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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■16 かつて少年だった二人の青年

「……無力な語り部とは、まったく言いも言ったりだな」
「いいや、僕は無力だよ。すごいのはあくまで物語で、僕はただその力を借りてるだけさ」

 当意即妙の軽口でそう応じた親友に、口八丁野郎め、とリエッキはからかいを口にする。
 それから、彼女は再び男達に視線をやった。
 冷たい板張りの床に横たわっている彼らはほぼ全員が安らかな寝顔を浮かべており、中には眠ったまま幸せそうな薄ら笑いを浮かべている者もいる。
 物語の登場人物たちと同じように、彼らは夢との蜜月を楽しんでいるのだ。

 毎度のことながら、感心を通り越して呆れるばかりだった。

 もちろん、『不眠ねむらずの王の物語』はユカの数ある魔法の一つだった。
 五年のうちにすっかり語り部として長じたユカは、同様に魔法使いとしても大いに成長を遂げていた。
 魔法の総数は三ヶ月前にいよいよ百冊の大台に乗り、それから今日までのあいだにさらに二冊も増えている。そしてまた、成長しつづけるのは使い手だけではない。数多ある魔法はそのすべてが少しずつページを増やして、少しずつ潜在する力を解放している。
 句点と読点を打ち出すようにユカは現象をかたり出し、文脈を手繰るようにそれらを操る。その権能は天井知らずに育ち続ける。

 リエッキは時に考える。語り部としてのユカが無双の存在であるように、もしかしたらこいつはもう、魔法使いとしても世に比類を求められぬ域に達しているのではないか、と。

「……しかし、ちょっとだけ冷や冷やしたぞ」
「……うん、僕も」

 いくらか固くなった口調でそう言うリエッキに、ユカも同様の強張りを声音にひそめて答えた。
 なにが、と彼女は明言しなかったが、しかし省略された意図は過たず伝わっていた。
 もちろん、二人は顛末の後半、相手方の人数が増えたあとのことを話しているのではなかった。むしろあの喧しいまじない使いたちの出現は、結果的に事態を好転させてくれたとすら言えた。

 ユカとリエッキが真に恐るべしと感じていたのは、七人ではなく、たった一人の男だった。

 活動の性質と立場上、これまでもユカは幾度か呪使いに目をつけられ、一度などは今夜に数倍する人数を相手に大立ち回りを演じたこともあった。
 しかしそうした修羅場は二人にとっては修羅場でもなんでもなかった。ユカとリエッキは常に難なく事態を切り抜けて来た。
 呪使いは厄介な事態を連れてくる面倒な相手だったが、二人にとってはただそれだけの存在だった。

 だが、今夜の相手だけは違った。
 あの、ユカを『山の神の使い』と呼んだ若い呪使いは。

「あの男、なんなんだよ。生粋の緊張感欠乏症のあんたをあんなに緊張させるなんて」
「あ、緊張してたのわかった?」
「わかるに決まってんだろ。何年一緒にいると思ってんだよ」

 そんなの当然だとのリエッキの指摘に、ユカがなぜだか嬉しそうにえへへと笑った。ああもう本当に緊張感のない奴だな、リエッキはそんな思いにとらわれながらため息をつく。

「ともかくさ、さっさと引き上げようぜ。しばらくは起き出してくる心配はないだろうけど……でも、なんていうか気味が悪いんだ。あんまりここに長居したくない」
「そりゃ臆病過ぎだよ……って言いたいところだけど、奇遇だね。正直僕も同感だ」

 蜂蜜酒のおかわり呑みそこねちゃったね、とユカが言う。
 この恨みは百年経っても忘れないぞ、とリエッキが応じる。

 努めて陽気な軽口の応酬は、しかし常に比べて生彩を欠いていた。

「とりあえず僕はお勘定を払ってくるから、君は本棚のほうを頼む」
「ついでに店の人間を呼んでこいよ。この連中を放置したまま行くわけにもいかないだろ」
「君はよく気がつくなぁ。うん、酔いつぶれたってことにして介抱を頼んでくるよ」

 そう言ってユカが店主たちの控える止まり木席の方へと向かおうとした……その時だった。

「――その役目は、私が引き受けよう」

 視線の下方、足元から二人に話しかけてきた声があった。
 背筋に氷の温度を感じながら、リエッキとユカは信じられぬ思いで声のした方を見た。

「――蜜の舌を持つ語り部は、獰猛な舌を持つ魔法使いでもあった、というわけか……ふふ、ずるいなぁ。お前は天に二物も、あるいは三物をも授かったか。なぁ、語り部よ?」

 ふらふらと頼りなく円卓に縋りながら、それでも断固として起きあがろうとしている男――左利きを、ユカとリエッキは揃って凝視する。共に絶句して、共に戦慄すら覚えながら。

「侮ってもらっては困るな。呪使いは知性と、知恵と、そして意思の担い手だ。わかるか、意思だ。私は己のそれを唯一の頼みとして今日まで生きてきた。私はその自負を裏切らない」

 なにしろ天は呪使いになにをも与えないからな――
 卑屈さも恨みがましさも一切抜きでそう言い切り、左利きは笑った。
 怜悧に整った笑顔。しかしひどく生々しくもある笑みであった。

「ともかく、こいつらの始末は私が引き受けるさ」

 そう言うと、左利きは靴のつま先で倒れている男の一人を軽く小突いた。

「一度は不本意な展開に陥りかけた。だが、これは私にとっては僥倖ぎょうこうというものだ」
「……僥倖?」ユカが引きつった笑顔と声で尋ねた。
「そうとも、僥倖だ」左利きは応じた。「使えないと思っていた相棒が存外に気の利くところを見せて横槍を入れた。だが、いまはまたこの通りだ。これでようやくまた――なぁ語り部」

 左利きがまたしてもにたりと笑う。蛇の視線がユカを捉える。

「これでまた、なんらの邪魔もなく貴様と語らえるのだ。これを僥倖と呼ばずしてなんと呼ぶ?」

 眠りからは脱したとはいえ『不眠の王の物語』の効果はいまだに尾を引いているらしく、左利きはしきりに目をしばたたかせている。
 しかし、まぶたは決して長くは閉じられない。
 強靱な意志の力により二つの瞳は開かれて、そしてそれは、一秒としてユカから逸らされない。

 この瞬間、リエッキは理解する。どうしてこの男に特別の脅威を感じるのか、その理由を。
 呪使いの権威をおびやかす物語を譚る語り部を、この男はなんとも思っていない。同様に、彼らの社会において蛇蝎の如く嫌われる魔法使いにも、この男は微塵の拘りも抱いていない。

 執着、敵意、そして、歪んだ親しみ――
 この男の見せるそれら過剰に過ぎる感情の数々は、この世でただ一人、彼女の親友に対してのみ向けられているものなのだ。

「こんなに熱烈な信奉者に恵まれて、僕ほど幸せな語り部は稀だとすら思うよ」

 半ば強がるように冗談を言うユカ。

「だけどそろそろ寝台に入ったほうがいいぞ。君、随分眠そうだもの」
「そして目覚めた時には貴様は夢のように消え去っている、か? 良くない夢だな、それは」
「そのまま眠れば別の良い夢が見れるよ。他のお仲間たちと同様にね。ともかく――」

 左利きの目を盗んで、ユカがリエッキにだけわかる合図を出す。ちょっとした仕草に隠された親友の意図を彼女は見逃さず、見誤らない。彼と彼女の付き合いはそれだけ長く深かった。
 左利きの目を盗んで、リエッキは本棚に近づく。
 彼女はそこから一冊の魔法を取り出す。

「――ともかく、僕らはもう行かなくちゃいけないんだ。おあいにくさまだけど」
「逃げるのか?」と左利き。
「逃げるのさ」とユカ。「早くしないと船に乗り遅れてしまう。でなければ父親の誕生祝いに参加しそこねるのかもしれないし、王宮の晩餐会が僕の物語を待っているのかもしれない。なんだっていい。とにかく行くよ。君の強靱な精神にもやがかかっている今のうちにね」
「また眠らせるつもりか?」
「いいや、その手が君に通じないことはわかったさ。無駄なことはしない。それに、そうすることはなんだか君への侮辱に繋がる気がして、なんとなくそれも気が進まない。だから――」

 リエッキが素早くユカに本を投げ渡す。ユカは如才なくそれを受け取る。
 そして、譚りはじめる。


「――説話を司る神の忘れられた御名においてはじめよう! これなるは――!」

「語り部ぇぇぇ!」

 物語を遮って左利きが叫ぶ――さけぶ。


「今は見逃すが、しかし、私は貴様をとらえたのだ! 六年の歳月を経て、貴様の存在を! だから、見失わんぞ! 逃がさんぞ! どこまでも追いすがって、貴様を――!」


「――これなるは(きり)の一説! 凍てついた埠頭(ふとう)を渡り下草を凍らせる寒さの白、染みいって岩をも砕く目に見える真冬、蒼白の霧の物語!」
今回文章量少なめですが、その分つぎの更新は2、3日中に出来ると思います。

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