77.園遊会 1
春も中頃のこと。
俺は、春先より採用した期間労働者たちの様子を見学するために、南の村に来ていた。
しかし――。
「うーん」
自室の執務席にて俺の口から出たのは、唸り声。
俺は、村の運営とは全く別のことで頭を悩ませていた。
机の上に置かれた一枚の書状がその原因である。
「フジワラ様、ポーロ商会のレイナ殿が参られました。言いつけの通り客間に通しております」
扉の向こうから狼族の声がかかり、「ああ、すぐに行く」と答えを返す。
既にレイナは居住をポーロ商会支店の方へと移している。
今日は、悩みの相談に呼んだのだ。
自室を出て、客室へ向かう。
客室の扉を開けると、レイナがソファーから立ち上がって俺を迎えた。
金色の髪にキリリとした美貌、女物のスーツに似た衣装。
仕事のできる秘書官のような印象を受ける立ち姿だ。
俺はレイナへ向かって楽にするよう言い、自身も机を挟んだ彼女の正面のソファーに座った。
「フジワラ様、ご用件は」
「これを見てくれ」
俺は悩みの種である一枚の書状を机の上に置いた。
レイナはそれを手に取り、検める。
その書状の正体は、ドライアド王国女王陛下主催の園遊会の招待状である。
正体と招待は、別にかけたわけではないのであしからず。
「どうしたものかな。貴族の礼儀も知らないし、正直行きたくないんだが」
付かぬことではあるが、俺は国に対し、貴族としての最低限の務めは果たすつもりでいる。
ドライアド王国の貴族として、与えられた領地を統治し、税だって国にきちんと納める。
それは、貴族位を買った者としての最低限の礼儀であろう。
だが、パーティーなどの社交に関しては、俺の中で“最低限”のカテゴリーには当てはまらない。
今回、国としては、色々と思惑があるのはわかる。
しかし、それはそれ、これはこれだ。
領地と貴族の爵位を購入した時にも、社交に関しての特別な記述はなかった。
まあ、貴族らしい振る舞いを心掛けるようにとあったので、それに含まれているかもしれないが。
なんにせよ、そんな曖昧なものに強制力はないと思っている。
要するに何が言いたいかというと、俺はパーティーには是が非でも行きたくないのだ。
すると二度三度招待状を読み返したレイナが、落とした視線を正面に戻して言った。
「いえ、行くべきでしょう。他の諸侯の催しならともかく、女王主催のパーティーです。行かなければ腹に一物ありと疑われますよ」
「やはりそうか」
わかっていた。
ああ、わかっていた。
女王が主催するパーティーの招待状。すなわち、女王からの誘いである。
これに参加をしないということは、礼を失してはならない相手への明らかな非礼。
特別な理由でもなければ、絶対に参加しなければならない招待なのだ。
しかし、面倒くさい。面倒くさいのだ。
自分より上級者への対応。料理の食べ方。ダンスなどもあるかもしれない。
マナー、マナー、マナー。
日本的礼儀作法ならまだしも、この世界の貴族の礼儀など俺が知るはずもない。
はっきりいって、フィンガーボールをごっくんちょしかねないほど、俺はこの世界のマナーに疎いといっていいだろう。
そんな者が女王陛下主催のパーティに参加するためには、どれほど学ばなければならないか。
開催の日時は再来月。時間はあれど、やはり面倒くさいものは面倒くさいのである。
「しかしなぁ」
俺は悪あがきをするように呟いた。
だがレイナは、俺にパーティー参加を促すよう、力強く頷いてから言った。
「心配いりません。時間ならまだあります。貴族に必要な礼儀作法なら私が教えて差し上げますよ」
レイナの目には、メラメラとしたものが見える。
貴族への執着こそ表に出さないが、貴族に関わることになると、彼女は怖いぐらいにやる気を出すのだ。
領の運営について相談したりすると、鼻息を荒くして教授してくる。
彼女が俺の立場だったなら、悠々としてパーティーに参加するのだろう。
いっそ俺の代理としてパーティーに参加してもらいたい。
しかし、一商人にそのような務めを任すなど、無知な俺ですらやってはならない行為だとわかる。
俺は「はあ」とため息をついた。
やるしかない。
答えは最初から決まっていたのだ。
こうして俺はレイナの厳しい特訓を受けて、女王陛下主催のパーティー――園遊会――に臨むことになった。
梅雨の抜けた夏の始まりというのは、この国では最も過ごしやすい季節だといわれている。
日本でいうなら、その気候は梅雨前の晩春に近い。
暑くも寒くもなく、雨も降らず、ちょうどいい気温といったところか。
ここで、少し最近のことについて語ろう。
本拠となる町では、相も変わらず、狼族たちが日本語漬けの日々を送っている。
その成果も上々だ。
おまけに、天才というものはどこにでもいるのか、恐ろしい速度で日本語を学ぶ者が一人いた。
それはかつての町で、種族対抗競技会のリバーシ四連覇を果たした狼顔の青年である。
冬も半ばの頃には既に日本語をある程度の段階まで修め、物は試しにと算数や理科などの教科書を渡してみれば、翌日には質問攻めにされる。
ひと月もすればより難しい本をせがまれ、質問もどんどん難しいものになっていき、そろそろ俺自身も昔習ったことの復習をしなければついていけそうにない有様だ。
ここのところの俺は、南の村でずっと貴族のマナーについて学んでいるため、その青年とは会ってはいない。
だが、代わりにたんまりと学習用の教科書を渡しているので、園遊会から戻った時果たしてどんな質問をされるのかと今から戦々恐々である。
ジハル族長の息子のゾアンのおとなしい性格を見た時は、狼族の未来を心配したりもしたが、どうやらその必要はないようだ。
北の集落では狩りを盛んにし、また森以外にも行動範囲を広げて地理や植生などを調べ、もしもの時のために余念がない。
常に生存のために力を尽くす。これは俺も見習うべきところであろう。
かの地でもジャガイモの栽培は始まっており、加えて俺からは家畜として鶏を少数ながら譲っている。
冬を無事に過ごせたこともあり、俺たちに対する態度にもわずかではあるが軟化の兆しが見え、春の物品供与の際にはポリフ以外に族長衆の一人が受領にやって来て、形式的ながら謝礼を口にしていた。
非常によいことだと思う。
欲すればまず与えよ、とは誰の言葉だっただろうか。ふと思い出した。
南の人間の村では、期間労働者たちも村での生活に慣れたようだ。
この時期は農作業にも余裕ができ、リバーシで遊んだり、期間労働者たちの中でも少数しかいない女性を男の期間労働者たちが取り合いをしたり、毎日を充実して過ごしている。
ペッテル村長も村が活気を帯び始めて、表情を緩めていた。
特に元々村に住んでいた者が何人か帰ってきたことには、殊更に嬉しかったようで泣きながらお礼を言われた。
あとは、彼ら期間労働者たちをどのように村に引き留めるか。
まあ心配はいらないと思う。
一度、貧困を味わった者が、今の生活を手放すとは思えない。同じ条件を提示すれば、間違いなく村の一員となってくれることだろう。
――と、ここまでが領内の近況である。
そして俺の現在はというと……今、俺は馬車に揺られて王都に向かっているところであった。
園遊会に参加をしに行くのだ。
共には王都に詳しい商会の者を御者に、レイナと護衛の狼族たちを連れている。
馬車は荒れた道を通り、南隣の領へ。
その領内の北端の村を過ぎてからは道も整備されたものとなり、幾日後には二つの領地を越えて、俺たちは王都ドリスベンに着くことができた。
「王都も久しぶりだな」
俺はぽつりと呟いた。
そこは既に王都ドリスベンの城郭内。
多くの者が行き交う大通りの雑踏を馬車が進み、その車中で俺は鼻に手をやりながら、さらに呟く。
「鼻がひん曲がりそうなこの臭い、本当に久しぶりだ」
前に来た時もそうであったが、街中に糞便がばらまかれているのである。
無論、大通りに糞便をばらまく愚か者は流石におらず、現場のおおよそは裏路地や住宅街。
けれど、それでも臭う。
都市全体が悪臭を放っているようだ。
しかし、道行く人たちは気にした様子もない。
鍛えられすぎだろう。
馬車はレイナが手配してくれた貴族用のもの。
生憎と高級なガラス窓はついておらず、カーテンと木の格子があるだけで悪臭は防げない。
ここに来る前に窓ガラスを自前でつけてやろうかと思ったが、田舎貴族がそんな馬車に乗っていては目立つだろうとやめておいた。
今では、もう開き直ってカーテンも全開にしている。
狭い車中、ふと隣に置いたミラを見れば、やはり顔をしかめている。
馬車の周りを警護するように囲む狼族たちも皆同じであろう。
人間よりもはるかに優れた嗅覚をもつため、この臭いは相当にきついに違いない。
責任者には、せめて各地から貴族が集まる時くらい都市を綺麗にしろと言ってやりたい。
「大都市なんてどこもこんなものですよ」
正面に座るレイナからの一言。だが彼女も不快な色を隠せていない。
少なくとも村では、糞便の始末には気を使っている。
そこに慣れた者には、やはりこの臭いはきついのだ。
馬車が大通りを進む。
その歩みは遅い。
大通りともいえども、人の多さに対して道はそれほど大きくはない。
そのため、馬車は人混みをかきわけざるを得ないのである。
まあ、つまりは賑わっているということだ。
耳を澄まさなくても聞こえてくるこの喧騒。
わかるだろうか。
「へいらっしゃい! うちの豚は最高に美味いよ!」
「さあさ、新鮮な卵だよ! 朝一番の取り立てだ!」
「酒だよ酒! 今の季節なら酔い潰れても凍死することなんてない! さあ、うちの店で、たらふく飲んでいってくんな!」
これは客を呼び込む商人たちの声。
「知ってるか、またリンドバリ侯爵がオリヴィア陛下に求婚しようとしているらしいぞ」
「いやあねえ、冗談は顔だけにしていて欲しいわ。そもそもどれだけ年の差があると思っているのかしら」
「おい! 園遊会に無敗のリバーシ王者キングオブキングスが呼ばれているらしいぞ!」
「まあ! あのリバーシの考案者であり、教皇様にも覚えのめでたいといわれるローマット様が!?」
これは道行く者たちの噂話。
腐っても王都。城下町は本当に賑やかだ。
財政が厳しいとは、とても思えない。
まあ枯れ木にも虫が宿るということなのだろう。
しかし、すぐ隣には貧困があるということも忘れてはいけない。
領地の発展にそれを利用するのが、俺の策略なのだから。
そんなことを考えながら、城下町の騒がしさをBGMに耳を楽しませていると、ある声が聞こえてきた。
「新刊だよー! あの謎の大人気美少女作家オリーブオリーブの新刊が出たよー!」
新刊。本か。
この時代に作家を生業にする者がいたとは意外である。
オリーブオリーブ、有名なのだろうか。
すると、変化は俺の正面にあった。
普段、感情をあまり表に出すことのないレイナ。とても冷静で、クールビューティなんて言葉がよく似合う女性。
そんな彼女の眉がわずかに開いた。
それだけではない。
目線がちらちらと、景色がゆっくりと動く窓の外を向く。
「さあ、今日買わないと明日には売り切れちゃうよ! 次の入荷は早くても二週間後! 今読まないと話についていけないよ!」
あからさまにそわそわし始めるレイナ。
彼女が何に反応しているかは明らかであった。
なるほど。
俺は御者に、馬車を停めるように声をかける。
「どうかなされましたか」
レイナがなんでもない風を装って、俺に尋ねた。
だがそれは偽り。
本人はばれていないと思っているのだろうが、俺にはわかっている。
はっきりいって、バレバレだ。
「ちょっと待っていてくれ」
俺はレイナを残し、隣のミラを連れて馬車を降りる。
行先は、先程本の宣伝をしていた店。
「これは貴族様」
現在の俺の恰好は上等な物であるから、俺を貴族だと判断するのはおかしなことではない。
「店主、オリーブオリーブの新刊というのはなんだ」
「へえ。オリーブオリーブは現在巷で有名な謎の美少女小説家でして、彼女の新しく書いた本が今日入荷されたんです」
「ふうん」
謎の作家なのに、美少女だということはわかるのか。
俺は、平積みされている本を見た。
そこにはあったのは『美しすぎて婚約破棄〜孤児院をつくって未来の旦那を育てるの章〜』という本。
なんだろうか。この、女性の欲望にまみれたようなタイトルは。
「店主、これの過去作はあるのか?」
「へえ。ちょっとお待ちください」
店主が奥から本の束を持ってきた。
見やすいように店頭に並べられ、俺はそれを一つ一つ確認する。
『美しすぎて婚約破棄〜お見合いパーティーは吸血鬼の罠の章〜』
『美しすぎて婚約破棄〜勇者パーティーに入って勇者と婚約してみせるの章〜』
『美しすぎて婚約破棄〜勇者を魔王に寝とられるの章〜』
『美しすぎて婚約破棄〜イケメン主人公のハーレム要員に加わるの章〜』
『美しすぎて婚約破棄〜私よりも美しいかもしれない永遠の少年の章〜』
結構出てるんだな。
それにしても、欲望に忠実というかなんというか。
男性向けハーレムアニメの女性バージョンが、こういったものなのだろう。
「売れているのか、これ」
「ええ、そりゃあもう。子どもから大人まで、平民から貴族まで、女性なら誰もが手に取って読んでますよ」
「ふむ」
第一章と書かれた本を手に取り、ページを開く。
一番最初のページにはあらすじ。
なかなか親切だな。
その内容はこうだ。
『――少女が歩けば、太陽は雲に隠れ、花は蕾に戻る。全てはその少女の美しさゆえ。太陽も花も少女のあまりの美しさに己の醜さを恥じたのである――
前世ではあんまりかわいくなかったせいか、結局結婚できないまま29歳の若さで死んでしまった私。
最後の記憶が貴族の馬車にはねられたところだから、死因は交通事故だと思う。
そして、転生しました!
それも、物凄い美人さんになって!
新たに生まれたのは貴族の家! そして現在17歳!
そしてそして! 今日はなんと婚約者の家にお呼ばれしちゃいました!
これはもうプロポーズしかありませんよね?
遂に念願の結婚ができるんです!
嬉しいなんてもんじゃありません! えへへ。
――しかし、少女を待ち受けていたのは、婚約者からの一方的な婚約破棄。その理由とはいったい何なのか。そして少女は旅に出る。これは少女が婚約者を探し求めて世界を舞台に活躍する冒険活劇である――』
ううん……反応に困ってしまう。
こういうのが、大陸では受けているのだろうか。
元の世界の中世ヨーロッパでも、こんなのが流行っていたのかな。
とはいえ、だ。
売れているということは、おもしろいということだろう。
これは村での識字率に役立つかもしれない。
「他に本はあるのか? 小説のようなものが」
「あるにはありますが、どれもオリーブオリーブを真似た作品ばかりですよ? 本人たちはリスペクトだとかオマージュだとか言ってますがね。
もちろん質もオリーブオリーブの作品より大分落ちます。
まずはオリーブオリーブの作品を読んで、それでもまだ足りないっていう人が他の作品に手を出すんですよ」
「よし、じゃあこのオリーブオリーブの小説を全巻くれ」
「毎度ありぃ!」
本を全て布の袋に詰めてもらった。
ついでに隣の店から果物を買う。
すると、路地裏で子どもが二人こちらを眺めていた。
その服は街の者たちより、はるかに貧相である。
貧困街に住む者だろうか。
俺は手招きして呼び寄せると、果物を分けてやった。
いいことをしたな、と自己満足に浸りながら馬車に戻ろうとする。
すると窓からこちらを見ていたレイナが顔を逸らした。
顔を逸らすということは、やましいことや後ろめたいことがある証拠。
真面目なレイナにとって、仕事先で小説に気を取られることは、やましいことになるのだろう。
「はい、これ」
「え……?」
馬車に戻った俺がオリーブオリーブの最新刊を差し出すと、とまどったような、しかしどこか期待の含んだような目でレイナが俺を見た。
「今日まで色々お世話になったお礼も兼ねて」
「い、いえ、でも……」
「いらないなら捨てちゃうけど」
「あっ、いやっ、待って」
俺が窓に顔を向けると、レイナが反射的に手を伸ばす。
俺はにっこり笑って、その手にオリーブオリーブの最新刊を渡した。
「あ、ありがとうございます……!」
最初は顔を赤らめて恥じ入っていたレイナだったが、すぐに大切な物であるかのように本を胸に抱き締めた。
その時の表情は、まるで赤子を抱く慈母のようである。
こんな顔をするんだな。
いいものを見た。
あとで聞いた話だが、レイナはこの本のファンであり、作者である謎の美少女小説家オリーブオリーブのことも敬愛しているのだとか。
というわけで、これにてめでたしめでたし。
俺はなんだかいい気分となって、高級宿に向かう馬車に揺らされた。
――といいたいところであるが、話はこれで終わらない。
「すいません。本を頂いたのでとても言いにくいことなんですが……」
そう言って彼女の口から発せられたのは、先ほどの子どもに対する施しについて。
「貴族を恐れないようになったら、不幸になるのはあの子どもたちなので……」
本当に言いにくそうに彼女は言った。
貴族というものは傲慢不遜な者が多く、中には平民の命を物のように扱う者もいる、と。
そんな者に貧困者が近づけば、汚いからという理由だけで殺されることもあるという。
言われてみれば確かにそうだ。
安易な優しさが、人のためになるとは限らない。
そのことに気付いた俺は、なんとも言えない気分になったまま、馬車に揺らされた。