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オンマリシエソワカ
作:T・ミーナ



第十三話 反魂の術


第十三部 反魂はんごんの術

 その部屋は、長い廊下のつきあたりにあった。いちばん前を歩いていたハクが、木戸をあけた。中からむせるような菊の香りが流れでてきた。さっきお堂の中でかいだ頭の芯がしびれるような匂いはここから出ていたのだ。
 窓のない板張りの六畳ほどの部屋だった。部屋の四隅に香呂が置かれてあって、そこから紫色の煙がもうもうとあがっている。
 その部屋の真ん中に人が寝かされていた。光沢のある紫の布ですっぽりとおおわれているので、誰だかわからない。中は薄暗く、九兵衛が手にしているろうそくの明かりを頼りに顔を近づけた。
「久保先生だ」
 ヒロが耳もとでささやいた。
「うそ」
「ほら」
 布のはしから、靴がのぞいていた。ピンクのラインの入ったばかでかいプーマ。
「誕生日に彼女からもらったんだ、いいだろうって騒いでたから、趣味わるすぎとか言って、みんなで踏んづけまくったんだ。だからよくおぼえてる」
 って、だけど、なんで。
「それをこれから説明します、よくごらん下され」
 ぎくりとして能海坊老人に目をやると、そしらぬ顔で、久保先生らしき人物にかけられていた布に手をかけた。
 やっぱり心を読まれてる。
「くっ、久保先生!」
 エリカが悲鳴に近い声で叫んだ。やっぱり。久保先生のもとにがばっと身をよせ、エリカは、先生、先生、と狂ったように呼び、からだを揺さぶっている。「起きて、起きて」。
 起きるわけがない。
 死んでいるのだ。
 そうかエリカはあれを見ていないから…。ふいに藪の中にころがっていた久保先生の無残な姿を思いだして、あらためて背筋が凍りついた。
 だけどなぜ、なぜ、手裏剣の刃にかかって死んだはずの久保先生が、ここにいるのか。
 答えを求めるべく、能海坊老人にすがるような視線を向けた。能海坊老人は深いためいきをもらした。今気づいたが、能海坊老人の瞳は深い緑色をしていた。見ているだけで吸い込まれそうな、滝つぼの緑…。
「この人は、わたしたちの先生です。遠足の途中、一緒に橋から転落したのですが、見つけた時には、すでに誰かに殺されて死んでいました。その久保先生がどうしてここにいるのですか」
 はっとなってヒロを見た。ヒロは必死に能海坊老人に訴えていた。
「山の夜は長い」
 能海坊老人はゆっくりと腰をおろし、木戸の前であぐらをかいた。そのあととてつもなく長い息を吐いた。その緩慢な動作に、急いていた気持ちが少しやわらぐ。
 その場にすわり、久保先生を囲む形で輪になってすわった。誰が言い出したわけでもないけど、目をつむり、気をそろえて長い息を吐いた。
 まぶたの裏でろうそくのオレンジの炎がちろちろと燃えていた。しばらくして目をあけたときには、ショックで暴風雨なみに荒れていた気持ちがおさまり、おだやかに凪いでいた。
 また何かの術にはまったのだろうか。そんなことを考えていると、能海坊老人がぽつぽつと話しを始めた。
「四日前のことです。わたしはここにおるハクを、紀州高野山にある九度山までつかいにやりました。そこに住む真田という男に伝えたい大切な用があったからです。
 翌日、ハクは九度山から戻ってきました。
 しかし、そのことがどこかで徳川方に漏れたのか、柳生の忍びが、剣谷あたりでハクを待ち伏せしておったのです。関が原の戦ののち、徳川は九度山に押し込めた真田が、いつ反旗をひるがえすかと、常に警戒し、目を光らせております。
 領内要所の関所の検問はもちろんのこと、最近では、こんな山奥にまで忍びを入れて、大阪方へ加担するやもしれぬ木こり、農民、地侍、修行僧までも、片っ端から首をかっきっていくありさま。
 しかしその際の、柳生の狙いは、ハクが真田から受け取ったわたしあての手紙ただひとつ。しかし、そういう訓練は日ごろから積んでおります。なので結果的には、無事逃げおおせ手紙を無事持ち帰ることができたのですが」
「たまたま剣谷付近の藪の中をうろついていた久保先生が、巻き添えをくって、殺されてしまった、ということですね」
 能海坊老人のあとを、ヒロがつないだ。
「そのとおりです」
 なんて残酷な運命のいたずら。忍者っぽい久保先生の黒の上下のジャージが命とりになったのか。違う。そうじゃない。死んでいたのは、わたしでもおかしくなかった。
 同じころ、同じ場所を、わたしもうろついていたではないか。何も知らずに久保先生に首に刺さった苦無を抜きとり、泳いだり魚を捕ったりして、ある意味のんきに遊んでいた。
 生きるか死ぬかは、投げ上げた十円玉のコインの裏表にすぎなかったのだ。
 ぶるぶるっと背中が震えた。
「それじゃあ、ぼくらのことは誰から」
「この方です」
「この方って、死んでるじゃないですか」
 そう。わたしたちが見たときにも、すでに久保先生は死んでいた。
 ハエがたかっていた。間違いない。この目で見た。百歩譲って、あのとき瀕死の状態だったとしても、自分のことを他人にぺらぺらしゃべって聞かせるような状態ではなかった。
 それなのに、目の前にいる久保先生は、今にもむっくりと起き上がって、おまえら宿題ちゃんとやってきたかー、なんて言い出しそうなくらい、顔の色つやもよく、弾力もある。今は真夏なのだ。想像したくはないが、もし三日も前に死んでたなら、もっとどろどろに腐ってるだろう。
 交霊でもしたっていうの。
 まさかそんな。
 頭の中はぐらぐらで、ふきこぼれ寸前のやかんみたいだった。ふと見ると、そんなわたしを、意味ありげな笑みを浮かべて能海坊老人が見つめていた。

 神庭山。兵庫県内の小中学校のハイキングや自然学校で利用されているその山は、古く、平安時代においては、滝をご神体とする山伏たちの修業の山であり、たくさんの信者、山伏らが、ここを訪れ、山伏兵法と呼ばれる武術、秘印、呪術などを学んだのだという。
 花田がしっかりおぼえていた。お滝まいりの前に、先生が印刷して配ってくれた「お滝まいり資料集」の中に書いてあったらしい。そんなのまともに読んでるやつは誰もいないとヒロが言った。
 外はもう真っ暗だった。また少し月が太った。境内はうっそうとした杉に囲まれている。満天の星と、月明かりのおかげで、ころばない程度には歩けるが、それでも暗い。
 森の中に少し入ったところ。ハクが手際よく穴を掘る。さくさくという音と、エリカのすすり泣く声が、深い森の闇の奥に吸い込まれていく。久保先生の頭の方をハクが、足の方をヒロが抱えて、そおっと穴の中に寝かせた。
 そのあともくもくと土をかぶせる。
 ヒロ、花田、エリカ。ヒロ、花田、エリカ。ひとすくいずつ。
 久保先生の魂は、ハンゴンの術という方法でこの世に呼びもどされた。能海坊老人が教えてくれた。ハンゴンソウというキク科の多年草の植物とインドで使われる乳香の材料とあわせて焚くと、死んだ人の魂を呼び戻すことができるのだそうだ。
 呪術のひとつで、漢字で書くと反魂の術。
 久保先生の魂は、まだあの場所にしっかりとどまっていて、すぐに呼びもどすことできたらしい。そして、能海坊老人は先生の口から直接、話を聞くことができた。
「生徒たちを、こんな目にあわせてしまったのは、全部自分の責任だと、そればかりを悔やんでおいででした」
「もっとほかに何か言ってませんでしたか」
「ほかに、とは?」
 なにもかも見透かすような能海坊老人の緑の瞳の前で、わたしは、何かもさらけだしてひれ伏したいような強い衝動にかられた。
「たとえば、その、転落したときの、事故の状況についてとかです。誰かを恨んでたとか」
 能海坊老人の首が静かに横に振れた。
「誰も恨んでなどおられませんでしたよ。自分の運命もきちんと、受け入れておいででした。ただ、自分のせいで大切な生徒がこうなったのが許せない、生徒だけは無事に帰してやりたい、そればかりを」
「大切な生徒」
「はい。生徒を助けてやってほしいと。それが最後のことばでした」
 その後、能海坊老人は、魂送りのみことのりというのを唱えると、久保先生は静かにのあの世に旅だっていったという。
 きっといい先生だったのだ。
 さようなら。おぼえてないけど。
「先生、わたしたち、必ずもとの世界に戻るからね」
 かみしめるようにつぶやいて、ヒロが土をかぶせる。
 きっと。きっと。
 橋に火をつけたのはわたしじゃないのかもしれない。
 でもわたしだったら。
 わたしの横で、ハクが手を合わせていた。かすかにくちびるが動いている。なにかありがたいことばを唱えてくれているのだろうか。
 お兄ちゃんと同じ、セマダラコガネのほくろ。
 これ以上何も思い出したくない。
 なぜ。あんなに楽しそうだったのに。
 近くで滝の音がしていた。
 垂直に降ってくるようなすさまじい音。この神社のすぐ上に、おそらくご神体の滝というのがあるのだろう。
 久保先生はここで、神さまのすぐそばで永遠に眠るのだなと思ったら、なぜだかふっと気が遠くなった。

 



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