61.北へ 2
大地にポツリポツリと草が生え、やがて背の低い草が一面に広がる大草原へと変わる。
さらに行くと丘陵が多くなり、それを越えると人間の土地だ。
この頃になると、これまで青一色であった空には雲がかかり、俺をして、珍しいものを見たという気にさせた。
おかしなものである。
あちらの世界では、雲なんて珍しくもない。
そしてこれからの生活でも、雲も雨も身近なものとなるであろう。
哀愁。
それは、長い年月をあの荒れ地で過ごしたことによる、一縷の寂しさなのだと俺はなんとなく自覚していた。
女々しいことだ。そう思いつつ、ハンドルを握る。
今日この日、俺たちは数百キロという長い行程を経てサンドラ王国領の入り口へとたどり着く。
それは、町を出てから実に二日後のことであった。
ところで話は変わるが、俺がまだ日本にいた頃、よく日本は小さいという言葉を耳にしたことがある。
そのせいか俺自身、日本は小さい島国であるという先入観を一時持っていたくらいだ。
しかし実際のところ、日本の国土面積は約38万平方キロメートル。
これは世界196ヶ国中で61番目に大きい数字であり、決して小さいといえるものではない。
たとえば西欧諸国と比較したならば、日本より面積の大きな国はフランス(約64万平方キロメートル)、スペイン(約50万平方キロメートル)、スウェーデン(約45万平方キロメートル)の3ヶ国のみ。
こうやって考えると、日本はむしろ国土面積の大きい国といえるのではないだろうか。
ではなぜ、日本が小さいなどという言葉が出てくるのか。
それは、日本の大部分を山地が占めており、人の住める平地が少ないことに起因する。
日本の山地が占める割合は、実に6割を超えるのだ。
そして残った4割の平地に1億2000万もの人々がひしめき合っているのだから、いかに国土が小さくなかろうとも、そこに住む人々には狭く感じられ、それが原因で日本は小さいといった勘違いが生まれたのだと俺は推測する。
さて、なぜ突然こんな話になったのかを説明しなければならないだろう。
つまり俺が言いたいのは、日本が小さいとされて西欧諸国が特に小さいとされない理由――西欧諸国には平地が広く分布しているということだ。
そして、あちらの世界の西欧諸国とこちらの大陸とでは多くの共通点があり、その例にもれず、この大陸においても平地が非常に多い。
すなわち、サンドラ王国領にあっても、車両での運行が十分に可能であったということを俺は言いたかったのである。
とはいえ、丘もあれば林もある。川が行く手を阻み、山が道を遮ることなどしょっちゅうだ。
加えて、それらを避けるように進めば、必ず人が行きかう道に突き当たる。
車にとってよい道は、人にとってもよい道なのだから当然であろう。
そのため俺たちは、昼間においては物陰に隠れて休息し、夜、闇に紛れて行動した。
一部の者に俺の能力が露見したとはいえ、その存在はできる限り隠しておきたい。
多くの者に知られては、それだけ災いを呼び込む可能性が高くなると考えたのだ。
ミレーユにも口止めをしてある。
彼女は、王をはじめとしたごく一部の者にしか語らないことを約束し、またその情報に対する国としての扱いは極秘事項となるだろうと言った。
ひとまずは安心といったところか。
――町を発ってから四日目の早朝。
空が白み始める頃に、街道から大きく外れた丘の影に車を停めた。
ここはかつての荒れ地とは違い、どこに障害があるかわからない土地。
さらに夜間での走行により、必然的に車の速度は落ち、俺たちはいまだサンドラ王国の王都にたどり着けずにいた。
「よし、ここで夜まで待機する」
トランシーバーで各車両に伝達し、装甲車の後ろに乗る者にも声をかける。
その後は、装甲車から全員を下ろし、後板を一度閉め、俺は能力を使って【唐揚げ弁当】を【購入】した。
他の者に見られぬようにしたのは、ミレーユに能力の詳細を知られたくなかったからだ。
「飯だ! 飯にしよう!」
再び後板を開けて、食事にするように言う。
すると皆は、わっ、と群がった。
「これまた、うまそうな飯だな!」
ミレーユも他の者同様に弁当の虜になっていた。
当初は、食物の錬金などというものにミレーユは困惑し、狼族たちも微妙な顔をしていたが、一度食べてしまえばどうでもよくなったようだ。
それほどまでに、俺が出した弁当をうまいと感じたのだろう。
やがて弁当が行き渡ると、各車両の人員ごと集まって食事を始めた。
俺も装甲車に乗っていた者と共に、地面に円となって座り食事をとる。
唐揚げを一口。うむ、うまい。
「今のペースで、あとどれくらいだ?」
食事をしながら、円陣の斜めの位置に座るミレーユに尋ねた。
丁寧であったはずの言葉遣いは、ミレーユからの要望もあり元に戻している。
疎外感を感じるから、やめてくれとのことだった。
「あと一日といったところだろう」
「そうか」
ここまでの全行程をミレーユの案内で来た。
そのおかげもあり、これといった事故もない。ミレーユ様々だ。
食事が進む。周囲からは賑やかな声が聞こえてくる。
ミレーユを見てみれば、慣れぬ箸使いで弁当をモグモグと味わいながら食べ、またミラを見てみれば、なんの感情も見せずに黙々と弁当を口に運んでいた。
このまま静かに食事をしてもいいが、どうも味気ない。
そういえば、と俺はミレーユにロブタス王国との戦いには参加したのかと尋ねてみた。
すると、他の狼族も興味があったのか、会話を中断して聞き耳を立てた。
ミラだけが平然と食事を続けているようであるが、その箸が一度止まったのを俺は知っている。
「……ふむ、どこから話そうかな」
ミレーユは少し考えた風なそぶりを見せて、それから話し始めた。
「捕虜の身から解放され、私たちは国へと戻った。その時、皆の顔には喜びと安らぎがあった。それは、ようやく故郷に帰れたという安堵感だったのだろう。
だが――」
あれれ? と思った。
ロブタス王国との戦いに参加したのか? という質問であったはずなのに、なぜかミレーユが王国に戻った時の話になっている。
それになにやら、食事に似合わない重苦しい話になりそうな予感がする。
俺は思わずゴクリと息を呑んだ。
「――サンドラ王は私たちを許さなかった。当然だ。獣人たちに敗れ、多額の身代金と引き換えにおめおめと帰ってきたのだからな。
獣人を下等とみる人間――サンドラ王国の民らにとっても、栄えある騎士団が獣人に負けたなどあってはならないことだった。
もはや、我ら赤竜騎士団と黄竜騎士団は恥晒しでしかない。
サンドラ王の心情はどうあれ、王という立場が我々を許すわけにはいかなかったのだ」
ミレーユは手にあった弁当を置き、木のコップを取って、喉を潤すように中の水を啜った。
話はまだまだ続く。
「騎士団の者らには賦役が課せられた。貴族であった者にも等しくな。
平民らの前で奴隷のように労働に従事する騎士たち。相当な屈辱であったろうよ。
そして、私には地下牢で蟄居が命ぜられた。
ふふっ、汚物にまみれの、毒虫が這いずる地下牢の生活は、中々に愉快だったぞ?
そうこうしているうちに、我が国とロブタス王国との間に戦争が始まった。互いに退かない一進一退の攻防。戦況は五分であったといっていいだろう。
そこでその状況を打開するために、罪人同然であった私たちに命が下される。それは、寡兵での奇襲――全滅覚悟の特攻だ。
……死線を四度潜ったよ。あの時、お前たちの町から生きて帰った騎士達も、今では半分もいない。皆死んだ」
どこか遠くを見つめるようにしてミレーユは語った。
その眼には、当時の激戦が映っているのだろう。
気まぐれに聞いた話が、かなり重い話になってしまい、俺は少し後悔した。
「まあ、それでもかつて獣人の町で味わった地獄に比べたら、はるかにマシというものだったんだがな。
そして我がサンドラ王国は見事に勝利を収めた。我らも名誉を取り戻すとともに、ようやくその罪を赦されたというわけだ」
そう言って、ほほ笑えむミレーユ。
まばゆい。
俺たちとの戦いも、国に戻って罰せられたことも、ロブタス王国と戦ったことも。ミレーユの中では既に決着がついている、ということなのだろう。
どこかさっぱりとしたその顔は、彼女の元々の器量もあってか、とても美しく見えた。
俺は不覚にもドキリとして、一瞬見とれてしまった。
それは、すぐそばで聞いていたミラも同様なようで、恥じらい故か、ミラはすぐにミレーユから顔をそらしている。
やがて食事が終わり、見張りに立つもの以外は皆自由に過ごした。
季節は夏。日は長く、仮眠をとる時間はいくらでもある。そうでなくとも、後部座席に座る者は移動中に寝ていたりする。
それ故に、皆は特に眠ることなく親しき者と語らったり、またその周りでは子どもが追いかけっこをして遊ぶ姿があった。
しかし運転手ばかりはそうはいかず、燃料を補給し、車の点検をしなければならない。
俺もまた車の点検をしてから、馬運車にいるカトリーヌの様子を見に行き、その隣で仮眠をとった。
夜になると俺たちは、再び車を並べて進んだ。
そして夜が明ける前。
「あそこだ。あそこの森に隠れていろ」
ミレーユが指示した場所に車を停める。
まだ王都は見えないが、これ以上進めば街道から離れていても見つけられる恐れがあるとのこと。
これよりはエルザを連れてくるために、ミレーユのみが王都へ向かうのだ。
既に、俺の能力をエルザに話す許可も与えている。
「鎧を着ていくと、目立つんでな」
ミレーユは鎧を脱ぐと、剣だけを佩いた。
赤竜騎士団の団長がただ一人で戻って来ていることを知られれば、民にいらぬ不安を与えてしまう故の判断である。
馬運車から馬を下ろし、ミレーユはその馬に袴って王都があるという方へ駆けて行った。
さて、ミレーユを信じていないわけではないが、俺は獣人たちに厳戒態勢を敷くように命令した。
疑って損はない。もう、裏切られて痛い目を見るのは御免だったからだ。
そして翌日の夕方、二頭の馬が連れ立ってやってきた。
ミレーユがエルザを連れて戻ってきたのである。
「ひゃー、町を捨てたってホンマやったんやな」
華麗に手綱を捌いて俺たちの前に現れたエルザ。その第一声がこれである。
よくいえば明け透け、悪くいえば遠慮がない。
まあ、エルザは商人だ。上っ面の仮面を被ってないことこそが信用の証ともいえた。
それに、その驚きはわからないでもない。
俺自身、過去の自分が今日の己の境遇を聞けば、それこそエルザの比ではないほどに驚愕することだろう。
「王には話をつけた。最後に聞きたい。サンドラ王国で貴族になるつもりはないか?
王は直轄地を削ってでも、と言っている。国のために戦え、などということもない。
ドライアド王国で一から始めるよりも、よっぽど環境は整っていると思うのだが」
ミレーユの提案。
しかし俺は首を横に振った。もう決めたことだ。
それにやはり、サンドラ王国を完全に信用するわけにはいかない。だからこそ、今は離れた地で力を蓄える。
今度はもう失敗しない。俺についてきてくれた狼族たちと、やり直す。
信頼できる者と一から町をつくるという思いが、俺の中にはある。
それにはサンドラ王国では駄目なのだ。
ミレーユは俺の答えを聞くと、「そうか」とだけ言って、もう何も口にしなかった。
すると、次に口を開いたのはエルザだ。
「そんじゃあ、次はウチの番やな。
話は全部聞いたで。フジワラさんの特殊な錬金術についてもな。
うちに頼みたいことは、ドライアドで貴族になるための後ろ楯やろ?
もちろん、ええで」
エルザが、ニッと笑って言った。――と同時に、目の端に本当に小さな小じわを発見。
出会った頃にはなかったものだ。
俺は、知り合ってから結構経つなと思いつつ、続くエルザの言葉に耳を傾ける。
「ま、ウチの商会も今ではかなり有名になったしな。大陸の西側の拠点のために、適当な人間に貴族位をとらせたってことにすれば、疑われることもないやろ。
せやな、香辛料はあくまでもサンドラ王国でつくり、それをドライアド王国に輸送して、西側で売りさばくってことにするんや。これならドライアドの人間も手を出してこん。
ドライアド王国の領地には現物しかない。下手なちょっかい出しても得るものはなく、ウチらがそこからいなくなるだけや、って相手さんは考えるやろうしな」
エルザが自らの考えを披露する。
すると、それに異を唱えたのはミレーユである。
「そううまくいくだろうか。
素直にドライアド王国でも香辛料をつくっているという体裁をとった方がいいのでは?
サンドラ王国からドライアド王国への物流がなければ怪しまれるだろう」
「そんなん、密輸してるふりをすればええやん。なんも持ってないいくつかの商隊に、密輸する振りをさせてサンドラ王国からドライアド王国に向かわせれば、どこぞが捕まえるやろ。
そしたら相手が、これは囮だったか! って思うわ。そうなれば、知らんところで密輸されとんやろなって勝手に勘違いしてくれるで。
なんも持たせないことと、こそこそと密輸してる振りをするってのがポイントやな」
「サンドラ王国での売買はどうするのだ。サンドラ王国を中心にして東部で香辛料が売られなければ、やはり疑われるぞ。ドライアド王国で香辛料はつくられているのではないのか? とな。
それとも、売買品をドライアド王国からサンドラ王国まで実際に密輸するつもりか?
距離にしておよそ2000キロ。必ずどこかで見つかるだろう。とてもじゃないが現実的ではない。
まあ、このトラックとやらで輸送してくれるのなら別だがな」
ミレーユが期待のこもった目で、ちらりとこちらを見た。
「それなんやけどな。そのフジワラさんの錬金術ってどうなん?
たとえば手から、ポポポッて簡単に、かつ大量に出せるんなら、年に数回ばっかしフジワラさんにサンドラ王国内に来てもらえば済む話なんやけど。
魔力の問題もあるし、やっぱ難しいんかな?
胡椒なんて珍しいもん錬金するんやから、魔力の消費も相応に激しそうやし」
残念。俺に必要なのは魔力ではなく、お金だけだ。
しかし、ややこしい話だった。
ここで俺は、うーんと考える。
少し話をまとめてみよう。
1.俺が能力を隠して、ドライアド王国で貴族となり領地を得るには、領地を買う金の出所を明らかにするために、香辛料売買で有名になったポーロ商会という見せかけのパトロンが必要。
2.エルザは、表向きには本拠地(生産地)をサンドラ王国とし、ドライアド王国の領地を香辛料を売るためだけの中継地点とすることを提案。
ドライアド王国の領地で香辛料の生産を行わない(と見せかける)ことで、他の領主からの干渉を避ける狙いがある。
また、偽装の商隊をサンドラ王国からドライアド王国へ送り、物流についても誤魔化すことが可能。
3.サンドラ王国を本拠地に見せかけることの問題点として、ドライアド王国からの表立った香辛料の輸送はできない。
そのため、2000キロにも及ぶドライアド王国とサンドラ王国の間を、密輸しなければならないのだが、距離を考えれば現実的ではない。
4.3の解決策として、トラックでの密輸、もしくは俺自身がサンドラ王国へ行き、能力によって香辛料を生み出す。
こんなところか。
他に何か手はないかと考えを巡らすが、特に思い浮かばない。
俺がサンドラ王国に行くのも、年に数度。装甲車なら特に危険はないだろう。
細かいところを詰めていかなければならないが、現状ではこれが最善であるように思える。
「そうですね。トラックで輸送しましょうか」
実際にはトラックで輸送する振りだ。
なにがあるかわからない。能力の詳細は曖昧なままの方がいいだろう。
「よっしゃ、決まりやな!」
エルザが喜びの声をあげた。
だが、それだけでは終わらない。
「っていうか、食物を錬金するってなんやねん。聞いたことないで。
今更やけども、食べても平気なんか?
フジワラさんが魔法でつくってるって聞いて、どうも信じられへんやら、食べることに対する不安やらで、ウチちょっと心配やねんけど」
確かにその通りだ。
人は自然にあるものを食べる。魔法でつくりだしたものを食べるという習慣などはない。
そのため、躊躇があるのだろう。狼族の者たちやミレーユもそうだった。
とはいっても、魔法でつくりだした水は飲んでいるので、それほど禁忌感はないようであるが。
要は、魔法でつくりだしたものが自然に存在するものであれば、いいのだと思う。
加工済みのものを出したのが、いけなかったのだ。
俺は、「ちょっと待っていてください」と言ってその場から離れ、装甲車の中に乗り込んだ。
そしてミレーユやエルザに見えないように、【胡椒の実】、【赤唐辛子の実】、【さとうきびの茎】を【購入】し、それらを二人の前に見せた。
「これが、胡椒の実です。これを粉にするといつも販売している胡椒になります」
「他のは?」と尋ねるエルザ。
「これは唐辛子の実ですね。これも胡椒の実のように粉状にして販売していました。こちらはサトウキビの茎です。これを煮ると砂糖がつくれます」
俺は「どうぞ」と言って、手の中のものを差し出した。
エルザが胡椒の実と赤唐辛子を、ミレーユがサトウキビの茎をそれぞれ手に取った。
「ふーん、なるほど。ちゃんとした植物ってことなんやな。どれ……」
赤唐辛子の端を齧るエルザ。
「〜っ! 辛っ! これは確かに唐辛子やわ!」
エルザが舌を出してヒーヒーと言う。
その隣では、ミレーユが恐るべき指の力でサトウキビの硬い皮を容易く引きはがして、内側か出てきた汁をすすった。
「はむっ。む、これは……凄い甘さだな。甘ったるすぎる」
「なんやて!? ちょっ、ミレーユはん、舌が辛いねん! それうちにも貸してくれへんか!」
「ああ、ほら」
「おおきにな! って、硬っ! これ硬っ!」
まるで漫才のようなやり取り。俺は、はははと小さく笑った。
ミラをはじめとした狼族たちは、ポカンと呆れたように見つめている。
とりあえずエルザは、香辛料と砂糖に関して、れっきとした食べ物であると認識したようだ。