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52.プロローグの終わり 4

 初めに魚族の毒牙にかかったのは、住居建築のために魚族が住む区域に出入りしていたコボルト族である。

 信秀が町の住人に金を配った日、魚族はコボルト族の中から不真面目な者を見つけ、賭博に誘った。


 賭博なんてものは簡単だ。

 結果が不規則な事象に対し、金を賭けるだけでいいのだから。


 たとえば石を上空から落として、どの向きに転がるか。

 こんな単純なことであっても、金を賭ければそれは賭博となり、楽しみというものが限られたこの世界では、類い稀な娯楽となる。


 魚族が用意した賭博の種類も様々であった。

 闘虫。ネズミの競争。両手の内のどちらに石があるかという石当て等々。


 しかし、それらの実態は不規則な勝負のように見えて、決して不規則なものではない。

 どの賭博の結果にも等しく魚族の関与が存在した。


 魚族は、まずコボルト族の不真面目者によく勝たせた。

 そして、「大したものだ」「ただ者ではないな」などとおだてて、不真面目者に自信をつけさせる。


 これに気をよくした不真面目者は、与えられた勝利を自分の力だと勘違いした。


 今まで特に褒められたこともない者である。

 自分なりのなんの根拠もない必勝法が大きな成果を出したことに、その頭の中では脳内麻薬が勢いよく噴出し、心地よい気分にさせた。


 いかに賢いといわれるコボルト族でも、狡猾な悪意に対し免疫はない。

 普段から身内同士で騙しあいをしているような魚族にとって、その不真面目者を騙すことは赤子をひねるよりも簡単なことであったのだ。


 そうして不真面目者は、絶妙な具合に負けていった。

 勝てそうで勝てない。

 もうやめようかと思ったところで、狙いが当たる。

 そんな勝負が続くものだから、不真面目者は次の勝利を夢見て、賭博を終わらせることなく継続させた。


 とはいえ、信秀から月々貰っている金はそう多くない。

 やがて不真面目者の金が底をつき始めると、魚族の者は、大きな勝負を持ちかけた。


「一発逆転の大勝負だ」

「これで勝てば今までの負けも取り返せるぞ?」

「確率的に、そろそろそちらが勝つ番じゃないか?」


 魚族の者は言葉巧みに誘い、不真面目者を勝てそうな気にさせた。


 そして不真面目者は負けた。

 勝敗の結果は魚族に操作されていたのだから、当然の結果であるといえよう。


 不真面目者が金を払えなくなると、魚族は態度を豹変させ、多数で取り囲んだ。


「金がないのなら、金に代わるもので払え。なければ、誰かに借りろ」


 金に代わるものなど、不真面目者は持っていない。

 さらに賭博をして借金したなどと、誰かに言えるわけもなかった。

 不真面目者の部族での貢献は低い。

 お荷物ともいえる立場であり、そんな者が別の誰かに迷惑をかけるともなれば、部族から見放されてもおかしくはないのだ。


「駱駝があるではないか」


 魚族の者は特に気にした風もなく、禁忌を口にした。

 駱駝は神獣。

 町の長である信秀は駱駝を愛していた。

 それを賭けの対象にするなど許されないことである。


「なあに、駱駝は逃げちまったってことにすれば、構わないだろうよ」


 こうしてコボルト族の不真面目者は、魚族の悪魔の囁きに乗って、遂に取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


 後日、魚族は不真面目者が連れてきた駱駝を殺し、その肉を焼いて食らった。

 駱駝の肉は不真面目者にも饗された。

 これにより、魚族にとって、決して裏切らない共犯者が出来上がったのである。


 そして魚族に負けたコボルト族の不真面目者は、カモを求めて仲間内で賭け事を行った。

 それがろくでもないことであることは理解していたが、自分ばかりが不幸になることは許せなかったのだ。


 その後も、第二第三の被害者が現れ、それは波紋のように広がっていく。

 こうやって段々と町は腐っていった。


 ただし、例外もあった。

 それは狼族。

 狼族の者達には、信秀にどの種族よりも頼りにされているという自負があった。

 その誇りは、怠惰には決して靡かない強い心である。


 信秀は狼族の者達に警察権を与えた。

 これにより、酒と賭博に溺れた住人達は、また真面目に働き始める。

 町は元の姿を取り戻したのだ。


 だが、それは表向きばかり。

 狼族以外の獣人達の心の中には、ゆっくりと不満が溜まっていった。


 一部の者に与えられた権力。

 狼族は同列であるはずなのに、そんな者から頭ごなしに命令されるなど、他の獣人達にとって我慢ならないことだったのである。




 ある日の夜。

 町の西側にある煉瓦造りの家に、狼族以外の種族の長が一同に会していた。

 酒と駱駝の肉を囲い、円を組むように、その者達は座っている。


「まったく毎日毎日働かされて嫌になるな」


 ぼやくように、愚痴を漏らしたのは魚族の長である。

 それに「そうだ」「その通りだ」と烏族と蛇族の族長が相づちを打った。


「……」


 他の族長からの反応はない。

 多くの者が怠惰になってしまったが、古参の族長達ばかりは、勤労が間違っていないことをよく知っていたのだ。


 されど、異を唱えることもできなかった。

 その理由は古参の獣人と魚族との関係にある。


 魚族の長はまるで、この町に特段未練がないように振る舞う。

 その向こう見ずな言動は、駱駝殺しの“共犯者”である古参の獣人らを恐怖させた。

 なにかあれば道連れにされかねないのだ。


 それゆえ古参の獣人らは、魚族の機嫌をうかがい、気持ちをなだめる。

 そうすることで、魚族が決して軽はずみな行動に出ないようにしていた。


 もっとも、魚族の強気な発言は虚栄心からくるものでしかない。

 実際に信秀から町から出ていけと言われたら、恥も外聞もなくペコペコと頭を下げるのだが、それは付き合いの浅い古参の獣人らにはわからぬことである。


「それにしても、狼族ばかり特別扱いしおって。

 フジワラ様は何を考えているのだ」


 またも魚族の族長が愚痴を吐いた。

 それに同意したのは豚族の族長である。


「そうだ。なぜいつも狼族の者ばかり優遇する」


 こればかりは賛成しないわけにはいかなかった。

 常日頃より、狼族に対しての特別扱いを目にしている。

 いかに狼族が最初期からの住人であるとはいえ、目に余るものがあった。


「狼族の奴らは、相当に美味いもんを食っているらしい。

 なあ、ゴビ?」


 魚族の族長が目を向けたのは、円陣の中にいる、唯一族長ではない者。

 狼族のゴビ。

 狼族も、全員が全員誠実であるわけではない。

 中には性悪な者も存在した。


「ああ、間違いねえよ。フジワラ様はジハルの爺とうまいもんばっかり食ってやがる。

 フジワラ様が土産に置いていったものを、ちょいと盗み食いしたことがあるんだが、そりゃあたまらんほどの美味だったぞ」


 駱駝の肉を旨そうにほおばりながら、ゴビは言う。

 場がざわりとした。

 食というものが保証されている現状、獣人達は美味しいものに目がなく、とてつもない関心を抱くのだ。


 すると猫族の族長が、そういえばと語り出す。


「少し前のことだが、人間の軍へと夜襲をかけた者達が、フジワラ様から素晴らしく美味いものを振る舞われたらしい。

 その味が忘れられないと、今でも口にする者がいる。

 あの時も狼族が共にいたな」


 またも狼族である。


「我々も狼族と同じくらい働いている。だというのに対価が違うとはなにごとか」


 憤懣とした様子の魚族の族長。

 他の族長らも、「そうだ、そうだ」と賛同すると、皆、思っている不満を口にし始めた。


 確かに、どの種族もここに来る以前とは比べ物にならない生活をしている。

 だが“慣れ”が、獣人達から今日得られる食事のありがたみを鈍らせていた。


 欲望に際限はない。

 獣人達は、ただ平和に暮らす今の状況に満足できなくなっていたのだ。


「そもそもフジワラ様は人間に甘過ぎる!」


 ゴブリン族の族長が、酒のなくなった杯を床に叩きつけるようにして叫んだ。


 獣人達は信秀の指揮の下、人間達を撃退した。

 それは獣人達にとって、己が人間よりも優れているという確かな自信となっていた。


 そして、彼らの人間に対する恨みは深い。

 上下の関係が逆転した人間に対し、その恨みを晴らしてやりたいという心があった。


 しかし、信秀がやったことは、負傷者の治療など、人間に配慮する行為ばかり。


「我らが、この町にたどり着くまでにどれ程の苦しみがあったか!

 それを思い知らせるためにも、人間など食料も与えず、放り出せばよかったのだ!」


 またしても、「そうだ、そうだ」という声が上がった。

 やがてそれが収まると、魚族の族長は丸い目でギョロリと族長らの顔を見渡して、尋ねる。


「なぜ、各々方は人間の言うことを聞いているのだ?」


 人間。

 いわずもがな、信秀のことだ。

 これに古参の族長らが顔を見合わせた。


「なぜといわれてもな……。我らが餓えていたところを助けてもらったわけだし……」


「しかし、我々から全てのものを奪ったのは人間ではないか」


「……」


「ならば我々は、より多くのものを得る資格があるのではないか? それは我々に与えられた当然の権利であろう」


「確かに……」

「その通りかもしれぬ」


 頷き合う族長達。


 信秀に、住みかを与えられ、食を恵んでもらった。

 そんな立場であった獣人達。

 この大陸に住む一般的な人間達よりも、よっぽど文化的な生活を送れるようになったのは、間違いなく信秀のおかげである。


 だというのに、獣人達の心には、いつの間にか信秀に対してさえも被害者意識が生まれていた。


「それにしても、フジワラ様はあれだけの物をどうしたのか」


 魚族の族長が自問するように言った。

 すると、それに答えたのはコボルト族の族長である。


「……あのフジワラ様が住む敷地が怪しい。なにか新しい物が出る時はいつもあそこからだ。

 最初は錬金の術でつくり出しているのかと思ったが、フジワラ様は魔法の“ま”の字すら知らなかった。

 おそらく、あそこになにかがある。この町にあるものを全て作り出したなにかが」


 信秀はコボルト族に、根掘り葉掘りと魔法について聞いていた。

 魔法を使える者なら、誰もが知っているようなことを、信秀は知らなかったのである。


「誰か塀を上ったりしたものはいないのか?」


 この魚族の長の問いに皆、首を横に振る。


 誰しもが、信秀の住んでいる場所に興味をもっていた。

 なにせそこを囲む石垣も、町を囲む石垣とは段違いの大きさである。

 なにか隠しているのだろうと、不審に思うのは当然だ。


 しかし、信秀の気に障ることを行えば、町から追い出されるのではないかという恐怖心があり、行動に移すことはしなかった。


「つまり、あの地を手に入れられたなら、町も我ら獣人のものとなるわけか」


 古参の族長らはギョッとした。


 ――町を我がものにする。


 考えなかったわけではない。

 だがそれは憚られること。

 これまで獣人の誰もが、無理矢理に心の隅に押し込めていた。


 それに、信秀に対する恩は、今も確かに感じているのだ。


「ま、待て、フジワラ様には不可思議な武器がある。

 あれには誰も勝てん。

 不意をつこうにも、狼族の者を常に侍らせている。一つ間違えれば、皆殺しの目に遭うぞ」


 豹族の者が、考えを改めさせるように言った。


 信秀の武器は恐ろしい。

 対する獣人達は、武器すら満足にない。

 精々、弓矢を個別に持っている者に、鍬や鋤といった農具があるくらいだ。


 それでも隙をついたなら、信秀を倒せるかもしれない。

 しかし、今の信秀は以前よりも警戒心が強く、狼族の者を護衛に置いていた。


「なに、狼族の者ならそこにいるではないか」


 魚族の族長が狼族のゴビへと目を向ける。

 ゴビは話をよく聞いていなかったのか、酒で赤くなった頬を、ニヤリと持ち上げるだけであった。


 魚族の族長の言葉は続く。


「それにな、実はシューグリング公国の者から、我々に接触があった。

 近々、かの国はこの町を攻めるらしい。その際には我が魚族にも呼応してほしいとのことだ」


「馬鹿な。相手も人間ではないか」


 古参の族長から上がる当然の反応。

 しかしそれを予想していたのか、魚族の族長はその口からギザギザの歯が覗くほどの、大きな笑みをつくった。


「その通りだ。シューグリング公国などと手を組むつもりはない。

 だが戦争になれば、町を守るためにフジワラ様から武器が配られる。弓も大砲も使えるようになるのだ。

 呼応ではない。その機を利用する。

 この町を支配した後に、シューグリング公国も打ち倒せばいい」


 古参の族長らはゴクリと喉を鳴らした。

 その顔面は蒼白となっている。

 文句を言うだけならまだしも、実際に事に及ぶとなれば、覚悟がいる。

 この町に辿り着くまでの、あのひもじくて辛い生活に戻る覚悟が。


「面白い、我が部族はやるぞ。人間を恐れるなど、獣人の名折れ」

「俺の部族もだ。人間の下で働くなど、誇り高き我が蛇族には耐えられぬ」


 まず名乗りをあげたのは烏族と蛇族。

 獣人としての自尊心をくすぐるような口舌である。


「おお、人間を恐れぬ勇者よ。それでこそ獣人というものだ」


 魚族の族長が口にする言葉もまた、獣人としての誇りを刺激するものだ。


 ちなみに、これらの受け答えは会合以前より取り決めていたことである。


 普段はいがみ合い、互いを蹴落とそうとする魚族ら新参の三種族。

 しかし、共通の敵に対して一致団結した様子を見せるのは、利だけを追求する浅ましい心があるからだった。


 魚族の族長は、古参の族長らに視線を向ける。

 その目は、お前達は人間を恐れる腰抜けか、と言っているようであった。


「や、やってやろうではないか」


 ゴブリン族の族長である。


 この中でゴブリン族とコボルト族は、人間と深い交わりがあった。

 だというのに最も人間を憎んでいる。

 いや、人間の近くにいたからこそ、というべきであろう。

 人間と近しい関係であったからこそ、その悪意を受け、屈辱と恨みは骨髄にまで染み込んでいた。


「わ、我らもだ」


 ゴブリン族が参加するのならば、コボルト族も参加しないわけにはいかない。

 この二種族は互いに対抗し合う間柄である。


「……儂らも」

「……我らもだ」


 あとは集団心理が残りの者の心を決めた。

 誰かが否と答えれば、また違った結果になったかもしれない。

 だが、既に流れができあがった集団で、異を唱えるのは困難である。


 やがてその場にいる全員から賛同が得られると、魚族の族長は満足気に頷いて言った。


「それでこそ獣人よ。皆でフジワラに一泡ふかせてやろうではないか」


 もう信秀に対し、敬称はなくなっていた。



 それは8月のはじめの、暑い日であった。


 サンドラ王国のはるか南。

 一部の人間からは獣人の町と呼ばれる地の上空は、雲一つない澄みきった青がどこまでも広がっていた。


 燦々と輝く太陽が下界を照らしつける。

 町を囲む石垣の上に【四斤山砲】が並んでおり、その黒い砲身は、太陽の光を鈍く反射させていた。


 激しい日の光に照らされていたのは大砲ばかりではない。

 おびただしい数の獣人達が、石垣の上に揃っていた。


 北の石垣にあるのは狼族とアライグマ族。

 大砲には砲兵がつき、大砲と大砲の間には弓兵が並んでいる。

 そして町の長である藤原信秀もその場にいた。


 彼らの視線の先は、一様にはるか大地の向こうにあった。

 この地に再び人間の軍が現れたのである。


 敵は遠く離れた位置に陣を張り、使者は馬を駆って町へとやってきた。

 すると弓兵は使者に向かって、弓を引き絞る。


「我らはシューグリング公国の者である! この地はシューグリング公国の領土となった! すみやかに開城せよ!」


 勧告の使者は、シューグリング公国を名乗った。

 その身なりはいい。

 前回とは違い、勧告の使者も出している。

 それはつまり、本格的な軍が襲来していることを意味していた。


「戦いなら受けて立つぞ!」


 信秀が目一杯、喉を震わせて戦いの意思を伝える。

 それを聞くと、使者は馬首を返して自陣へと駆けていった。

 去っていく使者の背には、依然として獣人らの構えた弓の鏃が向けられている。


 ふと、信秀は何かに誘われるように右側を見た。


 なんとなく。

 別に、なんらかの意図があったわけではない。

 本当になんとなくであった。


 すると、そこには弓を信秀へと構えた狼族が一人。


 ――そして、矢は放たれた。


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