79.ローマット
園遊会に参加するために王都に集まった貴族たち。
されど園遊会が始まるまでには数日ある。
その間、彼らはどのように過ごすのか。
身体をゆっくりと休める者。
観光に時間を費やす者。
知己との歓談する者もいる。
しかし、ここにもう一つの時間の過ごし方があった。
そこは王族の血縁、ヴェンネルバリ公爵家の王都にある屋敷。
ヴェンネルバリ公爵とその派閥の者たちが酒と料理をもって、園遊会の前夜祭とでも言わんばかりに宴を催していたところだ。
だが、今回この宴の主催者であるヴェンネルバリ公爵には別の目的がある。
「旦那様。“あの方”が到着なされました。扉の後ろで待機してもらっております」
「そうか。よし」
宴会場に入ってきた使用人が、ヴェンネルバリ公爵に耳打ちをする。
ヴェンネルバリ公爵は、ようやく準備が整ったとでも言いたげに満足そうな顔で頷くと、宴の参加者たちに向けてこう言った。
「今日はスペシャルゲストを招いておる!」
ヴェンネルバリ公爵の言葉に、誰だ誰だ? と囁き合う皆々。
しかし、トンとわからない。
そんな様子にヴェンネルバリ公爵は顔をにやつかせ、大きな声で“スペシャルゲスト”を招き入れる。
「さあ、入られよ! ローマット殿!」
すると突如うねりを上げた波のように、一同は驚きの色をもって大きくざわめいた。
「ローマットだって!?」
「リバーシ、チェスの無敗の王者、あのローマット殿か!? もしや園遊会に参加するという噂は本当だったのか!」
場内が興奮に包まれる中、入口の扉が音を立てて開き、威風堂々とした格好の男が現れた。
その男こそ、本日の“スペシャルゲスト”、その名をローマット。
傍らには、小さな少女――ローマットのただ一人の弟子もいる。
――ローマット。
家名は剥奪されて既にない。リバーシ及びチェスの考案者であることに加え、両遊戯においてはいまだ負け知らずの絶対王者。
その名はラシア教皇から一般市民の子どもにまで、あまねく知られ、まさに大陸の中で教皇の次に有名だといっても過言ではない男である。
それゆえ、皆の驚きも当然といえた。
「おお、ローマット殿。よくぞ我が屋敷に参られた。本来ならば我が領地にて盛大に招きたいところであるが、本日のところはこの狭い屋敷で我慢してくだされ」
公爵という地位にあるヴェンネルバリが、なんの官位も持たないローマットに丁寧に挨拶をするのは、腰が低い性格だからではない。
それだけの価値が、ローマットという男にあるからだ。
ヴェンネルバリ公爵は言葉を続ける。
「酒と料理はのちほど。本日は我が領地で最高の腕を持つリバーシの名人とチェスの名人を連れてきておる。まずはその者たちに是非一手御指南をお願いしたい。
――ゴンザレス、ゴメス、挨拶せよ」
いつの間に現れたのか、ヴェンネルバリ公爵の両脇に控える二人の男――ゴンザレスとゴメス――が自信満々の笑みをもって、ローマットに一礼した。
ところで、素晴らしい家臣を持つことは領主の誇りである。
特に最強の騎士に最高の知恵者は、あらゆる領主が求めてやまないものだ。
そのせいか、世には最強の騎士を名乗る者がたくさんいる。
これが示すことは何か。
最強を名乗ることはいとも容易く、されど最強を証明することは甚だ難しい、ということである。
しかし最高の知恵者を証明することは簡単だ。
頭を使う遊戯としてリバーシとチェスがあり、この二つの遊戯において最高の打ち手は、百人に聞けば百人がローマットと答える。
現在最高の知恵者と呼ばれるのはローマット一人であり、なればこそローマットをリバーシとチェスにて倒したなら、その者は大陸最高の知恵者だと名乗っていいのである。
すなわち、今日の宴の目的は、ヴェンネルバリ公爵の自慢の家臣がローマットに挑むことにあった。
「結構」
ただ一言、王者の貫禄をもってローマットは応えた。
至急、宴会場に小さな机と椅子が用意される。
机の上に置かれたリバーシ盤と、それを中心に向かい合う二人の棋士。
さらに、周りをヴェンネルバリ公爵とその派閥の者たちが囲んだ。
対戦者であるローマットとゴンザレスの間で先手が選ばれ、対局が始まる。
真剣勝負である。
誰もが口を慎み、パチリパチリという石の音だけが宴会場に響いた。
「あっ」
やがて静寂を破るように、小さな声を上げたのは、リバーシ名人のゴンザレス。
己の失策に気付いたのだ。
こうなっては流れるように形勢がローマットへと傾いていく。
おおお、という感嘆が観戦者たちの口から漏れた時、石のほとんどはローマットの物となっていた。
「ぐっ……、では、チェスではどうだ」
口惜しげな様子のヴェンネルバリ公爵。
次にチェスにて挑むのは、ゴメスである。
「おおう!」と、ゴメスはまるで戦いに赴くような気合いと共に席に座った。
しかし――。
「チェックメイト」
しばらくののちに、呟いたローマット。
チェスでもまた、あっさりとローマットが勝利したのだ。
「うむう……。いや、流石はローマット殿。噂に違わぬ実力であらせられる。皆の者、ローマット殿に盛大な拍手を!」
ヴェンネルバリ公爵は悔しそうにしながらも、流石だとローマットを褒め称えた。
疑いようがない。ローマットこそが最高の知恵者だと認めたのである。
それに追従するように、その場にいた者は皆、拍手喝采をローマットに浴びせた。
「酒を持て! ローマット殿、最高級の酒と料理でもてなしますぞ。今日は色々と話を聞かせてくだされ」
ヴェンネルバリ公爵とローマットが酒を酌み交わすと、次いで他の者たちがローマットと会話しようと集まってくる。
「ローマット殿、私にチェスのコツを教えてくだされ」
「いやいや。そんなことよりも、これまでにローマット殿が対戦してきた実力者たちの話を聞かせてくれませんか」
ローマットは、いうなれば一流の芸能人といってよかった。
その知名度ゆえに、誰もが彼と会って話すことを望むのだ。
それは格式ばかりを重要視するドライアド貴族たちも同様といえる。
格式とは品。ドライアド貴族は品を重んじるからこそ、知恵を使った静かな遊戯といえるリバーシやチェスは受け入れられ、その無双の打ち手であるローマットは称えられるべき人間であった。
かくして宴会場ではローマットの取り合いが始まり、ローマットは王者の風格をそのままに毅然として応対する。
――この時、ローマットの鼻の穴がぷくりと膨らんでいたことに気付いた者は誰もいない。
◆
ローマットは調子に乗っていた。
今日もまた公爵家に招かれ、耳触りの良い言葉でとてもいい気分になっていた。
酒を飲むがごとく、今のリバーシとチェスの王者という立場にローマットは酔っていたのである。
しかし、この増長は最近のことだ。
それまでは、調子に乗ることもあったが、どちらかといえばビクビクとしていたことが多かったといえよう。
時は数年前にまで遡る。
当時、親から勘当を言い渡され、サンドラ王国の貴族位を失ったローマット。
食うに困ってリバーシを商会に売り込んでみれば、それは一週間もしないうちに王都中に広まった。
あり得ぬ速度である。
さらにその商会主はやり手で、ローマットを絶対王者として売り出し、リバーシが強いということに価値を持たせた。
これがきっかけとなり、ローマットは一躍王都の人気者になった。
サンドラ王国では王の指南役として度々呼ばれ、加えて新たに売り出されたチェスが世の知識人たちに好評を博し、ローマットの名は他国においても知られ始めることになる。
だが、これらのことはローマットを怯えさせた。
何故ならば、リバーシとチェスをローマットが考案したというのは真っ赤な嘘。
本当のところは、かつて藤原信秀が治めた獣人の町にて知った物だったからだ。
この事実がバレた時、はたして自分はどうなるのか。
嘘吐きだとして、後ろ指をさされ、今の地位から転落するのではないか。
そんな晴れることのない不安が、昼夜を問わずローマットを襲った。
たとえるならば、はるか子どもの頃。家にあった高価な壺を割ってしまい、それがいつ親にバレるかとびくびくしていた時の心境である。
しかし、怯えに反してローマットの名は国境すら越え、リバーシやチェスと共に大陸の隅々にまで広がっていった。
もはやローマットは、ガクガクブルブルと震えるような有様だ。
軽い気持ちでついた嘘が、段々と手に負えないほどに大きくなっていく。
大陸中の有力者から招待され、果ては大陸一の権力者であるラシア教皇にまで謁見した。
少しばかり調子に乗って「これが運命の一手。何物も運命には逆らえない」と、サンドラ王にわけのわからないことをほざいていた頃が懐かしい。
それゆえ、ローマットはリバーシとチェスを己が知ることとなったいきさつを、絶対の秘密にした。
「どのようにこんなものを考案したのか」と聞かれるたびに、獣人の町の者たちに対するうしろめたさを感じたが、素知らぬ顔で嘘に嘘を塗り固めたのである。
ローマットの言うことを、誰もが信じた。
当然だ。
ローマットは絶対王者、対して獣人の町と交流のある者など数えるほどもいないなのだから。
だが一度だけ、心臓が飛び跳ねそうなほど驚いたことがある。
それは、有名になったローマットの自宅――貴族顔負けの豪勢な屋敷――を、ある男が訪ねて来た時のこと。
他国の貴族の紹介状を持っていた男を相手に、ローマットはリバーシの相手をした。
どうということもなく勝負はあっさりとローマットが勝ったのであるが、その時に男が口にした言葉――。
「このリバーシにチェス。あんたが考えたものじゃないだろ?」
ドキリとした。
男をよく見れば、黒髪で顔の彫りは浅く、どこかあの町の主に似ている。
「な、なななんのことですかな? ここ、これは私が考案した物。わ、私の強さが、そ、その証明です」
思いもよらぬ、核心を突いた質問ではあったが、ローマットは怖かったので必死にしらを切った。
しかし男の追及は止まらない。
「単刀直入に言わせてもらう。あんた日本人だろ」
最初はなんの事だかわからなかった。
「現地の人間に乗り移ったんだろ? 俺たちのリーダーも同じだから、バレバレだぞ」
やっぱり何を言っているのかわからなかった。
「俺たちのリーダーは国を興すつもりだ。そのために同じ日本人の仲間を求めている」
何を言っているのかわからないどころか、反逆を企てているような発言である。
ローマットは男の正気を疑った。
『おい、いい加減にしろよ! この言葉がわかるんだろ! 同じ日本人同士助け合わずにどうするんだよ!』
そしてとうとう、男は謎の言語を話し始めた。
その言葉は日本語であったのだが、無論のこと、ローマットに通じるわけもない。
ローマットは、男が邪教徒であると屋敷の使用人に伝え、警邏の者を呼びに行かせた。
やがてやって来た警邏の者たちに対し、男は大立ち回りをした上で、屋敷からいなくなったのである。
――とまあ、リバーシとチェスの成り立ちを巡っては色々なことがあった。
しかし、不安も隣にあり続ければ慣れとなる。
段々と怯えは消えていき、やがてローマットは調子に乗り始めた。
なにせ、王も教皇も己に一目置いている。外を歩けば誰もが己を称賛する。
調子に乗らない方がおかしいのだ。
リバーシとチェスの研究に余念はなかったが、ローマットの心ばかりはとても愉快であった。
誰も己には勝てない。誰もが己を褒め称える。
ローマットはとても気分よく日々を送っていた。
だが時折思うことがある。
物足りない、と。
リバーシにしろチェスにしろ、あまりに相手が弱すぎるのだ。
そんな時、ローマットは南を眺めて、あの町を懐かしむ。
獣人の町では、リバーシやチェスを打つ者のレベルが違った。
多くの者と対戦した、今だからこそわかる。
彼らが打っていたのは何十年も積み重ねたような定石。
それをローマットはあの町で学んでいたのだから、その強さも当たり前のことであった。
ローマットが知らぬことではあるが、これは信秀が己の力をひけらかすようにリバーシやチェスの本を読んで狼族たちと対戦し、あっという間に学ばれて、以降ぼろ負けを喫したことに端を発するものである。
そして結局一度も勝てなかった狼顔の青年。
捕虜の身であったあの頃、ローマットはただただ勝ちたいと思って、がむしゃらに打ち続けた。
まるで童心のように純粋であった。
懐かしい。
捕虜でありながらも、どこか心地よく感じていたあの頃がとても懐かしい。
また一度戦いたいと思いを馳せるも、それは叶わない。
ミレーユ姫より、信秀と狼族は町から去ったが、無事に生きているとだけ伝えられていた。
彼らは一体どこへ行ったのか。
時折ローマットは思うのだ。
◆
園遊会当日である。
国賓として城に部屋を与えられていたローマットが、弟子の少女と共に会場に向かう。
この弟子、名前をロマンチェといい、栗色をしたショートカットの髪がチャーミングな、まだ十五にも満たぬ少女である。
大層位の高い家の出であるが、リバーシとチェスに魅せられるとローマットのもとに押し掛けて延々と頼み込み、半ば無理矢理に弟子となった経歴を持つ。
「華やかですね、先生。さすがは歴史名高いドライアドの都、ドリスベン」
城の廊下は飾り付けられ、そこかしこに儀礼兵が並んでいる。会場から流れてくる音楽の音色は、とても優雅で落ち着いた調べであり、静かな気持ちのまま聞く者の耳を楽しませていた。
(うむ、いい音色だ。飾り付けも歴史を感じさせるような品がある)
ローマットもロマンチェと同じ意見だった。
だが、そうだな、と同意するだけではただの人。
調子に乗りに乗っているローマットは、その口調も滑らかだ。
「よいかロマンチェ。見かけだけに囚われてはならん。リバーシもチェスも同じだ。泥にまみれて地を這いながら最後に相手を食らう。そういった手が一番怖い」
「なるほど。さすがは先生。このロマンチェ、また一つ見識が広がりました」
ふむふむとかわいらしくロマンチェは頷いた。
一方、ローマットも『流石は俺。いいことを言う』と心の中で自画自賛していた。
やがて二人は園遊会の会場にたどり着く。
会場は、非常に手入れの行き届いた素晴らしく見事な庭園であった。
本番は午後の会食からであるが、暇な者たちが歓談を楽しむために会場は解放されている。
基本的に、位の高いものほど会場に来るのは遅い。
庭園の一画には、心地よい音楽を奏でている楽士たちの姿があった。
また別の一画には机が並び、ワインと腹が膨れぬ程度のつまみが置かれている。
既に何人もの貴族たちが談笑していた。
また貴族の子女と共にダンスに興じる者もいる。
だがその傍らで、妙な人だかりができていることにローマットは気付いた。
「おお、ローマット殿。昨日はどうも」
人だかりの中から目ざとくローマットを見つけて近寄って来たのは、ヴェンネルバリ公爵家の宴の席にいた男。
男は言う。
「実は、生意気な者がおりましてな。どうかその者の鼻っ柱を折っていただけませんか」
話はこうであった。
会場に来ていた見たこともない貴族。
係の者に聞けば、どうも北の領地を買って貴族になった成り上がり者であるらしい。
皆は、そんな者が何故この場にいるのかと訝しんだ。
今日は伝統ある園遊会。由緒正しき血筋の者しか参加できないはずである。
だが、係の者に聞いてみれば、確かに招待された者であるとのこと。
そこで貴族たちは、その成り上がりに恥をかかせてやろうと画策する。
己が娘を使いダンスに誘わせ、酒を誘い食事のマナーを確認し、はては国の歴史について談じるまでに及んだ。
すると成り上がり者は、無難にそれらをこなして見せた。
一応、貴族としての常識は心得ているらしい。
されど、それでは貴族たちの気が済まない。
というわけで、ある貴族がチェスを誘うことにした。
リバーシなら庶民も打つことができるが、チェスならそうはいかない。
その手軽さゆえに、リバーシは爆発的に大陸中に広まった。
それに付随するように 学があり暇をもて余す貴族には、より時間と頭を要するチェスが普及した。
リバーシは能なしでも可能な娯楽、チェスは知恵者のたしなみ。これが大陸の常識である。
たとえチェスのルールは知っていても、その技術は一朝一夕で身につくはずもない。
つまりチェスで負かせて、恥をかかせてやろうという魂胆であったのだ。
こうして砂時計を使った早打ちのチェス勝負が始まった。
誰もが、成り上がり者のみじめな敗北を予想し、どんな風に罵ってやろうかと心待ちにしていた。
しかし、である。
予想に反して、その者は中々に強く、既に二人の相手を倒したのだそうな。
現在は成り上がり者を囲みながらも、負けて恥をかいてはならぬと、それぞれチェスを挑むことにしり込みしているところ。
そしてローマットがこの場に現れた、というわけだ。
「任せてください。先生ならそんな奴、チョチョイのチョイですよ。ね、先生」
ローマットが返事をする前に、ロマンチェが勝手に答えてしまった。
ロマンチェは盲目なまでにローマットを信奉しているため、己が師の強さを万人に知らしめようと、よく一人で突っ走ることがあるのだ。
まあこれも師匠の務めであると思い、ローマットは「よかろう」と答えた。
「道を開けよ、ローマット殿のお出ましだ」
「先生のお通りです、道を開けなさい」
ローマットの登場に群衆はまずざわめいた。
「おお、無敗の王者ローマット殿!」
「チェスの帝王、キングオブキングスがやってきてくれたぞ!」
「ローマット殿か。あの成り上がり者……死んだな……」
昨日の公爵家の宴席にいた者たちの自慢話によって、ローマットが今日の園遊会に参加することは既に周知されている。
集まっていた貴族たちの目には、ローマットに対する期待の色が見えた。
「先生が……ローマット殿が、ただ今より成り上がり者を成敗してくださるぞ!」
ロマンチェの空のかなたまで届くような宣言。
おおお! と貴族たちは歓声を上げる。
「ローマット!」
大きな声で誰かがその名を呼んだ。
さらにもう一度。
「ローマット!」
今度は別のところで、その名が呼ばれた。
するとどうしたことか。
そのさざ波は、すぐに大波となって、庭園を包みこんだのである。
「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」「ローマット!」
巻き起こる「ローマット!」コール。
楽隊の奏でる音楽も、上品な曲から雄々しく戦う曲へと変わっている。
全てはローマットのため。
庭園内はまさにローマット一色であった。
ローマットは内心で「でへへ」とだらしない笑顔を浮かべながらも、外面はあくまでも凛然と佇み、皆に手を挙げて応えた。
やがて群衆の中に穴が開いて、道ができる。
それは王者の道。
ローマットはその道を昂然と歩いた。
そして道の先。
ローマットは、おやと思った。
椅子に座る黒い髪の男。どこかで見たことがある気がしたのだ。
「ん、あれ、どこかで……」
相手もこちらを知っているような言葉を発した。
その声もやはり聞いたことがある。
はて、誰だったか。
ローマットは記憶を探った。
本能が、思い出せ! と叫んでいるようだった。
「先生?」
弟子の声にも反応できない。
ローマットは立ち尽くしたまま、思考の奥深くに埋没する。
(黒い髪。彫りの浅い顔。チェスがうまい……? ――あっ!)
そしてたどり着く。
忘れていた記憶に。
「あ、あぁ……あぁぁ……!」
口をパクパクとまるで金魚のように動かすローマット。
この時、思わず笑ってしまった貴族は、ロマンチェに睨まれて顔を背けた。
「ど、どうかなされましたか先生!」
ロマンチェがローマットのあまりの様子に心配して、声をかけた。
他の者たちも、何が起こったのかと、その疑念を隣の者と語り合う。
いつの間にか、楽隊が演奏する音楽も止まっている。
チェス勝負を前にしての絶対王者の異常な事態は、庭園にいる者全てを困惑させていた。
しかしローマットが驚くのも無理はないことである。
なんと目の前の男は、リバーシとチェスの本当の考案者と思われるあの獣人の町の主、藤原信秀だったのだから。
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