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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 四章.僕らはいま、物語の中にいるみたいだ

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◆1 おかえり

「説話を司る神の忘れられた御名においてはじめましょう。これなるは百獣の……」

 と、いつものように語り出そうとしたユカは、ふいにそこで言葉を途切れさせました。
 彼は集まった聴衆たちを見渡します。帰郷の翌日、場所は骨の魔法使いの屋敷の前庭です。当初は暖炉のある広間に陣取っていたのですが、詰めかけた聴衆が多すぎた為に急遽屋外へと語りの場を移す羽目になったのでした。
 語り部に一目会わんとして押しかけてきた聴衆たち――骨の魔法使いの森に暮らす獣たち、ユカの毛深い幼なじみたちは、彼を取り囲むようにしてぐるりと人垣を……いいえ、獣垣を成しています。
 肌寒いはずの午前の空の下にありながら、しかし獣たちの放つ体温と熱意とによって露天の演壇はぽかぽかと小春日の午後のようです。

 さて、すべての獣たちに笑顔を振りまいたユカは、最前列に座っているただ一人の人間の聴衆に眼差しを送って、こほんとひとつ咳払いをします。
 そして、中断させていた物語を、さっきとは違った口上で再開させます。

「説話を司る神の忘れられた御名において、はじめましょう。これなるは慈母の物語。獣たちの女神、聖域の地母神、天下に無二なる素晴らしき母。ご存知、骨の魔法使いの物語です」

『百獣の姫君』でも、『毛深き者たちの聖女』でもないその題号の読み上げは、語り部を志すという決心を告げた日に彼が口にしたものでした。いまや七年の昔となった昼下がりと同じように、母はこの日も口上を聞いただけではやくも涙を落とします。

 物語るユカの手には『百獣の姫君の魔法』の本が開かれていて、ですから、彼の物語は本来であれば言葉の通じぬはずの獣たちの耳にも届き、その心に響いています。
 物語と魔法、森を不在にしていた間にユカが開花させた二つの能力を、集まった獣たちは二つ同時に確かめることとなったのでした。

 ――いいえ、二つではありません。二つだけでは。
 このとき、聴衆たちは先に挙げた二つに並ぶ三つ目をもまた同時に体感していたのです。

 さあ、物語はいつものように、いつも通りに――否、いつも以上になめらかに語られ続けます。言葉は立て板に水とばかりに次から次へと送り出され、場面と場面の連なりは順風満帆に海を行く帆船の快走すら感じさせて淀みありません。
 居並ぶ獣たちの最前には、この物語の主人公である骨の魔法使いの姿がありました。本人を前にして譚るのはなんだかひどく気恥ずかしいものでしたが、しかし語り部たるユカに怯んだところは皆無。態度は闊達そのもの、眼差しは自信と勇気に満ちあふれています。
 当然です。なにしろ、彼の背後には楽器を抱えた親友が控えていたのですから。物語の背後には、語り部を鼓舞する劇伴の音楽があったのです。
 けっしてでしゃばることのない、けれどぴたりと物語に寄り添って支えてくれる内助ないじょの一曲が。
 リエッキの奏でてくれるそれが。

 これが三つ目でした。森の外側でユカが得たものの三つ目。すなわち、リエッキという親友の存在こそがそれなのでした。
 いいえ読者よ、これこそが一等はじめに数え上げられて然るべきものでしょう。なにしろ彼女がいてくれることに比べたら、一筋に磨き上げてきた物語師の技術わざも、誰もが目を瞠る魔法使いの能力も、ユカにとって大した価値はないのですから。

 リエッキが一緒にいてくれれば、ユカはいつだって百人力です。

「洪水のように波を立てながら海中から浮上して、挨拶代わりに高く潮を吹きあげて、その偉容を洞窟の家族にお披露目します。巨大な、地上のあらゆる生物を圧倒して巨大なその姿を。
 それは陸の竜と双璧をなす海の幻想生物――鯨でした」

 ユカの譚るのに合わせて、陸の幻想生物が高らかに楽器を爪弾きます。示し合わせたわけでもないのに完璧に時宜を得た演出に、物語はさらに、さらに盛り上がりの度合いを増します。
 母の妹である山猫を筆頭に、聴衆の中には骨の魔法使いが少女であった頃から彼女に付き従ってきた最古参のものたちもいくらかおりました。
 物語の当事者である彼女たちを中心にしんみりとした雰囲気は広がって、すぐにそれはすべての獣たちに行き渡ります。
 あらゆる酒場の夜をそうしてきたように、ユカという語り部は人ならぬものたちで埋め尽くされた聴衆席にも自然と静粛の態度を促し、そして、やがてはそこに涙と啜り泣きの声を添加してゆきます。
 物語が終幕に近づいた時、獣たちはこれ以上はないというほどに物語に釘付けとなって、各々が自分でも気付かぬうちに目の周りの体毛をべしょべしょに濡らしておりました。

「やがて『鯨の頭骨の魔法』により創り出された聖域には、行き場のない獣たちが集まるようになったのです。――そう、今ここに集まった君たちは、みんなそうして集まった仲間だね」

 いつのまにか音楽は止まっていました。静けさの中で、ユカは自分の言葉が獣たちに浸透するのを待ちます。そのあとで彼は言いました。
 そして、この僕もまたそのうちの一人だ、と。

「説話を司る神の忘れられた御名において、この物語はここで終わりです。だけど、物語が終わっても、終わらないものもある。たとえば僕らは物語の延長線上に生きていて、これからもさらにその先を生きていくんだ。だからさ、だから……みんな、ただいま!」

 獣たちは異口同音に……いえ、その声帯の構造上まったくの異口異音に、けれどもまったく同じ意味の言葉で語り部に応じます。

 おかえり、ユカ。




 物語の時間が終わっても獣たちはなかなかその場を立ち去ろうとはしませんでした。七年ぶりに帰ってきたユカを取り合うようにして再会を喜ぶ者がまずは数多あまた。そしてまた、ユカの語った物語によって深まった敬愛の心を示すべく骨の魔法使いに殺到する者たちもありました。
 獣たちの愛情にもみくちゃにされながら、血の繋がらぬ母子は楽しい悲鳴をあげたのでした。

 ようやく獣たちが解散したあとに残っていたのは、ユカとリエッキ、それに骨の魔法使いと彼女の妹である山猫だけでした。彼らは揃って室内に戻って遅めの昼食に取り掛かります。
 と、失礼致しました。実はこのとき、今しがたあげた面々に加えて、この場にはあと二匹が残っていたのです。
 彼らの存在に、ユカはしばらくのあいだ気付くことが出来ませんでした。
 その二匹があんまりにも小さすぎて、大人になった彼の視界には入らなかったのです。

「驚いたなぁ。猫おばさん、お母さんになっちゃったんだ」

 二匹のうちの片方を抱き上げながらユカが言いました。
 彼の腕の中で、ふわふわの子猫がみぃぃと可愛らしく鳴きます。前後四つの肢は心配になるほど小さくて、肉球だってユカの小指の先ほどの大きさしかなくて、けれど、その毛並みはあの山猫の生き写しです。
 男の子と女の子、二匹の子猫たちは母の妹である山猫の子供で、つまりユカにとってはある意味で従姉弟にもあたる存在なのでした。

「ちょうど先月生まれたばかりなの」と骨の魔法使いが説明しました。「そんな風に抱き上げたりできるのは今のうちだけよ。本当にあっという間に大きくなるんだから」

 この子がそうだったからわかるのよと、骨の魔法使いが妹の喉を撫でながら言いました。いまや母親となった猛獣は、しかし母となってもお姉ちゃん子の気質はまるっきり失っていないとみえ、姉である魔女に甘えるようにごろごろと気持ちよさそうな声を出します。


「驚いたなぁ」

 ふわふわの従姉弟をあやしながら、ユカがもう一度言いました。

「ここは、ずっと変わらない場所のような気がしてたんだ。でも、やっぱり変化はどこにでもあるんだね」
「当然よ。なんといったって七年も経ってるんだから。獣たちは世代を重ねているし、母様だってその分歳をとったのよ? それに――」

 母はそこで言葉を途切れさせると、立ち上がって我が子の髪に手を伸ばしました。 

「……本当に、本当に大きくなって……立派な青年に、そして、見事な語り手に……」

 七年という歳月そのものを吐き出すように言って、骨の魔法使いはユカの髪を撫でます。
 隣に座っているリエッキを意識するとなんだか照れくさかったけれど、結局、ユカも母のするように任せることにしました。
 ユカの膝の上では小さな従姉弟が熱心に彼の指を舐め、時折そこに齧り付いています。そうされてもただくすぐったいばかりで全然痛くはないのでした。

 ややあってから、母は息子の髪からそっと手を引きます。それから、そのまま近くに置いてあった本棚のところまで歩いていきました。

「それに、本当に魔法使いになってしまったのね」

 言って、彼女は並んでいる背表紙に手を伸ばします。そして、さっき息子の髪に触れたのと同じ優しさを込めて、そこに収められた魔法たちに触れたのでした。

「ダメね、多すぎて数えられないわ。ねぇユカ、ここには何冊の魔法が収められてるの?」
「ええと、確か……一〇四冊かな」
「一〇五冊だよ」

 それまで黙っていたリエッキが、たっぷりとジャムを塗ったパンを頬張りながら訂正しました。
 ほかの二人の視線が自分に集中したあとで、彼女は会話に割り込んでしまったことを後悔するような表情となります。
 しかし骨の魔法使いがユカに向けているのとまったく同種の笑顔を彼女にも向けると、その微笑みに促されたように、遠慮がちに続けたのでした。

「……何日か前に宿場に泊まったろ。やたら寒かった日だ。そのときに一冊増えてるだろ」

 ほら、あんたが息が白くなるのをおもしろがってさ、そのときだよ。リエッキの丁寧な説明を受けて、ユカもようやく最新の魔法について思い出しました。あ、そっか、と得心して肯く語り部に、あんたはもう少ししっかりできないのかよと本棚の番人がため息をつきます。

 そんな二人のやりとりを、骨の魔法使いはただ見守っています。
 なにか尊いものを見つめるように、年齢よりも若く見える目元に、百年の時を見てきた女神にも等しい慈愛を浮かべて。

「大きな志を持って旅立った息子が、並ぶ者のないほどの希代の名手となって帰ってきて……それに魔法使いとしても、いつかは母親の私など及びもつかないほどの力を身につけると予感させて……そして、なによりもいちばんに素敵なのは……」

 骨の魔法使いはそこで言葉を切り、二つの瞳でじっとリエッキを見つめます。リエッキはたじろいだ様子を見せますが、魔女はなにも言わずにしばらく彼女に視線を注ぎ続けました。
 それから、中断した言葉の続きは言わないまま、次のように口にしたのでした。

「男の子の親として、この私以上に幸せな母親はきっとこの地上のどこにもいないでしょうね」

 彼女がそう告げたときでした。
 ユカに構ってもらえていなかったもう一匹の子猫が、リエッキの足に身体をすり寄せたのでした。
 姉猫ばかりが遊んでもらえて寂しいのか、弟猫は不服を訴えるように何度も彼女に鳴いて呼びかけます。
 リエッキは助けを求めるように二人を見ました。けれど、母子の反応は彼女の期待したようなものではありませんでした。
 ユカも骨の魔法使いも笑った目元だけで「抱き上げてあげなよ」と彼女に伝えていたのです。

 なおも戸惑っているリエッキに、少女のような瞳で骨の魔法使いが言いました。

「ねぇリエッキさん。色々話してくれないかしら? 私ね、知りたいのよ。自分の知らないこの子のことを。それになにより、あなたって女の子のことを」

 しばらくのあいだ、リエッキは子猫と魔女の間で視線を彷徨わせます。しかし結局、ややあってから観念したように鼻を鳴らして、彼女は子猫を自分の膝に抱き上げたのでした。

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