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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■9 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

 ポケットを改めてみれば、そこにあったのは黒の中の黒です。反対のポケットにあるものとは、あらゆる印象の上で対極に位置する色。

 それは青年の――色の魔法使いの二つ目の魔法でございました。

 差し迫った状況も忘れて、青年は顔料の小瓶をしばし眺めます。蓋している木栓を抜いて、その内側に凝っているものに視線を落とします。
 それは彼がいままで消し続けてきた色で、だから、彼は己の二番目の魔法がどのような効果をもたらすものなのかを、考えるまでもなく理解しています。
 理解して、しかし彼は一秒の半分も躊躇いませんでした。
 状況が命じる行動はただ一つで、だから刹那の逡巡はおろか決断すら必要とせずに、彼は舞台上に一歩を踏み出しています。
 白昼の幽鬼と化して、眼前で展開する正義の現場へと向かいます。

『……? おい……おい――おいってば!』

 突然、というには余りにも静かな足取りで舞台にあがってきた青年に、少女を囲んでいた男達の一人が気付いて呼びかけます。乱暴を渡世としてきたのが一目で明白な、悪辣なものを滲ませた巨漢です。

『酔ってるわけでもなさそうだなヤサ男。おい、取り込み中なのが見てわかんねえかよ?』
『わかってるからあがってきたんだ』

 凄みを利かせるゴロツキに、青年は怯んだ様子もなく答えます。感情の起伏のない平坦な声で。

 それから、彼は絵筆を一閃します。
 男の右上腕に、黒一文字が引かれます。

『それは刃物の傷か? いや、折角治りかけてたのに気の毒をしたな』

 同情など欠片も感じていない口調でそう告げて、青年は絵筆に顔料をつけなおします。
 どっぷりと色を含んだ穂首から、殺人の刃が血を滴らせるように黒が垂れます。

 絶叫が広場を劈いたのはその直後のことでした。
 勲章のように自慢としていた大きな古傷から盛大に血を吹き上げて、さっきの男が衆目も憚らずに悲鳴をあげています。

『痛いなぁ。見るからにいたい。ああ、まったくいたい』

 男を見つめたまま、右目を閉じた青年が言います。やはり感情のない声で。死者でさえ怖気を奮うような無慈悲の口調で。
 周囲の視線が、舞台上と観客席のすべてを合わせた数の視線が青年に集まります。
 ああ、あの日と同じだ、と彼は思いました。父に否定されたあの日と、母に泣かれたあの日と、故郷を逐われたあの日と……
 そうだ、これはまるっきりあの日の再現じゃないか。
 笑い声がします。男があげつづける悲鳴を圧するような、けたたましい哄笑が。
 それをあげているのは、他ならぬ青年自身でした。
 あまりのおかしさに彼は笑わずにはおられなかったのです。十三の夏の日、彼は正しいと信じた行動の果てに視線の棘を浴びました。そしていま、彼は憎悪に駆られて絵筆を取って、その結果として同じ視線を一身に集めているのです。

『つまり、最初から正しいも間違ってるもないのか? 白も黒も、同じなのか? 僕は結局、どう足掻いても悪として生きるしかないのか?』

 笑いが勢いを増します。絶望に抗うように青年は大きな声をあげて笑います。
 それから、それはピタリととまります。
 そんなことはわかってる、と彼は思います。
 僕が悪であることはもうとっくに知っていて、もうとっくに諦めていて、だからそれはもうどうでもいいんだ。彷徨の六年でそれは嫌と言うほど思い知った。故郷を追われてからの六年で。
 ああ、いまにして思えば渇いた六年だった。荒れ地のような六年だった……。

 だけど、六年のその先はどうだった? この一年余りはどうだった?

 青年は視線を走らせます。舞台上に、いましも己の立っている地平に。
 そして、失語して彼を見つめている男達のただ中に、求めていた姿を見出します。

 不毛で有りつづけた彼の人生に意味を与えてくれた少女を。
 愛する人を。

 その瞬間に、狂気の毒は彼の精神を完全に支配したのでした。



 そこからの彼は、さながら色の修羅でした。
 黒が一閃され、黒が穿たれ、そして黒がばらまかれます。
 いくら殴られようとも、いくら蹴られようとも、彼はまるで動きを止めませんでした。ただ『いたいなぁ』と他人事のように呟いて、己を捕まえている手があれば即座にそこに絵筆を走らせます。
 そして、拘束の手を潰したら即座にその持ち主に再起不能なほどの黒を塗りたくります。

『あく――あくまめ! 悪魔めぇぇぇ!』
『そうだな。だが僕にその役割を求めたのはあんたらじゃないのか?』

 恨みの絶叫に涼しげに応じて、さらに、さらに、青年は血に酔うように色に酔います。
 そうだ、僕にそれを求めたのはお前らだ。青年は思います。僕はもうずっとその役割を押しつけられてきたんだ。それについて恨み言をいうつもりはないよ。なかったよ。
 だけどお前らは僕だけでなく、ついに彼女にまで――。

 ああ、憎い。僕は正義おまえらが憎い。

 黒。黒。黒。黒の繚乱りょうらん
 それまで消し続けてきた色の一切を還元するかのように、青年は舞台上に黒を播種します。
 状況を飲み込むことが出来ずにいる観衆たちの前で、演じられるのは奇妙な殺陣です。
 斬られ役はみな意味不明のうちにやられる三流ばかりで、しかし苦痛の表現においてのみ迫真を極めています。そのチグハグさが観衆達に最終的な判断を許しませんでした。
 これって最初にあの踊り子が取り囲まれた時からはじまってる余興じゃないの? と、誰もが半ばそう信じています。

 乱闘の最中に絵筆は失われて、既に青年は己の指を絵筆にして、いいえ、掌全体に顔料を出して男達に迫ります。
 暗黒の手で。死の鷲掴みで。
 そして、いよいよ舞台の上に発っているのは、あの呪使いの老人一人きりとなりました。
 青年はゆっくりと老人に歩み寄ります。一歩、一歩、さらに一歩。そうして彼が距離を縮めていくと、老人は引きつった悲鳴をあげて腰を抜かします。
 へなへなとへたり込む相手に、青年はにっこりと笑いかけて、言いました。

『嬉しいでしょう? 僕はほら、あんた方が望んだ正真正銘の邪悪な魔法使いですよ。ねぇ、だからもっと嬉しそうな顔をしましょうよ。そんな風に絶望的な顔をするのは、間違ってる』

 だって、絶望しなきゃいけないのは僕らのほうなんだから。

 這いずって逃げようとする呪使いの頭上に、青年は顔料の小瓶を傾けます。あれだけ使ったというのに瓶の中身は些かほども目減りしてはおりませんでした。
 無限に苦痛が湧き出る小瓶から、とろりと、最初の一滴が老人の禿頭に垂れます。

『やめなさい!』

 そのとき、彼の背中に制止の叫びが投げかけられました。
 あまりにも親しい、あまりにも愛しい声でした。

『やめなさい! ……やめて』

 振り返った青年が見たのは、悶絶している男達のただ中に一人立ちつくす少女でした。彼女は悲しそうな顔をして彼を見つめています。
 見つめて、決して目を逸らしません。
 青年を支配していた狂気と憎悪が、潮が引くように消えていきます。

『……やめよ? ね?』


 あらゆる思考を放棄して、知らずのうちに青年はその場から逃げ出しておりました。

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