35.戦争前夜 2
五月の下旬より麦には色が付き始め、農村では刈り入れが行われる。
そして、六月も下旬に差し掛かろうかという、ある日のこと。
「王命を下す!
黄竜騎士団団長バルバロデム・ダルセンを大将軍、赤竜騎士団団長ミレーユ・サン・サンドラを副将軍とし、両名は其々の騎士団を率いて南部二領の歩兵部隊と合流、その後に獣人の町を制圧せよ!」
『ははっ!』
玉座の間、王より拝命を受けるのは、虎髭の巨漢バルバロデムと騎士姫ミレーユ。
ここに戦いの鐘が鳴らされたのであった。
なお、攻城戦に二つの騎士団など不要のように思えるが、これは敵よりも味方の兵に対する備えである。
獣人の町を簡単に攻め落とせるならともかくも、熾烈な戦いとなった時には、まず軍の秩序が乱れる。
死を前に兵は恐怖し、逃亡または反乱を起こす。
軍の秩序を維持するために、味方へと強く睨みをきかせる存在が必要なのだ。
「ミレーユ殿、お主はサラーボナー伯爵領へ行き、歩兵2000を受領せよ。最南の村を合流地点とする」
「わかりました」
玉座の間を辞したバルバロデムとミレーユの会話。
バルバロデム率いる黄竜騎士団は重装騎兵隊であり、工兵や輜重などの鈍重な後方支援部隊を連れて、北より獣人の町まで流れる大河――ルシール川に沿って南へと直進。
その途中には南領の一角アンブロシュナ伯爵領があり、そこで2000の歩兵と合流する。
そして、ミレーユ率いる身軽な赤竜騎士団はその機動力を活かし、南西に離れた南領のもう一角サラーボナー領へと向かって、ここでも2000の兵を加える。
南領歩兵隊4000、騎兵隊1000、後方支援隊300。
総勢5300名の南征軍であった。
「赤竜騎士団、出発!」
城の前に並ぶ500の赤竜騎士団の先頭で、ミレーユが声を上げた。
赤竜騎士団は、民衆の歓声を受けながら、王都サンドリアを出立する。
南西の地まではおよそ300キロ。
輜重はいらない。
赤竜騎士団の練度、最適な道筋、そして軽装なればこそ、僅か五日で到着できる距離だ。
やがて、赤竜騎士団はサラーボナー領にて歩兵2000と合流、そこからは道をよく知る地元の兵に先頭を歩かせて、ルシール川にぶつかるまで南東に進路をとった。
領内は丘陵が多く縦長の進軍であったが、南領を出るとそこからは平野が広がる。
軍を横に並べることができるため、先頭と後方の出立時間の差が小さくなり、より速い行軍が可能となるが、歩兵が加わった今となってはその速度もたかが知れている。
「よし、ここで休憩だ! 馬にしっかりと飯を食わせろ!」
およそ一時間に一度の休憩。
南領を越えれば村はなくとも草原が広がり、馬の食料は豊富にあった。
だが、馬の食は細く、雑草では栄養価が足りない。
そのため短い時間で休憩を挟み、小まめに草を食べさせなければならない。
馬は小川で水を飲み、騎士達が小用を済ませる。
ミレーユも人間であり、出すものは出す。
だが、男の中にただ一人の女。
男勝りのミレーユにも、“それなり”の恥じらいというものはあった。
ミレーユが、遮蔽物の影に隠れる。
平野といえども、まっ平らというわけではなく、身を隠すくらいの小さな丘はある。
ミレーユは何らためらいを見せることなく、ズボンを下げてしゃがみ込んだ。
この瞬間、ミレーユはいつも、女とはなんて面倒なのだと考える。
別に男になりたいというわけではない。
ただ、一手間二手間とかかる、様々な女の面倒ごとが疎ましかった。
すると、ザッと芝を踏む音がした。
ミレーユが音につられて横を向けば、そこにいたのは一人の騎士。
「あ、こりゃすいません」
さっさと顔を逸らせばいいものの、その騎士はにやにやとミレーユの方に顔を向けながら、来た道を戻っていく。
顔を見ればわかる。
その騎士は、わざとこの場所に踏み入ったのだ。
ミレーユは、またかと思った。
女が騎士団長となった。
それをよく思っていない者がいることを、ミレーユは知っていた。
その当て付けか、あるいはただの女性の行為を覗きたかっただけか。
なんにせよ下劣な行為だ。
だがミレーユは、覗いた男に対して羞恥の心は一切湧かなかった。
行軍の最中での理性のない行為。
時と場を弁えられない者は、人ではなく獣である。
獣に見られたとて、人間は何も感じない。そういうことだ。
もっとも、獣には獣らしい戦いの場を与えてやるつもりではあったが。
「おい! てめえ!」
ズボンを上げたところで、遮蔽の向こうから大きな声が聞こえた。
「あぁ、なんだ? 騎士なりたて新人が大先輩様に文句あんのか?」
「俺が新人なのと、お前がやったこととなんか関係あんのかよ!」
どうやら見所のある者もいるようだ。
だが、このままというのはよろしくないだろう。
騎士団内の不和は、戦時の足の引っ張り合いに繋がりかねない。
「やめないか!」
影から姿を表してミレーユが言う。
「でも、こいつが!」
反論を口にする新人騎士。
「事故だ、私は気にしていない」
ミレーユの一言で、ふんっ、と勝ち誇った顔をして下賎の騎士が去っていく。
それを未だ睨み付けるようにしている新人騎士。
その顔は見たことがある。
剣の腕はまだまだだったと記憶している。
名前はなんだったかとミレーユは頭を捻った。
「お前の名は」
「はっ、ツトム・サノと言います!」
「サノか。その名、覚えておこう」
「ははっ、ありがたき幸せ!」
佐野はその場に跪き、ミレーユは、それを横目に己の馬の下へ足を進める。
佐野は取り入りたかっただけかもしれない。
だが、少なくとも考える頭があることは確かだ。
理性のない獣よりかは、はるかにマシだろうとミレーユは思った。
行軍は日に20キロに及んだ。
南へと連なる村々に早馬を送り、軍の到着にあわせて村人に食事を作らせておく。
無駄な時間をなくし、その分兵に休憩を多くとらせるのだ。
天幕をわざわざたてる必要もない。
歩兵達は空を天井にして寝るし、騎士用の幕舎は村に着く前からたててある。
そして最南の村に着いた。
これ以後はもう村はなく、ここからおよそ30キロの位置に獣人の町が存在する。
バルバロデムはまだ到着していないようであった。
「後発が来るまで休憩だ。人馬共によく休息をとれ」
バルバロデムが来るまでの間に、人馬をこの地の気候に慣れさせる。
慣れなければならないほどに暑かった。
日差しは照りつけ、体から容赦なく水分を奪っていく。
体だけではない。
大地は水を失い、草はまばらにしか生えていない。
川がなければ、とても生きてはいけない地だとミレーユは思った。
馬の世話を終えて特にやることもなくなると、ミレーユは既に輸送済みである攻城兵器を見て回った。
投石機に破壊槌。
攻城には欠かせぬものだ。
未知の魔法は、300メートルの位置からの攻撃だったという。
投石機の射程距離は400メートル。
その太い骨格は、身を守る遮蔽にもなりうる。
また、破壊槌には三角の分厚い屋根を取り付けており、未知の魔法でも簡単には貫くことができないだろう。
「ふっ、町から出てこざるをえんようにしてやる」
ミレーユは遠くない戦いの未来を脳裏に描いて、一人笑った。
赤竜騎士団が最南の村に到着してから五日後、漸く黄竜騎士団がやって来た。
遅れた理由は、歩兵が期日通りに集まっていなかったからだそうだ。
さらに一日の休息の後、全軍をもって進軍する。
前衛に黄竜騎士団が、続いて歩兵が並び、殿には赤竜騎士団と後方支援隊がついた。
ミレーユは馬上にて、これより戦いが始まるのだと自分に言い聞かせる。
それはミレーユにとって初めての戦争。
気負いはない。
全身が熱を帯び、沸騰する鍋のようにミレーユは武者震いした。
すると熱は暑さを凌駕し、汗をピタリと止めた。
体温は平常である。
ただ体の中身がどうしようもなく熱いのだ。
日が傾く前にたどり着いたのは、獣人の町から北に四キロ程の位置にある物見台。
そこにいるはずの獣人の姿はない。
獣人の町が、サンドラ王国の意思に気づいているということだ。
バルバロデムの指示で、兵達は物見台の下に陣営を構築していった。
その陣営が、この地にいる間の家となる。
陣営を構築する間も、獣人の町からの反応はなかった。
軍議が開かれたのは夜になってからのことだ。
外では、いまだに作業の音が聞こえてくる。
将幕に集まったのは――
黄竜騎士団からバルバロデムとその副団長。
赤竜騎士団からミレーユと、トマス副団長。
それから南領の歩兵隊を率いる者が四名。
――以上の八名である。
「まずは――」
バルバロデムが軍議を始めようと言葉を発する。
だが、ちょうどその時に外が騒がしくなった。
「どうした!」
ミレーユが外に立つ見張りの騎士に尋ねた。
「ミレーユ様! 進言したきことがあります!」
幕の外から叫ばれた己を呼ぶ声。
聞き覚えのある声だとミレーユは思った。
赤竜騎士団の騎士の誰かであるのは間違いない。
さて誰だったか。
ミレーユは立ち上がり、「失礼」と諸将に一言断りをいれると幕の外へ行く。
トマス副団長も同様に、ミレーユの後ろについた。
「お前は確か、サノだったな」
幕の外にいたのは、佐野。
この行軍で名前を覚えた新人騎士の一人であった。
「申し上げたきことがございます!」
佐野は跪いて言った。
「いきなりなんだ! ここをどこだと思っている! というか貴様、陣営の設営はどうした!」
赤竜騎士団のトマス副団長が烈火のごとく怒り出す。
上級の者しか入れぬ軍議の場に許可もなく現れた下っぱの騎士。
佐野はまさに、身内の恥というやつであった。
「まあ、いいじゃないか副団長」
ミレーユがトマス副団長を諌めた。
佐野の本性が誠実なのか、それとも小賢しいだけなのかということについては、少し興味がある。
どちらにせよ、わざわざ軍議を邪魔してまで進言しにきたのだから、何かしら重要な話なのだろう。
「言ってみよ」
「では一つだけ。降伏勧告には私を使わしていただけませんか?」
何を言うかと思えば、そんな毒にも薬にもならぬ話かとミレーユは落胆した。
「別に話を通しても構わんが、誰が行っても変わらんと思うぞ。一度目に攻めた時と、こちらの規模はあまり変わらない。
ならば前回同様、奴等は抗戦の意思を見せるはずだ」
すると、佐野はへへへと得意気な顔をした。
まだ、なにか隠した手札がある。
そんな顔だ。
「実は、あの町の主人とは同郷なのです。もっとも顔見知りというわけではありませんが」
ほう、と今度こそミレーユは感心した。
「ということは、未知の魔法についてもなにか知っているのか?」
その重低音の言葉はミレーユの背後からであった。
ミレーユがちらりと後ろを見れば、いつの間にやら後ろに立っていたのはバルバロデムである。
「詳しいことはわかりませんが、多少の仕組みならば……」
佐野の言葉に、ミレーユは眉を跳ねさせる。
やはり未知の魔法には懸念があったのだ。
その仕組みを知っているという佐野。
それが事実なら、まさに千金に値する情報であった。
「中に入れ」
バルバロデムの許しが出た。
バルバロデムとその副将が奥に、その左右に諸将が並び座る真ん中で、針の筵のように視線を受けながら、一人膝をつく佐野。
「申せ」
バルバロデムが鋭い視線で、頭を垂れる佐野に言う。
その瞳には、嘘偽りならば許さんという意志が込められていた。
「あの礫を飛ばす術、あれは魔法ではありません。銃と呼ばれる武器によるものです」
そう言って、佐野は地面に指で絵を描き始めた。
それを覗く、諸将の面々。
ミレーユは描かれた絵を見て、ハンマーのようだと思った。
だが、それは違う。
ミレーユがハンマーだと思っていた柄の部分は、筒なのだと佐野は言った。
「細長い筒の奥に鉄の塊を詰め、火の薬――火薬というものを爆発させて打ち出すのです」
「爆発?」
ミレーユが“爆発”という言葉を聞き返した。
この世界に火薬はない。
そのため科学的な事象としての爆発は認識されていないのだ。
とはいえ、魔力が内側から急激に溢れることなど、それに類似したものを爆発と呼び、その言葉自体は存在していたが。
「瞬間的に全方位に暴風吹き荒れるもの。そう考えていただけたら結構です」
佐野の説明を聞き、ミレーユは「ううむ……」と小さく唸った。
いまいちピンとこない。
たかがそれだけのもので、鉄が鉄を撃ち抜くことなど可能なのかとミレーユは頭を悩ませた。
「吹き矢と同じ原理か。力の方向性を筒で一方に集中させ、その威力で鉄の塊を飛ばす、か。
確かに利にかなっているな。射程はわかるか」
バルバロデムの発言である。
だが佐野は、届く距離はわからないと首を横に振った。
「武器ならば個数はいくらでも用意できるのか?」
「いいえ、個数は限られていると思います。というのも、まず造るのがとても難しく、専門の技術者以外造れません。
さらにもう一つ。私達の国はこの大陸にはなく、海の向こうにあるので他所から持ってくるというのも不可能です」
「なに? 貴様は海を越えてきたと申すか」
「はい。船で海を渡っていたところ、難破し、大陸に流れ着きました」
「なぜこれまで黙っていた」
「話す機会がなかったこともありますが、私の故郷が西にあるというのも理由の一つです」
「……西か」
バルバロデムと佐野の問答は、佐野が西の海から来たという言葉で途切れた。
佐野がいままで口にしなかった理由は、誰しもが納得できるものだ。
教会の地図では西には何もない。
世界の果てだということになっている。
それを口にすればどうなるか。
異端審問にかけられてもおかしくない話なのだ。
「お前の故郷については問わん。それで、降伏勧告をしたいという話だったな。
お前が行ったとして相手は降伏すると思うか?」
「無理だと思います。ですが、必ずや何かを掴んでみせましょう」
佐野の返答にバルバロデムはしばし沈黙し、そして口を開く。
「よかろう。やってみせよ」