70.エルフ 2(地図あり)
「そうか……獣人たちは協力して生活しているのか……」
俺は虚空を見つめて、ぼそりと独り言のようにつぶやいた。
「……どうかなされましたか?」
「いや、なんでもない。えっと、それでなんだったかな」
俺の返答にポリフは、「は?」という疑いと呆れの混じった声を漏らす。
それを咎めることはしない。
俺の心は平常にあらず、語るべき言葉すら忘れてしまっていたからだ。
「いえ、ですからあなたの支配下に入るという話と、先ほどあなたに質問された、他の種族の者も共に住んでいるという話です」
そう、この地で獣人たちはともに手を取り合って暮らしているという話。
それを聞いた瞬間、俺にある一つのことに囚われた。
あの呪われた地で、もし俺という存在がいなければどうなっていたのかという自問である。
詮なきことだ。
今更そんなことを考えても、過去は変えられない。
だというのに、心は苦しくなる。
「フジワラ様……」
隣からかけられた声には慈しみが感じられた。
ミラのものだ。
察している、俺の心情を。
とても優しいなと思った。
「大丈夫だ。ああ、大丈夫だ」
一度目の言葉は強がり、しかし二度目はしっかりと自分を持って答えた。
我に返ってみれば、ペッテル村長も、ポリフともう一人のエルフも、キョトンとしている。
そうだな、と思った。
これは、俺たちにしかわからない。
「すまない。最近あまり寝てなくて、どうも立ちくらみがしたようだ」
「そ、それは大丈夫なのですか? や、休まれた方がいいのでは……」
ペッテル村長が俺の嘘を真に受けて、心配するような様子を見せる。
それに対し、俺は微笑を浮かべつつ、頷いて言った。
「問題ない、話を続けよう」
場を仕切り直し、何事もなかったかのようにポリフの口から彼らの実態が語られていく。
もう一人のエルフはそれを好ましく思っておらず、「おい」やら「やめろ」やら、ポリフに対し文句を口にする。
だがいずれあきらめて、私不満ですというブスッとした顔を浮かべるだけとなった。
人間でない者が暮らす集落。
しかし、全ての部族が一つの場所に住んでいるというわけではないという。
北の領境をまたぐ、人の手が及んでいない巨大な森を、それぞれ根城にしているのだそうだ。
全部族を合わせた詳しい数はわからない。だが、千には届くだろうとのこと。
千。結構な人数だ。
是非、欲しい。
「そこに住んでいるのは、我らエルフに加え、鼠族、蜥蜴族、狼族――」
途端、俺の心が跳ねた。
その驚きは表情にも出ていたのだろう。
ポリフが言葉を止めて、「どうかしましたか?」とでも言いたげな視線を送ってくる。
俺は、「いや、なんでもない」と答えて、先を促した。
しかし、なんでもないわけはない。
――狼族。
その言葉を聞いた時、俺はミラたちに振り向きそうになるのをなんとか堪えていた。
人間だって種類は幾つもある。鳥族も、鷹のような顔をした者たちと、鴉のような顔をした者たちがいた。
狼族が一部族だけとは限らない。
「――豚族に牛族。全六種族が共に暮らしています」
狼族のみならず豚族もいるようだ。
六種族というのが多いのか少ないのかは判断が付かなかった。
獣人たちの全てが、この竜の角と呼ばれる北の地を目指したというわけではないだろう。
大陸のどこかで息を潜めて暮らしている種族もいるはずだ。
あるいはエルフたちが知らないだけで、この地にはもっと獣人がいるのかもしれない。
どうするべきか、と考える。
千にも及ぶ人口は欲しい。
だが、今ある彼らの暮らしを壊したくはないとも思った。
再び胸の底から蘇ってくるのは慙愧の念である。
「……生活はどうなのだ?」
「森で獣を狩り、川で魚を捕まえ、あとは農業の真似ごとをしています。ですが……」
「あまり芳しくない、か」
俺の言葉に同意するように、ポリフはこくりと頷いた。
それはそうだ。生活がうまくいっていれば、この村に来るわけもない。
人間との関わりあいは苦渋の決断だっただろう。
獣人たちは苦しい生活を送っている。
ならば、迷うことはないのではないのか、と俺は思った。
互いに利はあるのだ。
「そうか。ならば私が行って話をつけよう」
「馬鹿な! それこそ絶対にやってはいけない行為だ! お前は私たちを滅ぼすつもりか!」
もう一人のエルフが叫んだ。
敬語も何もあったものではない。
「おいっ」というポリフの叱責が飛び、もう一人のエルフはようやく、しまったという顔になった。
「……今のは聞かなかったことにしておく」
言葉使いなどにこだわりはしないが、ここにはペッテル村長もいる。
体面というものを気にしなければならない。
「ありがとうございます。ですが、彼女のいうことは正しい」
「何故だ。この土地に住んでいるならわかるだろうが、我が領地にはこの村以外に集落はなく、軍隊もいないぞ」
「だからこそです。あなたを害するのは容易い。獣人たちの中で人間に恨みを持つ者は多く、もし貴族であるあなたに害が及んでしまえば、国はその重い腰をあげるでしょう」
俺は少し考えて、確かにそうだと思った。
かつての町では俺という人間がいた。
うぬぼれでなければ、俺という存在があの町の獣人たちの人間に対する憎しみを和らげていたのではないかと思う。
では、人間の力を借りず、七年という月日を困窮の中で暮らしてきた彼らの心情はどうか。
貧しさを感じるたびに、住む土地を奪った人間への恨みが積もっていくであろうことは、想像に難しくない。
恨みや憎しみは長きにわたり熟成され、尋常ならざるものになっているはずだ。
だが、それでも――。
「私に考えがある。心配はいらない。私に害をなすことなどできないはずだ」
夜、夢うつつの中で瞼の裏に浮かぶことがある。
猫族、豹族、鳥族、アライグマ族、鹿族、豚族、ゴブリン族、コボルト族。
彼らと共に過ごした姿が。
裏切られてなおも、時計の針を戻したいという思いがあるのかもしれない。
ポリフが、「ですが」と言い募る。
されど、俺はそれ以上を喋らせなかった。
「これは決定事項だ。そもそも領主が己の領内で行動を制限されるなどあってはならないことである」
領主は己が領内において絶対の存在。
これは、この世界の常識からいえば、至極当然のことである。
ポリフの口からはぐぅの音すら出なくなり、俺は続けて言った。
「とにかく、まずは薪についてだ。麦と交換するのだろう? 村長、いつもの倍を用意してやれ」
「し、しかし、それでは村は……」
「余分に払った分は私が立て替えてやる」
「は、はい、それならば」
ペッテル村長の指示の下、麦が持ち込まれ、薪に代わって人力車に積まれる。
物々交換が終われば、もうペッテル村長はこの場に必要ない。
彼には席を外してもらい、空き家には俺と護衛、エルフの二人だけとなった。
「どうだ?」
俺は空き家の中から、外にやった護衛の狼族に尋ねる。
護衛の狼族は、空き家の周囲に怪しい者がいないか窺っていた。
ポリフたちは何をしているのかと、不審そうな顔をしている。
「周囲に人の気配はありません」
「よし。ミラ、頭の布を外せ」
俺の命に、ミラは無言のままシュルシュルと巻いた布をほどいていく。
次第に露わになるミラの頭部。
「は……? まさか……!?」
「あ、あぁ……!」
ややあってミラの頭が全て明らかになると、ポリフら二人のエルフが目を剥き、大きく口を開けて唸った。
二人の視線の先には、人間でない者の証――獣の耳がピョコリと立っていたのである。
「獣人だったのか……っ!」
ポリフが吐き出すように言った。
護衛たちが狼族だとは、一ミリたりとも想像していなかったのだろう。
まさか、といった表情である。
「声を小さくしてもらおう。確認したとはいえ、どこに耳目があるかわからないのだから」
村に密偵が入っていることを、既に俺は確認している。
狼族は鼻が利く。
ある時、村の者ではない輩を発見していたのだ。
おそらくは王宮の者、狙いは胡椒だろう。
なお、こちらから変に行動を起こして警戒されても困るので、何もしていない。
害が及ばない限りは、そのままにしておくつもりだ。
「ミラ、もういい」
ミラが再び頭に布を巻き付ける。
俺は、依然として顔に驚愕の色を張り付けているエルフの二人に言った。
「これで少しは信用してもらえたんじゃないかと思うが、どうだ?」
獣人たちの住む地へと行き、円滑に事を進めるには、ポリフ達の協力が不可欠だ。
仲間である者からの説得が何よりの武器となるからである。
そのためポリフたちにはしっかりと俺たちを信用してもらわなければならない。
向かった先で、やはり人間の支配下には入れない、などと裏切られては困るのだ。
「え、ええ。これならば、他の部族の者たちも聞く耳を持つかもしれません」
ポリフが、もう一人のエルフと互いに顔を見合わせてから言った。
身内に獣人がいるというのは、抜群に効果的なようだ。
「では、お前たちが帰るのに合わせて、行くとしよう」
広げた地図。
北東に10キロあたり、川が大きく蛇行した場所の手前の平野を指差して言う。
「ここで……そうだな、二日待っていろ。二日後は火を常に焚いておけ。目印になる」
話が決まり、俺たちは解散した。
館に戻るとジハル族長に電話をして事情を説明すると共に、車両を回すように指示をする。
人員については、ジハル族長にも来てもらうように言った。
それからレイナに一言告げ、狼族の護衛を館に二人残し、俺たちは村を出発したのである。
無論のこと、レイナはこちらの事情をある程度知っているため、館に残しても問題はない。
電球や暖房器具などについては一応隠しているが、車両に関してエルザより説明があったはずなので、たかが小さな電化製品程度は今更な話だ。
ジハル族長たちと合流すると、馬車から車両に乗り換えて、今度はエルフとの合流地点に向かう。
【73式大型トラック】五台と【馬運車】が一台。
獣人たちと話し合いは行うが、こちらの力も見せねばならないと思い、威圧する構えである。
エルフとの合流前には、【四斤山砲】も二門【購入】し、それらはトラックに引かせた。
――さて、村を発って二日。
約束の期限に予定通り俺たちは、エルフとの合流地点へと到着した。
「ば、化け物だ!」
「に、逃げろ! 幻獣だ!」
期待通りの反応である。
横隊となって近づく車列に対し、せっかく村で交換した麦を置いて、エルフたちは逃げ惑った。
それにしても、この驚きっぷりは非常に懐かしい光景だ。
初めてトラックを見た狼族らの反応を思い出す。
俺は、なんというか愉快というか、恍惚とした気分にさせられた。
嗜虐嗜好でもあったかなと思いつつ、隣の席に座るミラに顔を向けてみれば、彼女もうっすらと笑みを浮かべている。
どうやら俺ばかりが特別というわけでもないらしい。
しかし、このままというわけにもいかないだろう。
俺はすぐさま【拡声器】を【購入】した。
『待て! 逃げるな! 化け物ではない、フジワラだ!
村で会った領主のフジワラだ! 逃げるな!』
拡声器から放たれた大音量が、辺り一面に響いた。
これが言葉を伴っていなければ、それこそ巨大な怪物の咆哮である。
すると、俺と実際に話したポリフがまず状況を理解し、他のエルフたちに「止まれ」と命令した。
逃げ惑っていた者たちはやがて正気を取り戻し、こちらに害意がないとわかると、ゆっくりとポリフのもとに集まった。
「なんだ、これは……生きものじゃないのか……?」
「こんなものを人間が……」
一列に停止させた車列を遠巻きに見つめ、畏怖するエルフたち。
「車輪がある……。馬を引かずに走る車……? フジワラ様、これはなんなのですか! 一体あなたは何をするつもりなのですか!?」
ポリフの、冷静とはいい難い言葉。
その表情には、呼び込んではならないものを呼び込んだかもしれない、という危惧の思いが滲んでいる。
「何をするつもりもない。ただほんの少し話をしに行くだけだ」
しかし俺は、なんら悪びれることなくポリフに答えた。