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行野家の年の越し方
 トイレでお腹はすっきりしたものの、彼女の謎の行動のせいで頭の中はすっきりしないまま、茶の間に行くと、お母さんとお父さんと妹が揃ってテレビを見ていた。テレビではお笑い芸人が大晦日で賑わう商店街でやたらハイテンションな中継をしている。
 僕も茶の間の片隅にあるストーブの前に座り込んで、一緒にテレビを眺める。その隣に当然のように彼女が座り込んで、ぴったりと寄り添ってくる。
 これで一家勢揃いだな。誰か余分で、誰か足りないような気がしなくもないけど。
「昼過ぎたら、おばあちゃんの家、行くけど、あんたどうする?」
 ストーブの熱を背中に受けてぬくぬくしていると、お母さんが話しかけてきた。
 うちはいつも年越しを祖父母の家で過ごすことを習慣としている。田舎にある父方の実家へ行くか、市内にある母方の実家に行くかの違いはあるけど、どちらにせよ、祖父母の家に行って、お節料理を食べて、年越しをして、お年玉を貰って、翌日、お雑煮を食べ、初詣でに行くという流れだ。
「行くー。いつ行くのー? 着替えるから教えてー」
 僕が答えると、お母さんはじろりと僕を睨んだ。
「お前、行くって言うのはいいけど、彼女どうすんだ」
 お母さんに言われて、黙って隣に座っている彼女の存在に思い至った。
 あぁ、そういえば、どうしようかね。この娘。
「帰る?」
「帰るわけないだろ」
 僕の問いかけに彼女は即答。そりゃそうか。正月くらい家族団欒してればいいのに。ていうか、帰ってくれないかなぁ。いくら厚顔無恥と名高い僕でも家族の前で彼女にべたつかれるのはちょっとどころかかなり恥ずかしい。
「じゃあ、どうするのよ」
「付いてく」
 この娘は、人の実家に堂々と居座るどころか、祖父母の家にまでお邪魔する気らしい。どこまで図々しいんだ。
 彼女を両親、家族の前に連れてくるのも恥ずかしくて嫌なのに、祖父母の家にまで連れて行くのはもっと遠慮したい。どんな顔して、おじいちゃんとおばあちゃんに彼女なんて紹介すればいいっていうんだ。そんな機会は結婚するときくらいで十分だよ。
 僕はどうにかして、彼女が祖父母の家まで付いてくるのを阻止できまいかと考える。
「そうだ。君が行きたくても、うちの車には五人しか乗れないから、無理だよ」
 運転席にお父さん、それに、お母さん、僕、姉さん、妹の合計五人で、定員一杯なのさ。彼女が乗れるスペースはどこにもない。
「じゃあ、走って行く」
「いや、無理だから」
 彼女はたまに無茶を言う。間違えた。彼女はよく無茶を言う。
「歩いていけないのか?」
「車で二〇分以上かかるからねー。自転車でも倍くらいかかるから。歩いたら二時間はかかるんじゃない?」
「よし。行ける」
 徒歩二時間なら「行ける」と思う彼女はおかしいと思う。しかも、今は真冬で、そこら中、雪だらけだよ。寒いし滑るし、そんな中で徒歩行軍するのはどうかと思う。まぁ、街中で、それほど悪天候でなければ、さすがに遭難することはないと思うけどさ。
「行けるとしても、君、目的地がどこかわからないじゃない」
 さすがの彼女でも、僕の祖父母の家がどこにあるかは知らないだろう。知っていたら、それはかなり怖い。
「何を言っているんだ。君も一緒に歩くんだ」
「絶対に嫌だね!」
「ちょっとした雪中遠足だと思えばいい」
「嫌だよ! 学校まで三〇分歩くのも一苦労だし、コンビニまで五分歩くのも億劫だと思うくらいなのに、わざわざ、二時間も雪ン中歩いて行くなんて絶対に御免だっ!」
 僕は断固として彼女の提案を拒否した。いくら、僕が、彼女のお願いや頼みごとを断れない人間だとしても、押しに弱い、力に屈する人間だとしても、こんな、無駄に体力を浪費するような疲労する真似に付き合うのは断固として、絶対に、拒否だ。それくらい、僕は運動したくない人間なのだ。
「そんな大騒ぎして嫌がらなくてもいいじゃないか。ちょっとした散歩みたいなものだ」
「二時間も歩く散歩なんかないよっ!」
「なくはないだろ」
 そうなの? まぁ、どっちでもいいよ。散歩なんか僕しないし。
「とにかく嫌だからね。僕は絶対にそんな二時間雪中行軍なんてお断りだっ!」
「じゃあ、無理矢理引っ張って行く」
「そんなことしたら、もう君とはキスしないっ!」
「歩。それは、私に死ねと言っているのか?」
「誰もそんなこと言ってないでしょ」
「同じことだ」
 僕らがあーでもないこーでもないと騒いでいると、何故か僕だけお母さんに殴られた。
「うるせぇっ! テレビの音が聞こえねだろっ!」
 これ以上騒ぐと更に殴られそうなので、僕は大人しく口にチャックした。
「冴子さん。心配しなくても、一緒の車に乗れるけど」
 ぷんすか怒るお母さんの隣に座っている妹が彼女に言った。
「姉ちゃん、おばあちゃんの家、行かないって言ってたから」
 姉ちゃん。あぁ、そんな人もいたね。そういえば、家族が揃っている居間にも姿が見えない。
「何でさ? 今更、反抗期?」
 ろくに大学にも行かず、部屋に引き籠ってネットやゲームばっかりやってる廃人状態の今が反抗期かというと、褒められた状況じゃあないけど、なんとなく、そうではないような気がする。
「さぁ? 知らん。行かないって姉ちゃんが言ってたから。何か大事な用があるとかなんとか」
 毎日部屋に引き籠っている姉ちゃんにろくな用事なんかあるようには思えないけどなぁ。姉ちゃんには分不相応な彼氏でも会いに来るんだろうか?
 休日は一日中パジャマ姿でいることもある僕だけれども、外出する予定があるならば、着替えないといけない。というわけで、僕は再び二階の自室に戻った。そのついでに隣室にいる姉ちゃんに何の用で出かけないのか聞いてみよう。
 僕が二階に上っていくと、何やら明るく賑やかでアップテンポな曲が聞こえてくる。曲には歌がついていて、甘ったるくて甲高い数世代前のアニメの萌えキャラみたいな歌声が聞こえてくる。で、更におまけで「へーいっ!」とか「ひゅーっ!」とか「ゆんゆーんっ!」とかいう聞き慣れた声色の掛け声が聞こえてくる。嫌な予感がする。
 僕と、当然のように僕に金魚の糞よろしくついてきていた彼女は階段を半ば上りかけたところで、顔を見合わせる。考えていることは同じだろう。
「こりゃ何だろね」
 僕が問いかけると彼女は真剣な顔で言った。
「君のお尻はプリティだな」
 全然違うこと考えてた。
 狭い階段を上る間、僕のケツを眺めていたらしい。何なんだこの娘。
「見るな。変態」
「……本気で傷つくぞ」
 落ち込む彼女を放置して僕は階段を上りきる。
 手前にある自室を無視して奥にある姉さんの部屋に歩み寄る(とはいっても、二つの部屋は襖で隔ててあるだけなんだけどね)。
 ドアを開けて姉さんの部屋の中を覗き見る。
 我が家にプライバシーなどというもんは存在しない。うちで鍵が閉まる部屋はトイレと風呂だけであり、それすら、僕とお母さんと姉さんはたまに施錠を忘れる。とはいえ、お風呂でバッタリなんてイベントに遭遇したことはない。大してでかくもない一つ屋根の下に暮らしているんだから、今、誰がどこで何をしていて、お風呂には、今、誰が入っているかくらい皆わかっているからね。つまり、お風呂バッタリイベントが発生する家はやたらと広いか、家族内のコミュニケーションが不足しているか、わざとお風呂バッタリをしようと画策しているに違いない。
 おぉっと、話が横道にずれているよ。お風呂バッタリなんてのはどうでもいいんだ。そんなもんに喜ぶのは中学生男子だけだよ。高校生以上のウケを取るには、湯気をDVDで消すくらいしないと。
 覗き見た部屋の中で、姉さんは踊り狂っていた。
 パジャマの上に、防寒用の赤いドテラを着込み、その上に、黄色いハッピを着て、頭に鉢巻を巻いて、手にはなんかピカピカ赤やら黄色やら青やら緑やらに光る棒を持っている。その棒をぶんぶん振り回しながら、踊っている。
「へーいへーいっ! ひゅーっ! きゃーっ! みこりーんっ! いえーいっ!」
 踊り終わってから姉さんはなんだか随分なテンションで、騒いでいる。
 何この人。恐いわぁ。なんか、ヤバイ薬に手を出して、頭おかしくなっちゃってるのかなー? どうしよ。お母さんに言うかな。それとも、警察に突き出すか。病院に放り込むべきか。
「あ? なんよ? 何か用?」
 僕が割と真面目に思い悩んでいると、僕の存在に気付いた姉さんの声が聞こえてきた。
「姉さん。脳味噌腐った?」
「あんたに言われたくないわ」
 それどういう意味?
「失敬な!」
「失礼なことを言ったのはあんたが先でしょうよ」
 御尤も。
「それで、姉さんはどうしたの? おつむがダメになった?」
「お前が言うな」
 姉さんはむっつり不機嫌そうに言った。でも、ドテラに黄色いハッピ、鉢巻姿の人に言われても、なんか、全然不機嫌さが伝わってこない。
「お頭が残念なのはお前だろうが」
 まぁ、確かに。秀才である姉さんと優等生である妹と比べると、怠惰な僕の成績が最も見劣りするのは明らかな事実である。
 僕の頭の出来が残念なのは否定しない。しかし、今は姉さんの頭はともかくとして、恰好が明らかに残念なのは否定できない事実だろう。
「それ、何。何の恰好?」
「これか。ピンクピーチーズの応援衣装だ」
「は? え? 何? ぴ、ぴーぴー?」
 下痢でお腹が鳴る音?
「あんた、ピンクピーチーズも知らないの? 馬鹿じゃないの? これだから、お前は中途半端なんだっ!」
 何故か姉さんはいきなり怒り出した。地雷を踏んだらしい。わかんないよ。隠蔽が巧妙過ぎて、何が地雷だったのか全然わかんない。
「これだっ! これっ!」
 そう言って姉さんはノートパソコンを僕に突き付けた。
 液晶画面では、何やら数人、いや、十数人くらいの若い娘さん方が、派手派手でキラキラしていて、フリフリな衣装を身に纏い、マイク片手に踊りながら歌っている。短いスカートがヒラヒラと翻り、チラチラと生足が見えている。いや、頑張れば、その奥の神秘の布も見れるかもしれない。
「浮気だ」
 不意に背後で聞こえた言葉の意味を理解する前に、僕の視界は真っ暗になり、眼球が押し潰されるような圧迫を受けた。
「ぎにゃぁー! 地味に痛いっ! 目が凹む! 凹む!」
「浮気は許さない」
「液晶画面越しに女の子の映像を見ただけで何で浮気なのさぁっ!?」
 相変わらず彼女の浮気基準は厳しすぎる。今に野良猫を見ただけで「アレは雌猫だから浮気」とか言い出すに違いない。そんなの絶対おかしいよ。
 どうにか彼女の眼球プレッシャーから逃れた僕は、液晶画面に映る女の子たちを指差して尋ねる。
「で。この人たちがピンクピーチーズなの? アイドルユニットか何か?」
「そう。PPSを知らんなんて、お前、時代遅れだぞ」
「PPS?」
「ピンクピーチーズの略だ」
 携帯型ゲーム機とかなり名前が似ていないかい? 或いは旧ソ連の短機関銃の名前だよそれ。
「デビューは今年の春なんだが、夏頃からネットの動画サイトなんかでPVとか曲を配信したり、生中継のネットライブをやったりして、人気が出てきたユニットだ。最近じゃあ、地上波のテレビにもちょくちょく出るようになってきたし、衛星放送ではレギュラー番組もある。紅白は無理だったけど、来年は出場すること間違いなしっ! そして、今年は大晦日の九時から全世界生中継の年越しネットライブが配信されるのよっ!」
 そう言って、姉さんは団扇を掲げた。なんだか可愛らしい娘さんの顔写真が貼ってある。
「誰ソレ」
「ゆんゆん」
「はぁ」
「私はゆんゆんとみこりんが一番好きだ」
 そう言って団扇を裏返すと別の女の子の写真が貼ってある。
「二人いるじゃん」
「二人からどっちかを選ぶなんてできるかっ! 十三人から一番の二人を選ぶのも苦渋の決断なんだぞっ!」
 そう言って姉さんは団扇を裏返したり表返したりしてデレデレ笑い出す。何だ。この人。人の趣味にアレコレ言うのはどうかと思うけど、正直、ちょっと気持ち悪いな。
「今は、その年越しライブに向けて練習をしているところだ」
「何の練習デスカ」
「振付とか、合いの手とかな」
「ハァ」
 もう付いていけない。いつから、うちの姉さんはこんなんになってしまったんだ? 昔は生徒会にも所属していた真面目で秀才な優等生だったのに。
「じゃあ、姉さんは年越し生ライブで忙しいから、おばあちゃんの家に行かないってわけね」
「おばあちゃんにはいつでも会えるけど、年越し生ライブはこれは見逃せない」
 姉さんは真剣な表情で部屋の各所に置かれた応援グッズの手入れをしている。
「彼氏さんはどうしたの。年末会ったりしないの?」
「彼氏ぃ? あぁ、そんな奴もいたな」
 その扱いは酷過ぎると思うけど。
「なんか、メール着てたような気もするけど、忘れた。それに、今日は忙しいし」
 恋人からのメールをスルーするなんて、とんでもなく酷い人だなぁ。そんな奴、恋人失格だぁ。
 と、まぁ、そういうわけで、姉さんはパソコンにかじりついてPPSとかいうアイドルユニットがやる生中継の年越しネットライブを見るのに忙しい為、祖父母の家には行かぬというわけらしい。
 そうなると我が家の定員五人の小型四輪自動車は、家族を乗せても席が一つ余裕になる。そこに彼女が収まると、そういうことになってしまった。なんてこったい。


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