66.新たな町 2
目覚ましの電子音が聞こえ、俺は目を開けた。
体が沈むベッドの感触があり、視界に映るのは見慣れない部屋の風景。
俺は、一瞬ここはどこだろうかと考えたが、すぐに現状に思い至る。
新しい町、新しい家、新しい寝室。
「そうか。昨日とうとう新しい町をつくったんだったな」
呟きつつ、腕を伸ばして枕元の目覚まし時計のアラームを止めた。
自分の家ではない感覚はある。まあ、一週間もすればこの部屋も俺にとって当たり前のものになるだろう。
そんなことを考えながら、ベッドから下りる。
少しばかりの肌寒さに椅子にかけてあった上着を羽織り、寝起き特有の曖昧な思考のまま、俺は家の玄関の扉を潜った。
家の外はD型倉庫の中だ。
足下からはジャリッという砂の音がした。
「おはようカトリーヌ」
玄関の傍ではカトリーヌがペタリと腰を下ろしている。
声をかけると、彼女は一度まぶたを開けて、グエッと鳴いてまた目を閉じた。
相変わらずの怠け者っぷりである。
「よしよし。よーし、よしよし」
カトリーヌの首を何度も撫でる。
迷惑だろうか。でも仕方がない、撫でたいんだもの。
ややあってカトリーヌの心地よい首筋の感触に満足すると、俺は大きなシャッターの隣の扉から外に出た。
「うっ」
横合いから突き刺すような光を感じ、左手で顔を覆った。
東の丘から頭を覗かせる朝日が、とても眩しい。
さらに外気が風と共に頬へとぶつかった。
夏とは思えない涼しさだ。
気温はいかほどだろう。10度は下回っていないとは思うが、それにしたってちょっと寒すぎるんじゃないか。
夏でこれなら冬はどれ程の寒さになるのかと早くも戦々恐々である。
しかし今ばかりは、その涼しい風がいい刺激となって、俺の起き抜けの思考を明瞭なものにしていった。
「新たな町か」
俺はぼそりと呟いた。
目の前には昨日つくったばかりの町が広がっている。
まだ町というには頼りない姿ではあるが、俺の能力が【町をつくる能力】なのだから、町ということでいいだろう。
いずれ、本物の町のようにするのであるし。
俺は、朝日に照らされる町の姿を眺めて「よし、やるぞ」という気になって倉庫の中に戻った。
家で身支度を済ませる。そののちはジハル族長の家に行き、おおよそ一時間後に狼族たちを倉庫の前に集めるように指示をした。
ジハル族長だけにではなく、他の者にも今後について話さなければならない。
皆が集まるまでの間に、【朝礼台】【マイク】【マイクスタンド】【アンプ】を【購入】し、朝礼の準備に取り掛かった。
他にも昨日のうちに準備した“ある物”を用意する。
やがて、わらわらと二百人余りの狼族が集まった。
「フジワラ様、皆集まりました」
ジハル族長が狼族の集合を知らせる。
俺は頷いてから、朝礼台に上った。ジハル族長は朝礼台の隣だ。
台上から皆を見渡し、【マイク】のスイッチを入れた。
「まずは表彰式を執り行う。ミラ、前へ」
俺の言葉に皆は、なんだどうした、とざわめいた。
誰しもが、今後のことについて話すのだと思っていたのだろう。
それが表彰式。首をかしげるのも当然といったところだ。
少しして群衆の中から、目を白黒とさせたミラが前に出る。
「こちらに、台の上に来なさい」
俺が言うと、ミラは戸惑った様子で台に上り、俺と向き合う形になった。
ジハル族長が、俺に“ある物”を手渡す。
俺はそれを両手にもって読み上げた。
「表彰状。狼族のミラ、貴殿は砂漠の町において、命を賭してこのノブヒデ・フジワラの身を救った。
貴殿の勇敢な行動はまさしく狼族の誉れであり、またノブヒデ・フジワラをして感謝に堪えないものである。よってその功績を讃え、記念品を送りここに表彰する」
これが昨日の夜に書いた“ある物”だ。
【賞状用紙・10枚入り】3万円(定価300円)
よくある表彰状や感謝状とは違い、私情が多分に含んだ文章となっているが、まあ問題ないだろう。
文字については日本語。今後、日本語をよく身につけてほしいという願いの現れだ。
そしてこの表彰には、ミラに対する感謝以外の意味もある。
俺は狼族たちと共に歩むことを決めた。だが、種族すら違う俺たちが共に歩んでいくためには、歩くべき道を整えなければならない。
その第一手がこれだ。
どんなに優れた民族であっても、狼族の中でただ一人裏切ったゴビのような良くない者は必ず現れる。
そのため、そんな不心得者を極力出さないよう、模範となるべき価値観を狼族の中で形成していかなくてはならない。
たとえばかつての世界にあった騎士道、武士道のような考え。
狼族たちには、これより誇りや名誉をよく重んじてもらうつもりだ。
その一環としてこの表彰式を執り行ったのである。
「さあ、受け取って」
俺が表彰状を差し出して、ミラが言われるがままにそれを受けとる。
依然として彼女の顔には困惑の色が浮かんでいた。
「あとは、これを」
その首にペンダントをかけた。
すると、事態についていけずに呆然としていた狼族の者たちも、ようやく現状を理解した。
「そうだ! よくやったぞミラ!」
「お前がゴビの恥を雪いだんだ!」
「もっと笑いなさいよ! かわいい顔が台無しよ!」
満場の拍手とミラを讃える声が聞こえてくる。
それに伴い、ミラの頬が薄く赤に染まっていった。
「改めて言うよ。ありがとう。君のお陰で俺は今ここにいる」
「え、あ……は、はい」
どうもミラは緊張しているようで、声が裏返っている。
普段のツンとした彼女とのギャップに少しおかしくなり噴き出しそうになったが、なんとか堪えた。
「俺だけじゃない。狼族の未来を変えたのも君だ。君がいたから、俺と狼族は今こうしてここにいる」
もしあの時、ミラが俺を庇っていなかったらどうなっていたか。
俺は死んだのか、生き残ったのか。それはわからない。
だがもし生き残ってあの町を脱していたら、俺は誰も信じることなくどこかでカトリーヌと共に過ごしていただろう。
「表彰状を飾る額縁は後で渡そう。さっ、元の場所へ戻りなさい」
緊張しているのか、ミラが右の手足と左の手足を同時に出して、群衆の中に戻っていく。
誰かがそれを笑うと、堰を切ったように爆笑の渦が巻き起こり、俺も堪えられなくなって笑ってしまった。
後ろ姿で見れないが、ミラの顔はもう熟れた林檎のように真っ赤だろう。
そして、こうして気兼ねなく笑っていられるのもミラのお陰なのだろうと思い、心の底からありがとうという気持ちが溢れ出した。
ミラが列中に消えると、俺は手を軽く挙げる。
俺の意を察して、笑い声は段々と小さくなっていった。
鳥の鳴き声、草が風にそよぐ音が辺りに響く。
遠くの家からは赤子の鳴き声も聞こえた。冷たい風が赤子の体に障らないようにと、赤子とその母親には家での待機を命じてある。
どの音も全て自然の音であり、静かだと俺は感じた。
皆の瞳は俺に向いている。
真剣な眼差しだ。
俺はそれに応えるよう、ゆっくりと口を開いた。
「我々は、この地を新たな住みかとする。しかし、やはり脅威はある。
たとえば環境。
かつての地と違って、この地はとても寒い。また、どんな災害があるかもわからない
そして人間。
人間は強い。我々はこれからもその脅威にさらされる。それゆえ、身を守る術をもたなければならない。
しかし、である。かつての町には数千人もの住人がいたが、今は三百人にも満たない。これでは町を守ることは困難を極めるだろう」
皆が俺の言葉によく耳を傾けている。
眼下にある一人一人の顔が不思議とよくわかった。
そういえば、以前の俺は狼族を全体的なものとしてしか見ていなかった気がする。
それなのに今、俺の瞳は個人をしっかりと捉えている。
変われば変わるものだ。だが、悪くない変化だと思う。
俺は言葉を続けた。
「だから、あなたたちは変わらなければならない。そう、かつての町で大砲の使用法や、車の操縦を覚えた時のように。
俺が人間すら持ち合わせていない知識を与えよう。大砲や車が扱えるだけではない。その仕組みを理解し、自らの手でつくりだすことができるようになるのだ。
どんな脅威にも負けない強い町をつくろう。俺がいなくなっても、何百年、何千年と繁栄できるような理想郷を。
俺だけでは限界がある。人間の町などには負けない最高の町を俺“たち”がつくるんだ!」
マイクの音声は既に切っている。自分の言葉を、自分の喉だけで伝えたかったからだ。
ふと、こんな感情的だっただろうかと、心の中で思わず自問した。
だが、感情的なのは何も俺ばかりではない。
「今日ここに新たな町の設立を宣言する!」
空の極まで届けといわんばかりに、目一杯の声で俺は叫んだ。
わずかの間。それから、大歓声が巻き起こった。
――やるぞ!
――やってやる!
爛々と輝く瞳と、吠えるような声。
皆、やる気に満ちている。
人間に負けない、強い町をつくる。何度も住みかを奪われているからこそ、彼らは強い意思をもってその目標に当たることができるのだ。
「さしあたって町の名前を随時募集しているので、希望があったら言ってほしい」
俺はマイクのスイッチを入れて、最後に一言付け加えた。
こうして今日ここに、俺たちの新たな町の歴史が始まったのである。
その日の午前は、各人ごと環境整備を指示した。
その間に、俺自身は町中に【時計塔】を建て、ジハル族長の家と【有線電話】を繋ぎ、さらに勉強をするための小さな【講堂】をつくった。
午後になると、町は早くも始動する。
時間は有限なのだ。
昨日、ジハル族長に語ったような詳しい話は追々するということで、まずは日本語を覚えてもらう。
そうすれば、本を読むことができ、俺が教えなくても知識を得ることが可能になる。
ゆくゆくは各専門分野に分かれて、町を運営していくことになるだろう。
俺は、講堂に時間ごと年齢別に人を集め、日本語の授業を行った。
俺自身、教師役なんていうのは初めてのことで、なかなか新鮮であったといえよう。
大人も子どもも皆、真面目で質問にも積極的だ。
部族の未来がかかっているということをよくわかっている。
この分なら、早いうちに芳しい成果が期待できるかもしれない。
そして、新たな町をつくってから四日が過ぎた。
そろそろ領主としての務めも果たさなければならない。
「ミラ、ガルバ、ボイグ――」
ジハル族長が名前を呼び上げていく。
倉庫の前に集められた十名。
狼族の中でも、人間に近い顔をした者ばかりだ。
「これからフジワラ様はご自身の領地にある人間の村へ行く。お前たちはその護衛だ。ミラを隊長とする」
隊長はミラ。まだ若いが、彼女には俺の命を救ったという確かな実績がある。
異論をもつ者はいない。
「道中フジワラ様がニホンゴを直々に教えてくださるそうだから、しかと学ぶように」
『はい!』
ジハル族長の言葉に、護衛たちは勢いよく返事をした。
「なにか質問は?」
ジハル族長の説明が終わり、俺は護衛たちに尋ねた。
すると、手を挙げたのはミラ。
珍しいとも思ったが、今の彼女は隊長職。
気になることがあれば、質問するのは当然のことだ。
「この人数で大丈夫でしょうか」
「どういう意味かな」
「わずか十人の護衛で人間の村に行くことは危険ではないか、ということです」
王都ドリスベンに行く際には、護衛の人数が少なくても仕方がなかった。
変に疑われても困るからだ。
しかし、今回は己の領地のこと。
獣人にバレない容姿の者であるならば、何人連れていこうとも問題はない。
要するに、ミラはもっと人数を増やしても問題ないのではないか、と言っているのだ。
「何も戦いに行く訳じゃない。だから問題ないよ」
とはいっても、油断はしない。
銃を手にしているし、万が一のことも考えている。
いきなりなことで、動けなくなるようなヘマはもうしない。
俺は重ねてミラに言う。
「それに俺は彼らにとって、幸せを運ぶ天使のようなものだから」
「幸せ……ですか?」
「ああ」
俺は車を運転しながら、パネルを操作。
ミラの前に小さな泥が一つ湧き、ある姿を形作った。
それは茶色握りこぶしほどの大きさで丸みを帯びている。
「これは……?」
ミラがぼこぼことした不格好なそれを手にとって尋ねた。
俺は自慢するように答える。
「――ジャガイモさ」
このジャガイモこそが、人口1万人を得るための俺の秘策である。