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脱力系エンターテイナー
作:赤鼻ピエロ


 奇怪、という言葉はきっとこの人のためにあるんだ。

 薄い唇の上に生やされた、まるで貼り付けた偽物のようにカタチの整った髭。伸ばした、と言うよりは、伸びてしまった、という感じの黒いくしゃくしゃの髪の毛と、その上に乗せられた黒いシルクハット。
 上半身だけを見ればタキシードを着た紳士なのに、どういうわけか下はダボダボのジーンズだ。

「俺はキミを助けるために来たんだよ」

 そんな言葉とともに彼が私を自転車の後ろに乗せたのは、今から数時間前のこと。


  * * *


 私はいつものように、自転車を押しながら、学校と家との間にある公園を歩いていた。公園とは言っても遊具とかはなくて、花見や遠足、時には地域のマラソンのコースになったりもする大きな公園だ。
 そこは私の通学路でもあり、居場所でもある。学校では出せない感情や、家では見せられない顔。それらを開放できる場所が、この公園なんだ。

 普段は子供たちがサッカーやキャッチボールなどをするのに使われている広場に向かうと、今日はそこに大道芸人のような人がいた。
 私は自転車のストッパーを下ろし、お馴染となった白いベンチに腰かけた。

 大道芸人の周りにはたくさんの人が集まっていた。ちょうど学校が終わる時間ということもあり、小学生くらいの子供が多い。
 よく見れば、その大道芸人はまだ若いようだった。二十代半ばといったところだろうか。キレイに整えられた髭はまるで付け髭のよう。
 私はそれを眺めることにした。

 見ていると、彼はわざとかと思うほど失敗が多かった。ジャグリングも一輪車も、失敗ばかり。
 だけど彼は笑っていた。能天気というか、適当だ。

「オジサン、下手くそ!」

 子供にそんなことを言われても、

「まだオジサンじゃない! それに、俺はこれから上手くなるんだよ!」

 なんて言って笑っている。不思議な人だ、と思った。
 そんな適当なキャラクターが子供たちの心にはストライクなのか、彼らは一向に成功しない芸を飽きもせずに喜んで見ている。

 そんな光景を眺めていた時、私はふと気付いてしまった。
 大道芸人と、その周りで笑うたくさんの人々。そこから遠く離れた場所で、ぽつりと独りでいる私。輪に入れない私。
 学校にいる時と同じだ。どこにいても私は独りなんだ。

 私はなんだから苦しくなって、膝の上に置いた鞄に頭をつけるようにして俯した。



 
 どれくらい経ったのだろう。もしかしたら数時間かもしれないし、ほんの数秒かもしれない。
 私は堅く目を閉じて完全に別の世界にいたけれど、突然誰かに声をかけられて現実へと引き戻された。

「お嬢さん、どうしました?」

 驚いて顔を上げると、私のすぐ目の前には先ほどの若い大道芸人がいた。
 ニコニコと、ではなくヘラヘラと。彼の顔は笑っている。

「あ、いえ何も」

「何でも話してごらんよ」

 何もないと言ったそばから、彼は話してごらんと言い出した。本当におかしな人だ。
 だいたい、初対面の人にこんなことを言うだろうか。そもそも、普通は話しかけないだろう。

「本当に、何もないですよ」

 そう言って私は笑ってみせた。
 すると彼は何を思ったのか、私の隣に腰を下ろしてきた。

「何もなくない。そんな辛そうな顔で笑われたって嬉しくない。学校で何かあった? なんで家に帰らないの?」

 そう言った彼の口調はおっとりとしていて、まるで母が我が子に語りかけるかのようだった。きっと彼は子供が好きなんだろう。
 前のめりになって真剣な眼差しを向けてくる彼の姿は、身なりがおかしいだけに(失礼だけど)なんとも滑稽だ。私は思わず笑ってしまった。

「なんで笑うんだ」

 彼は不満気に口を尖らせた。子供と接する時間が多いから釣られて子供のような仕草をするようになったのか、元からこういう人なのかはわからない。

「面白いなあと思ったんです」

「真剣だったのに」

 そう言いながらも彼は、楽しそうに笑っている。

「まあ、いいや。笑ってるから」
 彼は満足したように二度頷いた。
 あまり深くは考えない性分らしい。彼がそれ以上何か聞いてくることはなかった。ただ、隣に座っているだけ。そして私も、ただ黙って座っていた。



 
 気が付けば、太陽は西に傾いてきていた。結構な時間が経ったみたいだ。
 ふと隣を見ると、大道芸人の彼は気持ち良さそうに眠っていた。起こすのは悪い気がしたが、黙って帰るのも失礼だと思い、私は彼の肩をゆすった。

「ううん……」

 彼は一瞬だけ顔をしかめ、唸り声を上げながら目を開けた。やっぱり起こさない方が良かったかもしれない、と少しだけ後悔した。

「ああ、ハナコちゃん」

 私の顔を見るなりそんなことを言い出す彼。私は笑ってしまった。

「誰ですか、ハナコちゃんって。寝ぼけてますね」

 しかし彼は意外にも冷静で、寝ぼけてないよ、と微笑を浮かべた。

「キミのことだよ、花子は。うん、ぴったりだ」

 私は呆気に取られた。不思議な人だとは思っていたけれど、まさかここまでとは。
 そんな私の心中を察してか、彼は立ち上がってこんなことを言い出した。

「花はキレイだよ。たくさん種類があるよね。キミはその中の何だと思う? 俺はまだそこまでは知らない。太陽に向かって伸びるヒマワリかもしれないし、みんなを優しい気持ちにさせるサクラかもしれない。でも、どれだとしても花はキレイなんだよ。だから花子って名前はキミにぴったりだと思うんだ」

 よくもまあ、恥ずかしげもなく。ロマンチック全開だ。
 だけどおそらく彼はそんなふうには思っていなくて、ただ純粋に思ったことを述べただけなのだろう。満面の笑みがそれを物語っている。

「でも、私はキレイな人間じゃない」

 私は言った。だって、キレイだなんて言われたことがなかったから。それどころか──

「汚い、んだよ」

 それを口にした途端に虚しさが襲ってきた。彼は目を皿にして私を見ている。私は今、どんな顔をしているんだろう。きっと笑っているんだろうな、いつもみたいに。

「それ、誰かに言われたのか?」

 私は否定も肯定もしなかった。嘘はつきたくないけれど、今日会ったばかりの人に話すことじゃないから。
 だけど彼は私の肩を掴み、真っ直ぐに瞳を見つめて訊いてきた。

「学校で? 理由は?」

「理由……」

 話しても良いのだろうか。誰にも話したことがないのに、こんな名前も知らない怪しい人に。
 ──いや。少なくとも教師よりは信頼できる。だって、彼は私の話を聞いてくれている。教師なんか見て見ぬフリだ。

「話したくないか? でもな、汚いなんて人に使う言葉じゃない。そんなこと言われて花子、ムカツクだろ? 俺もムカツクんだ」

 私は目頭が熱くなるのを感じた。こんな言葉をかけてくれた人が、今までにいただろうか。

「……中学生の時、クラスメートの好きだった男子に告白されたんです。私も好きだったから付き合うことにしたんですけど、それからそのクラスメートの女子に、いじめられるようになって」

 彼は、私が言葉を切る度に相槌を打ってくれた。

「それで高校に入ったら、他校から来た人たちに『あいつは援交してるんだ』って嘘の噂を流されたんです。私もう三年生なんですけど、そのせいで友達がいなくて。みんなに汚い汚いって言われるんですよ」

 ひどいですよね、と私は笑ってみせた。だけど彼は笑わなかった。ずっと幸せの塊のような笑顔を見せていただけに、こんな湿っぽい話をして申し訳ないという気持ちになった。

「すみません、こんな話して。忘れて下さいね」

 私は立ち上がり、自転車のカゴに鞄を放り込んだ。ストッパーを上げ、サドルに跨ろうと右足を上げる。と、その時だった。

「ストップ!」

 横から腕が伸びてきて、私は制服のブレザーの襟を掴まれた。驚いて振り向くと、彼がさっきよりは穏やかな表情でこう言った。

「俺はキミを助けるために来たんだよ」

 どう反応したら良いものか、私はわからずに硬直してしまった。すると彼の顔はとびきりの笑顔に変わり、私のことを引っ張って自転車から遠ざけ、自分がサドルに跨った。

「え?」

 まさか自転車泥棒というオチなのか、と少しショックを受けたが、そうではないことがすぐに判明した。彼が私に、後ろに乗れと言ってきたからだ。

「早く、乗りなよ。二人乗りくらいしたことあるだろう?」

 戸惑う私に向かって彼は言った。ためらいながらも、私は後輪を跨いだ。
 よし、行くぞと彼は声を上げた。その声で、笑っているのがわかる。その顔を想像すると、彼に対する警戒心なんてものは全く湧いてこなかった。

「掴まってろよ!」

 彼の背中が少し前に行き、ふらつきながらも私たちを乗せた自転車は走り出した。


  * * *


 端から見たらおかしな二人なのだろうか。タキシードとジーンズにシルクハットを被ったの男と、女子高生。
 そんなミスマッチな二人が仲良く二人乗りをしている。風を感じながら客観的に考えてみると、どう考えてもおかしかった。思わずこみあげてくる笑い。

「何笑ってんだ?」

 そう訊ねる彼は、いつもより少し声を張っているようだ。私はなんでもないですと答えた。

「それより、どこに行くんですか?」

 すると彼は声を上げて笑いながら、まだ秘密、と言った。

「俺のとっておきの場所だから、期待してて」

「わかりました、でも私、生まれた時からこの街に住んでるんですよ。知らない場所なんてほとんどないです」

 それでも彼は陽気に笑うだけだった。なんだか、彼の背中が逞しく見えた。



 
 その“とっておきの場所”は、さほど遠くなかった。
 私たちが自転車に乗ってから十数分、空はまだ茜色になりかけたくらいだ。

「ここですか?」

 ううん、と曖昧な返事をしながら彼は自転車を降りる。私も地面に足を下ろした。
 そこはもう一つの公園だった。先ほどの公園のように大きくはないけれど、桜の木と小川がキレイな穴場だ。

「正確にはここじゃないんだ。少し歩くけど……」

「大丈夫ですよ」

 良かった、と彼は目を細める。
 それから私たちは桜並木の下を歩き、小川に掛かる橋の下をくぐって公園の奥へ奥へと進んで行った。私はそんなところまで行ったことがなかったので、探検みたいで少しワクワクした。

 ずっと聞こえていた車の音や子供たちの声などが消えた。
 私たちは、公園のずっと奥にある広いところに出た。何と言ったら良いのかわからない。敷きつめられたように一面に咲くタンポポの花。私は言葉を失ってしまった。

「すごいだろ、タンポポ畑だ」

 誇らしげに彼は言った。これは本当に“とっておき”だ。

「すごいですね……こんな場所があったなんて」

 そうだろう、と隣に立つ彼は笑う。私は素直に頷いた。

「花子にぴったりだと思った」

 私は彼を見た。こうやって並んでみると、彼はかなり背が高いということがわかる。
 彼も私のことを見た。黒い瞳にタンポポと私が映り、不思議な感じがした。

「タンポポが?」

「そう、タンポポ。だってさ……」

 そこまで言って彼はタンポポの上に倒れ込んだ。自宅のベッドの上で横になるみたいに。

「花子も寝転がりなよ、スカートの中身が見えちゃうよ?」

 イタズラっぽく笑う彼。私は慌ててその場に座った。彼をちらりと見ると、シルクハットが頭から落ちて髪の毛が風に揺れていた。

「タンポポって、踏まれても踏まれてもめげずにキレイに咲くんだよね」

「知ってますよ」

「だからさ、花子にぴったりだと思わない?」

 彼は上半身を起こして私を見た。その瞳は優しかった。また目頭が熱くなる。

「タンポポちゃんにしようか、名前」

「……花子の方がいいです」

 二人で笑った。笑いながらも私は、涙を堪えるのに必死だった。
 それから笑い声が途切れると、彼はどこか遠くの方を見ながらこんなことを話し始めた。

「俺ね、人が好き。だからみんなの笑顔が見たくて大道芸みたいなのを始めたんだ。人を笑わせるのが俺の仕事」

 ノーギャラだけどね、と彼は付け加える。

「で、花子がずっと下向いてるから、なんとかして笑わせようと思って話しかけたのね」

 そうだったのか、と私は納得した。ただの変な人じゃなかったんだ、と。

「だけど、さ」

 彼は私の顔を覗き込んだ。驚きと恥ずかしさとで、私は思わず後ろに下がってしまった。
 そんな私を見て、彼は笑う。

「だけどさ、無理して笑ってほしくはないなあ」

 急に、真剣な目になる彼。
 きっと、私が公園で泣きそうになっていたことに気が付いていたんだ。そして多分、今も。
 私は何も言えずに俯いた。

「花子はなんで泣かないの?」

 彼は四つん這いで私の前まで来ると、あぐらをかいてそこに座った。
 私は、なぜ泣かないのかと自分に訊ねてみた。そして出てきた理由は、二つあった。

「家で泣かないのは、家族に心配かけたくないからです。いじめのことだって言ってません。学校で泣かないのは、悔しいから。それに、泣いたら余計にいじめが酷くなると思うんです」

 彼はうんうんと頷きながら聞いてくれていた。

「それで、公園にいたんだ?」

「そう……ですね」

 公園で泣くわけではないのだけれど。ただ、あそこにいると落ち着くから。落ち着いてから帰らないと、家で泣いてしまいそうだから。
 難しいね、と彼は言った。今まで教師たちに言われてきた「人間関係は難しいから」なんて言葉とは、似て非なるものだ。

「でもね花子」

 彼は体重を前にかけて、優しい声で言った。

「花子が我慢することはないんだよ」

 視界がぼやける。今度のは堪えられそうにない。

「泣いたらいいさ」

 その一言で、今まで堪えていたモノが自然と溢れてきた。
 やっと泣けた。本当はずっと泣きたかった。でも場所がなかった。私の居場所が。

 彼が微笑みながら私の背中をさすってくれたせいで、私は涙も鼻水も声も全部出してしまった。

「辛かったね。ずっと独りだったんだもんな。でも花子は強いよ。逃げ出さないで、ちゃんと立ち向かってるもん。酷いことされたって親に気を遣って毎日ちゃんと学校に行って」

 彼はポンポンと私の頭を叩いた。脱水症状になるんじゃないかと思うくらい、涙がとめどなく流れてくる。
 私はただただ無心で泣いた。



 
 泣きやんだのは、空に星が輝く頃で。本当によく泣いたものだ。
 私は今度は鼻水をかむのに必死になっていた。そんな私を見て彼は笑う。

「すっきりした?」

 ティッシュに鼻水を出しながら頷く。すると彼は、それじゃあ今度は笑わせてやろう、と言った。

「笑わせて下さい」

「もちろん。それが俺の仕事だからね。でも……ああ、ダメだ。公園だ」

 彼は苦笑した。

「道具、ぜーんぶ公園に置いてきちゃったよ」

 肩をすくめる彼を見て私は笑った。きっと本人にとってはすごく困ることなんだろうけど。
 それでもやっぱり彼は能天気で、

「まあいいや、花子が笑ったから」

 と言って顔をくしゃくしゃにした。この時、きっと私も同じようにくしゃくしゃになって笑っていたと思う。
 笑うことがこんなに楽しいなんて、知らなかった。

 タンポポ、星、それから大道芸人と私。世界で一番輝いている場所だった。


  * * *


 それから再び二人乗りをして家の前まで送ってもらい、私は彼と別れた。
 別れはなんともあっさりしていて、彼が最後に言った言葉は「負けるなよ」だった。

 あれ以来、私は彼に会っていない。もうあの公園には来ないのだろうか。彼という存在はあまりにも不思議すぎて、時おり夢だったのかもしれないと思う。



 
 結局、私たちは互いの名前を知ることもなかったわけで。だけど名前なんかよりもっと大切なことを知ることができたと思っている。
 私は負けない。もう我慢もしない。泣きたい時は泣く。



──何かあったって、笑い飛ばしてやるんだ。


もっとシリアスでラストは感動的なものにしたかったのですが、これが限界でした(^^;













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