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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆14 第二幕へ 【物語の日、神話の午後/5】

 物語は加速します。物語は止まずに加速し続けます。
 しかしそれは、ユカが聴衆に向けてかたっている物語がでしょうか?
 それとも、私が譚りあなたが読んでいる、この物語が?

 ――もちろん、その両方がです。

 なにかが違う、と。こんなのは奴らしくない、と。そう口にした左利きたちの抱いたその違和感は、はたして間違ったものではありませんでした。
 いかにも、ユカの胸には未だ誰にも打ち明けてはおらぬ秘密の目論見があったのです。その為に彼は今日まで判断を十重とえにも重ねて、算段は二十重はたえにも巡らせて、そして今、振るう舌鋒には柄にもなく刃を忍ばせて譚っているのです。まさに、宿敵がそうと推察したままに。
 そしてまた、左利きの直観はいまひとつの事実をもズバリ察し当てておりました。
 すなわち、今日ここまでのこれは、まだほんの序の口でしかないのでは、との。

「語り部修行の股旅の中で、今日に至るまで実に八年も歩んだその渡世の中で、僕は母以外の魔法使いたちとも多々出会い、その素顔に触れてまいりました。
 僕が巡り会った彼らは、はたして邪悪だったのでしょうか? わかりません。邪悪の定義なんて、僕にはもうこれっぽっちもわかりません。ですから僕が皆様にお答えできることといえば、この僕自身が二つの眼で見た彼や彼女の人柄、そのありのままの人物像だけです。
 たとえば僕は語ります、その乙女は夜にも沈まぬ太陽であったと。たとえば僕は証言します、その若者は月の優しさ、月の誠実さの持ち主であったと。
 彼らの唇には他人ひとの喜びを喜ぶ為の笑顔がありました。彼らのまなこには他人の悲しみを悲しむ為の涙がありました。そして、彼らの心には――」

 激しく、烈しく、はげしく、ユカは言葉により聴衆の心を揺さぶります。いいえ、口にする言葉だけではなく、時宜を捉えた空白の無言の間ですらが黙示を孕んで雄弁です。

 たとえば繰り返される問いかけがあります。邪悪だったのか。邪悪はどこにいたのか。邪悪とは、いったいなんなのか……そうした問いかけを、ユカは一段高い本棚の上から聴衆の頭上へとばらまきます。これは、いうなれば疑惑の播種です。
 それらの質問は聴き手も気づかぬうちに彼らの心に根付いて、譚りの最中にも成長し続け、そして、無意識化で宿主に自問することを強いります。

 邪悪なのか? 邪悪はどこに? 邪悪は……邪悪とは、いったいなんなのか?

 自問に対する自答がどのようなものであったかは、言わずもがなでしょう。

 そしてまた、たとえば意図的な言葉の中断というものがあります。この暗示に満ちた断絶と沈黙は、その先に続くはずであった言葉の内容がどのようなものであったのかを聴き手に推考させるのです。
 語り部の切り離した断片を己の思考を頼りに補完した聴衆たちは、それが我が心から発した自分自身の意見であるかのように錯覚し、物語に対して特別な想いと同調を抱きます。
 ユカの誘導がそこにあったことになど、つゆほども気づかずに。

 他にも、ああ、他にも。
 たとえば長すぎるように感じる句点の沈黙があります。
 たとえば省略される読点の一呼吸があります。
 形を変えて反復される表現の重複があり、畳みかけるような単語の連打があります。

 他にも、たとえば、たとえば、たとえば――。

 言葉は一語一語が劇的で。沈黙ですらが吼え猛て。
 一流を凌ぐ一流。蜜の舌を持つ物語師。そう呼ばれた語り部はいま、語り部修行の八年に身につけた技法と技術のすべてを駆使して、頑迷であり続けた社会よのなかに勝負を挑んでいるのです。

 ですが。

 左利きがそうと看破した通り、ここまではまだほんの序の口なのです。不遜な極論を申してしまえば、ここまでであれば、その気にさえなったならばユカにはいつでもできたのです。
 いつでもできたそれを今日までしなかった、その理由がユカにはありました。
 そして、今日までしなかったそれを、この日この時こうして実行している、その理由が。

 さぁ、いまこそ機は熟して、ユカは局面を次の段階へと移します。

「迷信とは霧、我々の目を曇らせる黒い霧です。そして、偏見とは瘴気ミアズマです。我々の誠実さを蝕み、良心を病気にさせる、恐ろしい瘴気です。
 ……ああ、なんと。我々の生きるこの世の中は、なんと長い間そうしたよからぬものに閉ざされてきたことでしょうか。その霧と瘴気の迷妄の中で、我々はなんと多くのものを見失い、損なってきたことでしょうか。

 皆様。良き耳と良き心をお持ちの、親愛なる聴き手の皆様。

 いったい、この霧はどこから立ちこめてくるのでしょう? いったい、この瘴気はどこぞの沼より漂いくるのでしょう?
 どなたか、答えを知っている方はおられますか?」

 ――たとえば、そちらの旦那さんはいかがです? そっちの女将さんは、どうでしょう? ならば、こちらの火吹き芸人さんは? そっちの絵描きの姐様あねさまは?

 そのように一人一人名指しで呼びかけながら、ユカは聴衆に問いを投げかけます。
 そしてその最後に、人群ひとむらの頭上を飛び越えた後方へと視線を飛ばして、そこに集まっていた者たちにも問いかけたのです。

「――それに、そう。そちらにおいでの呪使い様たちは、いかがでしょうか?」

 語り部に導かれるように――いいえ、それは実際に誘導だったのです――すべての聴衆が、一斉に背後を振り向きます。
 振り向いて、そして、彼らはそこに見つけます。
 今まさに問われていた問題の答えを。

 百人いたなら二百の瞳が、二百人なら四百しひゃく視線それが、刺となって呪使い達に降り注ぎます。

「諸悪の根元は、はたしてなんなのでしょうか? ……いえ、何者なのでしょうか?」

 ユカは再び言いました。
 それから、口元をほんの少しだけ、笑いの形に歪めます。

 それは、笑いかけられた者たちの空想の中にしか住まぬ存在を完璧に演じた笑顔でした。

「ねぇ、呪使い様たち?」

 邪悪な魔法使いの笑みで語り部は笑ったのです。




 物語は語られ続けます。語り部はそれを語り続けます。
 ユカも、そしてこの私も。

 さぁ、読者よ。三幕構成で組み立てられた物語の日の、ここからがその第二幕です。

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