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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆6 神は不在なればこそ

 滑稽譚は語られ続けます。我らが語り部はそれをかたり続けます。
 この世に一人の母親とこの世で一番の親友、彼女らと一緒に昼は遊び疲れるほどに遊びほうけて、疲れたらたっぷりとお昼寝をして英気を養い、そうして昼が夜へと代わったら、いよいよ満を持しての出頭おでましです。
 風よりく駆ける山猫の背に親友と二人跨って、昨夜は彼方あなたの酒場へ、今夜は此方こなたの酒場へ、明日は東へ明後日は西へ。
 自ら口にした「良き物語は神出鬼没」という台詞を体現するかのように、あちらこちらの酒場に夜毎前触れもなく出没します。

 そして物語は譚られて、そして話術は駆動するのです。

 まずはまっとうに物語の側面について記述しましょう。
『老呪使いと古狼の物語』をはじめとした呪使いの滑稽譚は語り歩く先々で大好評を博しました。
 腹を抱えての大笑、やんやの喝采、おひねりと賛辞を携えた人の列はいつでも満員御礼。
 このありがたい聴衆様方と握手を交わしながら、語り部は朗らかな笑顔を浮かべて彼らの一人一人に囁いたものでした。
 ――夏祭りで是非またお会いしましょうね、と。

 さて、物語に続くのが話術です。
 もちろんすべての夜すべての酒場にというわけではございませんでしたが、それでも四夜に一夜、あるいは三夜に一夜という割合で、聴衆たちの中には利き手が左の者たちを見つけることが出来ました。
 ユカはこれら呪使いたちを、頑迷な者であれば挑発して注意を向かせ、そうでない者ならば扇動してこれもまた注意を向かせ、そのあとでやっぱり囁きました。
 ――僕に用があるならば、夏祭りに来るがいいよ。夏祭りの、その最後の一日に。

 優れた農夫がたねくように、年経た蜘蛛が巣を張るように。
 語り部は物語を播種はしゅし、物語を張り巡らせます。
 来たる夏、誓いの夏に、はたして彼の畑はどのような作物を実らせるのか。はたして、彼の糸はどのような獲物を絡め取るのか。それは誰にも、それこそ、語り部が世界中の誰よりも信頼している親友にすら明かされてはおりませんでした。
 ですが、彼の眼差しの先に誰がいるのか、それだけは明白に知れております。
 もちろん、それは、一人の若き呪使いです。


 では、語り部が物語っていたその頃、語り部の見据えた先にいるその誰かは、いったいどのように日々を過ごしていたのでしょうか?
 読者よ、ここで今一度、物語の焦点を絞り直しましょう。
 我々の視点はいっとき語り部から離れて、迫る運命の夏のもうひとりの主人公たる呪使いに移されます。

 ユカがこの世に唯一人、この世で最も手強いとおそれて認めた宿敵――左利きに。




 刻限はじきに昼餐時ちゅうさんどき、場所は呪使いたちの詰め所のひとつ(詛呪そじゅ院と申しますこれはあらゆる都邑に置かれている信仰儀礼の場所であり、同時に拠点としての性質も備える施設でございます)。
 その一室で、二人の呪使いは差し向かいに座って早めの昼食を摂っておりました。

 左利きと、彼の二つ年上の相棒です。

 本の魔法使いの追跡が一段落ついたあともこの二人組が解散することはありませんでした。
 それどころか、左利きと彼の年上の相棒は『すべての呪使いにとっての仇敵と見なすべき魔法使い』と数限りなく渡り合った猛者として大いに認められ、今では二人揃って『あの憎むべき邪悪な物語師』の担当として正式な任命を受けた身の上となっておりました。
 なにやら苛烈な表現が重なりましたが、それもそのはずです。なにを隠そう、賛辞という賛辞を尽くして二人を上層部へと売り込んだのは、左利きに殴り飛ばされたあの中年呪使いに他ならなかったのです。
 左利きと相棒の挺身ていしんによって八つ裂きの憂き目より救われた――と信じきっている――彼は、八方口を尽くして本の魔法使いの脅威を喧伝し、そしてそれと同じだけの熱意を持って二人の若者の武勇を謳ったのでした。
 もともとが十年に一度の天才としてお偉方にもその名を知られていた左利きでしたから、誤解の上に成り立った手柄話は彼の勇名を弥が上にも高めます。それに今更騒ぎ立てるまでもなく、『魔法使いの感動譚を語って歩く物語師』の存在は、呪使いにとってはのっけから目の上のたんこぶだったのです。
 諸々(もろもろ)の事情は実に都合良く噛み合わさって、今後も語り部を追い続けたいという本人の希望は口の端に上らせるまでもなく叶えられた、というわけです。

 とはいえ、再び旅装を整えて追跡行へ出発、ということはございませんでした。
 なにしろ誓いは交わされていたのです。追わずとも再会は約されていたのです。
 己の宿敵が舌鋒無双ぜっぽうむそう口巧者くちごうしゃであると知っていながら、左利きはその男が自分を騙して裏切るやもしれぬという疑いを毫ほども抱いてはおりませんでした。
 当然です。なにしろ運命や宿命といったものから、人はそう簡単に足抜け出来ないのです。

 ですからいま、左利きのすべきことは、たったひとつだけでございました。

『君と僕の決闘の場に一人でも多くの呪使いが集まるよう働きかけて欲しい』、彼の宿敵はそのように依頼し、その最後に次のように付け加えておりました。
『手段は問わないから』と。
 ちらと目を向けてみれば、まったくお誂え向きの状況がそこにあるではございませんか。
 すべての呪使いの仇敵、憎むべき邪悪な物語師――前述した通り、あの夜に悲鳴も蒸発するほどの恐怖を与えられた中年呪使いは、件の魔法使いの脅威を連日声も枯らさんほどに訴え続けておりました。
 ある日偶然その現場を目撃した左利きは、その場で素早く計算を廻らせたうえで、刹那の逡巡とも無縁のままひとつこれを利用してやろうと決めたのです。
 己が殴り飛ばした男の尻馬に乗って、彼は本の魔法使いを野放しにする危険を説きました。それこそ上は杖位の高い老人たちから、下は己の同輩後輩にあたる若い呪使いたちにまで。
 奴は我々すべての敵だ、総力を挙げて潰さなければならない――そんな心にもない言葉をさも本心かのように熱弁し、最後に予言しました。

 奴は夏祭りの最後の一日に現れるはずだ、と。

 手段は問われていなくて、だから左利きも手段それを選びません。普通に考えれば自分のやり方は相手を不利に追い込むことになるとそう弁えていて、しかし遠慮もまたありません。
 手段を問わぬと言ったのは奴なのだし、それに奴ならば烏合の衆など造作なく出し抜いてしまえるはず――彼はそのように考えていて、妙な話ですが、そのように我が敵を信じていたのです。

 とはいえ、左利きは人柄の良さで世を渡ってきたというような男ではなかったので、彼が熱心に話しかけても耳を貸されずそっぽを向かれてしまうというようなことも少なくはありませんでした。こうした反応は老人たちよりもむしろ若い呪使いたちに多く見られました。
 さて、こうした場合に意外な役立ちを示してくれたのが、成りゆき任せの臨時のそれから今や正式なそれとなった彼の年上の相棒でございます。
 優秀さを示すことで有無を言わせず他者を納得させてきた左利きに対して、この相棒はまさに人柄だけで渡る世間を生きてきたというような男でした。
 嫌味な程に優等生然とした左利きに相手が心を閉ざそうとしたときなど、この相棒がさっとあいだに入って「まぁそう頑なにならずにちょっくら旦那の話を聞いてくれよ」と頼みます。するとどうでしょう、相手も渋々ながら「少しだけだぞ」とこう来たものです。
 さぁどうぞ旦那――そう左利きに促す相棒の笑顔はどこか忠犬めいていて、この上なく得意げではあってもそこに恩着せがましさは皆無なのでした。

 この相棒との付き合いが長くなればなるほど、左利きは己の抱えた欠落をひとつ、またひとつと自覚させられる羽目になりました。
 そして己に対する失望が深まるのに比例して、出会った当初に自分がこの相棒に下した評価は遠いものとなっていったのです。
 もちろん、無数の欠点はいまだ欠点のまま彼という男を構成しています。ですが、それならまぁその部分は私が補ってやれば良いだろうと、左利きは次第にそのように考えるようになっておりました。

 互いに互いの欠点や欠落を認め、互いにそれを補い合う。
 そうした関係を、時に人は信頼と呼び、あるいは友情と呼ぶのでしょう。
 どちらにせよ、これまでただ己一人を頼みとして生きてきた左利きにとって、それはまったく未知のものでございました。
 左利きはいまだそれと気付いてはおりません。ですが、やがては気付くでしょう。
 彼にとってこの年上の相棒が、生まれてはじめて獲得した心許せる他者、その生涯で最初の真の友人となっていた事実に。


 ですから、彼が相棒にこれを話したのは、単なる偶然ではなかったのかもしれません。


「はぁ、神様は俺らに……呪使いになんにも与えちゃくれない、ですか?」

 呆けたような顔をしている相棒に、左利きは――今はまだその名で呼ばれてはいない若き英才は――「そうだ」と固く肯いて応じ、食べさしの黒パンを小さく千切って口に運びます。
 きっかけはちょっとした一言でした。黒パンを汁物で流し込みながら、そういえば、と相棒がなんのけなしに口にしたのです。

 魔法使いを羨ましく思ってない呪使いなんて一人もいやしねえって俺ぁ前に言ったけど、しかし旦那だけはその例外だって気がするぜ、と。

 一口分の咀嚼のうちに返答を保留して、左利きは面には出さずに内心で舌を巻いておりました。
 まったく、本人言うところの人物眼の発揮か、あるいは馬鹿ならではの直感力の発露なのか、ともかく相棒のこの発言は、左利きの深奥に隠されたなにかを見事射抜いていたのです。

 きっと、いつもの左利きならば適当にはぐらかして有耶無耶にしてしまったことでしょう。
 ですが、この日だけはどうしてかそういう気分にならなかったようです。
 彼は口に含んだ黒パンをゆっくりと噛んで胃に落としたあとで、言いました。

「当然だ、羨んだところでなんになる? なにしろ神は呪使いになにも与えぬのだからな」

 諦観ていかんじみた台詞は、しかし諦観とは程遠い不敵な響きに満ちていました。

 そして左利きは語りはじめます。堕落した呪使いに変革をもたらすという宿願と表裏で一体を成す彼のもう一つの宿願を。
 魔法のような奇跡ではなく、知識と論理を元手に本物の神秘を呪使いにもたらすというそれを。
 左利きが他人にこれを語るのは、実にこのときがはじめてのことでした。しかしひとたび話しはじめれば口調は熱を帯び、すぐに普段の彼からは想像も及ばぬほどにそれは高まります。
 呪使いの秘めたる資質を、眠らせている可能性の存在を、彼は熱弁します。
 いまひとつの宿願と共にこれを為すため人生を賭す覚悟が自分にあることを、信念のあることを表明します。

「神は呪使いになにも与えはしない。我々呪使いに神なんてものはいない」

 最後に左利きはもう一度そう言って、続けました。

「だが、だからこそ我々は自らそれに手を伸ばすことが出来る。いいか、つまりこれは不利ではなく権利なのだ。魔法使いのように与えられてしまった者からは自らそれを得る機会が失われる。反面、我々呪使いは与えられるのではなく、自分でそれを獲得することが出来るのだ。
 だから――私は、神の不在をむしろ歓迎する」

 負け惜しみではなく心底からそう言って、左利きは挑むように口角を吊り上げます。
 それから、らしくない自分の饒舌に気付いてハッとし、恥じ入るように顔を背けたのでした。
 意外と言えば余りに意外な左利きの一面に、相棒はしばしぽかんとした顔をします。
 ですが、ややあってから呆け顔は一転、満面の笑顔と崩れ落ちたのでした。

「俺には難しいことはわかんねぇけど、だが、ひとつだけわかったことがありますよ」

 彼は誇るような口調で言って、誇らしいものを見る目を左利きに向けました。

「やっぱり、この俺の人を見る目ってのは大したもんらしいぜ」

 相棒の言葉に左利きがわかりやすいほど赤面した、ちょうどそのときでした。

「おお! 二人ともここにおったか!」

 息せき切らせて室内に駆け込んできたのは、左利きたちに救われて以来――と本人は固く固く信じておりました――なにかと彼に目をかけて、最近では二人の後見役すら自認している風のある、あの中年呪使いです。

「……いかがなさいましたか? そんなにお急ぎになって」

 左利きが形ばかり目下めしたの者の礼をとって尋ねると、呪使いは息を整える暇も惜しんで、いかがもなにもないぞ! と言いました。

「いまっ、いましがた舞い込んだ情報だ! よいかよく聞けよ!」

 呪使いは泡を飛ばして話しはじめます。
 乱れた呼吸に興奮が相乗して彼の語り口はさっぱり要領を得ませんでしたが、その内容を統合するとつまり以下のようなものでした。

 遡ること三日前の宵の口、とある町のとある酒場に一人の語り部が訪れた。その者、呪使いの威信を毀損すること甚だしい滑稽話にて並み居る飲んだくれどもをことごとく籠絡ろうらくし、なおかつ一言物申そうと立ち向かった果敢なる老呪使いに許し難いほどの侮辱を与え、さらにこの老人に従っていた未熟者二人については狡獪な弁論と邪な思想にてこれを感化せんと企てた(翌日より二人は老人に対しどことはいえず反抗的だという)。そして最後には、突如として立ち込めた霧に溶けこむようにしてそのまま姿をくらました。
 霧の中から、用があるなら夏祭りの最終日に来るようにと一言呼びかけを残して。

 ――皆まで聞く必要もありませんでした。

 呪使いがなにか言っていましたがもはや耳には入ってはおりませんでした。この上役が目の前にいなかったら叫び出していたかもしれない、そんな風に感じながら左利きは相棒を見遣ります。
 部下であり相棒でありそして友人でもある男は、まるでこの場にいない誰かと再会を果たしたかのような嬉しそうな顔をしています。
 たぶん私も同じ顔をしているのだろうな、と左利きは思いました。
 表情を隠すように口元に手をやれば、口角の吊り上がっているのが触っただけではっきりとわかります。

「流石ではないか。夏祭りの最後の一日、兼ねてから貴君の言っていたとおりだ。やはりあの奴腹と張り合えるのは貴君を置いて他には……ん? ……ハハ、本当に頼もしい男よなぁ」

 左利きの笑みを好戦的な気概の発露とでも誤解したのでしょう。中年呪使いが、威厳を保った笑顔の中にどこか畏れるような気配を窺わせて言いました。
 この愚物の上役を喜ばせる為……というわけではなかったのですが、しかし結果としてそうなるような不敵な言葉を、左利きは我知らず口にしていました。

「ここで会ったが百年目、だな」

 呟いて、左利きは笑います。く、くく、と、武者震いめいて笑います。

 いまこそ証左は届けられたのです。
 運命や宿命から人はそう簡単に足抜け出来ないのだと――いいえ、彼の宿敵は、もとより足抜けしようなどとは少しも考えてはいないのだと。

 己の眼差しの先、ずっとずっと先に、左利きは語り部の姿を見ます。
 自分を真っ直ぐに見つめ返す宿敵の幻像を見ます。
 物理的な距離を無効にする視線の衝突を、まざまざと感じます。

 そして、この地上のどこかで奴もまた同じようにしてこの自分の幻を見ているのだと、そんな奇妙な確信に貫かれたのでした。

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