挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

41/78

■12 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

本日は二度の更新をしています。七時台の更新をまだお読みでないかたはそちらからお読みください。
 幸いなるかな、邪悪な魔法使いへの詮議の手が二人の宿に伸びることはありませんでした。
 その後、些かぎこちなくはあったものの、青年と少女はいつも通りのくつろいだ時間を過ごしました。
 昼の事件など忘れたかのように談笑は陽気に湧いて、いいえ、どころかあれから後の舞台での騒ぎなども話しの種として持ち出される始末です。色さえ洗い落とせば男達はそれで快方に向かったようだとか、すんでに見逃されたあの呪使いは青年の思惑通りの誤解をしたようだとか。

『命の恩人とかなんとかいって感謝感激してたけど、都合がいいからそう信じさせておくことにするわ』

 そう苦笑しながら少女は肩を竦めてみせたのでした。
 その夜、彼らが再び愛を口にすることはありませんでした。
 気恥ずかしかったというのももちろんあったのでしょう。しかし第一には、二人が二人ともそれを必要と感じてはいなかったのです。既にお互いが想いを打ち明けて、お互いがそれを受け入れているのです。言葉にせずとも、たしかに愛はそこにあったのですから。

 夕餉を二人だけで摂り、順番に井戸を借りて汗を流し、そのあとはまた眠るまでおしゃべりです。
 やがて夜は深まり、二人はそれぞれの寝台に横たわります。一つに眠ることはありませんでした。しかし『目に見えない秘匿された部分に思いを馳せる』という青年の言葉はお互いに意識されて、おやすみを交わすまでのあいだ、妙な違和感を室内に醸し出しました。
 彼と彼女の一日はそのようにして終わりました。

 そのようにして、彼と彼女の夢の日々はおひらきとなったのです。

 街全体が眠りに沈んだ頃、青年は一人で寝台を抜け出しました。
 極力足音を立てずに、彼は少女の寝台に歩み寄ります。月の夜でした。差し込む月光は刃のように冴えて、灯りを用いずとも寝息を立てる彼女を見極めることが出来ました。

 ――この寝顔をさっき挙げなかったのは失敗だったな。

 そんな淡い後悔を微笑みで打ち消し、青年は少女の顔かたちを脳裡に焼き付けます。
 それから、彼は仕事道具を入れた革袋だけを手に部屋を出たのでした。

『やっぱりか』と、見えない兄が言います。『やっぱり、おひらきにすんのか』

 苦渋を感じさせる兄の問いに、青年は対称的に軽やかな口調で『うん、そうだよ』と応じます。

『僕と一緒にいたら、やっぱり彼女はいらない苦労をする羽目になるだろうからね』
『あの娘はそんなことちっとも気にしやしねえよ。そのくらいわかってやれねえのかよ』
『わかってるよ』

 あっさりとそう答えて、青年は虚空に笑顔を向けます。曇りのない笑顔でした。

『でもさ、もしもまた彼女が迫害を受けたら、そのとき僕はまた今日みたいに我を忘れてしまうだろうからね。憎悪に酔って、狂気に駆られて……そんな姿を彼女に見られるのは、ちょっとたまらない。僕は彼女の優男で居続けたいんだ。その為には、やっぱりここでおひらきにしないと』
『……それでお前は平気なのかよ? 辛かないのかよ?』
『うん、全然平気じゃないよ』

 彼はいとも簡単にそう認めます。
 月光に照らされた頬に涙が伝います。ですが、笑顔は少しも崩れませんでした。

『辛いし、すごく悲しいし、死ぬほど寂しい。きっと、僕は今日の決断をずっと後悔しつづけるだろう。しばらくは夜になるたびに涙を流すかもしれない。いや、昼間にだって泣いちまうかな。ほんとはさ、今この瞬間にも彼女が起き出してきて、この腕を掴んで引き留めてくれないかって、そんな身勝手な期待すらしてるんだ。
 けどね、兄さん』

 彼はそこで言葉を句切り、途切れずに流れる涙を拭って先を続けました。

『僕はね、彼女を愛してるんだよ。彼女を諦められるくらい、彼女を手放せるくらい、僕は彼女が好きなんだ』

 寝静まる街の真ん中に立ち止まって、やはり彼は晴れがましい笑顔を浮かべていました。
 それ以上、兄は弟の決断に異を唱えませんでした。彼の弟は子供の時以来の陽気さを取り戻していたからです。一三の日に故郷を追われた時から失われていた、本来の弟の純粋さ、屈託のなさ――それがいま、七年を越える歳月の果てに蘇っていたのです。
 だからそれ以上、いったい彼になにが言えたというのでしょう?

『お前は不器用で、かと思えば極端なところがあって、それに、あんまりに一途過ぎて……だから俺は、お前のその一途が報われるのが楽しみでならなかったんだぜ。そいつは、この俺自身が報われるのと同義で……いや、きっとそれ以上だったに違いないんだ』
『……ごめんね』
『謝るな兄不孝者』

 この夜はじめての慚愧を覗かせた弟に、今度は兄が声だけの声に陽気さを含ませました。

『それで、そこまでの苦渋の決断をしてお前はこれからどう生きてくつもりだよ?』
『そうだね。とりあえず、まずはこれから片づけようか』

 兄の問い掛けにそう応じて、青年は左右のポケットにあるものを取り出します。
 右手にあるのは白。彼という青年の本質を象徴する、優しい色。
 左手にあるのは黒。彼の中にある過剰なものを象徴する、憎悪の色。

 市場通りの先には街を貫いて河が流れています。青年はその流れを見据えます。

『魔法使いは評判そとがわだけでもう充分邪悪なんだ。だったら、僕の内側にまでこの色は必要ない』

 それだけ言うと、青年は刹那の躊躇いもなく左手の色を投げ捨ててしまいました。
 闇の中に水音が響き、夏空を映す流れに小さく波紋が広がります。

『これからの僕に必要なのはこっちの色だけだ』

 己の魔法を投げ捨てた魔法使いは、残されたもう一つの魔法を見つめながら言いました。

『昔に戻ろう。放浪の膚絵師に、それから、兄の忠告を聞き分けないバカな弟に。兄さんがいくらやめとけって言っても、僕はまた苦痛の黒を消し続けるよ。そうしているうちに、少しずつでもきっと僕らを――魔法使いを理解してくれる人たちが増えるから。
 そしたらそれは、たとえ遠く離れていたとしても、きっとあの子の幸せに繋がる』

 青年は子供そのものの笑みを浮かべて見えない兄にそう宣言しました。以前から当たり前に行ってきたことが、強い感情を伴って明確な目的意識へと結びついた瞬間でした。
 強い感情。すなわちそれは少女への愛情です。
 あらゆる恋愛が成就を目的とするものであるならば、彼の恋愛はこのとき既に終わっていたと言えるでしょう。

 恋愛は終わって、しかし愛情は不滅のものとなっていたのです。

『ねえ兄さん、誰かを本気で愛するってことは、自分が主役の人生が終わるってことなんだ。だからさ、僕は彼女を好きになって、ようやく気付いたよ。つまり兄さんはずっと、こんなにも――こんなにも僕を愛してくれてたんだって。
 なのに僕は、今までそれに気付きもしなかった』

 僕は不孝な弟だ、と彼は嘆じます。
 兄はなにも言いませんでした。言葉はなく、しかし涙のそれに似た気配を青年は感じ取りました。


『いつか魔法使いへの偏見が世の中から消え去ったら、僕がまた彼女の傍にいられる日が来るかもしれない。そう考えると俄然やる気が出てくる』
『けっ、気の長いことをいいやがる。いったい何年後の話しだよ? そんときゃもうあの娘はお前のことなんか忘れて別の男と幸せになってるよ』

『はは、そりゃ、たまらないなぁ』



 ※




 こうして彼は少女の前から姿を消しました。
 こうして二人の物語は終わりを迎えたのです。

 その後の色の魔法使いについては、今しがた申し上げた通りです。
 魔法使いへの偏見を消す為に、彼は色による人助けを続けました。明確な目的の意識を得て、彼はもう迫害を恐れませんでした。以前には白の顔料を軟膏だと誤魔化したこともありましたが、それももうしません。
『自分は魔法使いだが』と堂々と名乗って苦痛に喘ぐ人々を助け、その結果として罵声や石を投げつけられても、彼はため息すら必要とせずにそれらを受け入れました。
 昨今、そうした彼の行いが実を結びつつあることは物語の中途で述べた通りです。

 さて、それではもう一方の主人公は? 青年と別れてからの、踊り子の少女は?
 色の魔法使いと別れた時、彼女はまだ十六歳になったばかりでした。はじめて心から愛した恋人との、はじめての別離。失恋の痛手は彼女を大いに打ちのめしました。
 ですが、彼女はいつまでも落ち込んではおりませんでした。祝祭の舞台にあがれば否が応でも恋人のいない空白を感じてしまうと気付いた彼女は、心機一転して酒場を専門とした踊り子となります。
 彼女の演舞の冴えは無論、ところを昼の広場から夜の飲み屋と変えても一切の輝きを失いません。むしろ青年の愛した健全な蠱惑というものはいっそう花ひらいて酔客たちをさらなる陶酔の堺へといざないました。

 ああ、そして、運命とはあらゆる瞬間に介在しているものです。

 青年と別れてから三年後、十九歳となった彼女は一人の少年と出会います。
 語り部を志すこの少年は目覚めたばかりの魔法使いで、つまり、色の魔法使いと出会った日の彼女となにもかもを同じくする存在でした。

『この先、もしも君が今日の君に出逢ったら』
『そのときは、あたしが今日のあなたになる』

 かつて恋人と交わしたこの誓いを、彼女は完璧なまでに果たします。色の魔法使いが彼女にとって良き師匠であったように、少年にとって彼女は最良の師匠でございました。
 そして、皆様。運命はなおも続きます。
 いかにも、それは、奇遇と呼ぶには余りにも運命的な巡り逢わせでございました。
 彼女が出逢ったこの少年の胸には秘めたる志しというものがあったのです。それは、物語ることにより魔法使いへの偏見を払拭するというものでした。
 これを聞かされた瞬間、彼女は自分でも理由のわからぬ精神の作用に貫かれて、滂沱と涙を流しはじめます。そして、涙ながらに少年に申し出ます。

『君の理想の成就に、あたしも協力する』と。

 皆様、運命とは時に道化じみた笑顔で我々に微笑みかけるものです。
 少年の理想を共有した彼女は、こうして、異なる天地あめつちに別れていながらにして最愛の人とも理想それを共有するに至ったのです。
 かたや色による癒しで、かたや踊りによる熱狂で。
 互いに愛する人と相通じていることすら知らぬまま、二人は同じ地平を目指してそれぞれの活動を続けたのでした。

 少年との旅が一年を数えた頃、彼女は偶然にも色の魔法使いの足跡に触れ、以降の旅を一人だけで歩むことを決意するのでした。
 色の魔法使いを探すために。愛する人と再び出逢う為に。



 そのようにして彼女と語り部の少年が別れたのが、今を遡ること五年前。
 結局、我々の主人公たちは再会することが出来たのか……それについては各々のご想像にお任せすると致しましょう。

 ですが、最後にその想像の一助となる余談を付け加えるのも一興かと存じます。


 四年前に終わった南の紛争は皆様も記憶に新しいかと思います。命という命が戦火という火にくべられる薪もさながらに呆気なく失われたこの戦の最中、戦時下の彼の地に伝説的に流布された噂がございます。
 不思議な力で傷を癒してくれる膚絵師の噂です。
 様々な逸話を残すこの膚絵師ですが、戦争が末期に及ぶにつれて彼の物語にはそれまでになかった要素が見られるようになります。
 なんでも、この膚絵師の連れ合いは臈長けた美女で、しかも良人と同様に不思議な力を持つ踊り子であったとか。

 他にもございます。最近、西の地方を中心に喝采を浴びている踊り子、その名も『瞳の祝福』と呼ばれる希代の舞姫には、彼女の演舞の冴えに負けず劣らずの練達の膚絵師が同行している、とか。


 説話を司る神の忘れられた御名において、わたくしの譚りはこれにて本当におしまいです。
 最後に、踊り子の少女、長じては空前にして絶後の舞姫となった彼女が口癖のように愛好していた言葉を引用し、これをもって物語の結びと代えさせて頂きます。

 愛の力とは、実に偉大なものなのです」




 長い物語は終わった。
 しかし語り部に拍手や喝采を贈る者は皆無だった。

 聴衆は泣いていた。

図書館ドラゴンは火を吹かない、好評発売中。
特設サイトもあります。是非ご覧ください。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ