挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

61/78

◆4 滑稽譚の夕べ

 読者よ、語り部の武器とはいったいなんでございましょうか?
 ……と、これは失礼。ここまで物語を見てきたあなたに今更これを訊くのは、まったく愚問中の愚問というものですね。

 もちろん、語り部の武器とは物語、そしてその戦い方とはかたることに他なりません。

 おぼえておいででしょうか?
 七年の昔、ユカは出会ったばかりの親友に「あんたは何者なんだよ?」と尋ねられました。
 そしてその問い掛けに対し、少年はただ一言こう答えたのでした。「僕は語り部だよ」と。
 その瞬間から、彼はそれ以外の何者でもないのです。


 さあ、宿敵との再会、決闘に向けて、我らが主人公はどのように行動を開始したのか。
 これについて、まずはその一場面を切り取って描写するところからはじめましょう。


 春もいよいよたけなわとなったある宵の口、ユカとリエッキはあの懐かしき場末の情緒の中に――すなわち、街場の大衆酒場に身を置いておりました。
 土地が変わっても、人が変わっても、この愛すべき空間の本質はあらゆる夜空の下で共通しています。酒という霊薬の力を借りて、飛び交う蛮声は人を人たらしめる理性を振り切るかのように陽気さの極み。誰も彼もが人生を謳歌する道化師で、はたまたその素晴らしさを喧伝する伝道師のよう。

 さて、この愉楽と活況の坩堝に今宵のユカが投じたのは、いつも通りの涙を誘う物語……ではございませんでした。

「――と、まさにそのときです。捧げた祈祷の数々が神通じんづうして今こそ満願成就、積年の念願もいよいよ叶うかとみえたその刹那、呪使いの前に姿を現したのは一匹の痩せこけた毛むくじゃらでございました。
『こりゃ、汝は何者ぞ?』と呪使いが怪訝な目で問いますれば、
『へい、狼でさ』と獣も答えて申します。
『狼? こりゃこりゃ、わしは汝になんぞ用はない。わしは今、世の真理を教え賜るべく大神に呼びかけて――』
『へい、ですからこのあっしが呼ばれて参上した次第で』
『……汝が、大神?』
『さようで、狼で』
『……おおかみ?』
『そう、おおかみ』
 ここで呪使い、ようやくなにやら感づいたらしくはたと膝を打ちます。それからがくんと顎を落とし、叫びました。
『なんてこっちゃ、これはまるっきりのおおかみ違いだわい!』」

 瞬間、店中からどっと笑い声が沸き上がります。大笑の波は酒場の建物を振るわせるほど、盛り上がりの度合いはまさに楽しさが破裂したとでも形容すべきものでした。
 語り部の話術、比類なき物語師の比類なき技術わざを駆使して語られる滑稽譚こっけいたんに、酔客たちの腹はよじれによじれてよじきれそう。酒の力も手伝って既に店全体がまるごと底の見えない笑壺と化しています。
 宿敵との決闘に向けた準備期間の、これがそのはじめの情景です。その晩、ユカはリエッキと連れだって森を出かけました。山猫の背に乗って人里にやってきた彼はその街で一番の酒場に掛け合って、そして、交渉らしい交渉もせずに難なく譚りの場を確保してしまいました。

 さて、ここまではいつも通りです。ですがここからがいつも通りではありません。

 それまではもっぱら涙を誘う魔法使いの感動譚を譚っていたユカがこの夜を皮切りに譚りはじめたのは、それまでとは見事に対称的な物語――笑いを誘う呪使いの滑稽譚だったのです。

「――ああ、なんたる齟齬そご! なんたる間抜けな勘違い! ですがともかくこのようにして、頑迷な老呪使いと狼の生活ははじまったのでした。一見してみすぼらしい限りの狼でしたが、実のところ彼は、もともとはとある渓谷に君臨していたとびきりの古狼でございました。だからこそ口も利ければふたつの足で歩くこともできたのですが、住処としていた谷に人が住み着いてからは徐々に力をなくし、今では完全に零落して見ての通り……というわけなのです」

 要所要所で笑いの渦を巻き起こし、また、ときにはしんみりとした空気を聴衆たちの上にもたらしながら、物語は展開しつづけます。
 今は昔の渓谷の主はまるっきり見る影もなく、狼というよりは犬のように召還者たる呪使いに従います。なにくれと言いつけられる雑用をてきぱきとこなし、呪使いの理不尽な言い分を理不尽と感じることもなく素直に受け止めます。
 そんな二者のやりとりはどこか心温まるものがあり、腹を抱える大笑とはまた別に自然な微笑みを聴衆たちの口元にのぼらせました。

「――権威と権能を失い、明日の糧にも事欠く身の上……そうした狼のみじめな様は呪使いをひどく苛立たせ、同時に、見たくはないなにかを直視したような暗い気分にさせもします。最初のうち、呪使いは狼をただひたすら疎ましく感じていたものです。しかし、そのうち――」

 しかしそのうちに、呪使いの老人は狼の忠実さに打たれ、徐々にこの獣に対して打ち解けはじめます。二者の関係は、いつしか主従というよりは友人同士のようなものに変化してゆきます。
 呪使いと狼が親密になっていくほどに、物語に滑稽さは増して、同時に暖かななにかもまた増してゆきました。そうした推移の程は聴衆たちの反応に如実に反映されています。

「――呪使いと狼は、いまや完全に気の置けない関係、お互いがお互い以上に頼むもののない無二の友達です。さてある日、呪使いは友達に対して切り出しました。
『こりゃ狼。わしもそういつまでも足腰立ってはおるまいから、ひとつ冥土のみやげの旅に出たいのじゃが』」

 当然付き合うてくれるだろうな、傲然とそう言い放つ呪使いに狼は「合点承知がってんしょうち」と胸を叩いて応じ、「してご主人、どこかおでかけ先にあてはおありで?」と尋ねます。呪使いはこれに対し、それまで頑迷であり続けた自分を終わらせるかのように、ニッと笑って答えたのです。

「――『お前さんのしみったれた谷はいま、いったいどうなっておろうかのう』」

 物語が終わりを迎えたその途端、おしまいの挨拶も待たずに熱烈な拍手と喝采が語り部に浴びせられます。好意的に囃し立てる声が飛び、さらには口笛が吹き鳴らされます。
 感動譚と滑稽譚。魔法使いと呪使い。それまで譚り続けたものとは正反対の物語に示された聴衆の反応は、これもまたそれまでの静かな涙とはまったく正反対なものでした。
 とはいえ、それが好意的な反響であるという点については違いなどないのですが。

 譚りの時間の直後から、ユカとリエッキの円卓には一言賛辞を伝えたいという聴衆たちが殺到します。一人の相手をするあいだに二人が訪れ、次の一人に応対するあいだに今度は三人が押しかけるという具合に、まったく引きも切らない有様となって押し寄せます。

「まったくなんという話術なのか。語り部殿、最高に愉快な酒席に感謝申し上げますぞ」
「ふたつの声色の使い分け、ありゃ絶品だ。主役の二人がほんとにそこにいるみたいだった」
「あなたはよほど高名な物語師なのでしょうなぁ」

 さっぱりした笑顔と共に与えられる褒め言葉はどこまでも率直、卓上にはおひねりが山のように積みあげられて銭入れにしまうのが追いつかないほど。お金にあまり頓着しないユカでしたが、お金という形で示される反響にはほくほく顔を隠しきれません。

 と、そんなユカたちの方をちらちらと隠し見ている者たちの姿が店内の一画にありました。
 むすっとした初老の男と、年長者の機嫌をひたすら気にしてビクビクしている若い二人。
 その三人組に、ユカはもうとっくに気付いています。というよりも、実を申せば彼の側としても、この三人の存在こそが今いるこの場所において最も重要だったのでございます。

 とかくしているうちにまた一人、ユカのところにニコニコ笑顔の聴衆がやってきます。
 非番の保安吏ほあんりだという彼もまた数々の賛辞を大盤振る舞いに並べ立て、そしてそのあとで、わざとらしく声音をひそめて続けたのでした。

「あんまでかい声じゃいえねえが、俺は呪使いって、正直いけ好かねえ奴らだと思ってたんだ。やたら自分たちは特別だって顔しやがって、その実まるっきりの役立たずなんだもんなぁ」

 内緒話をするような調子に反して、彼の声量は全然抑えられてはおりません。周囲の席から同調するような失笑が多数あがり、どこからか「もっと言ってやれ!」と野次が飛びます。

 その瞬間、離れた席のあの三人組の気配が、さらに一段ぴりぴりしたものへと変わります。

「しかしさっきの物語に出てきた呪使い、あれは良かった。俺が知ってる呪使いと全然違うんだもんなぁ。実際の連中もあのくらい馬鹿っぽい奴らだったらもう少し好かれるだろうに」
「そう仰っていただけるとまこと語り部冥利に尽きます。実はですね、今宵の物語の主人公二人は、わたくしの知っている呪使いたちを原型とした創作なのですよ。まぁ、彼らは老人でもなければもちろん喋る狼でもないのですが。年若い呪使いの二人組ですよ、仲の良いね」
「へぇ、あの左利きの仏頂面どもにもそういう人間らしいのがいたとはねぇ」

 明日からちっとはあいつらの見方が変わりそうだ、そう言って保安吏は口笛を鳴らしました。

「あぁ、あんたの物語をもっと聞いてみてえなぁ。なぁ語り部さん、あんたこれからどこにいくつもりだい? どこにいけばあんたの物語をもっと聞けるかな?」
「良き物語は神出鬼没、ならばその運び手たる我ら語り部もまたそれを旨とすべきでしょう。……とはいえ、ひとつだけ。確かこの地方には、毎年盛大な夏祭りを開く街がありましたね」
「ある、ある、あるよ。なんだい、その祭りにあんた顔出すのかい?」
「はい、実はそのつもりでおります。一見に値する大祭……具体的にはその最終日などに」
「ほんとにえらく具体的だなおい。まぁいい、とにかく俺も仲間に宣伝しておくよ。すげえ物語師が来るって。だから語り部さん、絶対に来てくれよ。今夜に負けない物語を用意してな」

 いいか、絶対だぞ絶対! そう何度も念を押して保安吏は自分の席に戻って行きました。
 熱のこもった応援に戸惑うやら嬉しいやら、ユカは小さく手を振って聴衆の背中を見送ります。

 それから、彼は先ほど申し上げました三人組に、すっと瞳を向けたのでした。

 じっとこちらを睨み付けていた老境の男とユカ、二人の視線が空中で出会います。老人はほんのいっときたじろいだ様子を見せましたが、対するユカはまったく動じません。
 どころか、彼は相手を挑発するように、すっと目元だけで笑って見せたのです。
 はたして、口ほどに物をいう目元の意図は過たずに相手に伝わりました。ややあって老人はおもむろに立ち上がると、ひどく乱暴な足取りでこちらに歩み寄ってきます。のしのしと、一歩一歩に威圧を込めるようにして。彼のあとにはうんざりした様子で年若の二人が続きます。


 ユカの面前までやってきた老人は、座ったままの彼を上から見下して言いました。

「おい、そこな語り部!」
「なんでしょうか? 呪使い様」

 恫喝の声をにこにこと笑顔で受け流して、ユカはいとも平然とそう応じたのでした。

図書館ドラゴンは火を吹かない、好評発売中。
特設サイトもあります。是非ご覧ください。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ