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消しゴムとメリーゴーランド

 食べ過ぎた、と思う。
 馬鹿だと思う。本当に馬鹿だと思う。いつものお弁当だけでも十分なのに購買のパンまで食べてしまったのだ。調子にのってパンなんか食べなければよかった。それも『チョコレートホイップクリーム揚げパン』なんて食べなければよかった。なんでそんな明らかに胃にやさしくないものを食べたのかがわからない。甘いものは別腹なんて嘘だね。だって現におなかいっぱいだもんね。つーかそもそも別腹って何だろうね。胃はひとつしかないのにね。馬鹿だね。本当に。
 おかげでこの凶器的な眠気と戦わなければいけなくなってしまったじゃないか。本当に弱ったね。これは相手が強すぎるね。まいったね。ボブ・サップぐらい強いね。まあボブ・サップがどれくらい強いのかは知らないんだけど。ていうか今頃何してるんだろボブサップ。あとああ見えてものすごいインテリなんだよねボブサップ。
 私は手の甲にシャーペンの芯を差してみた。痛い。……けど眠かった。この勝負は眠気のKO勝ち。とりあえず第二ラウンド。もう一回手の甲にシャーペンの芯を指してみる。……やっぱり痛い。けど眠い。この勝負は眠気のコールド勝ち。っていうかそもそも何でお昼休み明けの授業が現国なんだろう。目が覚める要素が一切ないし……。これじゃあ眠くなる一方だ。とりあえず私は教科書に写ってる森鴎外先生を見つめてみる。ねえ。先生。どうにかして私の目を覚ませてよ。っていうか先生写真写り悪くないですか? そもそもどこ向いてるんですか。そんなに斜め下に面白いものでもあったんですか? あー。コーヒーでも飲んどけばよかった。このさい緑茶でもよかった。とにかくカフェインを体の中に入れとけばよかった。やばい……本当に寝る。っていうか寝たい。大いびきかいて寝たい。歯ぎしりガンガンで寝たい。
 ただ私はここでそんなはしたない姿で寝るわけにはいかなかった。別に先生に怒られるとか友人に笑われるとかそんな理由じゃない。ただ見られたくないやつがいるのだ。そいつは私の横で授業を受けていた。やつの名は和田秀典ひでのり。やつはクラスのほとんどが眠りについている中で平然と授業を受けていた。こいつには私のはしたない寝顔を見られるわけにはいかない。私が気になってる――いや、私が大好きなこいつだけには……。
     +

 和田秀典は決して世に言うところのイケメってやつではない。スポーツ万能というわけでもなければ成績優秀の優等生というわけでもない。彼は「特徴がないところ」が特徴と言えるくらいどこでもいるようなごくごく普通の高校生男子なのである。私が何故彼を好きになったか。そう聞かれると少し困ってしまう。別に一目惚れってわけじゃないし。彼がかっこいいところを私に見せたわけでもない。もともと和田は私の好みのタイプではない。髪型にしても顔にしても体格にしても……声も仕草も性格も……。
 でも何故か好きなってしまった。朝彼に挨拶するときも病気じゃないかってくらい胸が破裂寸前まで高鳴ってしまうし、彼が学校を休んだときは気を失うくらいにこの世の中に対して絶望して机にうずくまるし。これでも自分が和田を好きだという事実に気づくまでには結構時間がかかった。けど自分の気持ちに気づいたとたんに私の学校生活は180度。いや一周回って540度変わったかもしれない。
 朝は早く起きて、出かける前に髪型を念入りにチェックするようになったし、あんなに死にそうになるくらいに憂鬱だった月曜の朝がものすごく楽しみになったり、いままではまともにやってなかった英語の予習も今では全文を完全に和訳してたりする。(以前までは先生に当てられそうな時に当てられそうなところだけしか予習なんてしたことなかった。理由はめんどくさかったから。その一言に尽きる。だって人間だもの)。そして今までは授業が始まって五分で寝息を立てていた私が和田に寝顔を見せたくない一心で眠気と格闘しているわけである。

     +

 私が手の甲にシャープペンを指している間にも和田はさらさらとペンをノートに走らせていた。くそう、なんで今の時間に限って起きてるんだ。あんたが寝てくれれば私も思いっきり机に突っ伏せるのに。しかもなんでわざわざ現国の時に起きてるんだろう。現国は授業が単調な上に担当があまり注意することのない新任の加藤先生だ。当然クラスメイトはみんな机に突っ伏してお昼寝タイムだ。現国イコールお昼寝の時間というのは私達のクラスの常識だった。にもかかわらず和田は起きてやがるのだ。寝てよ。お願いだから。つーか寝ろ。頼むから。呪いをかけるかのように和田を見ていると彼のペンケースが目に入った。最初は銀色だったであろう彼の缶ペンケースは使い込んでいるのか真っ黒になっている。そもそも和田に限らずなんで男子の筆箱って汚れてるんだろう。そんなに長い間使っているのだろうか。それとも使い方が乱暴なのか。それにしても汚い。となりの消しゴムの白さがより際立つくらい黒く汚れている。ん……消しゴム? あれどうしたのだろう。何故か私の消しゴムが和田のペンケースの隣に。私が寝ぼけているのだろうか。試しに私の筆箱を開けてみる。私の消しゴムは……ある。でも和田のペンケースのとなりにも私の消しゴム。
 やっぱり私は寝ぼけていたようだった。落ち着いて考えてみれば和田と私が同じ消しゴムを使っているだけのことだったのだ。けど私が使っているこの消しゴムはクラス中が使っていてみんなが知っているようなメジャーな消しゴムではない。白くて細長い消しゴムに空色のケース。いたってシンプルなものだが、これは購買やそのへんのコンビニでは売ってるものではない。これは私が行きつけの小さな文房具屋で購入したもので、この辺ではそこしか売っていないものなのである。これは私が小学生のころからのお気に入りでずっとこの消しゴムを使っている。そして中学受験の時も高校受験のときもこの消しゴムを使ってなんとか乗り越えてきたのだ。その思い入れのある消しゴムと同じものを何故か和田が使っていた。私にはそれだけで目が覚めてしまっていた。そしてなんだか無性に嬉しくなったのだった。

     +

 それ以降は授業を受けるのが楽しみで仕方がなくなった。こんな気持ちになったのは生まれて初めてのことかも知れない。自分の好きな男子が自分と同じ消しゴムを使っている。
 ただそれだけ。本当にそれだけなのに何故か私の毎日は一気に楽しくなった。授業中には何気に和田と同じ配置で消しゴムをおいてみたりした。和田が気づくように消す物もないのに消しゴムを無理に使ってみたりもした。もしかしたら和田は私に合わせて消しゴムを買い換えたんじゃないだろうかなんてたまに思うようになった。というよりそうであって欲しいと思った。しかしどう考えてもそれは明らかに私の思い違いだと思う。これは明らかに私の妄想だ。けどそんな妄想をしている自分が何故だかわからないが嫌いにはなれなかった。

 深夜一時。
 私は明日の英語の予習をしようと筆箱を開けた。するとおかしなことがおこっていた。何故か私の消しゴムが二つに増えていたのである。いや、どう考えても増えるわけがない。質量保存の法則って習ったし、あいにく私はものを増やす魔法を使うこともできなければ国民的人気を持つ青たぬき型ロボットが使う『増えるミラー』みたいな秘密道具も持ち合わせていない。どう考えても一つは和田の消しゴムだった。私の消しゴムに比べて全体的に汚れてるし、少しひびも入ってるし、なんかシャーペンの芯が埋まってたりするし……。
どうやら和田の消しゴムに間違いなさそうだった。そういえば帰り際に机の下に落ちている消しゴムを拾ったような気がする。あれは私のじゃなくって和田の消しゴムだったのか。和田の消しゴムを今私が持ってる。それだけでなんだか私は変になってしまいそうだった。和田の消しゴムを持ってきてしまったという罪悪感と和田の私物を手に持っているという充実感が混ざって訳がわからなくなっている。
 とりあえず私は和田の消しゴムを使ってみる。しかしノートの上は何故か黒く汚れてしまう。よくもこんなにも消しゴムを汚せるものだ。私は使ってない白い部分を使おうと消しゴムのケースを少しずらした。すると黒いマジックで消しゴムに何かが書いてあるのがわかった。私は完全に消しゴムからケースを取り外した。そこには『イブキ』と小さな文字で書いてあった。息をするのを忘れた。というよりも呼吸の仕方を一瞬忘れてしまった。
それくらい気が動転していたし、頭の中が混乱してしまったのだ。
この『イブキ』という文字に私は見覚えがあった。いや見覚えがあるなんてもんじゃない。何を隠そう私の名字が「伊吹」なのだ。そしてこの名字はクラスで――、いや学年にも私しかいないのだ。私の名前が和田の消しゴムに書かれていた。ということは――。

     +

 私はとりあえず水を飲んだ。コップについで飲んだ。二、三杯は飲んだだろうか。しかしそれでも落ち着けなかった。予習をあきらめて私はベッドに入ることにした。横になれば落ち着けると思ったからだ。しかし落ち着けるどころか私の心臓の音が聞こえるくらいに私は興奮していた。和田が私の名前を消しゴムに書いていた。なぜ? どうして? はてなマークが私の頭の中をメリーゴーランドのようにぐるんぐるんぐるんぐるん回ってる。このメリーゴーランドはいつ終わるのだろうか。それがわからないまま時計の秒針だけがこつこつと音を鳴らして進んでいく。たぶんカーテンの外が明るくなってきているのは気のせいだ……と思う。
 結局、私の頭の中の遊園地はずっと営業中だったようではてなマークのメリーゴーランドは休まず動き続けていた。そして結局学校に来た今でもなお動き続けている。
「おはよう」
 聞き慣れた声がして私は突っ伏していた頭を上にあげる。
「あれ? 寝不足?」
 声の主はいつも通りに私の横に座る。
「……ちょっとね」
「気をつけた方がいいよ。体調壊すよ」
 和田はいつものように私に微笑む。……うぅ、優しいなちくしょう。
「あ……和田くん」
「ん?」
「ごめん。消しゴム間違って持って行っちゃった」
 私は和田に消しゴムを渡す。もちろんケースをつけた消しゴムを。
「あー通りで昨日ないと思ったんだよね」
「……ごめん」
「いいよ別に、家にだって消しゴムあるし」
「うん。でもごめん」
「うん。それはいいんだけどさ。もしかして……中見た」
 どきんとした。体全体がどきんとした。とりあえず私は頷く。もう声がでないのはわかっていた。
「あー見られたちゃったか」
 私はまた頷く。
「このことは秘密にして欲しいんだけど」
 と言って和田は顔を赤らめる。私は力一杯頷いた。

 放課後になった。
私は和田を捜していた。和田の本心を彼の口から聞きたいと思ったのだ。そして自分の思いを伝えたいとも思った。クラスの男子の話だと和田は図書館にいるらしい。図書館に向かう私の足取りがだんだん速くなっているのに気づいた。私は図書館で和田をすぐに見つけることができた。図書館の一番端の席に座って参考書を広げていた。そして参考書の横には黒ずんだペンケースとそして私とおそろいの消しゴムがおいてあった。
 しかし和田は一人ではなかった。横に誰かが立っている。どうやら勉強を教えてるらしかった。しかしちょうど死角になってしまっていて相手の顔を見ることができない。私は静かに和田のほうへと近づいた。彼の隣にいるのは私の知っている人だった。現国を担当している女性の新任教師、加藤先生だった。彼女は和田に勉強を教えているようだ。なんだ、わざわざ質問しに来ているのか。熱心で何よりです。邪魔をしちゃいけないな……と思った私はその場を立ち去ろうとする。すると和田のペンケースの横に可愛らしい赤い筆箱があるのが見えた。たぶん先生のものであろう。授業に持ってきているのを何回か見かけたことがあるから間違いない。
 ただ問題はそこじゃなかった。その筆箱の近くに消しゴムがおいてあるのがわかった。和田と同じ消しゴム――つまり私と同じ消しゴムがおいてあったのだ。もちろん、その消しゴムは私のものでも和田のものでもなかった。そして私は和田の顔を見る。今朝「このことは秘密にして欲しい」って言ったときと同じように顔を赤らめていた。そしてその和田の目線は現国の先生に向けられていた。私はその時になって初めて気づいた。確かに『伊吹』という名字は私しかいない。だけど、あの消しゴムに書いてあるのが名字だって誰が決めたんだろう。私は自分の早とちりを悔やむ。
『イブキ』は私ではなかった。
和田の目の前にいる新任教師の名前は加藤いぶき。

 気づいたら私は図書室から走り去っていた。そして行く当てもなく学校をうろつく。もう放心状態で何も考えられなかったのだ。
 しばらくうろついていると自分のクラスにたどりつく。私は教室の後ろにあるゴミ箱に向かった。そして筆箱から消しゴムを取り出すとそこに投げ捨てた。そして私は学校を出ていつもの文房具屋へと向かった。また新しい別の種類の消しゴムを買いに――。

                     おわり

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