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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆7 献身的な沈黙

 宿敵の消息が伝えられたその日から、同胞らを夏祭りへと(いざな)う為の左利きの活動は以前まえにも増して精力的になります。
 夜毎各地に出没する語り部の噂はその後も断片的に彼の耳に伝え聞こえ、いよいよ季節が夏へと移り変わろうという頃、既にそれは畏怖と憧憬をたっぷりと含んだ巷説怪談、あるいは巷説神話のような様相を呈しておりました。
 方法は違えど目的は明白に共通している宿敵の行動に、これでは本当に千人の呪使いが集まってしまうかもしれないと左利きは思います。
 ですが、そんな危惧とも手応えともつかない実感を覚えながら、それでもなお彼は活動の手を弛めはしませんでした。

 己の宿敵の強大なるを信じていたが故に。


 一方、ユカもまた引き続き滑稽譚を譚り続けておりました。
 ある夜には海峡に臨む港湾都市を訪れたかと思えば、明くる夜はそこから一月の距離を隔てた山懐やまふところの農村に現れて……
 このようにいかにも怪談じみた神出鬼没は、演出としてはこの上もなく効果的。かくて噂は人から人へと手渡され、口から口へと語られます。

 さて、よく言うように噂話は蛙の子でございます。成長の過程で抜かりなく尾ひれを伸ばし、ついには手足も生やして一人闊歩しはじめるのが噂というものの持つ宿命的な性質です。
 酔いどれどもはまことしやかに語ります。
 実のところ件の物語師は一人ではなく複数人の集団で、これが神出鬼没の真相なり――そう力説する者があれば、いやいやさほどに凄まじい話術の使い手がそう幾人もあるものか。いいか、俺が呪使いから聞いたところによれば、なんでもその語り部は精霊だか悪霊だかの化身した姿だとか――と、こちらもまた力説で応戦します。
 決して結論の出ない論争の向こうに、彼らは巨大な――全貌の見えぬほどに巨大な水生生物の身体の、ほんの一部分のみを垣間見ます。自ら語った出鱈目話に、酔客たちは知らずのうちに酔い覚めするほどの畏れを感じます。
 そしてまた、その一瞬の畏怖がもたらした寒さを忘れるほどに、熱烈にこいねがうのでした。

 是非ともその語り部をこの目に見てみたい。この耳にその譚りを聞いてみたい、と。

 このように、我らが語り部は自ら語るのみならず、噂という形で聴衆にも語らせたのです。
 語り部は物語を播種します。物語を張り巡らせます。講じ得る限りの手段を講じて。
 宿敵との決闘の場に、一人でも多くの見物人を招く為に。


 ――読者よ、これが構図でした。語り部と呪使いの。対立する二人の若者の。

 説話を司る神の忘れられた御名において。
 奇数と偶数にかけて、天穹の星の無限にかけて。

 運命の夏へと向かうこの一期間、彼らはあらゆるしがらみを忘れて交わした誓いの為の行動に力を注ぎます。
 全身全霊で、ユカと左利きはただお互いだけを念頭に据えています。

 それこそ、ほとんどまわりが見えなくなるほどに。

 だから、語り部はついに気付かなかったのです。
 知らぬ間に視野狭窄に陥っていた己にも。
 そして、その狭まった視界の外側で自分を尊重してくれていた、献身的な沈黙の存在にも。


   ※


 季節が春から夏になると、森の中の自然はより一層濃密さを増してまいります。
 原色の緑がまなこを圧し、すだきさんざめく虫たちの声が耳を圧し、その他あらゆる要素が五感という五感を圧倒します。満座の酔客が立ち上らせる人いきれにも劣らず鼻腔を打つ草いきれは、そのまま肺へとくだって身体を内側から夏で満たすかのよう。
 様々な地形を内包する骨の魔法使いの森、そこを行き交う春夏秋冬はこれもまたとびきり鮮烈な、天下無双の四季なのでした。

 さて、そのとびきりの夏のとある午後、三人の姿は森(いささか紛らわしいですが、ここでいう森とは魔法の力で生み出された聖域全体を指しているのではなく、樹木の密生する字義通りの森、森という領域の中に存在する森という地形のことです)のほとりに見られました。
 ユカとリエッキと、それから聖域の主である骨の魔法使いです。
 この日、三人は前もって仕掛けておいたあるものの様子を見るために森へと出向いたのでした。
 二本の若木の合間に据え置かれたそれを、まずはユカが確認します。迷いのない手つきでてきぱきと作業をこなした彼は、目の前に現れた期待を越える成果を見定めた瞬間に完爾にっこりと相好を崩し、すぐに後方で様子を見守っていた二人を手招きして呼び寄せます。
 女たちはユカの背後から彼の手元を覗き込み、それから、こちらもまた揃って歓声をあげたのでした。

「本当に蜂の巣が出来てるわ……」
「本当に蜂蜜が出来てる……」

 二人分の感嘆の声に、ブゥゥゥンという羽音が重なります。
 母と親友のこの反応に、どんなもんだいとばかりにユカは胸を張りました。
 得意満面となった彼の前にあるのは特殊な形と構造の木箱――春先にユカが手ずから拵えて設置した、ミツバチの巣箱なのでした。
 外枠を外された箱の中には六角形の穴が無数に空いた――ああ、どうしてこのような緻密な仕事が小さな虫たちに可能なのでしょう!――黄金色の巨大な塊が出来上がっています。

「蜂飼いたちは財産である蜂の巣のことをよく黄金にたとえるんだけど……でもいま目の前にあるこれは、比喩ではなくて本当にそう見える。それに巣の成長速度も思ったよりずっと早かった。やっぱり、この森のミツバチは特別に働き者で、この森の自然は特別素晴らしい」

 満足げにそう言って、ユカは巣からしたたる蜜を指ですくい取ります。一舐めした途端に驚いたような顔となった彼は、ともかく同じようにしてみるよう他の二人にも勧めました。
 ユカに続いて蜂蜜を味見した二人の反応はこちらもまたユカと同様、笑うでも一言感想を言うでもなく、ただただ驚愕して目を瞠ります。

 言語を絶する美味が、文字通り三人から言葉を奪い去ってしまったのです。

「……ほっぺが落ちてにやにやしちゃうだなんて、とんでもない大嘘じゃないの」
 と骨の魔法使い。
「あんまり美味しすぎて、これじゃあ笑うことすら忘れちゃう」

 森の魔女はほうっとため息をつきます。母のこの言葉にユカは神妙に肯いて応じ、そのあとで、思い出したようににへらっと笑顔になりました。
 リエッキに目を向けてみれば、彼女はほとんど取り憑かれたようになって蜂蜜の滴り落ちた溜まりに指を運び続けています。
 脇目も振らずに一心不乱、絵に描いたような無我夢中、もはや彼女には感想を求めるまでもありません。

「どうやら養蜂をはじめるにあたっての第一の目的は達成出来たみたいだね」

 親友の有り様を微笑ましく見守りながらユカは言い、それから、蜂たちのたかっている巣をおもむろに二回、三回と揺さぶるように叩きます。突然の衝撃に驚いた蜂たちが飛び離れた隙をついて、彼は用意してきた山刀で巣の一部を素早く切り離します。
 一連の動作はなんとも手慣れていて、それに針持つ蜂を恐れず信頼するような、いかにも熟練然としたものでした。

「蜜を採取するときは、こうして巣の全部じゃなくて半分かその半分くらいを頂くようにするんだ。そうすると蜂たちはなくなってしまった部分を自分たちで修復する。つまり、少し残すことで何度でも収穫が可能なんだ。蜜蜂との共存、これぞ蜂飼いの心得ってやつだよ」

 随分と蜂のことに詳しいのね、と骨の魔法使いが感心して言います。ユカは照れくさそうに笑いながら、昔取った杵柄ってやつだよ、と応じました。
 我が子の言葉を、母は咀嚼するように、確かめるように繰り返します。
 ――昔取った杵柄。

「……そうよね。あなたにはもう、母様の知らない昔がたくさんあるのよね」

 骨の魔法使いはどこまでも愛おしそうな瞳で、そして、同時にどことなく寂しそうでもある瞳でユカを見ました。
 蝉時雨の夏の森に、ほんの一瞬、秋の終わりの寂寥が紛れ込んだようでした。
 あるいは、これもまた蜂蜜の霊験でございましょうか? とにかく、我が子との間に横たわる七年という歳月を、いまこそ母は真に感得して受け入れたのです。

「――いやね。子供がいつまでも子供のままだと思いこむなんて、母親の悪い癖だわ」

 少しのあとで、骨の魔法使いは醸し出された空気を誤魔化すように陽気に言いました。
 それから血の繋がりのない母ならぬ母は、息子に向けていたのと同じだけの愛情を込めて、今度は我が子の親友を真っ直ぐに見据えたのでした。

「この子には私の知らないこれまでがたくさんあって、そして、その何倍ものこれからが――私の知ることの出来ないこれからが待ち受けている。もちろんそれは少しだけ寂しいけど……でもなんでかしらね、無念さは自分でも驚くほど薄いの。
 ……ねぇリエッキさん? それってきっと、あなたっていう女の子がいてくれるおかげなのよね」

 ユカのこと、これからもどうかよろしくね――ひどくあらたまった口調でリエッキにそう言ったあとで、骨の魔法使いは、次にユカの背中をばしんと叩きます。
 あなたね、リエッキさんをないがしろにしたら、この母様がただじゃおきませんからね――いつになくざっかけない調子で宣言して、母はからからと声をたてて笑います。
 ユカとリエッキの二人が呆気にとられているうちに、骨の魔法使いは蜂の巣の入った革袋を息子の手から掠め取って、踊るような足取りでさっさと屋敷に向かって歩きはじめます。

「この素晴らしい蜂蜜で、次は腕によりをかけた素晴らしい蜂蜜酒を拵えましょう」

 数歩先で振り返って、天下一の母親は少女のような笑顔と声で叫んだのでした。

「なんたって今日は特別な日なんだから。……いいえ、今日だけでなく、あなた達が来てからは私にとっては毎日が特別な――……ねぇユカ、リエッキさんを大事にしなくちゃダメよ?」



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