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花火の後

作者: 志水了

 ひらり、と金魚の赤い尾が揺れる。壁一面の水槽を物珍しげに眺めている少女の向かいに、涼介は座っていた。

「……今度は高校生か」

 涼介の店は金魚売の店だ。小さな店内の壁と天井は一面にガラスが張られ、ガラスの中、満たされた水の中を悠々と金魚が泳いでいる。

 そんな店内の座敷部分には、ブレザーの制服を着た女子高生が座っていた。

 きりっと意志の強そうな目つきの少女は、涼介の言葉に不思議そうに首を傾げる。

「今度は?」

「まあ、いろいろと」

 涼介は笑って言葉をごまかした。この店は先代がいろいろやらかしたおかげで、時代を問わず人が訪れるようになっていた。今日は同じ時代のようだが、この前は江戸時代だった気もする。

 しかも大体厄介ごとを抱えているので、金魚売なのか何でも屋なのか、分からなくなりそうだった。

「すごいですね」

 女子高生は周りを眺めて、感嘆の声を上げた。涼介の店は、壁や天井に水槽をこしらえて、金魚を魅せるようにしているのだ。先代の趣味らしい。

 先代が色々やらかした挙句、店を放り出したので、先代には色々思うところがあるが、この趣向ばかりは好ましいと思えるのだった。

 涼介は感嘆の声を上げながらほうじ茶を飲んでいる女子高生に目線を合わせる。

「それで、あんたはどこからやってきたんだ?」

 見たところ、何となく見覚えのある制服を着ているので、近くに住んでいるのだろう。涼介の予測に違わず、女子高生は近くの町の名前を告げた。自力で帰ることのできる距離であることにほっと息を吐く。

「そうかい。……まあ遅くなんないうちに帰るんだな」

 今は夕暮れ時だが、もうすぐ夜になる。涼介は平気だが、彼女は危ないだろう。

 そんな事を思っての言葉だったが、彼女は言葉を詰まらせていた。途端に瞳が潤みだす。どうしたのだろう。なにがあったのか、知るよしもないが、ものすごくいやな予感がする。

「あの……、今日、帰るところがないんです。お金もなくて……それで、困ってしまって」

 しだいに表情は泣きそうな、困り果てたものへ変わってゆく。そんな可憐な女子高生を追い出す事ができる人物がいるのならば知りたいと、涼介は思うのだった。


 *


 夕暮れが近づきつつある刻限、足元の影も少しずつ伸びてきた。

 昼近くから滞在しているお客を帰してからしばらくして、遠くから軽やかな足音が聞こえてきた。すぐに足音は近くなって、扉の前で止まる。

 扉は勢いよく開いた。学校から店に迷い込んだ女子高生、真矢が帰ってきたのだ。

「ただいま」

「おう、おかえり」

「今日はお客さんきたの?」

「まあ、ぼちぼちな」

 真矢はぱたぱたと軽やかな足取りで店の奥へと消えていった。ここに住み着いてから、いつも店の手伝いをしてくれるのだ。

 涼介としても、店の掃除などは苦手だから、積極的に手伝ってくれるのはありがたかった。だから無下に追い返せないところがまた痛い。

 この前の江戸の子、はると言ったか、彼女のように、素直に事情を話してくれれば良いのだが。どうして帰るところがないのか、そこのところになると頑として口を噤んだままなのだ。

 頑固な子だ。ここまで頑固な女性に会ったことがあるだろうか。

「いや」

 涼介は過去の記憶を思い出して目を細めた。むかし、頑固な女性に出会ったことがある。

 過去と言っても、はるか昔、前世というべき記憶だ。

 涼介には不思議な記憶が残っている。

 今で言う江戸の時代に、船宿の船頭として働き、暮らしていた記憶だ。

 思い出したのは二十歳の時。ある日、脳内に記憶が甦ってきた時の強烈な感覚は忘れようにも忘れられない。夢にしては鮮やかで、強烈なものだった。

 突然蘇ってきた大川(隅田川)をゆらりと揺れる船の記憶。

 そして、あのとき密かに想っていた、船宿の女将のこと。

 思い出した時はとても懐かしく、眩しく、そして生まれ変わってもあのひとの事が忘れられないのか、と哀しさで一杯だったこと。思い出してから数年経つが、今でも女将は特別なひとで、彼女のことを忘れたことはない。

 女将はたおやかなひとだったが、とても頑固なひとだった。ここぞというところは譲れない、一本芯が入ったような印象がある。

 そんな女将の頑固さに、真矢は似ている気がした。

 ふっと真矢の顔と女将の顔が重なって思わず天井を仰ぐと、鮮やかな色の金魚がゆうゆうと視界を横切っていく。

 この店に出会ったのも、その頃だったか。そう、女将の事を今も忘れられないままふらふらしている時に、この店の先代店主と会ったのだったか。

 先代店主は変わった人だった。そんな変わった先代店主がうっかり次元の扉を開けてしまったせいで、この店には、色んな次元から、困った人紛れ込んでくるようになってしまったのだ。しかも、皆が何かしらの問題を抱えている。

 おまけに、先代店主は扉を開けたまま、ある日突然旅行に出かけてしまったので、今は涼介がひとりで切り盛りしている状態だった。

 おかげさまで最近は金魚売の仕事をしているのかトラブル解決の仕事をしているのか、よく分からなくなってきている。

 外を掃除していた真矢が、箒を手に中に入ってきた。土間となっている床を丁寧に掃いてくれている。涼介は、真矢が動くさまをぼんやりと見やった。上体を少し屈めているので、背中まである髪が、さらりと顔の横に落ちている。

 真矢は、土間を隅から隅まで丁寧に掃除をしてから、ようやく顔を上げた。

「そういえば、もうすぐお祭りなんですね」

「そうだね。さっきも、屋台の金魚を仕入れにきた人がいたし」

 梅雨も明け、暑さは日に日に増していた。ニュースを眺めれば、あちこちで花火大会や祭りが行われている。もうすぐ、この町でもお祭りが行われるのだ。

「良いなあ」

 次の日曜に行われるのは、地域でもかなり大きな祭りだ。それを真矢は羨んでいるのだろう。宙を見やった真矢の表情は、心の底から羨んでいるように見て取れた。

 祭りを羨ましいと思うこころはあるのに、家には帰りたくないのだろうか。

「……そろそろ帰りたくない理由だけでも話す気になった?」

 涼介の言葉に店がしんとしずまりかえる。聞こえてくるのは、モーターの音だけだ。

 真矢はいまだ、黙り込んだままだった。しばらく、彼女が何か言い出すのを待つことにする。

 彼女は、しばらく黙っていたが、やがて観念したのか、大人しく口を開いた。

「もう少し、待ってもらえませんか」

 だが、口から出た言葉は相変わらずの頑固さだ。

「君がここに通いに来るだけだったら良いんだけどね。俺もさすがに、事情も知らずに女の子を何日も泊められないよ」

 前は妥協したが、今回はそうはいかなかった。さすがに何かあって犯罪者扱いされたら困る。

 真矢はしゅんと縮こまった。そのまま小上がりに腰掛けると、少し悩んでから口を開く。

「私は隣町の児童養護施設で暮らしているのですが」

「……施設?」

「はい。色々あって、小学生くらいからここに」

 彼女はぎゅうとスカートを握りしめた。濃紺の生地がしわくちゃになる。

「なるほどな。それで、施設でなんかあったのか? いじめられたとか」

 少しずつ、涼介にも事情が分かってきた。もし、施設でいじめなどがあって居づらいから逃げてきたのであれば、涼介も真矢をここに置くことに、何かしら考えても良いと思っている。

 そんなことを思っていたのだが、彼女は首を横に振った。

「いえ、そんなことは無いです。皆とても良い人達ですし。ただ、進路のことでちょっともめて」

「進路?」

「私は、卒業したら早く働きたいのに……。でも、みんな大学に行けるだけの能力があるのだから、大学に行けっていうの……」

「なるほどな。それで、喧嘩になって居づらくなって飛び出してきたってか」

 涼介があとを引き継ぐかのように言うと、彼女は驚いた表情を浮かべた。

「なんで分かったの?」

「そんなもんだろ」

 涼介は短く笑った。涼介の余裕を見てとったのか、真矢はむっとした表情を浮かべる。だがそれも、長くは続かなかった。怒りにつり上がった表情は、長くは持たず、真矢はすぐに寂しそうな、悲しそうな表情になった。それほど、追い詰められているのだろう。

「私、言ってはいけないこと、たくさん言った。きっと怒ってるわ……もう置いてくれないかもしれない」

「そんな事はないだろ」

「あるわよ! だって、先生は本当に血の繋がった家族じゃないもの……今もまだ、迎えにこないし」

 真矢はうつむく。そのさらりと落ちた髪の毛が、彼女の表情を隠している。

 そんなことないだろ、と声を掛けたかったが、果たして今の彼女に届くのか、わからなかった。

 ぽつり、と膝に置かれた手に、涙の雫が落ちる。

「もし、あの家に生まれてなかったら……」

 弱々しい声音が、変わった気がした。真矢らしくない艶っぽい声音に不意に変わり、涼介は訝しげに思う。

「ん……?」

 涼介が訝しげに思った時、彼女が顔を上げた。

 艶やかな黒髪。強さを持った、少しだけつり上がった目。真矢の表情は、真矢であって、彼女のものでなかったのだ。

 重ねるまでもなく、女将の顔にそっくりだった。

 涼介の心の奥底にずっと生き続けているひとの顔にあまりにもそっくりで、涼介の思考は停止していた。

 似ていると思ったが、どんどん目の前に座る少女の表情は変わっていく。気がつけば身につけている制服も着物へと変わっていた。

 かつての江戸で、華やかな吉原の世界に生きる女たちが身にまとっていた、美しい色合いの着物。

「女将……?」

 涼介がずっと心にしまいこんでいたひとの名前を知らず呟くと、呼ばれた名前に反応してか、彼女が戸惑ったように、首を傾げた。再び、ぽろりと目から涙がこぼれおちる。

 こうして見ると、目の前にいる彼女と女将は良く似ていた。

 今までなんとなく、真矢を見ると思い出す程度だったのだが、ほんとうに、良く似ていた。

 ただ、年だけが違う。女将はかつて吉原にいた、というのは聞いたことがあった。

 涼介が女将に出会ったのは、女将が旦那に身請けされてからのことだ。つまり、目の前にいる女将は、まだ女将になる前の、吉原にいた頃の女将なのだろうか。

 少しだが、涼介の中で仮説が立てられたこともあって、真っ白になっていた気持ちが落ち着いてくる。

「どうされたのですか?」

 涼介は袂にしまいこんでいた手拭いを差し出しながら、そっとたずねた。

 かつての女将であろう少女は、手拭いを受け取ると、目元にあてる。はらはらとこぼれていく涙が、手拭いに吸われていった。

 少女は、しばらく黙ったままだった。その間にも周りの光景は次々と変わってゆく。金魚が泳ぐ店は、いつの間にか妓楼へ変わっていた。ふたりは中庭に面した通路に腰掛けている。

 本当に、江戸へ戻ってしまったのか。匂いまでもが、懐かしいものになっていた。

「ちっと……いろいろと……、にげられてしまいんして」

 何に、誰に逃げられてしまったのか、言わずとも涼介にはなんとなくわかった。きっと、ひいきの間夫に逃げられてしまったのだろう。

「ありがとうござんす。ところで、ぬし様はどちらさまでありんすか? 見かけたことのない方でござりんすけど」

 涼介に手拭いを返しながらまじまじと見つめられ、涼介は色々な意味で焦りを覚えた。

 強烈な憧れを持っているひとに見つめられたこともあるし、今の状況をどう説明すれば良いのか、という焦りもある。

「ま、ちょいとここに縁があって」

 結局まともな言葉が浮かばず、曖昧にぼかすだけだった。彼女は不思議そうに、また少しばかりの疑いを眼差しに多く含んで涼介を見てきたが、やがてふっと、眼差しにが柔らかくなった。

「……なんだか、不思議なお方ねぇ」

「そうかい?」

「ええ。見ず知らずの方なのに、何を話してもこわくない……」

 涼介は苦笑いを浮かべていた。よく言われることなのだ。

 そういえば、過去の記憶にも、そんな事を言われたことがあったような気がする。あれは誰が言ったのだったか。懐かしい記憶が次々に襲ってきて、思わず目を細めた。

「あーあ」

 少女は気を取り直すように、小さく息を吐いた。廓言葉も使うのをやめてしまったらしく、ごくふつうの口調に戻っている。

「時々思うの。こんな生まれでなければよかったのにって。どうして、こんなに苦労しなければならないのって。思っても、仕様がないのに」

 自嘲するように、笑う。どこか寂しげな表情が、彼女の表情と重なった。

(あんたとは、いつかどこかで、また会うことができるかもしれないよ)

 涼介が江戸で生きていたとき、女将の言葉がよみがえる。あの時、女将はいつも仕事で着る着物を身につけて、どこか寂しそうに言ったのだ。

 女将はどういう気持ちで、あの言葉を言ったのだろう。思い出してみても、わからない。

 涼介がひとり、ひそかに想っている恋だった。女将は落籍されて、旦那と穏やかな日々を送っている。時には叶わない想いに苦しさを覚えながらも、それでも見ているだけで満足だった。

 たしかあの時、涼介は女将に、もしおのれが船頭ではなく大店の主人だったならば、女将とは違う出会いがあったかもしれないと話していたのだったか。

 半ば冗談での言葉に、女将はまっすぐな面持ちで、少しだけ笑って、言ったのだ。

(もしその時には、また違う出逢いになってるかもしれないね)

 唐突に女将の言葉を思い出して、涼介は胸をぐっと抑えたい気持ちにかられた。

 今の女将に、涼介が思っていることを話すのは、酷なことかもしれない。それでも、いつかはまた逢えるのなら、ここで生き抜いてほしいと涼介は思うのだ。

「みんな、そう思う時はありますよ」

「そうかしら……」

 彼女は少し、戸惑ったような表情を浮かべた。そんな彼女に、涼介は淡くわらう。

「どんなにつらくとも、それはいつか、大事な出逢いにつながるものです」

 かつての女将のことばが、おのれをここまで歩かせてくれたように。

 少女は少し不思議そうな表情をうかべた。そして、ふわりと花が開くようにほほえむ。

「……そうね、そうかもしれないわね」

 少女がようやく笑ってくれたことで、涼介はようやく安心する。

 その時、ふいとまわりの景色が遠ざかる感覚を覚えた。と思えば、急激に景色が色を失っていく。

 少女の近くに座っているはずなのに、彼女が遠くなっていくような気がする。

 もう二度と会えない。何となく、そう思った。

 生まれ変わってさえも焦がれに焦がれてようやく会えたのに、もう会えなくなるのか。そう思うととてもさみしくて、せめて彼女の笑顔を焼きつけようと、必死に少女の顔を見つめる。

 江戸の時代に残っていられたのは、またたきをひとつする間までだった。



 またたきをひとつすると、今までの吉原の姿はふいと消え、いつもの金魚が泳ぐ店内に戻っていた。

 目の前に座っているのは、女将ではなく、高校の制服を着た真矢だ。

 真矢は静かに泣いていた。こうして今の時代に戻ってあらためて彼女を見ると、とても似てるなと思う。まるで生まれ変わったかようにさえ見える。

 また、違う形で逢うことができるかもしれないよ、とほほえんだ女将を思い出して、涼介はひっそりと胸の内でわらった。

 真矢の頭にそっと手を伸ばすと、うつむいていた彼女の肩が揺れた。

 さらりと流れ落ちる真矢の髪を撫でてやる。

「そうだな。でも、嫌なことばかりじゃないかもしれないよ」

 真矢は伏せていた面を上げた。ぽろりとひとつ、涙が落ちる。

 頬をつたっていく涙が、うつくしいと思った。

「……え?」

「ほら」

 涼介は、入り口に顔を向けた。同時に店の外から、早歩きの足音が聞こえてくる。

 壁にもなっている水槽に男の人の影がうつりこんだ。男は店の前で足を止める。

 男の姿に、彼女はびくりと肩を揺らした。

 男は店の前で躊躇しているようだった。涼介はふっと笑って、声をかける。

「どうぞ、あいてるよ」

 涼介の言葉に、しばらくしてから引き戸が開けられた。

「先生……」

 彼女は、まっすぐに男を見つめていた。男は丁寧にお辞儀をして、自らの名を名乗る。

「真矢がお世話になりました」

 丁寧にお礼を言うと、彼は真矢と向かいあった。

「……ようやくここにいることを聞き出せてね。心配したよ。……帰ろう。みんなもずっと帰ってこなくて、心配してる」

 男の言葉に、真矢の頬にすっと一筋、涙のあとができた。

 真矢は黙って立ち上がって、男の下へ歩いていく。真矢の背中を眺めながら奇妙な共同生活もこれで終わりか、と思うと少しだけ寂しい気持ちになった。

 男の言葉に素直に従って荷物をまとめ、真矢は外に出て行く時、ふと足を止めて振り返った。

「あの……また来ても良いですか?」

 おずおずとたずねられて、涼介は小さく笑う。

「どうぞ。困ったらいらっしゃい」

 涼介のことばに、真矢は涼介がどきりとするような、はにかんだ、安心したような笑みを浮かべた。

 思わずどきりとした涼介を置いて、真矢は店から出ていってしまった。いつもの店だけが、後に残る。

 困ったらいつでも来れば良い、と言って笑ってはいたけれど、もう来ることはないだろう。

 今までも何か困ったことがあると、誰かがどこかからこの店にやってきた。でも、悩みを心のうちで整理し、出て行った人がまたここに来ることはなかった。

 だから、彼女も自分から来ることはないだろう、なんとなくそう思ったのだ。

 それでも、何の因果か、彼女とは同じ世界を生きている。だから、会いたくなったら会いにいけばいい。

 胸に広がる寂しさのなか、そう思っていたのだが。


 *


「……何?」

 周りは薄い藍色に覆われてきたころ。店の扉を開ける音がして、奥で帳簿を確認していた涼介が出て行くと、そこには真矢の姿があった。

 学校から施設に帰ってきてから来たのか、彼女は水色のワンピースを着ていた。片手にはスーパーのビニールを下げていて、何か買い物をしてきているようである。

「何って、また来ても良いじゃないですか、って言ったじゃないですか」

「いや……、言ったけど」

 まさか本当に来るとは思わなかった。涼介はその言葉を呑み込んだ。照れまぎれに、髪の毛をかきまわす。

「今日はどうしたの?」

「あの……ちょっと、一緒に試してもらいたいものがありまして……」

 真矢はどこか言いにくそうに、ぼそぼそと話しながらうつむく。ビニール袋の中をよく見ると、袋のひとつは花火がいくつか入っていた。

「花火を?」

 真矢はこくりと頷いた。

「この前、祭りに行ったとき、今度、みんなで花火をやろうって話になって……。でも私、打ち上げ花火ってどうやるのか分からなくて……。ほら、ご飯も作ってあげるから! 涼介さん、どうせまともなご飯食べてないでしょ!」

 彼女は少し恥ずかしかったのか、途中からまくし立てるように言った。そのさまがかわいらしくて、涼介は自然と笑顔になる。

「良いよ。まだ花火をやる時間じゃないから、ご飯、先に作ってよ。ご飯代出すし」

「えっ、それは……」

「いいのいいの。で、今日は何作ってくれるの?」

「……カレー、です。明日も食べられますし」

 ぎこちない様子ながらも、奥へ入っていく彼女の背中を見送る。

「花火か」

 夏の時期は、祭りのため、金魚を買いにくる人も多いので、ここ数年は花火をまともに見たことが無い気がする。

 涼介にとっても久々の花火に、少しだけ気持ちが高揚していた。

 いや、それともこのわくわくとした気持ちは、真矢がまたやってきてくれたことに、だろうか。

 台所に彼女が立ったらしく、包丁で何かを切る音が聞こえてきた。ここ最近は自分でご飯を作る気力もなく、ずっとコンビニ弁当だったので、ありがたい。

 夕飯の時には、あれからどうしたのか話を聞いて、それから、打ち上げ花火のやり方を教えて、少しだけ手持ち花火をして。

 この店に来て初めての新しい縁に、涼介は少し戸惑いながらも、笑みを浮かべていた。

 花火の後は、何を話そうか。


             (了)

このあと、お兄さん扱いされて色々と涼介が苦しんだり、大人な涼介に少しでも女らしく見てもらいたい真矢が色々背伸びするとかしないとか。

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