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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 一章.図書館のドラゴンは夢を見続ける。

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■2 リエッキ

 その夜の月は真円に一晩足りていなかったが、十四日目の月は翌日と遜色なく冴え渡って山々を照らしている。人里の灯は遙かに遠いが、月光と星明かりだけで夜は充分に蒼かった。
 そんな夜のただなかで一人と一頭は向かい合っている。人の少年と、赤き鱗を持つドラゴンは。
 夜番の兵士に発見される面倒を避けるため焚き火はしていないが、それでも少年の二つの瞳は真っ直ぐに竜を捉えている。
 捉えて、そして離さない。

「というわけで、僕は森のなかの聖域で獣たちを友達とも兄弟ともしながら子供時代を過ごしたんだ。だからさ、こういう自然の中でなら、僕はいささか以上に役に立つと思うよ」

 ユカと名乗ったその少年は自らの素性と生い立ちの特殊なる様を彼女に――リエッキに説き明かした。リエッキはユカの語るに任せて聞き役に徹していた。
 ともかく、それによりいくつかの不明な点に得心はいった。
 たとえばユカが骨の魔法使いの息子で、物心つく前から世に恐れられる獣たちと親しんで育ったという事実。それはそのまま彼が竜であるリエッキを人のように扱うことの説明となった。夜を見通す眼をはじめとした獣の能力もまたそれに由来しているらしい。
 そして、自分を助けたいという申し出がまったくの本心からであることも彼女は理解した。

「……なるほどね、まぁ、だいたいのことはわかったよ。申し出にも一応感謝しとく……いいか、一応だかんな」

 ユカの語りが一段落ついたあとでリエッキは言った。ぶっきらぼうで愛想のない物言いで。
 しかし、数時間前の邂逅であいの場面におけるそれと比べれば、彼女の口調は格段に砕けている。
 変化が生じているのは口調だけではなかった。ユカとの対話に、彼女は気負いの一切を感じていない。対話は自然となされて、緊張の強張りは指先ほどにもない。
 気分はどこまでも落ち着いていて、くつろぎの感すらそこにはあった。
 そんな自分の内面を、リエッキは驚きをもって見つめていた。
 不思議だ、と彼女は思う。わたしの置かれている立場はたぶんこれ以上ないほどに剣呑で、しかもそれは夜が明ければさらに進展する。
 なのにいま、わたしはどうしてこうも平然としているんだろう、どうしてこうも当たり前のようにこのガキと向かい合ってるんだろう。
 いままでわたしは、たったの一言として誰かと口を利いたことなどなかったというのに。
 胸に湧いた雑念を、彼女はとりあえず脇にのける。そして再びユカに言った。

「でも助けてくれるっていったって、あんたさ」
「ユカ、だよ」

 リエッキの言葉を遮ってユカが訂正する。指をピンと立てたまま、彼はなにかを期待するような眼差しをリエッキに向けている。

「……ユカ」

 遠慮がちに彼女が言い直すと、名を呼ばれた少年は満足そうに頬を緩ませて「なに?」といった。
 なんだか妙な感覚をリエッキは覚える。はじめてのその気分に照れくささとか気恥ずかしさとか名付ける為の語彙を、リエッキはまだ所有しない。
 名状に至らぬ含羞に突き動かされて、リエッキはそっぽを向いて「はん」と鼻をならした。

「……それで、助けてくれるっていうけど具体的な考えはなにかあるのか?」
 気を取り直して彼女は言った。
「断っとくけど、闇雲に暴れ回るだけならわたしひとりだけのほうがよっぽどやりやすいんだかんな。あんたが親譲りの魔法の使い手だとかいうなら話は別だけどさ」
「親が魔法使いだからって子供まで魔法使いになったりはしないよ。(まじない)使いじゃあるまいし」

 肩を竦めてそう応じ、ユカは蜂蜜菓子をもう一つ口に放り込む。
 それから、彼は蜂蜜に濡れた指をしゃぶり、もう片方の手では首筋をさすりながら何事か思案を巡らせはじめる。真剣な表情で、しかし深刻さはあまり感じられない。

「あ、なるほど、そうかそれだ」

 やがて少年は顔をあげてリエッキを見た。

「まさにそれだよリエッキ。呪使いだ。糸口はそこにあるんだ」
「はぁ? なんだよそれ?」

 唐突な発言にリエッキが説明を求める。ユカはチュニックの裾で指を拭いながら解説した。

「君を狙ってる領主の手勢は二つの人種で構成されてるんだ。一つはもちろん兵士たちで、こっちは特に説明いらないよね。でもう片方なんだけど、こっちが呪使いだ。杖持った人たちがちらほらいたと思うんだけど、ここから見えたかな?」

 リエッキは肯く。
 鎧と矛の連中に比べれば数は少ないが杖を持った奴らの姿も確かに彼女は目撃していた。
 矛を振るって山に分け入る兵士たちを実行隊とすれば、詰め所となった天幕があるあたりから動こうとしない杖の連中は兵士たちの上司、彼らの司令塔のようにみえた。
 そうした印象をリエッキが告げると、ユカは嬉しそうに「その通りだよ」と彼女の見識の確かさを褒め、説明をさらに先へと進めた。

「呪使いは現場監督みたいなもんだよ。汗水流して頑張るのは兵士のみなさんだけど、彼らがどう働くかは呪使いの指図次第なんだ。なんたって呪使いは権力者だからね。彼らが関わってくる場面ではだいたいいつもこの構図は変わらない」
「つまり、その呪使いどもをどうにかしようってのがあんたの考えなのか?」

 リエッキのこの質問に、ユカは「つくづく飲み込みが早くていいなぁ」と答える。

「うん、とにかく呪使いたちに敗北を受け入れさせるんだ。それで連中は撤退していくはずだ」

 これぞ名案とばかりにいうユカに、リエッキが渋い顔を向けた。

「どうなんだそれ? わたしは皆殺しにしちまったほうが格段に話は早いって思うんだけど」
「ダメだよ」とユカは言った。「出来るだけひとりも殺さないでお帰り願うんだ」

 リエッキの渋面が苦みを増した。なにいってんだこいつ? とその顔には書いてある。

「世の中に悪い人はいないんだ」
 リエッキの訝る気色には気付きもしない様子で、ユカはさらにそう言った。
「まぁもちろんたまにはいるだろうけど、でもそうそうはいない。だからさ、出来るだけ人死には出さないで済まそうよ」

 そう語るユカの笑みに偽善の色は皆無だった。彼はまったくの自然体でその性善説じみた考えを口にしていた。
 それがいかに世の水準から懸け離れた純心さであるか、リエッキにだってそれはわかる。

「呆れた……」とリエッキ。「あんた、自分が言ってることわかってるのかね。『奴らは君を殺して剥製にしようとしてるけど根は善人だから殺さないで帰してやろう』って、あんたの言うのはこういうことだよ? どうしてわたしがそれに付き合わなきゃならないんだ?」

 怒るでも咎めるでもない、純粋な呆れだった。おめでたい奴、とリエッキはユカを見遣る。
 リエッキの言葉と視線に、ユカは気まずそうにするどころか笑顔の温度をさらに深くした。
 どうしてわたしが。彼女のその問い掛けならぬ問い掛けを、彼は持ち前の純粋さで額面通りに受け止めていた。
 そして答える。やはりどこまでも屈託なく彼は応じる。

「どうしてって、そんなの決まってるよ。だって君ならそれが出来るでしょ?」

 なんでそんな当たり前のことを、というように、ユカは声を出して笑った。
 笑顔と声と、そして言葉が彼女のと胸をついた。
 リエッキはひどく動揺し、心を千々に乱している。
 なんだこれは、と彼女はどぎまぎしながら思う。おい、わたしはいまいったいなにをされたんだ?
 その瞬間に自分が与えられたものの正体を、リエッキはやはり掴めない。信頼という語彙をやはり彼女は所有していない。それに触れたのはこの時がはじめてだった。
 不快とは対極の胸の高鳴りが、感情の初心者たる彼女に唯一なにかを証明していた。

「ん? リエッキ、どうしたの?」

押し黙ったリエッキに、ユカが案じる視線を向ける。

「……わたしは、いまようやく確信したぞ」
 リエッキはユカの心配は無視して言う。
「いまこの山にいる人間で、一番厄介なのは鎧の連中でも杖の奴らでもない」

 ユカがきょとんとした顔をする。「え、どういうこと?」と彼は言う。一番厄介な少年は。
 リエッキは一度だけ深く吐息をついて、「なんでもない。忘れろ」と力無く告げる。そのあとで彼女は言った。

「まぁいい……あんたの趣味に付き合ってやるよ。出来るだけ殺さない……出来るだけな」
「うん!」

 ユカは嬉しそうに肯く。
 ありがとう、とは言わない。彼女ならそういうと最初から信じきっていたかのように、彼は当然のこととしてその言葉を受け入れる。

「しかし、具体的な方策はまだ一つも出てないぞ」とリエッキは言った。「有り難いことについたのは条件の縛りだけだ。敗北を認めさせるって簡単にいうけど、いったいどうやってそれを実現するんだ?」

 リエッキの疑問提起に、ユカは「ちょっと待ってね」と言い置いて考え込む。
 彼は夜に眼を凝らし、月光に映える山並みを眺める。雲の動きを眺め、周囲の音に耳を澄ませる。彼らの居る場所からずっと下、山道脇に設営された敵方の詰め所、その所在を明らかにしている常夜の篝火を眺める。
 しばらくそうしていたあとで、彼は「よし!」と一声発してリエッキに向かいなおった。

「うん、こうしよう。いいかい、説明するよ? まず、『リエッキはこの山の主だ』」

 もうこの日何度目になるだろう、リエッキが唖然とした顔をユカに向ける。

「おい……あんた、なにを今さらわかりきったことを言ってんだよ――」
「まぁいいからさ、とりあえず最後まで聞いてよ」
 疑問符にまみれたリエッキの言葉を遮ってユカは続けた。
「『リエッキはこの山脈の主、それも山の神格の化身たる存在だ』、君はまだ全然若くて貫禄も足りてないけどそんなことわかる人間なんか滅多にいやしない。で、この僕はさしずめその従者だ。それでね――」

 ユカはなおも語る――かたる。

 最初こそ半信半疑に耳を傾けていたリエッキだが、話が進むにつれて彼女は唖然の度合いを深めていく。
 そして、やがては完全に言葉を失って、大きな目をさらに大きく瞠った。
 無理からぬ反応だった。なにしろユカが彼女に話しているのは、作戦にして作戦ではない。
 それは、物語だった。
 危うく差し迫ったこの状況を解決し、円満な結末へと導く為の物語。
 やがて語りを終えたユカは、なんでもない顔をしてリエッキに告げた。

「夜が明けたら連中は山狩りを再開する、そしたらこっちも行動開始だ。まずは兵士たちに接触して布石を打つところからだ」

 腹が減ってはなんとやらだよ。そう言ってユカは蜂蜜菓子をリエッキにも勧める。

「……いらない」

 リエッキはなんとかそれだけ言った。
 でたらめ過ぎる、と彼女は思っていた。ユカの提示した方策も、それを語ったユカ自身も。
 それに、そのでたらめに命運を預けてみたくなっているこの自分も――なにもかも。
 形を変えながらも心に在り続けた謎をリエッキは問う。

「……あんた、何者なんだよ?」

 ユカは答える。衒いのない笑顔で。

「僕は語り部だよ」

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