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モリナガの陰謀

 どうやら今日も私には恋人がいないみたいだった。

 恋人と手をつなぐための右手には参考書が詰まった透明なプラスチックの鞄が握られているし、恋人とメールをするための携帯電話の受信ボックスにはウェブ会社からのダイレクトメールで埋めつくされている。

 恋人とのデートを楽しむための土日は図書館で勉強するかアクティブに家でネットサーフィンをするかどっちかだし、恋人とキスをするための唇もリップクリームだけが無駄に何層にもわたって塗りつぶされている。

 なんで女子校なんか入ったかな。入学してから早二年、ずっとそんなことを言い続けてる気がする。

 あーあ、彼氏欲しいな。マジで。切実に! 入学してから早二年、ずっとこんなことも言い続けてる気がする。

 もちろん心の中で――の話だ。

 彼氏が欲しい! とか、彼氏に頭なでなでして欲しい! とか、うまいパスタ作った女が家庭的とか、かっこわら。とか、そんな馬鹿なことを言い合える友達が一人でもいればよかったのだが、私にはあいにく「友達」と呼べる知り合いはいない。

「クラスメイトはみんな友達!」なんてどこかの道徳の教科書に書いてありそうなことが友達の定義ならば、私は大勢の友達に囲まれていることになる。だけど「宿題見せて」と「予習してある?」の二パターンの言葉しかかけてこないクラスメイトを「友達」って言えるかどうかは甚だ疑問である。

 たぶん私は「友達ひゃくにんできるかな!」と、とりあえずは百人の友達に入れられるけど「ひゃくにんで食べたいな! 富士山の上でおにぎりを!」の百人には入れない人間なんだろうなって思う。それにしてもなんだよあの歌。一年生の内から仲間はずれ推奨してどうするんだよ。それとも総勢一〇一人で富士登山にでかけたものの一人高山病で倒れたのか?

 だったらそいつ一人置いてのんきにおにぎりぱくついてる場合じゃねえだろ。自分数えるの忘れてた、とかそんなオチだったらいくら一年生にあこがれてる幼稚園生だろうと容赦しねえぞ。

 そんな童謡『一年生になったら』に脅しをかけつつも私は今日もひとりぼっちでバス下校。ショートホームルームが終わったと同時にスタートダッシュを決めたせいで私以外に乗客はいなかった。正しくはバスの運転手さんと私のふたりぼっち状態。

 はー。まず彼氏の前に友達作れって話ですね。わかります。そもそも友達も作れないような女に彼氏ができるかって話ですもんね。返す言葉もございません。がってんがってん。

 はあ、でも彼氏欲しいなあ。友達より欲しい。誰か私の代わりにドラゴンボール集めてくれないかな。それと全国の発明家のみなさんは早いところ「もしもボックス」の開発に勤しんで欲しい。

 今日もそんなことを考えてたら最寄りのバス停までついてしまった。本当に時間の無駄遣いにもほどがある。

 私は座席から立ち上がって運転手さんに定期をみせる。

 運転手さんがこっちを向いたので、すかさずぺこっと小さくお辞儀。すると向こうはにこっと不器用な笑顔を浮かべてくれた。

 そのくしゃくしゃな顔を見てるとなんだか吐き気を覚える。そして胸がはりつめてきてどうしようもなくなってくる。ああ、やばい。私、この人のこと好きだ。超好きだ。

 こういう時って普通「どきどきする」とか「きゅんとする」とか想像妊娠したりとかいろんなことになるんだろうけど、私の場合は気持ち悪くってしょうがなくなるらしい。だからこれは恋か恋じゃないかと問われたらもしかしたら恋じゃないのかも知れない。

 もしこの運転手さんに「すいません。彼氏が欲しいのですけど」と声をかけたらどういう反応をするだろう。さも「バスカードが欲しいんですけど」みたいなノリで。

 そうすれば同じように不器用な笑顔を浮かべてくれるのだろうか。それとも優しく叱ってくれるだろうか。優しく叱ってくれる運転手さんを想像するだけでおなかいっぱいで吐いちゃいそうだ。

 だけど私はそんなことを言ってみる社交性も実行力も持ち合わせていないので、今日も今日とて黙ってバスを降りる。

 だけどいつかは言ってやりたいとは思ってる。

 それがいつになるかは知らない。そうだな……地球最後の日ぐらいだったら言ってみてもいいかもしれない。

     *****

「ただいまーすとりひと条約」

 玄関に私の鉄板ギャグが炸裂する。誰にも聞かせたことないけど。そもそも聞かせる相手がいないけど。

 どんな条約かなんてことはもちろん知らない。ただ名前の響きは大好きだ。マーストリヒト条約。

 スクールバックを玄関の奥へと放り投げて、どかっとその場に腰を下ろす。

 それと同時にこの「ただいま」が、朝の「行ってきます」以来の私の発声であるということに気づく。

 つまり学校で私は一切言葉を発していないのである。

 よくあることと言えばそうなのだが、やっぱり一言も発しないのは人間としてどうなんだろうとか思う。

 私が植物だったらよかったのに。

 だとしたらねこじゃらしがいいな。ふわふわしてなんか気持ちよさそう。

 何も考えずにふわふわふわふわ――。

「いつまでも妄想にひたってないで靴ぐらい脱げ馬鹿」

 ……せっかく人がふわふわタイムに浸っているところに思わぬ邪魔が入った。相手は上下ねずみ色のスウェットでこちらを見ている。

 肩まで伸びたさらさらの髪とかむかつくぐらい白い肌とか無駄に整った鼻筋とか――間違いない。私の姉だ。間違いない!(泣きそうになるぐらい懐かしのギャグなので二回言った)

 姉は一日中寝ているのでまぶたがいつ見てもものすごく重そうだ。それに姉は三六五日ねずみ色のスウェットしか着ない。

 いっそのことねずみになればいいのに。キャラクターグッズで儲ければいいじゃん。そんで私を養え。

「馬鹿とはご挨拶だな。ニートのくせに生意気だ」

 私はねずみ、もといニート、もとい姉に向かって小さくつぶやいた。

 姉はやっぱり眠たそうな顔をしている。別に寝不足なわけじゃない。寝過ぎてしまったせいで余計に眠たくなってしまっているのだろう。

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪いんだ馬鹿。っていうかニートとは何だニートとは。実の姉に向かってそんな態度とっていいと思ってるのか。自宅警備と呼べ」

「お前にプライドはないのか。いっそのこと死ねばいい」

「おまえが死ね。今『バールのようなもの』を持ってきてやる」

「やだ、せめて私はもっと明確な凶器で殺されたい。豆腐の角とか」

「じゃあ、殺すのは後にするから早く靴を脱いで手洗いうがいしてこい。冷蔵庫に牛乳プリンが入ってる。あたしの食べかけの」

「せめて食いきってやれば牛乳プリンも本望だったろうに」

「うっせ。早くしろ」

「うにゅー」

 私は言われたとおりに靴を脱ぎ台所へと向かう。

 冷蔵庫を開けると、本当に食べかけの牛乳プリンが透明のスプーンを指したままの状態で置いてあった。

 その牛乳プリンをスプーンでぐっちゃぐちゃにかき混ぜてやる。そして容器に直接口をつけてその白いぐちゃぐちゃなものを一気に飲み干した。うん、甘い。

「こら、手洗いうがいはどうした」

「別に手づかみで食ってるわけじゃないから手洗いはクリア。あと私は今日一回も誰とも口を聞いてないからうがいも免除対象」

「その理屈はおかしい」

 姉は私の髪がくしゃくしゃになるくらいに頭をなで始めた。一見すると乱暴な振る舞いにしか見えないのだが、これが彼女なりの愛情表現なのだから仕方がない。

「姉」

「どうした馬鹿」

 私が姉と呼んでいるのに、なんで君は私のことを馬鹿と呼ぶのだろう。今の私には理解できない。

「せっかくさあ。かわいい妹が帰ってきたんだからもうちょっと優しく出迎えてもよくね?」

「……優しい出迎えとは?」

 あ、哀れみの目線を向けて来やがった。「何言ってるのこいつ」みたいな。

「もうちょっとさあ。学校に行って疲れて帰ってきた私の疲労が少しは回復するような――」

「友達がいないのに何に疲れるんだか」

 殺意が沸きすぎて私は貝になりたい。

「お帰りなさいませ。お嬢さま! ……みたいな感じとかさ」

「そのままお帰りくださいませ! お嬢さま!」

 帰る家がここしかないという現実が悲しすぎて私は貝になりたい。

「ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し? とか」

「2ちゃんにする? 動画にする? それとも、ミ・ク・シ・イ?」

 選択肢が廃人一直線すぎて私は貝になりたい! どうやらこの姉に何かを期待することが間違いのようだ。山田君、貝ひとつ持ってきて!



 私はうーんと背伸びをしてから空になった牛乳プリンの容器を見つめる。

 パッケージに書いてある太陽なんだか、何かしらの精神的な病でとげがでてきてしまった特殊な例なんだかよくわからないキャラクターを凝視した。

 いいなあ。お前は。なんか楽そうで。

 そんな楽そうなやつはゴミ箱行きの刑に処する。執行猶予はつきません。

 というわけでアンダースローでゴミ箱に向けて牛乳プリンを一直線に――第一球投げました。

 おっとーわずかにゴミ箱から外れたー。床に白いぐちゃぐちゃなものが少し飛びちってるのが見えますがそんなことは一切気にしません。さすがです!

「さすがです。じゃねえよ。さっさと片付けろよ」

「わかってる……っていうか、どこへ行くんだい姉よ」

「……寝る」

「そんなに寝てばっかりいると妖怪スウェットおばけになるよ」

「ならねえよ。しかもそんなに怖そうじゃねえし。妖怪なんだかおばけなんだかどっちかにしろってーの。というわけでお休み」

「ご飯は」

「部屋に持ってきてもらえると助かる」

 姉はそう言うと台所から自室へと消えていった。とりあえず私はどうしよう。まずは床に散らばった牛乳プリンの破片を片付けることから始めるか。


     *****

 六時の時報が鳴り始めたので私は夕食の準備にとりかかった。

 何を作るかは全く決まってないけどとりあえず換気扇をつけてみる。

 油汚れで黒くなった換気扇をずっと見てるとなんだか気持ちが悪くなってきたので、さっさと夕食作りにうつることにした。

 とりあえずフライパンを熱してみる。

 もくもくと白い煙がフライパンから立ち上る。そうだ。今日はオムライスにしよう。理由は特にない。

 熱したフライパンにサラダ油を広げる。そして急いでタマネギをみじん切りにして、フライパンに放り込んだ。

 絶対に調理の手順は間違ってると思うがそんなことは関係ない。

 適当にタマネギが炒め終わったら、適当にご飯を入れて、適当にケチャップとコショウで味をつけた。

 そして適当に卵に包んで適当にお皿に盛りつければ適当なオムライスの完成。ね、簡単でしょう?

 とそんな適当に適当を重ねたオムライスを私は姉の部屋へと運ぶ。

 部屋のふすまを開けると甘いにおいが部屋中に充満しているのがわかった。姉のにおいだ……っていつも思う。姉は自分で言っていた通りベッドに横になっている。私は足の踏み場をなんとか見つけて姉に近づくと彼女の寝顔をのぞいた。なんか――かわいいと思う。姉の寝顔が無性にかわいいと思う。なんてなんだか馬鹿みたいに思われるかもしれない。
 だけどかわいいものはかわいいのだからしかたがない。



 私は姉の匂いを思いっきり吸い込む。そしてふはあ、とはきだす。なんだか麻薬やってるみたいだなって思う。

 姉は一日の大半をこの部屋で過ごしている。たいがい寝ているかパソコンに向かっているかどちらかなのだが、私が帰ってくると部屋から出てきて私を出迎えてくれる。そしてたわいもない会話をするとまた部屋へと戻っていく。

 そんなニート生活の会場であるこの部屋は姉のにおいでいっぱいだ。

 私はこの姉のにおいが好きだ。大好きだ。依存してると言ってもいい。

 優しくて安心感に包まれるこのにおい。

 そんなにおいが私の持ってきたオムライスのにおいに負けようとしている。

 とりあえず私は姉を起こそうと掛け布団を剥いだ。

 あ……泣いてる。

 一見、ただ眠っているように見えるのだが、姉の重そうなまぶたには重そうな涙の粒が浮いているし、枕もあきらかに湿っている。小さな鼻も真っ赤に腫れていた。

「姉」

 おもわず声をかけてしまった。

「うん? ……どうした?」

 明らかに涙声だった。私は何が何だかわからなくなった。泣いてる姉になんて言葉をかけていいかわからなかった。くそう、私の前にネットがあれば「泣いてる 姉 声かけ」でググれるのに!



「……彼氏がほしい」

 とっさに出てきた言葉がそれだった。さんざん考えた結果がよりによってこれかよ。自分で自分をけなしてやりたい。

「何で?」

「え?」

「何で彼氏がほしいの?」

「んーと」

 言葉が出てこない。

「彼氏と何がしたいの?」

「あ……と、んと、手つないだりとか頭をなでなでしてもらったりとか」

 帰りのバスの中で考えたことをそのまま姉に言った。

「……おいで」

 姉は布団の中から私を呼んだ。私は黙って姉の布団にもぐりこむ。

 姉と一緒の布団で横になるのなんて何年ぶりだろう。それこそ小学生とかそのくらいぶりだと思う。

 姉は私の手を握ってきた。姉の手は柔らかくて温かくて……何よりも小さく感じた。いつのまにか私の手のほうが大きくなっているようだった。いつも私を強引にひっぱていたあの大きくて力強い手を私は追い抜いてしまったのだ。妙に恥ずかしくて、妙にうれしくって、妙に安心感に包まれていた。

 そして握っている手とは違うほうの手で姉は私の頭をなでる。小さくて柔らかい手が私の髪を滑らせていく。 

「で? どうよ」

「……悪くない」

 悪くないどころかものすごく気持ちがよかった。なんだかものすごくふわふわな毛布にくるまれてる感じ。いつもの髪がぐしゃぐしゃになるほどに乱暴な撫でかたとは違って、本当に優しく私の頭を包んでくれている。

「ならよかった」

 姉はそう言うと私に向かって微笑んだ。ものすごく無邪気で子供っぽい笑顔。あの枕についていた水滴はきっと涙なんかじゃなかったのだろう。そう思いたい。

 私は姉の胸にうずくまった。姉はゆっくりと頭をなで続けてくれている。

 このままずっと姉と寝ていたいと思った。勉強とかクラスとか何もかも忘れて――。

「彼氏が欲しいってさ」

 姉の撫でていた手が止まった。

「好きな人でもいるわけ?」

「……好きな人」

 そうしたら急にバスの運転手さんの顔が思い浮かんだ。

 あの不器用でしわくちゃな笑顔。いつもぎりぎり聞こえるような文字通り蚊の鳴くような小さな声とか――、たまに見せる真剣な顔とか――、そして左手の薬指に申し訳なさげについてる指輪とか――。

 そんなことばっかりが頭の中をぐちゃぐちゃにする。

 ああ、もう頭がぐちゃぐちゃで気持ち悪い。もういっそのことこのまま死んじゃえば楽なんじゃないかな。死んでも誰も悲しまないし。

 そんなことを思うと急に寂しくて仕方がなくなった。

 私は掛け布団から顔を出す。すると姉の顔が飛び出してきた。

 やはり姉の目は潤んでいた。

 ドライアイなんかとは無縁そうで瞬きの一つでもしたら涙の粒が落ちてきそうだ。

 そんなことを考えてたら本当に姉の目から涙がこぼれだした。

 涙の粒が頬を伝って口元へと降りてくる。

 私はそれを――その涙を――口で受け止めた。そしてそのまま彼女に口付けする。

 姉の唇は甘かった。

 さっき食べていた牛乳プリンの甘さがまだ口の中にのこっているのだろうか。

 そしてだんだんと姉の唇は甘さからしょっぱさに変わっていく。

 姉の目から涙が溢れ出て――。それが私の口に入ってくる。

 今度は私が姉の頭をゆっくりと撫でた。姉の髪は部屋に引きこもっているとは思えないほどさらさらだ。姉はあぐあぐと唇を動かす。私はそのまま頭を撫で続ける。
 唇からはもう牛乳プリンの味は消えていた。


     *****

 姉がねずみ色のスウェットを着るのをやめた。

 そして急に外に出たと思ったら大型書店に行って、即席の証明写真と履歴書を買ってきた。
「志望理由とかってなんて書けばいいの?」

「そこに店があるからって書いておけ」

「あとどうやって電話をしていいかわからん」

「弟子にしてください、とかでいいんじゃね?」

「……バイト志願なのに?」

「バイト志願なのに」

 そのノリでバイトの面接に行った姉はあっさりと合格して帰ってきた。

 どうやら明日からは古本屋の店員らしい。

「もう明日からはお出迎えできないよ」

 姉が複雑な笑みを浮かべる。

「いいよ。しなくて」

 逆に私が出迎えるから。そう言うと姉は笑ってまた頭をなでてくれた。

 姉が初めてのバイトに行ったその日、私はいつも通りに学校へ行っていつも通りに誰とも口を聞かず、いつも通りに帰りのバスに乗る。

 いつも通りに私と運転手さん以外誰もいないバス。私はいつも通りにボタンを押すとバスは止まる。

 私は定期を見せる前に運転手さんに笑いかけた。

「キスってどんな味がするか知ってますか」

 すると運転手さんはいつもの不器用な笑顔を浮かべた。

「ごめんなさい。わかんないです」

 ぺっこりと頭をさげた運転手さんからは二、三本の白髪が見えた。
「牛乳プリンの味がするんです」

 私はそう言うと定期を運転手さんに見せた。

「そうなんですか」

 それは勉強になりました、と彼が言い終わる前に私は唇を突きつけた。そしてあのときの姉と同じようにあぐあぐ、と彼の唇を吸った。別に気持ち悪くはならなかった。それどころかすごく気持ちがよかった。もうどうにでもなれと思った。この瞬間に地球が滅びればいいのにと思った。

 彼の唇は牛乳プリンの味はしなかった。

 ただ私が自分の唇に塗りたくったリップクリームの味がするだけだった。


               (了)

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