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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■15 かつて少年だった二人の青年

 左利きが、心底忌々しそうに舌を打って立ち上がった。

「随分早かったではないですか」

 苛立ちを抑えた声で彼はその呪使いに言った。年齢は相手の方が上だが、階級的な序列はどうやら左利きのほうが上らしい。
 彼の声音にある険しいものには気付きもせず、騒々しい呪使いが照れたような表情を浮かべる。左利きの言葉を直截な賛辞として受け取ったようだ。

「……ところで、私は保安吏に協力を要請しろとそう言ったはずですが」

 左利きが、呪使いの連れてきた若者たちに視線を廻らせながら言った。

「……なんですか、彼らは?」
「いやね、いくらこっちが呪使いだって言っても保安吏どもの腰はあんまり重すぎますから。なら同じ男手には違いねえやと、そう一計を案じて暇そうにたむろってたこの連中に声をかけたんですよ。せっかくの祭りを楽しむのに小遣いは欲しくねえかって」

 なにしろことは一刻を争うように思えましたんでね。男が手柄顔でそう説明する。

 左利きが、もう一度舌を打った。

 場の新たな登場人物たちをリエッキは観察する。
 騒々しい呪使いをはじめとして、増えた人数は全部で六人を数えた。
 呪使いが金で駆り出したのは面つきに卑しさを秘めた若い男たちで、これは大きな街には必ずいる徒食の輩であると知れた。働きもせずに悪さばかりしている鼻つまみ者どもだが、しかしこの種の連中のならいに従って見るからに壮健そのもの。
 そしてなにより、常ならば無縁の正義の後ろ盾が、嗅がされた鼻薬以上に彼らを発奮させていた。

 二人の呪使いに加えて気力十分のごろつき達。状況は悪化していると見るのが自然だ。
 しかし、そうにも関わらずリエッキの緊張はさっきよりもほぐれていた。
 数の上では不利となっても、左利きとユカが差し向かっていた時のような張りつめたものは、そこにはもうなかった。

「ちっ……なんだよこの店は。なんでこんな通路のど真ん中に本棚なんか置いてやがんだ!」

 通路をふさぐように置かれた本棚に悪態をついて、呪使いが前に進み出る。

「まぁいい、それよりも……おいてめぇ! てめぇだよ、そこの不埒な口八丁野郎!」
「……? わたくしのことでございましょうか?」

 呪使いらしからぬ強烈な剣幕で罵声を吐く相手に、ユカが平然と応じる。

「てめぇ以外に誰がいるってんだこの腑抜けの講釈師が! へへ、しかし残念だったな。てめぇの悪行旅行も今日ここで終点だ! 大人しく縛についてもらうぜ! ――ねぇ、旦那?」

 話しの水を向けられた左利きが、うんざりしきった様子で(かぶり)を振った。

「悪行……と申されましても」

 いかにも戸惑っているという顔を作ってユカが言った。

「どう振り返ってみても、わたくしどもには疚しいことをした覚えなど皆目ないのですが……」
「すっとぼけんじゃねえ! いいか、ネタはそっくりあがってんだ!」
「ですから、それはどのような?」
「この、どこまでもとぼけやがって……!」

 呪使いが文字通り口角泡を飛ばす。

「知らねえとは言わせねえぞ! てめぇ、方々で今夜やったような物語をやってんだろ! 魔法使いどもに都合のいい、奴らの感動譚を語ってんだろ! それで奴らの印象を良い方に良い方にと――」

「はぁ……あの、それがなにか問題なのでしょうか?」

 ユカが、率直を極めた口調で問い掛けを挟んだ。
 呪使いののべつまくし立てが、ピタリと停止する。

「……なにがって……そりゃお前……問題だろ……常識的に考えて……」
「ですから、なにが?」

 途端に歯切れの悪くなった相手にユカはさらに問いを重ねた。攻撃や非難の意図を感じさせぬ、純然たる疑問の口調で。
 批判の調子がないことが、むしろ相手に対する最大の批判となった。
 それまで彼は自分の正当性を疑わず、ただ己の暮らす世界での常識の上で思考停止していたと見え、呪使いはもごもごと声にならぬ言葉を口の中で転がすばかり。それすらもすぐに消え入った。

 この機を逃さずに、ユカはさらに言葉を連ねた。

「わたくしの物語は、確かに、呪使い様には面白くない部分もあったかと思います。しかしだからといって『すなわち悪』と断じられるのは……いささか乱暴と感じずにはおれません」

 そこで言葉を切って悲しそうに目を伏せるユカ。
 呪使いが、ぐぅと唸り声をしぼる。

「それに」

 ユカはさらに続けた。

「呪使い様はいま、わたくしが物語ることにより魔法使いの印象を向上させている……というようなことを仰いました。なにか、わたくしの物語が看過の出来ぬ影響を世論に及ぼしているというような――一介の物語師として、そこまで買いかぶっていただけるのは恐縮の上にも光栄を感じます。
 ですが、もしも真実呪使い様の仰る通りであったとして……これもまたなにが咎たるものか、わたくしには理解が及びません」

 もはや独壇場だった。男達を見渡しながら、ユカは彼らに言葉が浸透するのを待った。
 それから、締めくくりに入った。

「確かに、わたくしは魔法使いを主人公とした物語を多く語って参りました。それを聴いた方が彼らに好意を抱いてくれたのだとしたら、まっこと語り部冥利に尽きるというもの。
 呪使い様、そこになんらの咎がございましょうか? なんらの悪がございましょうか? ともすれば呪使い様の先ほどのお言葉は、『我ら呪使いに不益をもたらす行いは断じて悪!』と――もちろん、そうではないことは承知しておりますが――そのようにも聞こえます。
 仮にこうした考えが世に存在するとすれば、むしろその横暴こそが悪ではないかとわたくしは愚考します」

 元来、人の心とは空よりも自由なもの。そこに思想の霞網(かすみあみ)を張り巡らせることが誰に出来ましょうか――最後にそう疑問を提起してユカは再び全員を見渡す。

 素直な感動を面に浮かべている者、うんうんとしきりに肯いている者、また感じ入った眼差しをユカに注ぐ者……若者たちの反応は五者五様に異なりながら、しかし極めて肯定的であるという点で一致していた。

 いかにも口八丁じゃないか、リエッキは舌を巻く思いですまし顔の親友を横目に見つめた。

「だっ、だっ、黙れこの野郎!」

 やがて、呪使いが打ちのめされた沈黙から復活して引きつった声をあげた。

「小難しいことを次から次へと――とにかく、てめぇをどうにかしろってのは上からの命令なんだ! いいか、俺ら呪使いは縦割り社会に生きてんだ! ならばただ命令に従うのみよ!」

 要するに自立的な思考を放棄して一切を他者に転嫁し依存するという宣言だった。

「さぁ、なにをぼやぼやしてやがる! さっさとこいつを取り押さえろ! ついでに女も!」

 呪使いが若者たちに檄を飛ばす。が、彼らはあからさまに気勢をそがれていた。ユカの弁舌に巻かれて依頼主のかざす正義への信頼性を見失った、というのが原因らしかった。
 結局、彼らを動かす為に呪使いはさらなる成功報酬の上乗せを約束する羽目になった。
 得られる小遣い銭の倍増。再び嗅がされた鼻薬の霊験によって、若者たちはようやく平素の粗暴さを取り戻し、お互いに卑屈な笑みを交わしながらユカとリエッキに迫った。

「なんとまぁ……無力な語り部風情に実力行使とは、よわりましたね」

 言葉とは裏腹に、まるっきり慌てた様子もなくユカは言った。
 彼は席を立って、先ほど呪使いが悪態をぶつけた本棚の前まで移動した。

「では、こういうのはどうでしょう」

 本棚から一冊の本を抜き出しつつユカは言った。

「今夜は皆様の為にもう一席譚らせていただきますので、それでお目こぼしをいただけませんか?」
「ふざけんのも大概にしろい! ここまで来てまだそんな眠たいこと言いやがる――!」
「まぁまぁ。眠たいこと……そう、奇しくもこれは、まさにそのような物語なのですよ」

 呪使いの憤懣の声をやんわりと遮って、ユカは本を開き、語りはじめる。

「――説話を司る神の忘れられた御名においてはじめましょう。これなるは不眠ねむらずの王の物語。そして、()の王の眠りとの邂逅、そこからはじまる夢との密月を譚る雄編でございます」

 ――昔々のその昔、あるところに、眠りに見放された王がおりました。

 そして物語ははじまった。
 物語は瞬時にして場に満ちた。
 さながら、目に見えぬ力場のように。

 なんとなればすぐさま竜に変じて場を切り抜けようと身構えていたリエッキは、緊張を完全に解いて深く息をついた。空のゴブレットを覗き込んで、おかわりを呑み損ねたことを悔しく思った。そうした雑念を楽しむ余裕すら既に生まれていた。

一年ひととせ二年ふたとせ、そして三年みとせ……王は不眠のうちに夢を恋しのんでおりました」

 言葉が紡がれる。描写が鼓動する。
 店じまい前の酒場に物語は放たれて、七人の男達、たった七人の聴衆は虜となったかのように朦然としている。
 その様を見ながら、はん、バカな奴らとリエッキは小声で呟く。

 ユカをどうこうしたいなら、譚らせたらおしまいだってのに。

 物語は続く。三年ものあいだ不眠に悩まされた王は、ある日を堺に徐々に眠りを取り戻す。

「蜘蛛の巣の張っていた枕は捨てられ、寝具という寝具は新調され、どころか豪奢な寝台からして新調されます。かくて王は眠りを歓迎し、夢を歓待し、酒に酔うように眠りに酔います」

 王の眠りは漸増的に(かさ)を増し、とうとう一日の大半を眠って過ごすようになる。現実の治世は宰相と官吏に丸投げして、王は夢の世界に耽溺する。夢との逢瀬、夢との密月に溺れる。

 若者の一人が、音を立てその場に倒れ込む。
 誰一人それに構わない。否、気付きもしない。

「こうして不眠ねむらずの王は常眠とこねむの王と転じました。それでも、このときはまだ優秀な臣下の尽力のもと、治世は滞りなく行われておりました。ですが、事態はさらに深刻の一途を辿ります」

 王が眠ったままついに一月を経た頃、傍付きの侍女たちまでが終始生あくびを漏らすようになる。目覚めぬ王を世話していた彼女らは、程なくして王と同様の覚めない眠りに陥った。


 三人目の若者が、四人目の若者が、そして、あの騒々しい呪使いが崩れ落ちる。

「眠りは感染します。熟睡を越えた熟睡が、安眠の中の安眠が王宮に蔓延はびこります。まるで夢のほうから人々を迎えに来たかのように。そしてそれは、とうとう王宮の外にも波及します」

 酒場の冷たい床に、また一人が倒れる。
 先に倒れた五人の寝息がそれを出迎える。

「国土には嗜眠しみんが満ちます。国民だけでなく家畜と家禽、野良猫と野良犬にも眠りは伝播します。寝言の呟きにあくびが返事をし、寝息の囁きが風に乗ります。
 そして、眠りの国は――」

 そして、眠りの国は――
 しかし、そこでユカは物語るのをやめた。


 最後まで持ちこたえていた一人、あの左利きがとうとう睡魔に陥落したのだった。 

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