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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆13 好敵手 【物語の日、神話の午後/4】

 呪使いたちは広場の外側にいます。その外縁を縁取るようにして、彼らは広場の周囲に参集しています。
 そこが絶対の水際なのでした。彼らはそこから先へは――すなわち、いまや物語の結界と化した広場の内側には、ただ一歩として進入することが出来ずにいるのです。
 とはいえ、これはユカが狙ってもたらした結果ではなく、ましてやこっそり行使していた魔法の効果……などということでも断じてありません。

 これは、いうなれば自縄自縛じじょうじばくいましめでございました。
 集まった呪使いの大半は語り部を敵視していて、そうでない一部の者たち(たとえばいつぞやの夜にユカと出会い彼の言葉に感化されていた者などがこれに当たります)もまた、総体として見た呪使いという存在があの語り部と……ひいてはこの場を支配する物語と敵対する者であることを知っていたのです。
 彼らはそれぞれに自分たち呪使いの立場を弁えていて、それ故に躊躇ちゅうちょして、それ故に踏み込めない――。
 つまるところ、彼らの行動を縛り上げているものとはほかならぬ彼らの心なのでした。自覚と自認と自意識と、それにほんの少しだけ誇大に働きすぎた想像力が、あたかも聖堂の威光に弾かれ閉め出された魑魅魍魎ちみもうりょうの如き振る舞いを彼ら呪使いに強いているのです。

 自縛のしめ縄に阻まれた亡者たちをよそ事に、物語はなおも加速します。

『――念願は成就して、本懐は遂げられて、いま、僕はこうして千載の機会を得て真実を譚っています。……そう、真実を。深きの森の魔女、骨を食む鬼女、童をかどわかす悪女……皆様がそう信じまたそう語ってきた骨の魔法使いの――我が愛する母の、これがその真実の姿なのです』

 仇敵たる語り部を、呪使いたちは手出しの出来ぬ局外より見つめるばかり。ある者は怒りに震え、またある者は焦慮に歯噛みし、はたまたある者は、忘我のうちに物語に魅了されて。
 そんな亡者の列の中に、魑魅ちみでも魍魎もうりょうでもない若き呪使いの姿はありました。
 左利きです。
 普段であればまず同胞の情けなき様に舌を打っていたであろう彼は、しかしこの瞬間、立ちつくす呪使いたちには見向きもせず、ただ広場を貫いて槍のような視線を飛ばしています。

 本棚の上、一段高い場所に立ちそこから聴衆へ言葉を投げかけている語り部に。
 化けの皮を自ら剥いでついに正体を現した、この世に二人といない彼の宿敵に。

 握った拳は、己で驚きを覚えるほどに汗ばんでいます。震えはもうそこにはありません。先ほど相棒と言葉を交わしたことによって、さっきまでの手の震えは完全におさまっています。
 ですが代わりに、その静かな手を胸に押し当ててみれば、高まった心臓の鼓動は衣服の上からでもはっきりと感じることができました。

 魂が震撼しているのだ――左利きは心中に呟きます。魂が、この私の、この魂が。

 術衣の胸元をくしゃくしゃに握りしめて、左利きはゆっくりと息を吸い込み、それから、吸い込んだのと同じかそれ以上の時間をかけてゆっくりと、ゆっくりと吐き出します。
 ここにあるのは戦慄だと左利きは思います。ここにあるのは歓喜だと左利きは思います。
 いましも語り部が演壇と用いて立っているあの本棚、あれには百を越える魔法が蔵書されている、左利きはそのことを知っていました。百の魔法を自由に、自在に行使する魔法使い。己の宿敵がそれであることを彼は知っています。
 しかし同時に、左利きは次のこともまた承知しているのです。
 これは魔法ではないのだと。あの譚りの弁舌、聴衆どころか対立するはずの呪使いの心まで鷲掴みに掌握してしまうあの物語の神業かみわざは、魔法などでは決してないのだと。
 百の奇跡の使い手であるあの男は、しかし反則めいた奇跡の力は未だ隠したまま、ただ現実的な能力のみでここまでやってのけているのだ、と。

 戦慄して、左利きはふるえます。
 そしてだからこそ、彼は歓喜に打ち震えもします。

「脅威だよ、ああ、いかにも脅威だ。恐ろしいほどに、嬉しくなるほどに……貴様という男は」

 すぐ近くで、彼と相棒の後見役となった中年呪使いが地団駄を踏んで悪態をついています。

 おのれ、おのれ、本の魔法使い! 彼奴め、よこしまなる魔法によって愚衆どもの心を奪い、吾輩どもの行動を縛り、果ては我ら呪使いを追い落とそうという魂胆だな! うぅ、おのれぇ!

 自分に倍する年齢の先達に、左利きは憎悪の視線を送ります。ですが、それも一瞬のことでした。再び語り部に瞳を据えなおした時、彼の表情から不快さのすべては一掃されています。
 畏るべき――そして誇るべき宿敵の存在が、唾棄すべき味方のただなかに身を置く左利きの心に涼風すずかぜを呼び込んでくれたのです。

「貴様はこの私の敵だ。宿敵だ。……なぁ語り部。私はいま、そのことがたまらなく嬉しい」

 旦那ァ、と、視界の外に自分を呼ばわる声を左利きは聞きました。
 少し離れた場所にある同胞の一群を割って現れた彼の相棒は、保安吏たちが捕り物に使う刺股さすまたを手にしています。

「あ、これ? いえね、保安吏どもに協力を求めたものの案の定色のいい返事はもらえなかったらしく、そんでせめてもとこんな道具だけ借り出して来たんだそうすわ。あっちで配ってましたよ」

 もはや以心伝心、左利きの意図を先読みした相棒は問わず語りにそう答え、手にした刺股をえいやと尽きだして得意顔をしてみせます。
 ほかの誰もが大声をはばかる中で一人だけ細かいことを気にしていない、そうした彼の態度に、最近の左利きは好意的な印象を持ちはじめていました。
 それから、相棒は急にまじめな表情となって語り部を見つめます。

「しっかし、さすがに驚かされたすね……あの野郎が骨の魔法使いの息子だったなんてなぁ」
「……ああ、そうだな」

 左利きは同意して頷きます。あの追跡の日々の間に幾度と無く語り部と対話を持ってきた彼でしたが、己の宿敵の出自を知るのは今日がはじめてなのでした。
 確かに驚いた。驚かされた。……だが、しかし――。

「――だがよ、奴ならそのくらいあってもおかしくねえって、俺ぁそういう気がしてますよ」

 再び以心伝心でした。左利きの思考を読んだかのように相棒がそう言ったのです。
 相棒は手の甲を使って鼻をこすります。語り部を注視したままで。
 二人が数ヶ月を追い続けた男はいましも彼らの眼前にいて、そしてその彼を見つめる相棒のまなざしは、敵を睨み付けるというよりは、ほとんど旧友を見守るそれに等しくて。
 だから、左利きは不意に強烈な想いに貫かれたのです。
 いま、他のすべての同胞たちが目の前の奴をどれほど遠くに感じていようとも、関係ない。我々の距離は――私たち四人の距離は、物理的な距離すらも超越して、あまりにも近い。

 胸裡に湧き上がる熱を感じながら、囁くような小声で左利きは相棒に言いました。

「……今日は言わないのか? 百年目だ、とは」

 え、なにか言いましたか? と相棒が聞き返します。左利きは笑って、なにも言っちゃいないさ、と応じます。
 それはとても自然な微笑でした。左利きは、声には出さずに呟きます。
 ――あんたと私とは、どうやら私の思っていたよりもずっと多くのものを共有しているらしい。

 二人が見つめる先で、彼らと数ヶ月を共にした語り部は譚り続けています。

『――皆様は僕に問われるでしょうか? 不幸だったか、と。要らぬ子と捨てられ、人外境に育ち、母ならぬ母の腕に抱かれたお前の揺籃ようらんは、不幸だったかと。もしも問われたならば、僕はこうお答えします。不幸ではなかった、と。この僕の境涯きょうがいに、不幸など一つもなかったと。
 僕には世界一の母がいて、僕という子は世界一の愛情を注がれて育って……だから、この僕以上に幸せだった子供は、過去と未来を通してこの世のどこにも存在しないのだと、僕は胸を張って答えることができます。
 母のくれた愛が、僕にそう胸を張らせてくれるのです』

 物語はいつしか問いかけへと変化していて、しかし聴衆の誰一人としてその推移に気づいてはいない様子です。なにしろ問いかけているのは物語の登場人物なのです。だからこの問いかけは物語の延長線上にある問いかけで、だからこの現実は物語と地続きとなった現実で。
 だから誰一人として、譚られる内容に疑いを差し挟むことはありません。
 物語る語り部の存在それ自体が、物語の最大の説得力と機能しているのですから。

『ああ、皆様。いったい、邪悪な魔女はどこにいたのでしょうか? 眠れぬ夜更けの窓の向こうに? それとも、昼なお暗き禁忌の森に? ――いいえ、違います。もしも邪悪がいたとするならば、それは歪められた物語の中にこそ。そしてそれを信じる、皆様の心の中にこそ』

 そして、物語はさらに、さらに加速します。
 加速して、物語は鋭利さを増してゆきます。

 ――鋭利さを?

 左利きがふとした違和感にとらわれた、そのときでした。

「……ところで旦那。さっきから俺には、どうにも気になってることがあるんですがね」

 相棒が、またも不意にまじめな声で言ったのです。

「あの野郎の口八丁は、確かにとんでもねえや。見てくださいよ、この超満員の人の山、みんなあいつの聴衆だぜ。みんなばっちり野郎に感化されちまってる。いや、ことはこの場だけの問題にすまねえ。今日のことは口から口に語られていくはずです。とすればもう、大げさでなく世の中は変わる。魔法使いを邪悪と信じる世間は今日を境に終わりに向かってくはずだ」
「ああ、確かにそうなるだろう。奴の譚る物語にはそれだけの力がある」
「だがなぁ、俺には野郎の了見がこう……どうにもいまいち腑に落ちねぇんだよなぁ」
「……なにを言っている? 魔法使いへの偏見が消えた世の中、物語ることによりそれをつくることこそが奴の宿願だったのだぞ? どこに矛盾や不明があるというのだ?」

 半ば反論、そしてもう半ばは純粋な質問の調子で左利きは問います。
 この男が時折発揮する馬鹿ならではの勘働きの良さ、それが侮りがたいものであることはいつしか左利きも認めていて、だからこそ、彼はこうした場合の相棒の意見を疎かには聞かなくなっていたのです。

「いや、確かにそれはその通りなんですがね。けどなんつうか……これじゃあただ世間の風向きが変わるだけだって気がするんですよ。東に吹いてた風が西向きに変わるだけ、っつうか」

 ――風向きが変わるだけ。
 相棒のその言葉に、左利きはハッとしてなにかに気づきます。

「……つまり、このまま奴が譚り仰せたとしても、それでは魔法使いが呪使いに、そして呪使いが魔法使いになるだけ……あんたはそう言いたいのか? ただ立場が反転するだけだ、と」

 ああ、そうそうそう、そういうことだ――相棒が手を叩いてその通りだと叫びます。

「そうなんすよ。ただ逆になるだけなんすよ。ほら、さっきあのぼんくらのおっさんが『我ら呪使いを追い落とし』とかなんとか言ってたでしょ? まぁありゃ完全に被害妄想から出た悪態でしたけど、しかしそいつがどうしてずばりと的を射てそうなんだよなぁ。だって魔法使いが気の毒な被害者だったってことになりゃ、次は誰が加害者なんだって話になるでしょう?」

 そう締めくくった相棒の言葉に、左利きは押し黙って頷きます。
 これが物語の鋭利さだ、と彼は思います。
 奴の譚る物語は聴衆という聴衆を魅了しながら、しかし同時に、聴衆の心にある後ろめたさを刺激せずにはいないのだ。骨の魔法使いをはじめとした魔法使いたちを邪悪と信じ、そして時には無責任な流言を飛語と口にしてきた……そうした者たちにとって、この物語は痛烈な批判に他ならないのだ。

 ――では、その慚愧から逃れるために人々はどう行動するか?
 ――決まっている。さらなる悪を糾弾するのだ。諸悪の根元を。魔法使いの敵対者を。

「いまこの場にいる聴衆たちを中心に、我ら呪使いに対する反感はいよいよ爆発的に高まるだろう。そして、おそらくは呪使いを排斥せよとの機運に世の中は決定的に傾くはずだ」

 無感動な口調で言う左利きに、やっぱそういうことになりますやな、と相棒が同感します。

「まぁ、そうなったらそれは因果応報って奴だ。それに年寄り連中は認めまいとして必死ですが、俺らの権威だの権力だのってのはもう随分地に落ちてんだ。魔法使いに対する偏見ってのも大分和らいできてた昨今だ。なら、こいつは時代の潮目ってやつなのかもしれねえや」

 まるで他人事のようにそう言ったあとで、ですがね旦那、と相棒は続けました。

「なんでかわからねえが、俺にはそうなるのが野郎の本意だとはどうも信じられないんすよ」
「……なぜそう思う?」

 左利きは最低限の言葉で反問します。
 実際には相手の言葉に完全に同意しながら。

 先ほど感じた違和感を言い当てられたような気分でした。
 魔法使いの名誉を挽回し、反対に彼らに汚名を着せていた呪使いから名誉を剥奪する……魔法使いの息子として育ち自らもまた魔法使いとして目覚めた若者の目的として眺めたならば、そこには一見してなんらの矛盾も見あたらないように思えます。

 ですがここにいる二人は、自分たちの敵がどういう男であるのかを知っているのです。

 なにかが違う、と左利きは思います。
 物語の鋭利さ、そこからして違和感があったのだ。あの穏和を絵に描いたような男が、こうまで鋭く斬りつけるような物語を譚るだろうか。そもそもこの場に呪使いを集めたのは奴なのだ。ならばその面前で我々に批判を向かせ、結果として大きな禍根を産み遺恨として残すような……そんな手段をわざわざ奴が選ぶだろうか?

 ――あるいは、奴の最終的な目的は、もっとずっと深い部分にあるのではないのか? つまりこれは、まだほんの序の口でしかないのではないか?

「俺には上手く言葉に出来ないんすけど、けど、一つだけはっきりしてるこたぁありますぜ」

 唐突に発せられた相棒の声に、己の思考に陥り掛けていた左利きが我に返ります。自分が彼に対して問いかけを発していたことを思い出して、取り繕うように「なんだ?」と言います。

 相棒は左利きを横目に見ながら、これこそが唯一当然の回答とばかりに答えたのでした。

「あの野郎が旦那の存在を無視するわけねえってことですよ」

 いいですか? 野郎の知ってる呪使いの中には旦那っていう好敵手が含まれてんです。だったらもう、それだけで奴にとって俺ら呪使いは特別なはずだ。ですからね、俺ぁ思うんすよ。旦那が不在のまま野郎が俺らを悪者にして終わりにするなんてこたぁ、絶対ありえねぇって。

「……好敵手?」と左利きは反復します。どこか間抜けたような声で。
「好敵手でしょうが?」と相棒が応じます。どこか呆れたような声で。


 しばし、お互いに無言となった空白の間が訪れます。

 それから、左利きは笑い出します。

「おい、その捕り物道具はどこで配ってるんだ? まだ数に余りはありそうだったか?」

 まるっきり突拍子もないこの質問に、相棒は意外の念を隠しきれぬという顔をして、え、ええあっちで、数はそんなに残ってなかったように見えましたけど、と応じます。

「そうか。ならば急がねば品切れになってしまう、早速案内してくれ。……ん? なんだ? 私がそうした得物を自ら手にしようというのが、そんなにも意外か? だがな、あんたも承知している通り、私をさしおいて他の誰が奴の前に立ちはだかるというのだ?」

 左利きは笑います。押し殺しきれぬ声をくつくつと漏らして、彼は笑います。

 笑いながら、彼は言ったのでした。かつてないほどに表情豊かな声で。

「なぁおい。好敵手なんて、そんな洒落た言葉を持ち出す必要はないのだ。私と奴の関係を表すのには、ただ宿敵という言葉があればそれで十分だ。
 ――ああ、そうとも。私と奴とは、生涯の宿敵だ」



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