67.村とジャガイモ 1
人口一万人。これを達成するのは並大抵のことではない、と俺は考えていた。
全てがいい方へいい方へ進んだ以前の町であっても、七年という長い年月をかけて最終的な町の人口は4千人にすら到達しなかったのだ。
この地に新たな町の住人となる獣人がはたしてどれだけいるか。
そう考えた時、その期待はあまりに薄い。
だが、待ってほしい。
王都ドリスベン。その大都市は七万人もの人口を抱え、うち二万人が流民同然の困窮した暮らしをしているのだという。
ここに俺は希望を見出した。
領内の村に困窮した民たちを移住させて人口一万人を達成するという、新たな計画を打ち出したのである。
そのために必要なのが、キク類ナス科ナス属の多年生植物、学名をソラナム・ツベローサム――いわゆるジャガイモだ。
ジャガイモは南米アンデス山脈を原産としており、3000メートル以上の高地で自生するのだから当然寒さに強く、また痩せた地でも十分に育つ。
かつての世界でも、南米から海を越えて運ばれたそれは、中世ヨーロッパの人口爆発の一助となっていた。まさにこの地にこそふさわしい作物であるといえよう。
これを用いて村の食料自給率を上げ、人を呼び寄せるのだ。
俺が護衛を連れて町を発ったのは早朝のことであった。
馬運車に馬を載せ、その後部に馬車の荷台を繋ぎ、装甲車と馬運車での移動となる。
馬車は、先の領地購入の折、胡椒を運ぶために王都で買ったものだ。
装甲車を先頭にして、俺たちは領内にあるという唯一の村へ向けて進んだ。
村に程近い場所にまで来たところで車を停めて、馬車に乗り換える。
車は隠し、数日間の食事を残して見張りを置いた。
そして、昼の一番暖かい時間が過ぎた頃、俺たちは村に到着した。
田畑が広がり、その中に民家が疎らに建っている。
領主の家があるという村である。遠くから見たところ、全体的に大きい村であるように感じた。まあ、他の村を知っているというわけではないが。
その一番端の家。
近づいてみてわかった。家の手入れがされていない。人が住んでいないのだ。
村の外側に位置する家は、空き家ばかりであり、周囲の田畑も荒れ果てている。
村の人口の減少は明らかであるといえよう。
村の中ほどまで進む。
さすがにここまでくると田畑が荒れているということもなく、麦畑が広がっていた。
その中に農作業の手を止めて、様子を窺うようにじっとこちらを見つめている者があった。
「村長はいるか。私はこの地の新たな領主となったフジワラ男爵だ」
俺が口にしたのは、己の力を誇示するような強めの言葉。
貴族になるうえで、エルザから平民に対する態度に気を付けるようにと言われている。
貴族が侮られるということは国の信用にもかかわることであり、何かあれば領主にまで責任が及ぶとのことだ。
普段からその威厳を民に示すことは、貴族としての欠かしてはならない務めなのである。
「は、はい、少しお待ちを!」
俺の言葉に、村人は事態を察して駆け足で去っていった。
村長なりを呼びに行ったのだろう。
俺は誰もいなくなった麦畑を見た。
いいのか悪いのかわからない。前の町では作物の育て方を教えたが、実際にそれを行ったのは獣人たちで、俺自身が直接農作業に関わったということはないからだ。
なので護衛の狼族に、どうだと意見を聞いた。
「あまり実っていませんね」
「そうか」
麦は寒冷に強い。
しかし不作だということは、やはり土地が痩せているのだろう。もしくは、土壌の酸度の問題か。
村人が戻ってくるまで時間がかかりそうなので、【酸度測定器】を【購入】して土に刺す。
数値は5.8。弱酸性といったところだ。
ジャガイモを育てるのには悪くない数値だと思う。
すると、護衛の狼族たちが、何をしているのだろうかとでもいいたそうに疑問の色を顔に浮かべた。
今までは、狼族たちに対して説明もおざなりな部分が多数あった。俺はただこうするようにと指示するだけだったのだ。
しかしこれからは違う。
俺は、酸度についてよく説明し、実際に【酸度測定器】にも触らせた。理解したかどうかは怪しいところであるが、皆、興味深そうではあったとだけいっておこう。
今はそれでいいと思う。
しばらくして、先ほどの村人が一人の男性を連れて戻ってきた。
「この村の長をやっとりますペッテルという者です」
中肉中背、その面には手入れのされていない髭を蓄えた男。
若い、と俺は思った。
四十代。いや、髭がより年嵩を増やして見せていることを考慮すれば、実は三十代であることも考えられる。
そんな若い者が村長をしている。
老人が生きていけないほどに村の生活が苦しいのだろうか。
そんなことを思いつつ、俺もペッテル村長に名乗った。
「私がこの村を治めることになったフジワラ男爵だ」
ピラリと懐から証明書を取り出して見せる。
字を読めるのだろう、ペッテルはそれに目を通して、「わかりました、よろしくお願いします」と頭を下げた。
「以前の領主が住んでいたという館があると聞いたが?」
「へえ、確かにあります。ですが長年使ってなかったので、とても住めたもんじゃありませんよ?」
「とりあえず案内してくれ」
まずは泊まる場所の確保が優先だ。
俺たちはペッテル村長の案内で領主の館に向かった。
ペッテル村長の視線がチラチラと護衛の狼族たちの方へ向く。
肌を極力隠した異様な風体である。
気にならないという方がおかしいのかもしれない。
だが、俺は貴族でありペッテル村長は平民。
たとえどれだけ気になろうとも、村長は無用の質問を控えねばならなかった。
「ただの護衛だ。気にするな」
俺がそう声をかけると、ペッテル村長は「すいません」と一つ頭を下げて、もう狼族たちに視線をやることはなくなった。
それ以上、俺たちは何かを話すことなく歩いた。
途中には何人もの村人を見かけた。老人もおり、先ほどの老人が生きていけないほど苦しい生活環境という考えは杞憂であったといえよう。
領主の館は、村の最奥ともいうべきか、農家を抜けたところにあった。
長年放置されていたという話の通り、外壁には青い苔がこびりつき、葦が絡み付いている。
日本にこんな洋館があれば、幽霊屋敷とあだ名されそうなくらい不気味だ。
特に館の大きさがそれに拍車をかけていた。
あまり住みたくはないな、というのが俺の感想である。
「中はもっとひどいですよ」
俺の心を察したかのように、ペッテル村長が言った。
「よいしょっと」
村長の手によって、ぎぎぎという錆びついた音と共に入口の大きな扉が開かれた。
チチッという音は、光を嫌った野ネズミの鳴き声だ。
中に足を踏み入れる。
薄暗い。木の板で塞がれた窓の隙間から光が差し込んでおり、幻想的な雰囲気を俺に感じさせた。
それにしても埃まみれだ、おまけにカビ臭い。
とても住めたものではないだろう。
「あの」
「なんだ」
「よろしければ我が家を使ってください。村の者を集めて、今日と明日でなんとか掃除を終わらせます」
「ふむ」
じきに日が暮れる。館がこの状態では他に選択肢はないだろう。
「そうさせてもらおう」
俺たちは場所を村長の家へと移した。
他の家よりも二倍近く大きいのが、村長の家である。
村長の家族が荷物を手に家を出ていくのを眺める。子だくさんで結構な大家族のようだ。老人もいる。
どこへ行くのかと村長に尋ねたら、きれいにしている空き家があるので、そこに移動するのだという。
「では、後のご用は娘にお申し付けください。
ペーニャ、失礼のないようにしっかりとご奉仕するのだぞ」
家についての軽い説明の後、一番大きな娘――村長の長女だろう――が残された。
かわいそうに、彼女は俺に頭を下げた姿勢のまま震えている。
奉仕と村長は言った。
その言葉を単純に捉えてはならない。もっと卑しい意味合いが含まれているのだろう。
領主のさじ加減一つで村の運命が決まる。ならば村長としてやるべきことは何か。つまりはそういうことだ。
だが、あいにくと俺の道徳観念は日本のものである。
「いや、その娘は必要ない。村長、皆に指示が終わったらお前が来い」
「え!?」
俺の言葉に目を剥いて驚くペッテル村長。
何をそんなに驚くことがあるのだろう、話が聞きたいだけなんだが。
気づけば、ペーニャと呼ばれた娘も顔を上げてギョッとしている。
「わ、わかりました。精一杯務めさせていただきます」
頬をほんのり赤くして恥ずかしそうにどこかもじもじとしつつ村長は言う。
その仕草はまるで乙女のよう。でも、かわいいとかはなく、ただ気持ち悪さを覚えるだけであった。
そこで俺はようやく理解する。ペッテル村長がどんな勘違いをしているかを。
「か、勘違いするなよ! は、話を聞きたいだけだ!」
口にした瞬間、しまったと思った。
うろたえてえてしまったのだ。
これではまるで己の言葉をごまかしているようで、本当にその気があるようではないか。
自然、顔が熱くなる。心臓もバクバクとその鼓動を早くしている。
俺は誤解を解くために、さらに口を動かした。
「違うからな! 男が好きとかそんなんじゃないからな!」
なんだろう、ドツボにはまっていく気がする。
護衛の狼族たちの顔も見れない。
俺はその場を脱するように、早足で村長の家に入った。
「変装は解かないように。村長が来たら知らせてくれ。あと、俺は普通に女の子が好きだから」
俺に続くように家に入ってきた護衛たちに、それだけ言い残して奥の部屋にいく。
恥ずかしい。羞恥心がいまだ俺を苛んでいる。
俺は椅子に座ると、気分を変えるため【漫画雑誌】を【購入】し、ページをめくった。
DOKATER×DOKATERはまた休載に入るようだ。全く、ろくなことがない。
やがてミラが、村長が戻ってきたことを知らせに来た。
それ以外にも何か言いたそうなそぶりが、俺の心を傷つけた。
「入ってもらえ」
村長を部屋に入れる。
もちろん護衛の狼族たちも一緒だ。
村長は護衛を見て、あからさまにほっとした様子である。
もうめんどくさいので、俺は何も言わない。
「座れ」
俺が命令すると、村長は床に膝をついた。
互いは貴族と領民という立場。
同じ高さの椅子に座ることはありえない。
「領内のことについて話してもらおう」
それから日が暮れるまで話を聞いた。
以前はこの地にもちゃんとした領主がおり、村もたくさんあったらしい。
しかし領主の一族が没し、その血筋が途絶えると、各村の住人は続々と少しでも暖かく豊かな土地を求めて南へと去っていった。
作物が育ちにくく、主産業は林業と牧畜。そのため、各村々は、木がなくなればそのたびに別の土地へと移るという、領内の土地を点々とする生活をしており、皆、この地に対して思い入れなどはなかったのだ。
領主という縛りがなくなり、仮の主として税をとっていた南に隣接する領主も、己の治める土地を豊かにするために南への移住を推奨していたともなれば、この土地に留まる理由もないであろう。
そして唯一残ったのが、領主が住んでいたこの村なのだという。
領主が居住していたということもあり、農作を生業としていたし、領内でも南に位置しているため、わざわざ南の領地に移るよりは、と考えたそうな。
獣人についても聞いた。
冬が近くなると、どこからやってきたのかエルフの一族が村に薪をもって物々交換に来るらしい。
――エルフ。
彼らについては、エルザや獣人たちより話を聞き、俺も及ばずながら知識を持っている。
エルフとは白い肌と長い耳もち、人間とよく似た容姿をしている種族だ。しかし彼らが人間として扱われることはない。
獣人と変わらぬ括りである。
かつての世界でよくある、人間の性奴隷にされるという話もないようだ。
なぜならば、エルフを使って性欲を満たすという考えが人間にはないのである。
大陸に君臨するラシア教の教義は、異種族間の交配を大罪としている。
人間とは絶対の存在。
エルフは非常に整った顔立ちをしているそうだが、ラシア教の教義がこの世界の者たちの常識であるため、綺麗だとか美しいという感情をエルフに持つことはない。
黒という色が黒と呼称されているのが決して覆らない常識であるように、ラシア教がエルフを人に劣る醜き者とすれば、この大陸の者にとってはそれが決して覆ることのない常識となるのだ。
まあ、エルフからしてみたらラッキーだったろう。ラシア教の教義がなければ今頃どうなっていたか、想像に難しくないのだから。
本当に何が幸いするかわからないものだ。
他の獣人についても尋ねてみたが、この近くにはいないのではないか、ということである。
日が暮れて話を打ち切ると、食事の世話は必要ないと言って、村長には出て行ってもらった。
翌朝、村長を供にして館の様子を見に行くことにした。
館に近づくにつれて、わいわいがやがやとした声が聞こえる。村人たちが集まり、掃除を頑張っているようだ。
俺がいてはやりにくいだろうと思い、その場を去ることにする。
ならば後は、いよいよ本題に入るとしよう。
「村長、重要な話がある」
そう言って、村長を馬から切り離された車台に案内した。
そこには、いっぱいに積まれたジャガイモがある。
無論、種芋であり、能力のおかげもあって病原菌を一切持たないものだ。
「これは……?」
「ジャガイモという。寒冷や痩せた土地にも強い作物だ。今後はこれを村で育ててもらう」
「これを……ですか?」
ん? どうも反応が悪い。というか、明らかに村長の顔色が曇った。
「手に取ってみても?」
「ああ」
村長はジャガイモを一つ取り、まじまじと眺める。
表情は依然として硬いままだ。
「あの、食べ物なんですよね?」
「ああ」
「その……非常に言いにくいことなんですが、この地では麦も栽培していますし、わざわざ別の作物を育てる必要はないといいますか……」
なるほど。村長は乗り気でないらしい。
確かに初めて見る者にとって、このでこぼことした丸い作物はいびつであり、食物とするには抵抗があるのだろう。
今すぐ飢えて死ぬというわけでもなければ、わざわざ馴染みのない作物を育てるなんてことは労力の無駄でしかない。
繰り返しになるが、この地は作物が育ちにくい寒冷で痩せた土地。なればこそ足りない分は、より多くを育てることで賄わなければならない。
見も知らぬ作物を育てる余裕などはないのだ。
しかしそれならば答えは簡単だ。
その余裕をつくり出せばいいまでのことである。
「村長の危惧もわかる。今年の税は、このジャガイモを植えてその収穫分のみで構わない。麦や家畜からは税を一切取らないと約束しよう」
「それは本当ですか!?」
ペッテル村長は目の色を変えた。
非常にわかりやすい反応である。
「ああ、本当だ」
胡椒の貿易の味を知ってしまった俺にとって、一つの村から得られる税などははした金でしかない。
今後への投資と考えれば安いものだ。
それからジャガイモの説明が始まった。
芽出しから、土壌づくり、植え付け、水やりの仕方、芽かきや増し土、収穫時期などなど。
ジャガイモの最適温度は20度前後。寒冷地の場合、春植えが基本であり時期があまり良くないが、まあ仕方がないだろう。
今回はお試しのようなものだ。
字が読めるようなので、昨晩のうちに説明を書いておいた羊皮紙も渡しておく。
そして俺たちは一週間ほど村に滞在し、村長に領内を見て回ると言って村を出発した。
◇
これは信秀が初めて村を訪れてから二週間後のことである。
場所はドリスベンの王城の一室。
その部屋の主イーデンスタムのもとには、ある物が届けられた。
「これが、フジワラ領で栽培され始めたものか」
「は、その通りです」
ゴロゴロと机の上に転がる茶色くでこぼことした丸い物体の数々。
ところどころには、にょきりと少し気持ち悪さを感じさせる芽が生えているそれらは、言わずもがなジャガイモである。
信秀が領地を購入して以後、当然のことながら、イーデンスタムは胡椒の秘密を探るためにフジワラ領へ密偵を放っていた。
その成果がこれである。埋められたものを幾つか掘り返して持ってきたのだ。
「ふーむ」
イーデンスタムはジャガイモを手に取って眺め、時には鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
一通り気が済むと、ジャガイモを机に置いて密偵に尋ねる。
「して、どのようにしてこれが胡椒となるのだ」
見たこともない作物である。フジワラ領で栽培され、色も茶色。
となれば、このジャガイモが胡椒であると考えるのは仕方のないことであった。
「村人の話では栽培方法しか聞かされていないようです」
密偵は村人の一人に金を与え、密かにその詳細を聞いている。
しかし信秀が村長に教えたのは栽培の仕方のみ。
どのようにして食べるのかなど村長は聞かされていなかったし、そもそも興味がなかった。
そのため村人が知っていることも、栽培の仕方のみである。
「加工の仕方はあくまで秘密というわけか。ポーロ商会め、味な真似を」
歯噛みするイーデンスタム。
しかし、そうであるならば、己で調べるしかない。
イーデンスタムは、机の引き出しからナイフを取り出して、ジャガイモの一つを切り分ける。
中は黄色。水気を帯びている。
「ふむ」
イーデンスタムが己の白い長髭を、愛妾の髪を扱うかのように優しく撫でた。
思案する時の、彼の癖である。
「色的にこの皮が怪しいのう。ちょっぴり緑色なところもあるが、茶色であるし。よし、実際に食してみるか」
食物に関しては、古来より舌にて検分するのが習わしというものだ。
こうしてイーデンスタムとその密偵は皮を細切れにして、生でそのまま食べてみたり、火であぶったりと色々しながら、胡椒の謎を探った。
ところでジャガイモの芽や緑化した皮にはソラニンという毒があるのは、ジャガイモが身近にある者ならば誰もが知っていることだろう。
その毒は腹痛、下痢、頭痛、めまいを引き起こし、時には死にさえ至ることがある。
中世ヨーロッパの時代、南米より帰る船の上でジャガイモを食べ、このソラニンという毒に当たり、ジャガイモのことを悪魔の実と呼んだのは有名な話である。
「ぐうう〜」
ある大臣の私室から聞こえる呻き声。
その日、城では二名の者が床に臥せった。
それがイーデンスタムと密偵の者であることは、語るまでもないことだ。
「ぐうう、ポーロ商会め、謀りおったな〜!」
ベッドの中で延々と怨嗟の声を吐きつづけるイーデンスタム。
その声は部屋の外、廊下の際にまで聞こえていたという。
なお、イーデンスタムの見舞いに部屋を訪れた若き女王オリヴィアが「あら?」と机の上に転がるジャガイモを見つけて、塩茹でにして食べてみたりするのだが、それはイーデンスタムの知らない話である。