秀をこの園遊会に呼び、他の貴族にいびりにいびらせ、それをイーデンスタムが助けるというもの。
ドライアド貴族とはどういうものであるかを身に染みて知っているイーデンスタムは、上級貴族の中に金で身分を買った下級貴族を放り込めば、どんな目に遭うかをよく理解していた。
つまりは、『子犬を狼の群れに放り込み救い出すの計』である。
他の貴族らにいびられている信秀を助けて恩を売り、さらには女王に優しい言葉をかけてもらって、信秀を誠心誠意国に仕えさせるという魂胆。
信秀が犬ではなく猫であることも考えたが、そうであっても三日は恩義を忘れぬ。
その間に、約束を交わせばいい。
言質さえ取ってしまえば、あとはこっちのもの。
――というような計画であったのだが、それは今、もろくも崩れ去ったのである。
「くそ、ポーロ商会め。まさかローマット殿に助けられるとは、憎々しいほどに運のいい奴らよ」
一人悪態をつくイーデンスタム。
そこに、気配を消した密偵長が音もなく近づいた。
「イーデンスタム様」
「どうした」
「いえ、ポーロ商会の献上品であるジャガイモの調理が完了しました」
「ふむ、よしいこう」
信秀が献上品として持ってきたジャガイモ。
毒などの特色から調理法まで事細かに書かれた紙も一緒に添えられていた。
信秀からの献上品が、胡椒という大陸で金塊にも並ぶ価値のある物でないことにイーデンスタムは憤慨したが、あくまでも献上品であるために文句をつけることはできない。
イーデンスタムと密偵長が揃って城の調理場へと足を踏み入れる。
もわっとした熱気と、飛び交う荒々しい声。
湯気が立ち込める調理場では、火の魔法を使う料理人たちが会食用の料理作りに忙しくしていた。
そこに踏み込んでいく、邪魔者以外の何者でもないイーデンスタムと密偵長。
職人気質の料理人たちは二人を見て不快な顔をした。
調理場の端には、料理人たちが賄いを食べるための机椅子が置かれ、そこに茹で上がったジャガイモが置いてある。
イーデンスタムが前もってつくるよう命令していたものだ。
密偵長の報告より、時間はそれなりに経っているが、中に温度を閉じ込める性質でもあるのか、ジャガイモはモクモクとした湯気を放っている。
イーデンスタムはジャガイモを前にして席に着いた。
その斜め後ろに密偵長が控える。
「密偵長、お主は食べたのか」
「あ、い、いえ」
イーデンスタムの質問に口ごもった密偵長。
前回のことを考えれば、真っ先に毒見しなければならないのであるが、密偵長自身も食あたりを起こして苦しんだ当事者である。
要するにしり込みしていたのだ、密偵長は。
もっとも他の者にはしっかりと毒見をさせていたので、特に問題はないのであるが。
「ふん、意気地のない奴め」
イーデンスタムも狭量ではないため、密偵長に対してはその一言に留めた。
次いで、一口サイズに切られた茹でジャガを口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。
そこに恐れなど微塵も感じさせないのは、老い先短い老齢であるためか。
口の中のジャガイモは音を立てて食道を通り、胃へと向かった。
「……確かにうまい。胡椒だけではない。やはりこのジャガイモも国には必要なものだ」
密偵長の報告を思い出せば、生産性の高さが売りとのこと。
それがこの美味さなのであるから、内心で算盤をはじいてしまうのも仕方のないことであった。
ふむ、とイーデンスタムは押し黙り、白髭を撫でる。
その間、およそ一分。
やがて我が意を得たりと、その口端を吊り上げた。
「いい案が浮かんだぞ。今日の目玉としてこのジャガイモ料理を出す。宴の席で女王陛下にもご賞味してもらい、そのうえで女王陛下の口からフジワラとやらに協力を取り付けるのだ」
女王の協力要請を信秀は断ることはできない、とイーデンスタムは考えた。
仮にも信秀はドライアド王国の貴族。
他国の人間だというのならともかくも、断れば他の貴族からの非難は免れない。
成り上がりの貴族という立場がそうさせるのだ。
「正攻法。女王陛下の威光をもってただ言質を取らせるのみ」
新たな方針は決まった。
あとは実行するのみである。
◆
あっという間に会食の時間となった。
敵しかいないこの場において、俺はローマットを救いの蜘蛛の糸として時間を潰していた。
なお、「リバーシ」と「チェス」という言葉を俺が口にすると、彼は何かを恐れるようにビクッと肩を震わせる。何故だろうか。
白い幕で覆われた会食場に移動する。
椅子と机が並べられ、あとは料理さえあれば、すぐにでも食事ができる状況だ。
会食の席についてもローマットの隣を陣取ろうとしたのだが、これはローマットの弟子のロマンチェに阻まれて、俺とローマットの間にはロマンチェが座ることになった。
彼女が敬愛するローマット。
それを俺が独占していたための嫉妬心というやつだろう。
彼女の俺に対する心証は、あまりよくなさそうだ。
俺を含めた貴族たちが着席すると、今日呼ばれた中でも高い爵位を持つ者や他国からの賓客が続々と来場する。
やがて全員が席に着けば、最後に参上するのはこの国で誰よりも偉い人間だ。
「女王陛下のおなーりー!」
地面に真っ赤な絨毯が引かれ、その上を従者を引き連れて、白い清楚なドレスに身を包んだ女王陛下が歩く。
俺は目を奪われた。
それほどまでに初めて見る女王陛下はとても美しかった。
日本において、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、なんて言葉があったが、まさにその通り。
その場限りの気分ではない。
時代にも個人の好みにも左右されない、花のような不変の美しさがある。
「皆様、今日はよくお越しになられました。大層なもてなしはできませんが、楽しんでいってください」
女王陛下のとても簡単な挨拶。
続いて国賓たちが紹介され、一人ひとり立ち上がり、女王陛下と来場した貴族たちに一言ずつ挨拶していく。
国賓となれば俺の隣……には弟子のロマンチェがいるので、そのさらに隣に座るローマットもまた紹介される。
本来、賓客席に座るところを、わざわざ無理を言って一般席にしてもらったローマット。
いい奴だと思う。
昔の記憶を探れば、怯えていた様子しか思い出せないのだが。
ローマットが立ち上がり、挨拶を述べる。
すると――。
「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」
またかと思った。正直もういいよ、とも。
謎の「ローマット!」コール。
頭がどうかになってしまったかのように皆は熱狂している。
ぐるりと見渡せば、この国の白髭が特徴的な宰相も「ローマット! ローマット!」と叫んでいる。
もはや何かの宗教か。
もちろん俺はしていない。
ローマットは慣れたもので、立ったまま皆に手を振っている。
これは彼にとって普通のことなのだろうか。
「ローマットッッ!! ローマットッッ!!」
というか俺の隣のロマンチェが気合い入りまくっていて、物凄くうるさい。
勘弁してくれ。
呆れたようにまた視線をさ迷わせると、女王陛下に目が留まった。
どうやら彼女もポカンと呆れているようだ。
結構、話が合うかもしれない。
ローマットが座ると、ようやく場が収まった。
ちょっとした嫌味も込めて「たいした人気だ」とローマットを褒めてみる。
「いやあ、えへへ」と照れるローマット。
「当然です!」とロマンチェが我がことのように誇らしくする。
全く、いいコンビだ。
食事が運ばれてくる。
食前には皆等しくラシアの神に祈りを捧げ、会食が始まった。
特に何か起こることもなくフルコースメニューを味わい、食事が終わればお色直しのあと、小さな演劇が催される。
その次にはまた休憩が入り、今度は女王陛下も同席する立食ダンスパーティー。
女王のみが席につき、他の者は語らいつつ、ダンスや酒食に興じる。
飲む食う踊るが貴族の仕事とはよく言ったものだ。
園遊会は次回で終わりです