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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆19 わたしはあんたの本棚だ 【物語の日、神話の午後/12】

 十重とえの判断、二十重はたえの算段、なにもかもがユカの思惑通りでした。
 だから、すべてが思い通りに進行する中で彼が少しの慢心も抱かなかったと言えば、それはきっと嘘になるでしょう。

 ですからこれは、もしかしたら調子に乗ったユカへの報いでもあったのかもしれません。

「やだ! いやだぁ! ユカの魔法が燃える! ユカが燃えちまう!」

 そう叫びながら炎の中に飛び込んだのは、ユカが最も信頼する彼の火竜でした。

「リ、リエッキ!?」

 思いも寄らない事態にユカが硬直したわずかの間にも、見慣れた白の衣装が、彼女の本性を象徴する灼熱の髪が、炎の核心へと突き進みます。
 こうして親友の突如の行動によって算を乱されたユカでしたが、しかし今はそれどころではありません。一瞬の自失からすぐに我を取り戻すと、自らもまたリエッキを追って炎の中に飛び込みます。

「リエッキ! 落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だから!」

 リエッキを後ろから羽交い締めにして、ユカは言い聞かせるように叫びます。
 ですが、半狂乱になっている彼女の耳には彼の言葉も届きません。

 瞳には目の前の炎だけを映して。そして、その瞳から涙をいっぱい流して。
 竜の膂力でユカを引きずるようにして、前へ前へと進みます。

「やだ! やだよう! ユカ! ユカぁ!」

 泣いて、泣いて、泣き喚きながら炎に包まれようとするリエッキ。

 ――と。

「大丈夫! 僕はここにいる! それに、僕は燃えたりしないよ!」

 ユカが、リエッキを抱きすくめます。
 後ろから羽交い締めにするのではなく、正面から、自分全部を使って抱きしめたのです。

「……大丈夫。君がいてくれる限り、僕は燃えたりしないから。絶対に」

 リエッキから、力が抜けます。
 その隙をついてユカはリエッキを炎から引き離します。

 二人の見ている前で、本棚は炎に巻かれています。その傍らで、ユカは抱きしめたリエッキの背中を叩いています。
 ぽんぽんと、彼女を落ち着かせるように。

 やがて炎の勢力は弱まりはじめ、そのまま自然に鎮火へと向かいます。

「ほら、見て」

 ユカが、リエッキを促します。本棚のほうを見るようにと。
 すると、はたしてどうでしょう。確かにいましがた燃やされたはずの本棚には、しかし焦げ跡ひとつ付いてはいないのです。
 いいえそれどころか、炎の中で長年の旅の汚れだけを焼き清められたものか、燃やされる以前よりも綺麗になっているかのよう。

 あたかも、炎の中で身を焼き生き返るという、不死の火の鳥のように。

「ね? だから大丈夫だって言ったんだ」

 リエッキにユカが笑いかけます。

「この本棚は、君が僕の為に背負ってくれてる本棚なんだ。『わたしがあんたを背負ってやる』って、君がそう言ってくれてさ。だったら、あんな炎に燃やせるわけがないじゃないか」

 自明の理を説く口調でユカは言います。
 実際に、本棚にも中身の本にも、被害は少しもありませんでした。被害や傷と言えばリエッキの髪の毛先が少しだけ燃えていて、それから彼女の顔に見える軽微な火傷。

 まったく、火竜が火傷するなんて聞いたことないよ、ユカはそう苦笑して、それから言いました。

「わかったかい? 君がいてくれる限り、誰にも、何にも、僕を傷つけることは出来ないよ」

 だから、安心して――ユカはリエッキにそう微笑みかけました。
 ですが。

 リエッキは、いつものように「はん」とは言いませんでした。口をへの字に結んで、なにかを堪えるようにユカを上目遣いに見ています。
 そうしてユカを見つめる瞳に、涙がみるみるうちにこみ上げて、それから。

 ――あ、こぼれた。

 そうユカが見守る前で、涙は次から次に零れます。ぽろぽろ、ぽろぽろと。泣き声だけは必死に我慢している様子でしたが、そのうちに小さなしゃくり上げがはじまって。

 なにかが堰を切るまでには、そこから数秒とかかりませんでした。

 ユカと大観衆とそれから呪使いたちの見ている前で、リエッキは大きな声をあげて泣きはじめてしまいました。顔をぐしゃぐしゃにして、子供のようにあたりを憚らずに。

 リエッキのこの涙に、ユカはほとんど混乱するほどに戸惑います。
 リエッキはこれでいて結構泣き虫で、これまでにも何か感動することがあるとたびたび涙を流してきました。
 ですが、こんなにも切に迫った、こんなにもがむしゃらな泣き方をするリエッキなんて、彼女とずっと一緒にいたユカだって一度も見たことがなかったのです。
 どうしたの? と、そう尋ねることすらユカには出来ませんでした。

「……ごめん、だいじょうぶだ。なんでもない」

 どうしていいかわからずにユカがおろおろしていると、リエッキのほうがそう言いました。
 まだ涙は全然止まっていないのに、どうにかこうにか、目一杯に強がって。

「なんでもないって……全然なんでもなくは見えな――」
「なんでもないって言ったらなんでもないんだよ!」

 案じて問いただすユカの声を遮って、リエッキは叫びます。その剣幕とだだっ子のような言い方に、それまで数百名の呪使い相手に一歩も引かなかったユカが呆気なく気圧されます。
 それから、リエッキは涙にのぼせた顔をユカに向けて、話しはじめました。

「わた……わたしは……わたしは、あんたの本棚だ」

 いまだ累々(るいるい)と涙を流しながら、彼女は懸命に言葉を紡ぎます。

「わたしはさ、あんたの本棚なんだ。だから、だからさ、だいじょうぶだよ。たとえあんたをどんなに遠く感じても、あんたっていう本は、最後にはきっとわたしのところに戻ってくるんだって、そうちゃんとわかってるんだ。だから、だから……」

 だから、全然心配なんてしてないよ。だから全然、寂しくなんて思ってないよ。

「……ごめんなユカ。こんな風に泣いて、あんたの大事なことに水を差すつもりなんて、なかったのにさ。あんたの邪魔をしたくなんてなくて、あんたに、精一杯活躍してほしくて……」

 涙が、またもどっとこみ上げます。
 こみ上げた涙をあふれさせながら、彼女は言いました。

「だからユカ、わたしのことは、頼むから気にしな――」

 リエッキがそこまで言ったとき、今度はユカの行動が彼女の言葉を遮りました。

 それはまったく反射的な動作でした。
 思考するよりも先に、そうしようと思うよりも先に、ユカはもう一度リエッキを抱きしめていたのです。

 彼女を抱きしめながら、ユカは言いました。

「……なにが本の魔法使いだろう。なにが古今無双の語り部だろう」

 述懐じゅっかいには、噛みしめるような響きが込められています。

「僕は今日、自分がとんでもない三流だってことに気づかされた。だって僕は、君が僕にとってどんなに特別なのか、君がどんなに素晴らしいものを僕に与えてくれているのか、その半分も、その半分の半分も言葉にすることができないんだから。

 君っていう存在は僕にとって、あまりにも――あまりにも筆舌ひつぜつに尽くしがたい」

 ごめんよ、とユカは言いました。
 それから、ありがとう、と。

 ユカは気づいたのです。
 宿敵との決闘にのめり込む自分を、リエッキがどんなにか不安な思いで見守っていたのか。自分一人だけが突っ走り、置き去りにされた彼女がどんなにか寂しい思いをしていたのか。そしてそうした寂しさを、彼女がひた隠しに隠していたことも。
 リエッキが己を殺してまで自分を尊重してくれていたことに、彼女の深すぎる献身に。
 そして、そうした一切に少しも気づくことのなかった自分の盲目に。

 ユカは、ようやく気づいたのです。

「ごめんよ……ごめんよリエッキ。それから、ありがとう」

 ユカはリエッキを抱きしめます。全身全霊を込めて、心を真っ白にして抱きしめます。
 この瞬間、ユカの胸からは己で組み立てた企みのすべてが、いま自分の置かれている状況のすべてが忘れ去られます。
 そうして白紙と化した心にあるのは、ただリエッキへの想いばかり。
 親友に対する、百万もの想いの去来。

 ユカに抱きしめられて、リエッキは動揺の上にも動揺して真っ赤になっていました。
 ですがやがて、おずおずとではありましたが、彼女のほうもまた抱擁で応えてくれました。
 世界一素敵な女の子の匂いで鼻孔を満たしながら、ユカは兄の言葉を思い出します。

『沈黙を守ることにより絶大な愛情を貫こうとしている不器用者。いつかもし君がそういう愛情の存在に気づいたら、そのときは、是非ともそれに報いてやってほしい』

 リエッキに報いることが、僕には出来るだろうか?
 ユカは考え、そして即座に、『そんなのは人生が百度あっても無理だ』と結論します。
 ユカにとって、それほどまでにリエッキは素晴らしい親友だったのです。

 ですが同時に、ユカは一つの決意を固めてもいました。
 今日という日が終わり、僕のこれまでの目標に一つの決着がついたら。
 そうしたらこれから先の人生は、リエッキの為に生きよう。

 ――これからは、ずっとリエッキと一緒に、リエッキだけを見つめて……。

「……おい、いつまでこうしてるんだよ」

 不意にそういった声に、ユカは現実へと引き戻されます。
 ずっと抱きしめたままだったリエッキが、少しだけ上気した顔でユカを見つめていました。
 気を取り直したらしいリエッキは慌てた様子でユカを押しのけると、涙でぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に袖で拭います。
 それから、照れ隠しのジト目をユカに送りながら、言いました。

「まだ、途中なんだろ。だったら、最後まできちんとやってこいよ」

 そう言って、リエッキはくいっと顔を動かして呪使いたちを指しました。

「……いいの?」

 遠慮がちに問うユカに、リエッキは「はん」と鼻をならして答えます。

「ここまでやったんだ。なら、中途半端で終わらせるなよな」

 それに、と彼女は言います。

「それに、さっき言ったことは本心だよ。わたしはあんたの本棚で、あんたは必ずわたしのところに戻ってくるって、そう信じてる。それにいまはもう、なにも心配してない。あんたの気持ちは伝わった。わたしの気持ちもきっと、伝わった。だからもう、不安も心配もない」
「リエッキ……」

「ただし」

 そこでリエッキは、感動顔のユカにぴしゃっと言いました。

「ただし、もしも助けが必要な時は……そのときは、強がらないで頼ってほしい。それさえ約束してくれるなら、本棚は安心して本を見守ってられるからさ」

 すっと、小指が差し出されます。白くて細い小指が。

「……うん、約束する!」

 差し出された小指に自分の小指を絡ませながら、ユカは言いました。

「もしも助けがほしくなった時は、誰よりも先にまず君を頼るよ!」
「誓うか?」
「もちろん、説話を司る神の忘れられた御名に――」
「バカ、そんなのに誓うな!」

 小指と小指でつながったまま、リエッキはプンと不機嫌にユカを叱ります。
 それから、少しだけ赤面して言いました。

「……説話の神様なんかじゃなくて、わたしに誓え。わたしとの友情に」

 いいか、破ったら絶交だかんな!
 そう言い切ると、リエッキは一方的に指切りげんまんを切ってしまいました。

 まだ親友の感触が残る小指を見つめながら、「まいったな。こんなの絶対にやぶれないや」とユカは独りごちます。なんだかどことなく幸せそうに。
 それから、彼はさっきまで燃えていた本棚のところへと立っていくと、荷車の残骸をどかして、中から一冊引っ張り出してきます。

「――説話を司る神の忘れられた御名において、はじめよう。これなるは尊い一夜の物語。案じる心と捨て身の友愛。それから、これでよかったと笑える絆――献身の夜の物語だ」

 ユカが使ったのは『献身の夜の物語』の魔法でした。
 相手の傷や病を自分に移し替えるこの魔法をユカが譚ると、リエッキの顔に出来ていた火傷が見る間に治癒して、反対に、ユカの顔の治癒したのと同じ箇所に、まったく同じ火傷が生じていきます。それに、焼けていた髪の毛もほら、リエッキの髪が元に戻るのと同時に、ユカの毛先がチリチリ焼けていきます。

 そうしてリエッキの負った傷の半分を自分に引き受けて、ユカは言いました。

「ねぇリエッキ、君はこの魔法のこと、不便な魔法だって言ったよね。どうせなら移すんじゃなくて治しちまえばいいのに、って。だけどこの魔法は、治さないからいいんだ。だってそのおかげで僕は、君が僕の為になにをしてくれたのか、それを実感することができてるんだもの」

 燃え盛る本棚を救うために……この自分の為に炎へと飛び込んでくれたリエッキの、その愛情をひりひりした痛みの中に感じながら、ユカは笑いました。

「この痛みがある限り、僕はもう絶対に君を忘れないよ。この痛みがある限り、今日の僕は最強だ。
 ――誓うよ。僕たちふたりの間は、もう二度と、ほんの少しだって濁ったりしない」

 しっかりってこいよ、とリエッキが言います。
 ユカは無言のまま頷いて応じ、それから、呪使いたちへと向き直ります。

 そして、大声で呼びかけたのです。


「さぁ、名も知らぬ僕の宿敵よ! 舞台は整った! いまこそ決闘の誓いを果たそう!」

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