第二話 最悪のシナリオ
工藤新一の葬儀が行われたのはあの戦いから数日たった後だった。
実際、あの場にいたのは江戸川コナンだったが、コナンは戸籍上存在しない人物であり、一部の重要関係者がコナン=工藤新一という事を知っていたので、その死は工藤新一のものとされた。もっとも、現場からはコナンの遺体は見つからなかったが、現場の状況、コナンの行方がわかない事、それから現場に僅かに残された血液から、そう判断されたのである。
灰原哀もまた、この戦いの死亡者となった。しかし、新一と違ってその死は秘密裏に処理された。
遺体のない葬儀……
事件現場は目も当てられない程、悲惨だった。
工藤新一の葬式は、人数こそ少なかったものの、参列者の顔ぶれにしては、質素に行われた。工藤新一は高校生探偵として有名であったが、メディアにはその死を一切伝える事なく、関係者のみしか知らない。警察関係者や事件に関わっていたFBIの死者も、灰原哀こと、宮野志保の存在さえも……。
先日の事件の事に関しても、薬品会社の管理不届きによる爆発事故としか伝えられていない。
事実、黒の組織の組員は略全員捕獲する事は出来たが、重要ポストについている数人の幹部の行方は分からずじまいだ。
何度かの爆発の性で、身元の判明しない幾つかの遺体はあったが、その中に行方の分からなくなっている幹部や、ボスが該当するのかは謎だった。
事件の真相は、闇に葬られた。
しかし、黒の組織は組員の逮捕という形で、事実上の崩壊とされ事件は解決に向かった。
「すまない、蘭ちゃん……」
快斗は墓石の前で先ほどからずっと動かずに佇んでいる蘭に声をかけた。
あの日から、もう何回も繰り返している台詞。何度言っても、足りないような気がして、深々と頭を下げ続ける。
「もう、謝らないで」
蘭の声は細く消え入りそうなくらい小さかった。長い黒髪が風に揺れる。
「俺らのせいなんや……」
快斗の隣で首を垂れている平次が力なく呟いた。肩を落とし、その背中は小さく見える。
「そんな事はない。君達は充分に頑張った」
そっと、優作が平次の肩に手を置く。その優しさが余計に平次を責めたてるようで、平次の目頭が熱くなる。
「そうじゃよ。君達が生きていてくれてよかった」
阿笠博士は、墓石に向かって静かに手を合わせた。
「新一君が馬鹿だったのよ……」
園子の鼻をすする音が聞こえる。
「新一のやつ、俺に何の説明もなしにっ」
小五郎は拳を強く握りしめた。
「しんちゃんっ……!」
有希子が嗚咽とともに泣き叫ぶ。
空は悲しい位に青く綺麗で、風は泣きたい位に優しく吹き抜けて行く。何十基と並ぶ墓石の中に、まだ真新しい墓石が一つ増え、その前には黒の式服に身を包んだ人が数人立っていた。地面に何本も落ちる影が長い。
「本当にごめんな」
蘭にもういいと言われたが、それでも快斗は目の前で、墓石を見つめている少女に謝り続ける。
「いいのよ。あの状況でしょうがなかったんだよね?」
蘭は、そんな快斗を振り返らずに、墓石に語りかけた。
まるで、そこに自分の幼なじみであり、ずっと思いを寄せている彼が居るかのように――。
* * *
「服部! 快斗っ! 来るなぁっ!!」
崩れた瓦礫の壁の向こう側から、コナンの叫ぶ声が聞こえた。
爆発で崩れたのであろう。平次と快斗の目の前に、ボロボロに崩れ、それが幾重にも積み重なった瓦礫の壁が立ちはだかった。もちろん、向こう側は見えない。
「瓦礫の下敷きになってないかっ!?」
快斗が大声で叫んだ。
これだけの量のコンクリート片だ。何かの拍子に崩れた瓦礫の下敷きになる可能性は高い。
二人に不安が横切った。
「心配しなくてもいいわよ。取り敢えず、今のところはね」
瓦礫の下敷きにはなっていないらしい。
相変わらず落ち着いた声に、平次と快斗はホッと胸をなでおろした。
「今、助けてやるからな!」
瓦礫の向こう側に声をかけて、快斗は目の前にあったコンクリートの塊をどけた 。
その時。
「っ!!」
どけた途端に、目に入った物体に快斗は息を呑んだ。
「何やこれぇ!?」
平次が、声を荒げる。
二十センチ四方の黒いプラスチックの塊。右上の隅には小さな赤いランプが灯り、簡素なデジタルディスプレイに刻まれた数字は、規則正しく変化していた。
「爆弾……」
快斗が呆然と呟いた。
ディスプレイに示された時間を読み取ると、爆発まで、あと15分。
「そういうことなんだ。悪いな」
コナンが何かを諦めたように呟くのが聞こえた。
「何が”悪い”んだよっ!?」
「せやっ!こんな爆弾の一つくらい、15分もあれば解体できるでっ!」
諦めたらあかん! 平次ははげますように言った。
爆弾の解体の基礎は、もしもの時に備えて、頭に叩き込んである。平次は、爆弾に手を伸ばした。
「一つなら、ね」
平次の行動を遮るように、灰原が冷めた声を出す。
「なんやて?」
意味深な灰原の返答に、平次は僅かに眉を吊り上げた。
「平次っ! 見ろよっ! あそこにもあるぜ」
危機迫る快斗の叫びに、平次は後ろを振り返った。
「!?」
「あれだけじゃない。あっちにも、そっちにも」
快斗が、辺りを見回す。
「いったい、いくつあるんやっ!」
その場所には、無数の爆弾が仕掛けられていた。
一つだけならまだしも、こんなたくさんあるとは。これでは、全ての爆弾を除去する事はとうてい出来ない。この瓦礫を取り除いて、あの二人を助け出すにも特殊な機械が要る。その機械を持ってくる時間もない。
「どうすればいいんやっっ!!」
平次は、思いっきり拳を壁に叩きつけた。
このままでは、二人を死なせてしまう組織を壊滅させて、元の体に戻る。今までそのためにここまでやってきたのにやるせない思いが溢れ出す。平次は思い切り歯をくいしばった。
「平次、快斗。逃げろ。ここから早く!」
コナンが、あれこれと思考を巡らす二人に静かに諭した。
「残り時間はあと13分だ。大丈夫。お前らなら逃げれるよ」
「何言ってんのや! 何が何でも、絶対助けたる!」
「無理だよ。どんな事をしても。それより、一刻も早くここから離れろ」
「せやかてっ!!」
「行けよっ!!そして、生きろっ」
コナンの声が、その場にこだました。
「新一……お前、本気でそういってんのか?」
それまで黙って平次とのやり取りを聞いていた快斗が静かに尋ねた。
「言っておくが、俺は名探偵工藤新一だぜ?それに、ここにいるのは例の薬を作った宮野志保だ」
「はぁ?なに言って……むぐっ!」
突然意味不明なことを言い出したコナンに平次が訝しげな声を出す。
「わかったよ。名探偵」
快斗は、まだ何かいいたそうな平次の口を押さえて言った。
「ありがとう。快斗」
「はぁ? お前ら何言って、って、おいっ!!」
「いくよ。平次」
快斗は、未だにごちゃごちゃ言ってる平次の腕を無理やり掴んで引っ張った
平次の気持ちは、痛いほどわかる。俺だって、何とかしてやりたいさ。でも、もう無理なんだ。このままここにいれば、間違いなく俺たちも死ぬだろう。あと、残り11分。それだけの時間があれば、もと来た道を戻り、窓ガラスを割って外に出ることが出来る。俺たちには、生きる道が残されてるんだ。だったら、生きなければ。
新一のためにも。
快斗は意を決した。
「蘭の事を頼む」
「あぁ、もちろん」
快斗は瓦礫の壁に背を向けたまま目をゆっくり閉じ答えた。そして、平次の腕をおもむろに掴んだ。
「黒羽ぁっ! 放せやぁぁっっ!」
平次が快斗に力いっぱい握られた腕を解こうと暴れる。
「工藤が死んでまうやろっ!」
しかし、快斗は一向に放そうとせず引きずるように平次を連れて行く
「こんの放せっ! っっく、工藤ぉっっ! 死ぬんやないでぇ!」
全身全霊必死に叫ぶ。
祈りは、新一に届いたのであろうか?
平次はついに観念したように快斗の歩に渋々従った。
歩みはやがて早歩きになり、そして駆け足になった。瓦礫の壁からどんどん離れて行く。窓に向かって全速力で走る。
「お前、拳銃、持ってるっ、だろっ!」
「あぁっ!もちろん、やでっ!」
平次は、服の下に隠しておいた銃をホルダーから抜く。取り出した物を見て、快斗は満足そうに唇の端を上げた。その額には汗が滲んでいる。
「じゃあ、それでっ、目の前の、窓ガラスをっ、割ってくれっ!」
快斗が息切れをしながらも、平次に指示を出す。
間発をいれず、平次が数発目の前の窓ガラスに向かって打ち込んだ。バリンッっと、ガラスが割れ砕け、目の前に夜空が広がる。外の風がなだれ込んで来た。
よし……いまだっ!
ガラスが割れたのを確認した快斗は腰にセットしたボタンを押した。
一人用のハングライダーに、男もう一人分の体重は明らかに重量オーバーだ。だけど、下まで滑降できれば。
背中に装着したハングライダーがわずかに開く。同時に、快斗は隣を走ってる平次を抱えた。
「おわっ!?」
快斗は、割れた窓の縁を、平次を抱えたまま思いっきり蹴って外に飛び出した。
ハングライダーが風を捉え、身体が宙に浮く。
ごめんな……新一。
大きな爆発が起こった。
* * *
事件の処理が一段落した後、平次と快斗はFBIによって安全な場所に保護されていた蘭達と合流した。
まだ事件の内容を聞かされていない彼らに、新一が死んだと一番最初に伝えたのは快斗だった。
平次は蘭の顔を見た瞬間に泣き崩れ、その場にうずくまった。申し訳ない、申し訳ない……と平次が何度も何度も呟く。
快斗も、目の置くから溢れ出てくる物を抑えきる事ができなかった。そして、事の一抹を、新一の最後を、新一の死を信じられないと言った風で呆然としている彼らに話した。
責めてくれればまだよかったのに……。
快斗は、唇をぎゅっとかみ締めた。鉄の味が口の中に広がる。
責めて、責めて、責めて、罵って、罵って、罵ってくれた方がまだ気が楽だった。
新一の最後を聞いた蘭は、その場に立ちすくんで、涙を流していたが、平次と快斗を責め立てるような事は決してしなかった。
そして、静かにこう言った
『覚悟してたの』だと。
「俺が、新一を見殺しにしたんだ。」
快斗は、蘭に向かって下げた頭を上げずに言った。地面に、いくつかの小さな染みが出来る。
そうさ。俺が新一を殺したんだ。いくら状況が状況でも、新一たちを置いて逃げたのは俺なんだ! 自分の命を最優先した愚か者はこの俺なんだっ! もしかしたら、他に助かる道があったのかもしれない。このIQ400の頭で考えれば、新一たちも生きれる道が……
後悔の念が快斗に押し寄せてきた
快斗はもはや、次から次へと溢れてくるものを止めることは出来なかった。感情のなすがままに涙を流す。
しかし、蘭はそれでも目の前の墓石をただ見つめるだけで、快斗を責めることも、泣く事もせずに平然と立ち尽くしてる。
「っなんで、なんで、責めないんだよぉっ」
反応のない蘭に、快斗は感情の塊を爆発させた。
その声に、蘭はゆっくりと振り返り、快斗を視界に捕らえた。顔を涙でぐちゃぐちゃにさせた少年が目に写る。
「俺が、俺が新一の命を捨てたんだぞっ! 憎くないのかっ」
快斗の身体が崩れ落ちる。
「責めろよっ! 罵れよっ! 人殺しだと言えよっ」
心の底から絞り出すように叫ぶ。
「……いえよっ」
最後の言葉は聞き取れないほど小さく弱弱しかった。そして、嗚咽しか聞こえなくなる。快斗は地面に両手をつき、全身を震わせながら泣いた。
「言わないわよ」
そんな様子を上から見ていた蘭は静かに言った。そっとしゃがみ込み、快斗の肩に手を置く。
「快斗君が生きててくれて本当に良かった」
「嘘だっ!」
優しく声を掛けた蘭をキッと睨み上げて、快斗が叫ぶ。
「嘘だ! 本当は憎くてしょうがないくせにっ!」
「嘘じゃないわよ」
「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だっ……っつ!」
パチーンと、高い音が辺りに響き渡った。
「いい加減にしなさいよ!」
蘭が右手を思い切り振り切り、怒鳴り声を上げた。
「ちょっと蘭っ」
それまで事の成り行きを見ていた園子が、慌てて蘭を止めに入った。
突然の衝撃に、快斗は呆然とジンジンと傷む頬を押さえ、蘭を見上げる。瞳を吊り上げた蘭と目が合った。
「快斗君を責めて、それで新一が戻ってくるのなら、とっくにそうしてるわよ! でも、そんなことしても新一は帰ってこないの!」
蘭が一気に捲し立てた。
園子が止めに入ったせいで、蘭の体勢は前屈みになる。
新一と同じ顔、同じ声で、そんなこと言わないでよっ! 思い出しちゃうじゃない……。
園子に押さえられようが、一度溢れ出したこの気持ちは止まらない。
一番辛いのは、新一と最後に接触したのに、助けられずに自分だけ生き残った快斗君だってことは十分わかっている。だから、私は彼を責める事はしなかった。それに、新一からの電話で最悪の結果になることを覚悟していた。だから新一の死を聞いた時のショックの強さは、思ったよりも緩和することが出来た。
「もう、いいにしてよ、お願いだから」
小さく吐き出した悲痛な台詞は、柔らかな風に乗って快斗元に届いた。
お願いだから、貴方は新一に似ているから……
「快斗君が生きて戻ってきてくれて、それで良いじゃない。新一は運がなかっただけよ」
彼を責めたくなかった。きっと、最後まで頑張ってくれたのだから。
それに、彼らが生き残ってくれることが、新一の願いだと思うから。
「わかった」
快斗はそっと答えた。
誰からともともなく墓石に向かって手を合わせ、名残惜しそうにその場を後にした。
墓石の両脇に飾られた花はとても綺麗で、優しい風がそっと吹き抜ける。
空は、泣きたいほど青く透き通っていた。
これが、高校生最後の夏の出来事。
それから約半年、僕らは大学生になった。
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