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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■19 宿敵

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 馬を使うにはいくつか問題があった。まず一つには、人ふたり(片方は人の姿をした竜ではあったが)とぎっしり中身の詰まった本棚を運ぶには、最低でも二頭立て以上の荷馬車が必要であったということ。
 そして問題の二つ目は、どこのうまやにも必ず一頭は勘の良い馬が飼われていたということ。
 リエッキが馬房に近づくや否や彼らは火に触れたような恐慌に陥り、それはたちまち他の馬たちにも伝染した。これではおちおち買い入れる馬の吟味もしていられない。

 しかしそうした問題の一切を、ユカとリエッキはもとより問題とは認識しなかった。

 二人は二つの脚で歩くのを少しも苦に思わなかった。それに、先を急ぐ焦りや性急さとも無縁だった。目的地への到達にはいつだって大きな満足と達成感を覚えたものだが、しかし同時に、彼と彼女はすべての寄り道を心から楽しむことが出来た。
 最上等の客室に無邪気に喜ぶ一方で、露宿の夜に寄り添って見上げる星々をこよなく愛した。旅路の上で交わす益体のない言葉の数々と、不安の入り込む余地のない親密な沈黙、そうしたすべてを彼らは余さず愛した。

 二人は影と形のように共にあって、だから、二人はあらゆる瞬間に満ち足りていた。

 そのようにして旅は続いた。
 ユカの故郷、彼の揺籃ようらんの地たる、骨の魔法使いの森を目指して。

 ユカとリエッキは急がない。
 しかしその裏で、二人の敵は着実に追求の手を彼らに伸ばす。



 宿命的な邂逅であいを果たした酒場の夜から数日の後、二人は予定よりも早めに山越えの途についた。
 本来であればいましばらくは平野部の街道を行くのが定石であり易き道ではあったが、二人は敢えて険しい山道を選んだのだった。
 追っ手を意識して、ではなかった。街道は往路に通ったから今度は別の道を行こうと、道の分岐する場所でユカが笑顔でそう提案したのだ。

 山内には山内の暮らしを営む人々が存在する。平野の生活にはない不便さと豊かさがそこにはあり、街のそれとは趣のことなる倦怠と熱狂がある。
 二人は一つ目の村で闘鶏とうけいを見た。二つ目の村では熊いじめ(これは生け捕りにした熊を猟犬と闘わせる見せ物である。殺した熊の肉はその場で調理されて見物人たちに振る舞われる)も見物した。三つ目の村では夜を徹して燃やされる炎とそれを囲んで舞い踊る乙女たちを見た。四つ目の村では、葬列に参加した。
 そして、五つ目の村で歌を習い覚えた。


「山ん中を歩くときは歌いながら行くもんだ」
 その猟師は歌の合間に二人に説いた。寡黙な風情の中年で、しかし驚くほど豊饒な歌声の持ち主だった。
「歌を歌っておれば誰かしら同じ山に入ってる者が耳に留めてくれる。そうすりゃたとえ行方不明になっても捜索の手がかりになる」

 説明を終えると猟師は再び歌い出した。二人は顔を見合わせてなるほどと肯き、村を去るときには習い覚えたばかりの歌をさっそく口ずさんでいた。
 ユカの歌はお世辞にも上手とは言えなかったが、しかしそうであるにも関わらず、彼は実に楽しそうに歌うのだった。
 きっと、だからなのだろう。
 リエッキの耳に、調子はずれな歌声は不快とは対極の情調を備えて響いた。


 中秋の山々には際限なく続く落葉の音だけがあり、それが際だたせる静けさの中で親友の歌声は心地よく空に抜けた。
 時折どこからともなくこちらのものではない歌声が聞こえてくることがあり、そういう時には歌の聞こえる方向に「おおい」と声をかけた。すると相手も「おおい」と返してくれる。
 歌と共に教えられた、山路を行く者同志の声だけの交流術だった。

 だがその歌の便たよりが、ある日、思わぬ相手に消息を伝える結果となった。

 その午後も山内に歌を聴いた。
 山道は木々のあわいを蛇行しながら伸びていて、道の先を見通すことは出来ない。しかし、どうやら歌は二人の進行方向から聞こえてくるようだった。
 いつも通り、ユカは歌のする方へと叫んだ。語り部の声は喬木と灌木の密生を容易に貫き、呼びかけるとすぐに歌声は止んだ。
 しかし、「おおい」と応じる声はなかった。
 返答の声の代わりに、近づいてくるのは土の山道を叩く馬蹄の音、二頭分のそれであった。

「おうおうおう! 聞いた覚えのある声にまさかと思ったが、やっぱりてめぇだったか!」

 普請の粗い山道を見事な馬術で駆け抜けてきた男は、馬上よりそう叫んだ。
 ユカとリエッキは同時に「げっ」と声をあげた。
 その男の顔を二人は見知っていた。以前、この男は二人の前に立ちふさがり、そしてある意味では二人を危機から救いもしたのだから。

「口八丁の講談師の本の魔法使いめ! ここで会ったが百一年目って奴だぜ!」

 捻りのない口上を叫ぶその男――あの夜の騒々しい呪使いに、二人は苦りきった顔をして肩を落とす。そして、遅れてやってくるいま一頭分の馬蹄と嘶きに、揃ってため息をついた。
 もちろん二人は理解していた。この男がいるということは、あの男もいるということだと。

 そんな予想を証明するように、間もなく、後れを取っていたもう一人がその場に到着する。


「くっ……くく」

 生々しい含み笑いが馬上よりこぼれ落ちた。

「犬でもあるまいに急に駆けだしてと思えば……まいったな。犬は犬でも、今日のアンタには訓練された猟犬も真っ青だ」

 年上の相棒が、まさに飼い主に褒められた犬のように綻んだ表情となる。
 しかしそんな相棒には目もくれずに、遅れてきた呪使いは二人に――否、ユカに視線を据える。
 蛇の視線を。

 この日、酒場での邂逅からは既に一月が経とうとしていた。
 あの夜の宣言通り、宿敵『左利き』は、こうして再び二人の前に現れたのだった。

「くく、語り部よ。ようやくまた貴様を見つけ出し――」
「ようやく見つけたぜ本の魔法使い及びそのツレ!」

 左利きの台詞を遮って、彼の年上の相棒が二人を指さして叫んだ。左利きが、引きつった笑顔で相棒を横目に見た。
 彼の中で芽生えかけた相棒への再評価はひっそりと霧消していた。

 にわかに高まった緊張はそれが張りつめた時と同様、にわかに解れていた。
 そんな微妙な空気の中で、ユカとリエッキは互いに顔を見合わせていた。

「……ねぇ、さっきから彼、本の魔法使いって言ってるよね?」
「……うん、本の魔法使いって言ってるな」
「……それってもしかして、僕のことかな?」
「……もしかしなくてもあんたしかいないんじゃないか?」
「おうおうおう、おうこら! 俺らをほったらかしてなにをごにょごにょやってやんだ!」

 呪使いたちを無視して密談を交わす二人に、放置された側の一人が抗議の声をあげた。

「……ちっ、とにかく……おうてめぇ、考えたじゃねえかよ。平らな道を捨てて山ん中に逃げ込むたぁな。おかげで旦那と俺は随分時間を無駄にさせられちまったよ」
「別に逃げ込んだわけじゃないんだけどなぁ。ただこっちの道のほうが楽しそうで――」
「だがしかし! おう、旦那に俺がついてたのはてめぇにとっちゃ大きな誤算だったぜ! いいか、なにを隠そう俺ぁこういう山ん中の育ちなのよ! 深山の天然温泉を産湯に使ったこの俺、よわいとおになるまでは野山をでっけえ庭と育ち、山里のあれやこれやに通じたこの俺よ! 街場まちばじゃちぃっとばかし遅れを取ったが、しかしこういう土地でならそうはいかねえぜ!」
「語り部の僕が顔負けするほど良く喋る人だなぁ。でもさ呪使いさん、相手の言葉を遮ってまで話すのは良くないと思うんだ。もし癖になってるならそれは絶対直したほうがいいよ」
「うるせえ余計なお世話だ! てめぇこそあの破滅的な音痴を矯正するこったな!」
「あっ、あっ! それこそ余計なお世話じゃないか!」

 呪使いの一言にユカが真剣な怒りを込めて頬を膨らませる。

 低次元なやりとりを交わす二人を尻目に、リエッキはふと、この場のもう一人を見遣った。
 すると偶然か、あるいは彼女の視線を敏感に感じ取ったのか、左利きもまたこちらを向いた。
 二つの視線が意図せずに噛み合い、両者はしばし睨み合う形となる。
 一月前に背筋を寒くした眼差しをはじめて我が身に受けながら、しかしリエッキは、それが親友に向けられていた時ほどの脅威を感じなかった。むしろこうして正面から向き合ってみれば、その青年のまとう雰囲気はいかにも理知的、諦観ていかんの中にも見え隠れする意志の輝きは精悍そのものといえる。
 少なくとも、あの夜に露見した偏執狂じみた風情はそこには皆無だった。

 二人の睨み合いは、やがて左利きの方から視線を逸らすことで終わった。リエッキを見つめていた目を彼はなおも言い合いを続けている相棒とユカに据え、それから諦めたかのようにため息をついた。
 その仕草に、リエッキはなぜだか同類相哀れむような共感すら覚えた。

「……んもうっ、とにかくわかったよ。山育ちのあなたは手強い追跡者だ。実際、さっきの駒使いは大したものだった。大街道と違って普請ふしんも最低限なら日々の往来に踏み固められたわけでもない、季節柄落ち葉だってつもってる。そんな山道を、あなたはならされた街道や石畳の街路を走るように馬を飛ばしてきた。なんたる馬術の巧みだろう。うん、見事と言うほかない」
「いやまぁ、それほどでもあるが……んだよ、てめぇも少しは話しがわかるじゃねえか」

 直截を極めたようなユカの賛辞に、呪使いが照れた笑顔を浮かべる。きっとこの男は私が今までに見た人間のなかで一等賞に単純だな、とリエッキは思った。

 そのとき親友が、ちらりとこちらに目配せを寄越した。

「だけどね、こと馬の扱いについてなら、こっちにだってすごい達者がいるぞ」

 ユカは挑発的な笑みを呪使いに向け、それから、リエッキの肩を抱いて彼女を引き寄せた。

「なにを隠そう、ここにいる彼女はとある高原の少数部族の末裔なんだ」

 久しぶりのでたらめが親友の口から飛び出した。

「彼らは生涯を通じて馬と共にある。馬との付き合い方は一族の血に薄められることなく受け継がれる。そしてね、代を重ねる事にその技は磨かれて、いつしか特別な才能を開花させたのさ。手綱を取らずとも馬たちと相通じ、意のままに操る力を」
「けっ、眉唾なもんだな。つまりなにか、そこの女にもそういう真似が出来るってのか?」

 いかにも、とユカは肯く。

「そうだなぁ、たとえばあなたのその馬だって彼女の手にかかれば……いや、手を触れる必要すらないね。目と目を交わすだけでその子は彼女の言いなりさ」
「はっ、おきゃあがれ! こいつとはもう二年以上苦楽を共にしてんだぞ! 並の馬より頭も良けりゃ勘も鋭い自慢の愛馬、主人を間違えるような不忠者じゃあねえってんだよ!」
「ふうん。そこまでいうなら、彼女の能力が本物かどうか証明させてもらってもいい?」
「おう、やれるもんならやってみろや!」

 口角泡を飛ばす調子でまんまとユカの挑発に巻かれる呪使い。
 ユカはリエッキににっと笑みかけて、他の馬より勘が鋭いなんて実に都合がいいね、と呟いた。
 リエッキはやれやれと首を振る。親友が自分になにをさせようとしているのか、彼女は既にしっかりと読み取っていた。

「それじゃ、今から彼女はその馬に命じてあなたをこの場から退場させようとするから、そっちは愛馬との絆と馬術の腕でそれに抗ってみてよ。
 ……ようしリエッキ、ひとつ音痴呼ばわりされた僕の仇を取ってよ」
「あんたの侮りがたい音痴についちゃわたしは向こうに賛成だけどな……まぁ、やってみるよ」

 ため息混じりにもう一度首を振ると、リエッキは正面から馬の瞳を覗き込む。
 なにかを感じ取った馬が、怯えたように小さく嘶いた。実際勘の良い馬なのだろうな、と彼女は思った。

 それから、リエッキは己の内側にある火を強くおもう。秘匿されている己の実相を、存在の水面下に喚起する。そして、仮初めの人の輪郭をび起こしたもので満たし、静かに点火する。

 人の姿のままで、彼女は竜の威圧を全身から発散した。

 その瞬間、周囲の木々から鳥たちが一斉に飛び立った。樹林の奥からは猿たちの悲鳴じみた鳴き交わしがあり、最後に、日の沈んでいないのにも関わらず夜の猛禽がほうほうと鳴いた。


 馬は二つの後ろ足で立ち上がるとそのまま方向転換して元来た道を駆け去っていった。
 その背に、大声でなにごとか喚き続ける呪使いをしがみつかせたまま。


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