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63.ドライアド王国 2

 城の中をイーデンスタムが歩く。

 隣にはポーロ商会会長のエルザ・ポーロが並び、その一歩後ろにはノブヒデ・フジワラがいる。

 リーシュンデット城の客間にて行われていた領地売買の商談は、無事に契約がなり、現在はエルザが城の外に運んできているという胡椒の受け取りに赴くところであった。


「北へ道づたいに行けば村があり、そこにかつてその土地を治めていた領主の館がある。まあ、現在どうなっているかわからんがな。使うもよし、使わざるもよし」


 歩きながら、イーデンスタムがエルザに言う。

 フジワラのことは眼中にない。

 イーデンスタムの中では、フジワラがエルザの下郎であることはもはや決定事項となっていたからだ。


「村の税は今どうなっているのですか?」


 エルザが尋ねた。


「南に隣接するハマーフェルド子爵が代わりに徴収しておる。使いを出しておこう。

 とはいえ、村の税など微々たるもの。期待はできんぞ」


 たかが一つの村。

 取れる税は雀の涙ほどしかない。

 エルザもよく承知をしているようで、「わかっておりますわ」と微笑を崩すことなく答えた。


「北の地に逃げたという獣人の状況はわかりますか?」


 一歩後ろからかけられた声。

 フジワラのものだ。

 イーデンスタムの前でフジワラが自ずから言葉を口にしたのは、これが初めてのことである。

 そのためイーデンスタムは、おや? と白い眉をわずかに動かした。


「どこにいるとも知れん。ただし、彼らは住む土地を追われた者。我らは慈悲をもって受け入れておる。獣人たちが人間に危害を加えん限りは、我らが何かをすることはない」


 偽りである。

 本当のところは、軍を動かす金が惜しいだけ。

 物は言いようだな、とイーデンスタムは内心で自嘲する。

 するとフジワラは「そうですか」と、もう何かを言うことはなかった。


 やがて建物を出て中庭を通り、一同は城門へと到着する。

 門が開くと、その向こうには通行の邪魔にならぬよう、道端で縦に二台の馬車が停まっているのが見えた。


 さらに馬車の傍らには、剣を佩き、頭に布を巻いた者たちがいる。

 その者たちとエルザとの間で目配せがあった。

 あの馬車が胡椒を積んでおり、頭に布を巻いた者たちはその護衛なのだろう。

 イーデンスタムには一目で強さを見分けるような武芸の心得はなかったが、護衛たちには油断がなく、職務に忠実だということはわかった。


(素人目で見ても、どこか雰囲気がある。なかなかいい護衛のようだ)


 なによりも、職務に対する姿勢がいい。城の者も少しは見習えとイーデンスタムは思った。


 ところで、夏場であるのに護衛たちが手袋をしているのが気になった。

 いや、手ばかりではない。首にも布が巻かれている。

 その肌の露出の少なさに、イーデンスタムは暑くないのかと訝しんだのである。


 だが、よく考えてみると、彼らが南から来たことを失念していた。

 南に比べれば、この地は夏であっても寒いのかもしれない。


「イーデンスタム様、参りましょう。あれに見える馬車に胡椒が積んであります」


 エルザに誘われるままに、馬車の方へ向かう。

 馬車の荷台には縦に長い木箱が積まれ、護衛の一人が木箱を開けると、そこには壺が三つ一組となって入れられていた。


 壺の一つが下ろされる。

 蓋を取ってみれば、中にはぎっしりと詰まった茶色い粉――胡椒。

 この壺一つで金貨がいかほどになるのか、とイーデンスタムの目が輝いた。


「ご確認を」


 エルザの言葉に、イーデンスタムは粉を指で掬い、舌でなめる。

 すると独特な辛さがあった。

 以前に一度だけ口にしたことがある味。胡椒で間違いはない。

 しかし、疑問がある。胡椒の量だ。


「確かに胡椒だ。されど、いささか量が多いような気がするのだが」


 実際には、多いどころではない。

 馬車にある胡椒は、支払いの倍以上ある。

 もしや全部くれるのでは。

 そんな期待の念を胸に浮かべつつも、イーデンスタムは己の長い白髭を撫でて平静を装い、エルザからの返答を待つ。

 その答えは――。


「ええ、女王陛下への献上分も含まれておりますわ」


「おお……!」


 エルザの答えは、肯定。

 それにより、今日何度目かの興奮がイーデンスタムを襲った。


 白髭を撫でていた手は止まり、鼻の穴がぷくりと膨らんでいる。

 口からは感嘆の声も漏れ出た。


 これで今月の国の財政は、何かを削るという必要もなくなる。

 それは、イーデンスタムをして年甲斐もなくはしゃぎたい気にさせるものであった。


 金の心配をせずに済むのは、はたしていつの日ぶりか。

 イーデンスタムは特に信心深いというわけではない。

 だが、この時ばかりは神の存在を近くに感じざるをえなかった。

 長年味わい続けていた辛苦。

 当たり前となっていた金の悩みから、一時とはいえ解放されるのだ。


 その後、エルザから目録を受け取り、胡椒の正確な数を確認していく。

 そして、後からやってきた荷車を引いた小役人たちが馬車から胡椒を移し替え、受け渡しは完了した。


「女王陛下に謁見するかね?」


 イーデンスタムは自分が口にした言葉に、幾分か口調が柔らかくなったのを感じた。

 それだけ嬉しいのだろうと自覚する。


「いえ、わたくしたちは下賎の出自。女王陛下のお目を汚すばかりですので」


「そうか」


 あくまでも利害だけのシビアな関係を望んでいる、ということだろう。

 一見すると失礼極まりない。

 しかし、貢物に見返りを求める貴族たちよりもはるかに好感が持てる。


(惜しい。サンドラ王国のひも付きでなければ、よい関係を築けたものを)


 そんな無い物ねだりともいうべき欲張りな考えを頭に浮かべながら、イーデンスタムは馬車を引いて帰っていくエルザを見送った。


「さあ、我らも行くぞ」


 小役人たちに胡椒を城内へ運び込ませ、イーデンスタム自身は報告をしに女王の下へ向かう。

 足取りは軽い。

 弾む心を抑えなければ、今にも駆け出してしまいそうであった。


 階段をのぼり、女王の私室へ。

 部屋の前で警護に当たっていたの女の近衛兵に取り次ぎを頼み、およそ5分後。

 近衛兵から、ようやく許しが出た。


「陛下、失礼いたしますぞ」


 イーデンスタムが扉の内側へと足を踏み入れる。

 一流の調度品が並んだ広い部屋。

 しかし、そこにあるのはあくまでも生活に必要な最低限のもの。

 一国の王の部屋にしては、粗末な部屋だ。

 そしてそんな部屋の中、清楚なドレス姿で椅子に座る、薄いブラウンの髪色をした少女――オリヴィア・フォーシュバリ・ドライアド。

 二十歳は過ぎているというのに、いまだ十代半ばのような初々しい美しさを持つ、ドライアド王国の若き女王である。


「爺や、用件はなんですか?」


 鈴の音のような心地よいオリヴィアの声。

 イーデンスタムは片膝を突いて、それに答えた。


「はっ、新たに領地を買った者の報告と、その者からの献上品を預かっております」


「おお、真ですか。それはよきことです」


 オリヴィアの白く透き通るような頬がほころんだ。

 それはイーデンスタムの心労を癒すほどに美しい。


 先ほどのエルザも稀有な美貌の持ち主であった。

 しかし、違う。

 オリヴィアの美の質は全く別のものだ。

 エルザの美しさが妖艶な大人の魅力だとするなら、オリヴィアは穢れのない純白。

 まるで沼地に咲くスイレンのようだ、とイーデンスタムは常々思っていた。


「是非、その者にお礼を言いましょう」


「いえ、その必要はありませぬ。その者は、自分程度の者が陛下に拝謁するのは憚られると申し、謁見を辞退しました」


「なんと。そのような忠義の者にこそ、会うべきだと思うのですが……」


 少し残念そうな顔を見せるオリヴィア。

 その顔を見るだけで、イーデンスタムの胸はギュッと締め付けられる。

 このままではいけない。

 イーデンスタムはオリヴィアの曇りかけた表情を晴らすため、受け取ったものが胡椒であること、それにより今月の財政に幾らか余裕ができたことを語って聞かせた。

 すると、オリヴィアの陰った表情も元の晴れやかなものへと戻っていく。


 やがて報告の一切が済むと、オリヴィアは椅子から立ち上がった。

 そしてイーデンスタムに近づき、その老いた手を優しく包み込むように取って、言った。


「ご苦労でした。爺やもたまには休んで、身体を労ってくださいね」


「勿体なきお言葉にございます……!」


 オリヴィアの慰労の言葉。

 お優しい方だと思いつつ、イーデンスタムはその場を辞した。




 オリヴィアの私室から、己が執務室へと戻る。

 その際、イーデンスタムの脳裏に占めるのはオリヴィアのことであった。


(やはりあの方はお優しい)


 オリヴィアがまだ幼かった頃、短い間であったが教育に携わった。

 その名残から、いまだに己を爺と呼んでくださる。

 当時は他の王族と変わらぬ傲慢さがあったが、いつの頃からかそれは影を潜め、その美しい容貌と等しくするように、オリヴィアの心根はとても真っすぐなものとなっていた。


 今では、オリヴィアに拝謁し、その美しさと優しさに触れるたびに決意を新たにさせられる。

 頑張らねば、とやる気にさせられる。


 浪費を繰り返し、国の財政を傾けるばかりの他の王族とはまるで違う。

 財政について相談した時も、いやな顔一つせずに節制に頷いてくださった。

 それどころか、自らが持つ宝石の数々をお持ちになって、それらを売却し財政の足しにしてくれとおっしゃられた。

 その王らしくない振る舞いは、真の王足り得るものだ。


 されど惜しいかな、オリヴィアは政務には深く関わってはいない。

 若輩者が取り仕切っても、混乱を招くだけであると一線を引いている。

 必要な時以外、私室に籠られているのもそのためだ。


 しかし、時折放つ指摘が的を射たものであることをイーデンスタムは知っている。

 公金に手をつけ豪遊を繰り返していた大臣を、憐れみをかけずに処断したことをイーデンスタムは知っている。

 オリヴィアは、賢さと気高さも持ち合わせているのだ。


 そして、そんな身も心も美しい女王だからこそ、世の貴族たちは放っておかない。

 いまだ婚姻の話のないオリヴィアに、あの手この手を使って近づこうとする。

 権力を求めて、ということもあるだろう。しかし、それだけではない。

 聖女を汚したい衝動。その純潔に誘われるのだ。


(守らねばならない。この老身を賭してでも)


 イーデンスタムの体に俄然としてやる気がみなぎった時、そこはもう執務室の前であった。


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