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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■11 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

 刻限は夕景の頃を迎えて、夏の日の遅い夜はゆっくりとその帷を下ろして。
 刻々と、刻々と、運命の一日は終わりに向かいます。
 刻々と、刻々と、二人の物語は幕引きへと向かいます。

 皆様、長い物語もいよいよ終焉(おしまい)に差し掛かって参りました。
 今宵ここまでの皆様のご静聴とご傾聴の程に、物語に対する真摯さに、わたくしは語り部冥利とでも申すべき想いを抱かずにはおられません。
 日々旅に生き旅を住処すみかとするこの身にはございますが、あるいは酒精と人いきれに満たされたこの静けさこそが、語り部たるわたくしの帰るべき安住であるのかもしれません。

 それでは皆様、いまひとときだけわたくしと……それから、彼と彼女におつきあいください。

 さあ、説話を司る神の忘れられた御名において、物語に還りましょう。



『ヤサ男! ヤサ男! ヤサ男!』

 繰り返し、繰り返し、少女は青年の胸を叩きました。
 一打一打に込められているのは苛烈なまでの感情です。だから、一打を重ねられるほどに青年は惑いを深めます。戸惑って、戸惑って、己の置かれている立場と状況の一切を忘我の堺に置き忘れてしまいます。
 いいえ、本当は頭の大部分ではしっかりと現実を認識していて、しかし彼は意図的にそこから目を背けようとしているのです。
 胸を叩く拳は痛くて、甘いほどに痛くて、だから、胸板の先にある心が泣き喚いて思考を拒絶するのです。

『ねぇ、わかってるの? あたしすごく怒ってるのよ? あなた、あたしにすっごくひどいことをしたのよ?』
『……すまない』
『すまないなんて簡単に謝らないでよ! なにがすまないのかだってわかってない癖に!』
『……僕は君の舞台を壊してしまった。君の立つ舞台を汚してしまった。それに――』
『ほら見なさいよ! なんにもわかっちゃいないじゃない!』

 そう叫ぶやいなや、鋭い平手が青年の頬を打ちます。一切の遊びのない本気の怒りが渇いた音を立てて炸裂します。

『舞台なんて……そんなのであたしが怒ってると思ってるなら、それだってひどいことの一つだよ』
『ごめん』
『謝るなバカ! あなたの口から出るごめんもすまないも聞きたくない!』

 もう一度だけ青年の胸に拳をぶつけて、少女はこぼれ落ちる涙を拭います。ぐし、と、無造作に。
 その仕草は舞台上で見せる洗練された美とは程遠いものでした。それを見つめながら、青年は思います。
 ああ、やはり僕は浅ましい、やはり僕は醜悪だ、と。
 二度とは聞けないと諦めていた声が耳を打つたびに、二度とは触れられぬと信じていた体温を肌に感じるほどに、彼は自分の中の決意が崩れ落ちるのを覚えます。
 僕は今日名実ともに邪悪となって、だからその僕と一緒にいたら彼女にまで累が及んでしまう。それがわかっていて……なのに僕はなんと浅ましく、なんと惰弱で、なんと醜悪な――。

『あのね、あなたは今日、あたしの一番大事な人を台無しにしたのよ?』

 涙の声が青年の自虐を遮ります。
 大事な人? と、そう問い返そうとした彼の胸に額をくっつけて、少女は続けました。

『その人は筋金入りに鈍感で、他人のことはおろか自分の気持ちもわからないほど鈍感で……自分の優しさに気付かないくらいに、すごく優しいの。あたしはだからその人が世界一大事で……ねぇ、ここまで言ってもまだわからないの?』

 青年はなにも言い返しませんでした。
 少女がなにを言わんとしているのかわかっていて、だから彼はなにも言えなかったのです。

『あなたは、あんな風にひどいことはしちゃいけなかったのよ。だってそんなことほんとはしたくなかったはずだもん。悲しくて苦しい色を嫌って、優しい色で塗り替え続けてきたあなたが、あんな風に……ダメだよそんなの。あなたはヤサ男でいてくれなきゃ、やっぱりダメだよ』

 青年の胴に少女は両手をまわし、逃がさないとでもいうようにぎゅっと力をかけます。
 この瞬間、彼は己の中の憎悪と狂気が余さず蒸発していくのを感じました。

『なにがおひらきにする、よ。ふざけんじゃないわよ』
『だけど、僕は衆人環視の前で悪を行ったんだ。一緒にいたら君までが邪悪とみなされてしまう。それに、僕自身知らなかった己の醜悪に僕は今日気付いたんだ。だからつまり、僕は邪悪なだけでなく、浅ましくて、卑怯で……』

 青年がそこまで言ったとき、彼の言葉を遮るように再び平手が頬を打ちました。

『それ以上あたしの愛する人を悪し様に言ったら許さないわよ』

 真剣な怒りを込めて、少女が彼を睨み据えておりました。

『……愛する?』

 頬を抑えて反問する青年に少女はため息で応じます。どうしてそのくらいのことがわからないのか、とでもいうように。

 皆様もご存知の通り、我々の主人公はあまりにも不器用な男です。少女がそう評した通り、筋金入りに鈍感な男です。色という真理を通さぬ限りは目に見えているものの形すら掴めないような情けない男です。
 ですが彼はこの日、右目を閉じずとも一つの回答を得ることに成功したのです。長い間取り組んできた問題への答えを。

 青年は少女を抱き返します。この唐突な行動に、小さな身体は小鳥のように跳ね、赤く染まった涙の瞳がそれとは別の紅さを讃えて彼を見つめ返します。
 そうした少女の反応に構わず、彼は淡々とした口調で切り出しました。

『たとえば、僕は君のこの髪が好きだ。色彩の乗りの良い肌も、黒瑪瑙を想わせる二つの瞳も、夜にも咲く日向の笑顔も好きだ。有形であり無形である君のすべてが、目に見える君のすべてが好きだ。それに、目に見えない秘匿ひとくされた部分に思いを馳せることも、正直しばしばだ』

 事実を述べあげる口調で続く赤裸々な告白に、大観衆を魅了する顔容かんばせが真っ赤に染まります。赤くなりながら、しかし彼女は黙って彼の言葉に意識を傾けています。
 なるほど、こうすれば良かったのか、と青年は思います。なるほど、僕はこうしたかったのか、と彼は思います。
 不器用で、不器用すぎて、世間一般の類型から答えを導き出すことすら出来なかった彼は、しかし自分の愛する相手からならば学び取ることが出来たのです。
 恋愛への向き合い方を。それに対してどのように振る舞い、そこになにを求めれば良かったのかを。

『舞台上の君が纏う健全な蠱惑こわくにいつも胸が躍る。僕にだけ見せる表情に胸が高鳴る。これは僕だけの特権なんだって、得意な気分になる。つまりなにが言いたいかというと……』

 ――なんだ、恋愛とは、こんなに簡単な帰結を求めていたのか。

『つまり、僕は君を愛してるんだ』
『……ほんとにさぁ……なんであなたはそうやって大事なことを淡々と言うかなぁ……もっと気分を出したりとか、せめて言いにくそうにしたりとか、出来ないかなぁ……んもう!』

 そんなのとっくに知ってたわよ!
 それだけ言うと、彼女は声をあげて泣きはじめたのでした。
色の魔法使い編最終回は昼頃か、遅くとも夜には更新します。

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