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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆16 譚れば譚るほど、あいつがあいつでなくなっちまう 【物語の日、神話の午後/7】

「さて、最初の質問に戻りましょうか。ねぇ、呪使い様たち? 毒吐く怪物とは、いったいどこにいるのでしょうか? 倒されるべき怪物……いいえ、いまやただ自滅を待つばかりとなってしかも己ではそのことに気づいてすらいない、いっそ哀れですらあるその怪物は……」
「き、詭弁だ!」

 居並ぶ呪使いたちの一人が、悲鳴のような反論で語り部の台詞を遮ります。

「貴様の言うことは、すべて詭弁だ! 貴様は、現にたぶらかしているではないか! 扇動しているではないか! 人々を褒めそやして持ち上げて、愚かな者たちが『そなたらは賢い』と褒められる嬉しさを狡猾に利用して……知らぬなら教えてやる! いいか、世間ではそれを誑かしというのだ!
 貴様はそうやって愚衆らの心を掴み、巧みに踊らせて、そして――!」
「そして我々呪使いに批判の目を向かせている、すなわちこれが扇動なり、とでも?」

 ――わかっているのではないか! 自覚があるのではないか!

 勝ち誇るというには余りにも余裕をなくした声で、話をしているのとはまた別の呪使いがそう横やりを入れました。

 これに対し語り部は、またも哄笑をあげて応じます。

 ――自覚、自覚! これほどあなたたちから程遠い言葉は他にない!

 そう言って彼は笑います。わらいます。

「これじゃあダメだ。これじゃあ、僕とあなたたちの主張は、きっともう永久に平行線を辿るだけだ。ええ、なにしろ前提からして噛み合わないのだからお話にならない。人々の聡明さを信じて望んでいる僕と、愚かだと決めつけて付け入ることばかり考えているあなたたちとでは」

 蔑みと嘲りを目一杯に盛り込んでユカが言い捨てた、その瞬間。
 層を成す群衆の列から呪使いたちに向けられる視線の温度が、また一段、冷え込みます。

「ち、違う……違う! そうではない! そんなことはないのだ! 我らはそんな風には……おのれ、おのれぇ! またも誑かしたな! 貴様は、またも誑かしをしたな!」

 例の中年呪使い、左利きの後見人のあの男が絶叫します。

「人々よ、騙されるな……騙されないでくれ! 嘘ではない、吾輩は知っているのだ! こやつは本当に、本当に邪悪な、本当に危険な魔法使いなのだ! 信じてくれ、騙されないでくれえ!」

 考えてみれば、彼は最初に接触した夜から邪悪を演じるユカだけを見てきているのでした。だからもしかしたならばこの男だけは、恣意的な憶測や都合の良い解釈など一切抜きにして、心の底からユカが世に仇をなす邪悪な魔法使いであると信じていたのかもしれません。
 ですがそんな彼の迫真の弁明と訴えも、人々の視線を和らがせるには至りません。むしろ訴えれば訴えるほど、それは白く冷たく、険しくなってゆきます。
 呪使いたちの置かれた立場が辿るのは、ただひたすらに悪化の一途です。さながら蜘蛛の巣に捕らわれた獲物のように、もがけばもがくほど彼らは追いつめられてゆきます。
 逃げられはしません。彼らを絡め取っているその糸は、言葉を編んで出来ているのですから。

「邪悪、邪悪、邪悪……ああ、そろそろ耳にたこができてしまいそうだ。行動の正邪を、存在の善悪を、いったい誰が判断するというのだろう。いったい誰にその線引きが出来るというのだろう。いや、それともこう言い換えるべきですか? 『誰にその決定の権利があるのか』と」

 運用されるのは攻撃的な論調です。
 駆使されるのは容赦のない論法です。

 年経た蜘蛛のように、我らが語り部は邪悪の限りに邪悪を演じます。
 呪使いたちが空想する通りの、呪使いたちにとっての邪悪の限りを。

 そして――。

「僕を邪悪というならば、よろしい、ひとまずそういうことにしておきましょうか。ですが……ねえ呪使いたち? 正義を独占する者たちの性質とは、善と悪、はたしてどちらなのだと思われますか? 正義を標榜し邪悪の烙印をも自在にする破廉恥な独善とは……ねぇ?」
「……満足か!」

 ――そして、その結果として喚起されるのは、めくるめく敵意の一念です。

「ああ、満足であろうな! 貴様は見事我らに一矢を報いというわけだ! 魔法使いを代表して、貴様らを貶めていた呪使いを逆に貶めることができて、ああ! さぞや気分が晴れただろう!」

 そう鋭く叫んだのは、あの件の中年呪使いです。彼はユカを睨んでいます。手を伸ばせばすぐ届く位置にいるユカへと向けられた彼の、その瞳にあるのは憎悪と怨恨の冷たい火です。
 だがな! と彼は叫んで、続けます。

「だがな、これですべての呪使いが、貴様を未来永劫の敵として認めることになるのだ! 我々は我々の名誉と自負にかけて、必ずや貴様を追いつめるぞ!」
「名誉と自負にかけて――か」

 ユカは相手の言葉を噛んでいいました。
 その一瞬、すべての演技を無効にした本物の感情がユカの瞳にともります。

「僕の知っている一人の呪使いは、もっと別の言葉で僕との間に誓いを立てたものだ。……あいつは知っていたんだ。自分たちの誇りの、その真の所在を。そして、軽々しく口にして振りかざされる名誉と自負、そんなものがどれほど無意味でもろいのかってことも」
「侮るのも……侮るのも大概にせい! いいか、貴様がなんと言おうとも、我々の誇りは揺らがないのだ! 百年を超えて続いてきた誇りと意識が我々には――!」

 呪使いが反論を吐きます。ですが、ユカはそれにはまったく無視を決め込んで、そこにいる彼らの存在にすらまったく無視を決め込んで、呪使いたちの後方へと視線を飛ばします。
 語り部の視線に導かれるように、呪使い達もまた振り返ります。
 そして、一同揃って目を見張ったのです。
 ユカと対峙していたのはいずれも指導層、あるいはそれに準じる立場の呪使いたちでした。それら導き手の呪使いたちは語り部の視線を追って、その先に目撃してしまったのです。
 広場には踏みいらずその外側で待機しいてた若者たちの上に、目にも見えるほどありありと満ちている空気を。

 若者たちの面差しにあるのは、いったいいかなる感情でありましょうか。
 逃げるように、隠すように俯いた、若者たちのその表情が意味するのは、いかなる内心でありましょうか。

 指導者層の最年長者の老人が、愕然とした口調で若者達に呼びかけます。

「……恥じておるのか……? そなたらは、呪使いであることを恥じておるのか……?」

 答える代わりに、若い呪使いたちはさらに俯きがちになります。
 言葉で答える代わりに、言葉よりも雄弁な答えを彼らは返したのです。

 ああ。それは、ありえないはずの光景でした。それは、あってはならぬはずの光景でした。
 呪使いが呪使いであることを恥じるなんて、そんなことは。

 言葉を失って声もなくうなだれて、指導層の呪使い達は若者たちからユカへと視線を戻します。
 そして……彼らはまたもや愕然として、眦も裂けんばかりに目を見開きます。

 彼らを見つめるユカの目から、さっきまであったはずの侮りや蔑みが消えていたのです。
 語り部の目色から軽蔑は消えて、代わりに兆しているのは、軽蔑よりなお残酷な憐れみでした。

 ――集団の中で辛くも保たれていたなにかにヒビが走ったのは、まさにこの瞬間のことでした。

 なにごとか意味をなさない叫びをあげて、例の中年呪使いと同年配の男がすぐ目の前のユカへと突進します。
 ユカが身を翻してこれをかわせば、続いてまたひとり、さらにまたひとりと掴みかかります。
 ……叫びながら……喚きながら。

 ――見るな、見るな、その目で見るな! 哀れむくらいなら、いっそ……いっそ蔑んでくれ!

 言葉にならない言葉を言葉にしたならば、きっとこのようなものであったことでしょう。

 やがて、繰り返し殺到する呪使いたちにユカは最小限の動作で反撃を加えます。寄せ手の攻撃に合わせて身を引いて、紙一重にそれをやり過ごして、勢いづいた足下につま先を引っかけて転倒させたのです。
 もんどりうって地べたに転がる数名の呪使いたち。みじめなうめき声をあげて、泥土のついた顔をあげてユカを睨み付けます。ああ……その目には涙すらにじんでいます。
 そんな彼らを反対に見下ろす形となったユカの顔からは、もはや先ほどの憐憫は消し去られています。再び呪使いたちが敵視する――そして、おそらくは希望してさえいる――邪悪な魔法使いの顔となって、彼は蔑みを――求められてすらいたそれを――込めて呪使いたちをせせら笑います。

「はて、いよいよ実力行使ですか? なりふり構っている余裕は、もはやなくなりましたか?」

 にんまりと悪意を笑んで。右から左、左から右に見渡して、視線でいたぶって。
 それから、ユカは歩み寄ったとき同様にゆっくりと歩いて、呪使いたちから遠ざかります。
 痛ましいほどの敵意の視線に見送られて、彼は再び本棚の前までやってきました。

「理性の担い手がこの有り様、正義を標榜してこの体たらく。よくよく愚かで、そして、よくよく哀れな方々だ。……ですがしかし、皆さんがなにを望んでいるのかはようくわかりましたよ。いや、最初からわかりきっていた。
 それはずばり……これでしょう?」

 呪使いたちを見据えたままで、ユカは背後にした本棚に手を伸ばします。
 手を伸ばして、そこに並んでいる背表紙から背表紙へと、つつっと指先を走らせます。

「善と悪の戦い。呪使いと魔法使いの……正義の呪使いと邪悪な魔法使いの終わらない対立。その構図こそが皆様のお望みなのでしょう? それこそが――」

 ――それこそが、皆様がご所望になる物語でございましょう?

 語り部はそう囁き、そしてさらに続けたのです。

「ならば僭越ながら、ここはひとつご期待にお応えするといたしましょうか」

 背表紙から背表紙を旅していた指先が、ある一冊の上でぴたりと停止します。
 その一冊が手に取られて。
 手に取られて、開かれて。

 成り行きを見守る無数の敵視の眼に、挑むような視線を返して。

「さぁ、はじめましょうか。説話を司る神の忘れられた御名において、お望み通りの物語を」

 語り部は魔法ものがたりを譚りはじめたのでした。




  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 物語は語られ続ける。語り部はそれを譚り続ける。
 そして、語り続ける語り部の傍らには、その彼を見守り続ける者がいる。

 しかしいま、彼女はひどく心を乱していた。

 こんなのは違う、と彼女は思っている。
 こんなのは全然違う、と。

「……こんなのは、まるっきりあいつらしくない」

 我知らず、リエッキはそう声に出して呟いている。
 か細い呟きだった。
 周囲を埋め尽くす意思ある沈黙に呑み込まれ、誰にも聞き止められずに泡のように消えてしまうほどの。

 しかし呟きは消えても、呟かれた不安までは消えなかった。
 消えずに、むしろそれは言葉にされたことによりさらに大きく、大きく膨らむ。

 もちろん彼女は理解している。
 今日ここまでのこれはすべて物語なのだということを。ユカはただ譚っているだけなのだということを。

 けれど、それでも――。

「譚れば譚るほど、あいつがあいつでなくなっちまうみたいだ……」

 胸騒ぎに、リエッキは衣服の裾をぎゅっと握りしめた。
 親友から、片時として瞳は逸らさぬままで。

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