優しき彼女とクラスメイト(男)たち
保健室の先生が激怒した後、彼女は素早くシャツを着て、ブラをポケットに捻じ込み、僕を担いで窓から飛び出して、先生の魔の手を逃れ、男子更衣室に避難した。
退避先の男子更衣室で、彼女は何の頓着もなく平然とした様子で、再び「密室だ。エロいことしよう」と迫ろうとしてきた。それを押し止め、再び「シチュエーションを考えなさいよ」と説教している間に、体育の授業を終えた僕らのクラスメイトたちがやって来て、彼女は渋々と女子更衣室に退避した。
やれやれ、危ないところだった。
僕は溜息を吐きながら自分の着替えを入れていたロッカーを開き、制服を取り出してのろのろと着始めた。生憎と脱ぐものは彼女が持ち去ってしまったものだからね。シャツとスラックスを身に着けた辺りでクラスメイトたちが更衣室に入ってきた。
「おう。お前、何でここにいんだ? 保健室に行ったんじゃなかったのか?」
「んー。治ったー」
ネクタイを結びながらクラスメイトの友人、小悪党古川君の問いかけに答えながら、頭の調子は治っていたことに気付いた。
「ところで、お前、ありゃ何だ?」
「ありゃ何だって何だい?」
「あの膝枕のことだっつの」
気付けば周囲のクラスメイツ(男のみ)は誰もが剣呑な顔つきで鋭い視線を送ってきている。汗臭く狭苦しい更衣室にぴりぴりとした殺気が満ち満ちているね。その殺気が全て僕に対するものっていうのは遺憾この上ない。
「はて? 何のことかなって嘘です! ジョークです!」
首を傾げ惚けたことを呟くと、クラスメイツ(雄オンリー)が殺気だった顔で迫ってきて、僕は直ちに先の発言を撤回した。ぐずぐずと自分のくだらない矜持に拘っていつまでも己の発言を撤回せず、益々問題を大きくしてしまうような政治家と僕は違うのさ。ただのヘタレといっても間違いではないね。
「さぁ、吐け。何で、お前があんな美味しい目にあってたんだ? あぁ?」
古川君は僕が締めたばかりのネクタイを捻り上げながら質問してきた。てか、これ、端から見たら完全にチンピラにカツアゲされている図だよね。
「いやぁ、僕は介抱されていただけですよ」
思わず敬語になってしまう僕ってば本当に弱虫。ピンチに強いのが主人公の条件だとどこかで聞いたことがあるけれど、それが真であるならば僕は絶対に主人公になれないね。何せ僕は基本的に常時弱いんだけれども、ピンチとなるとそれにも増して弱いのさ。
「何でお前があんな手厚く介抱されてんだ?」
「うーん。僕が病人で、彼女が保健委員だったからじゃないかな?」
「んな馬鹿な」
「いやいや、そんなことはないよ。彼女、クールに見えて実は病人には大変優しいんだよ。もし、僕以外であっても病人怪我人がいれば彼女はきっと手厚く介抱してくれるに違いない。そうだなぁ。分かり易く喩えるならば、悪ぶっている不良が雨降りの日に捨てられた子猫に傘をかけてやるようなものかな」
僕の言葉にクラスメイツ(♂のみ)は分かったような分かってないような、納得したようなしてないような顔をする。まだ足りないようだ。
「しかし、何だって、そんな病人に優しいってんだ?」
古川君に理由を問われて、僕は一瞬考えてからできるだけ早口にならないように気をつけて説明する。
「これは、たまたま、この間、保健室に運ばれたときに聞いた話なんだけども、彼女はナースになるのが夢らしくてねー。病気や怪我で苦しむ人を少しでも癒して差し上げたいんだってさ。だから、病人怪我人に優しいんだと思うね。だから、よく倒れる僕はあんなふうに優しく介抱されるわけさ。僕でなくとも、誰か怪我人病人がいれば彼女は同じように接してくれるはずだよ」
「な、なるほど」
古川君はうんうんと頷き、他のクラスメイツ(野郎ばっかり)も納得したらしい。殺気は収まり、視線は僕から離れる。
「じゃ、僕はお先に失礼するよ」
ネクタイを締め直し、ブレザーを着てから、僕は更衣室を出た。ちょろいもんだぜ。
本日最後六限目の授業は古文だった。これは僕の睡眠率が七割を超える授業だ。けりだのたりだのなりだの聞いているとどんどこ眠くなっていってしまうんだよね。
案の定、僕は睡魔に襲われ、気持ちよくうつらうつらしているところを、先生に怒られた。気持ちよく寝ている人間を起こすなんて無粋な人だと理不尽なことをやや婉曲に言ったところ、婉曲に言っても意味はなかったらしく、先生は僕にだけ特別に宿題を下賜なされた。これは先生による生徒のいじめじゃあなかろうか? 教育委員会に文句を言おうかな?
「自業自得だろう」
放課後、その旨を伝えると、彼女は即答した。うん、僕もそう思う。久しぶりに僕と彼女の意見が一致したなぁ。
「ちょっと! 行野君! いつまでもそこにいられると掃除の邪魔ですわ!」
ホームルームが終わった後も机を下げず、前の席の人々がイライラしているのを眺め、文句を聞き流しながらにやにやしていると、掃除当番である佐藤さんにきんきん声に怒鳴られ、箒で叩かれながら僕は教室を追い出された。
「用がないならさっさと帰りなさい! こら! そこ! 真面目に掃除をしなさい!」
僕を駆逐した佐藤さんは掃除をサボる男子たちに濡れ雑巾を投げつけていた。
「佐藤さんってお嬢様っぽいキャラのくせに乱暴だよね。実は偽者なんじゃ」
「いや、実際、お金持ちだぞ」
僕が呟くと隣に立つ彼女が応じた。
「何で分かるのさ?」
「以前、家に行った」
「佐藤さんの家に?」
彼女はこくりと頷いた。
「意外」
「そうか?」
「そうだよ」
彼女とあの乱暴お嬢様がお友達ってのが想像できないなー。一体、何話すんだろう? 趣味とか全然合いそうにないんだけどなぁ。
「ぐ、いたたたたた……」
ぼんやりと彼女と佐藤さんの関係性について考えていると、僕らの後ろから声がした。
二人して振り向くと、そこには腹を抱えて蹲るクラスメイトの浅井君の姿が。
「おや、保健大好き浅井君じゃないか。生理かい?」
「保健大好きって何だ!? しかも、生理て!? 俺は男だぞ!」
「だって、君、保健の授業のとき、物凄い形相で教科書とか参考書とか教材ビデオを見ていたじゃない。おまけにこの前のテスト満点だったし」
「なっ! んなわけないだろ! そりゃお前の勘違いだ!」
浅井君は真っ赤な顔で僕の言葉を否定する。照れるな照れるな。実際のところは全ての男子が保健大好きなのだから気にすることはないよ。それに、僕だって、この前の保健のテストは九〇点だったし。ありゃ簡単だった。と、言ってあげれば彼を安堵させられることが確実である言葉は口にせず、僕は黙ってにやにや。
彼女は僕の隣で怪訝そうな顔をしていた。
「うわぁっ!」
廊下で浅井君の「保健がたまたま成績の良かった言い訳」を聞いていると、僕らの側を通りかかった柔道部の吉田君がいきなりこけた。
「う、腰を打ってしまった。あいたたたた」
そして、腰を抑えてのたうち始めた。君、こけたとき、見事な受身を取っていたじゃないか。それで腰が痛いとしたら、君、柔道部クビだよ。
「ぬ、持病のしゃくが……」
僕と彼女が呆れ顔で吉田君を見下ろしていると、側でまた別のクラスメイトが腹を押さえて苦しみ始めた。
「あぁ、頭が割れるように痛い」
「熱がー。四〇度はあるな」
「ごほんごほん。咳が止まらなくて苦しい」
「貧血で。頭がくらくらするー」
更に何人ものクラスメイトたちが自身の病状を強く主張しながら僕らの周辺に倒れ伏した。
「おやおや、まぁまぁ」
僕は大変愉快な気分で彼らを眺める。ここまで騙されてくれると非常に愉快で愉快で堪らないねぇ。にやにやが止まらないよ。
「さぁて、保健委員の君はどうする?」
僕はにやにやと笑いながら隣に立つ彼女を見上げて問う。彼女はいつものクールフェイスながらも、さすがに突然の展開に困惑しているようだった。周辺で具合悪そうにするクラスメイトたちはちらちらと彼女を見つめている。
「やはり、保健室に連れて行かねば……」
「ふーん。君は優しいねぇ」
彼女の模範的回答ににまにま笑いながら言い、僕は「病人・怪我人に優しい」彼女に背を向けてぷらぷら歩き出す。
「君は何処に行くんだ?」
「何処って部活だよー。今日は部活のある日だからねぇ。僕は授業には出なくても部活には出る主義なのさ」
まぁ、部活に出るたって、さして大層な活動をしているわけではないんだけどね。部活仲間と談笑することが主な活動内容といっても過言ではないかな。
「私も行く」
「何でさ?」
「行く」
それ、答えになってませんよ。しかし、彼女の意思は確固としたものらしく、鋭い目で僕を睨みつけてくる。
「いや、君、僕と同じ部活の人じゃないじゃん。君はボランティア同好会幽霊会員兼バレー部臨時部員兼バスケ部助っ人部員じゃあないか」
「見学に行く」
「入る気なんかないくせに。そもそも、そこらにいる病人・怪我人たちはどうするの? 優しい保健委員さん?」
「どーでもいい」
彼女がきっぱりと言い放った言葉に病人・怪我人たちは驚愕。目を見開き、唖然として、彼女を見て、それから、僕を見る。
「じゃあ、もう一人の保険委員の鈴木君にこの場を頼もうか。おーい、鈴木くーん。彼らが各々色々と病気や怪我で保健室に行きたいんだってさー」
僕の言葉に掃除当番だった鈴木君はしかめ面でやって来て、クラスメイトたちを見て呆れ顔になる。病人・怪我人たちはバツの悪そうな顔で鈴木君の視線を避ける。病気になることや怪我をすることが恥ずかしいとでも思っているのかな? そんなことはないのにねー。病気や怪我は誰もがすることのあるものであって、それに罹患することが恥だなんてことはないのさ。ということを滔々と説いてから、僕と彼女はその場を後に
「おっと、そうだ」
する前に、言っておこう。
「今日、保健室の先生は生理で大変ご機嫌が斜めだからなぁ。こんなにいっぺんに行ったら大変ご立腹だろうねぇ。その上、いないとは思うけど、仮病だの何だのなんて人がいたらぶちキレること間違いなしだね。まぁ、そんな廊下に倒れ伏すほど苦しんでいる君たちの中にそんな仮病の人間がいるとは思わないけどね。じゃ、お大事に」
これだけ言って僕は逃げ出した。背後からは酷い殺気と怨嗟を感じたね。うーん、ぞくぞくしちゃう。
「いやぁ、愉快愉快。あれほど簡単に騙されてくれるとにやにやが止まらないなぁ。まぁ、明日、僕が彼らからどんな仕打ちを受けるか想像すると憂鬱なんだけどさー」
「一体全体、さっきのは何だったんだ?」
僕が先の出来事の感想を述べていると、彼女は怪訝そうな顔で尋ねてきたので、僕は更衣室での一件と彼らの行動について説明してあげた。彼女はしかめ面で話を聞き、それから、少し笑った。
「馬鹿だな」
「まったくだねぇ」
「そんな嘘に騙される彼らも馬鹿だが、そんな嘘を吐く君も馬鹿だ」
「お、おぉぅ、うーん、まぁ、確かに」
そう言われちゃあ同意するしかないね。
その後、部活の活動場所へ行く途中、古川君が仮病でドサクサ紛れに彼女に抱きつこうとして殴り飛ばされ、本当の怪我人になってしまったのは残念なことだったなぁ。
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