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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■7 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

 実際的な問題から申し上げれば、その一番で少女がもらいうけたおひねりの多寡は、一座に所属するすべての大道芸人と楽師、それに彼女の仲間の踊り子たちが一カ所の興行で稼ぐ全部を合わせてもまだ及ばぬほどのものでした。
 その半分に残りの半分のさらに半分を加えた額を気前よく差し出して、彼女は並み居る一同に対し次のように申し出ました。

『あたしはあたしを買い取ります』

 確固たるその宣言に、青ざめたのは他ならぬ座長です。これまで粗雑に扱ってきた鶉の子が金の卵を産む鵞鳥であったと気付き、ご機嫌取りの裏側で今後少女の生み出すであろう利益に算用を廻らしていた彼でした。
 あたふたと慌てふためき、言い訳にもならぬ言い訳を重ね、さらには破格の待遇を約束して……募らせる慰留は必死の中の必死という見苦しき様相です。

 と、そこに鋭く嘴を挟んだのは、どさくさの中その場に残っていた青年です。

『いやいやいや、これは見事な商売ですなぁ座長さん。厄介者の小娘に値千金あたいせんきんとは! 羨ましいやら妬ましいやら、まったく拝んであやかりたくなるほどです!』

 見えない兄の囁きをぎこちなく反復した青年に座長は蛇かさそりでも見るような憎々しい眼を向けます。
 それから、彼はがっくりとうなだれて自分の負けを認めたのでした。

 こうして少女は自由の身となったのでした。

 揃って一座の天幕を出たあとで、少女は青年に抱きつきます。
 抱きついて、彼女は言いました。

『これでくだらない連中とはおさらば出来たわけだけど、でもあたしはまだ十四歳で、か弱い女の子で、だから、誰か大人の庇護が必要だと思うのね。それで……あなたには責任、あると思うの』
『……責任? 責任って、なんの?』

 戸惑いながらそう問い返す青年に、少女は猫のような笑顔を向けて続けます。

『まずは、さっき座長に一言いってくれた責任。それに、気まぐれな情けをあたしにかけた責任。あと、あたしを綺麗だっていったのもそうだ』
『至る所に責任が生じるんだな』と青年がぼやきます。
『そうだよ、あなたは他にもたくさん責任を負ってるの。あなたはあたしを踊れるようにしてくれた。自信と、反抗する勇気をくれた。割れるほどの拍手と喝采を浴びさせてくれた。あなたはその全部に責任があるの。そして最後に――運命的にあたしと出逢った、その責任も』

 ――充分じゃないのに充分だなんて、もう言わないよ。あたし、全然充分じゃないから。

 最後にそう付け加えて、青年の胴にまわした腕にぎゅっと力を込めます。
 逃がしはしないとでもいうように。責任の履行を求めるように。

『責任重大だなぁ、おい』

 真っ赤になって固まる青年に、見えない兄は心底楽しそうな声の波を送ったのでした。



 運命。いかにもそれは運命でした。

『僕が自分以外の魔法使いとはじめて出逢ったのは四年前で、その人は針の魔法使いっていう仕立て屋の老女だった。彼女はそれぞれに異なる神秘を秘めた縫い針を一三本も持っていた。だけど、僕がそれを借りても薄手の布きれに糸を通すことすら出来なかった』

 不思議そうに顔料の小瓶をめつすがめつしている少女に青年はそう説きます。
 彼が扱う限りにおいては水で溶かずとも指にも絵筆にも掬える癒しの乳白色は、しかし少女が同じようにしようとしても樹脂のように凝固して用途をなさないのでした。
 魔法使いの魔法とはこのように、使い手以外が手に取るとたちまち無用の長物と化すものなのです。

『君のこの羊皮紙もそうだろう? 踊りについて無学な僕がこれを読めないのは当然として、でも君の踊り子仲間だってやっぱり読めなかったんじゃないかな?』
『うん……そうだと思う。貴重な羊皮紙を落書き紙にしてってバカにされて、ずっと不思議に思ってたの。てっきりそういう嫌味なのかなって考えはじめてたんだけど……そっか、本当にみんなには読めてなかったんだ』
『この羊皮紙は世界中で君にしか読めないんだ。僕の色が僕以外には手繰れないのと同じく。魔法使いの魔法はみんなそういうものなんだ』

 まるで自分自身を抱きしめるように、少女が羊皮紙を胸に抱きます。
 その姿を見つめながら青年は肯んじています。
 なにを? もちろん、運命を。
 彼は語りました。それまで己の特異を自覚すらしていなかった少女に対し、魔法使いという存在について放浪の中で自分が知り得たあらゆることを。
 きっと定められていたのだ、と色の魔法使いたる青年は思いました。
 針の魔法使い、あの親切な老女に少年の日の自分が出逢った時から、これは定められていたのだ。温かいスープと一緒に魔法使いのいろはを説かれた時から、それをこの少女に伝えることは。

 彼はさらに語りました。
 目の前の小さな運命を肯定して。
 そして、その遙かな先にあるなにか大きなものを、漠然とながらも予感して。

『この先、もしも君が今日の君に出逢ったら』

 語るべきことをあらまし語り終えたあとで、彼は最後に付け加えました。

『つまり、右も左もわからない、もしかしたら自分が魔法使いだってことすらわかっていないような魔法使いと出逢ったら……』
『そのときは、あたしが今日のあなたになる』

 青年の言葉を遮って、少女がその先を引き継ぎました。

『その駆け出しさんに、今日あなたから教えてもらったことを今度はあたしが教えてあげる。うん、きっとそうする。約束するわ』

 どこかに決然としたものを秘めた表情で応じ、少女が小指を差し出します。
 その小指に遠慮しいしい自分の小指を絡ませながら、青年は思います。

 きっと、これはまだ終わらない。連綿と、連綿と、これはどこかに繋がっていくのだ。
 その行き着く先を僕が知ることは、多分ないだろう。
 けれど、大丈夫。きっと悪いようにはならないはずだ。

 小指で繋がった少女の真剣な眼差しを瞳と同様の真っ直ぐな予感として捉えて、青年は心中に安らかな息を落としたのでした。



 さて、青年にとってはいささか腑に落ちない経緯ではありましたが、それからのち、彼と彼女は旅の道連れとなったのです。
 友人として、保護者と被保護者として、そしてまた渡世の相棒として、その後の二人は常に共にありました。
 一座に所属せぬ流しの踊り子とその専属の膚絵師。青年と少女の関係は実際の面でも抜群の相性を発揮します。
 青年の化粧を、都度に応じて千差万別に異なり、しかしそのすべてが渾身の出来映えを誇るそれを膚に得て、少女は踊ります。
 春のある日には紅の一色が情熱を貫き、また夏のある日には紺碧こんぺき生成きなりの白が涼しさを演出します。烏羽からすば深緋こきひが厳然なまでの高貴を醸し出したかと思えば、次の現場では白花と瑠璃が陽気な愛嬌を引き立てるといった次第。
 青年の技術の確かなる様は既に申し述べた通りですが、少女の才覚もまた同様。あの祝祭の日に見せつけられたものはただ一度の奇跡ではなく、むしろ場数を踏むほどに洗練の度合いは増していきます。
 幾多の祝祭を渡って喝采は万雷。数多あまたの縁日を廻っておひねりは雨霰あめあられ
 ただ二人だけの巡業はことほどさように衆目を虜とし、歩んだ道程はそのまま伝説の軌跡となります。


 そのようにして月日は廻ります。

 一年後、もはや青年は客を取ってはおりませんでした。
 少女の膚に向かう時とそのほかの客に対する時とでは自分の中の熱意に歴然たる落差があることを悟って、彼は祝祭の広場に看板を下げるのをやめたのでした。
 百人の客とたった一人の少女の笑顔とを己の中で天秤にかければ、前者を乗せた皿はいとも呆気なく跳ね上がりました。
 僕は膚絵師として失格だ、と彼は思います。公平さを失って、色に対する真摯さを失って……だから、僕は。
 深くため息をつき、それから、彼は再び色の渉猟を再開します。顔料の材料となる品々を求めて、人出で賑わう市場を歩きはじめます。
 膚絵師としての己に失望を感じながら、しかし色に対する拘りは以前にも増して大きくなっておりました。傍目にはほとんど違いのわからぬ黄檗と菜の花色を厳しく区分して、その微細な違いの為に一日を費やすといったようなこともしばしばです。
 そこに労力の計算はなくて、そこに一切の妥協はありません。
 少女の膚を彩る色彩、それを求める彼の熱意には。

 と、そのときです。
 両脇に無数の店屋が連なる大路の先から、なじみ深い笑顔がこちらに駆け寄って来るのが見えました。
 旅の道連れにして友人の娘が。彼の渡世の相棒が。
 あるいは、それ以上の存在の少女が。

『さて、俺はちょっと一人でぶらぶらして来んぜ』

 唐突に、見えない兄がそう切り出しました。それじゃあな、と姿なき声が遠ざかりながら青年の耳に届きます。
 最近、彼の兄はいつもこうでした。『死人には死人の付き合いがあるんだよ』などと嘯いては、それまでは四六時中一緒であった青年から離れて一人でふよふよとどこかへ行ってしまうのです。
 そしてそれは、青年が少女と二人きりでいるときに顕著にみられました。
 どういうつもりなんだろう。
 青年がいまはこの場にいないらしい兄を訝っていると、やがて少女がすぐ傍までやってきて、嬉しそうに彼の腕に自らの腕を絡ませたのでした。


 時節を迎えた花々がつぼみをひらくように。ある種の鳥たちが長じて飾り羽を得るように。
 出会いから一年が過ぎて、少女はあらゆる意味合いにおいて(うるわ)しさを深めておりました。
 もちろん、まず第一にそれは演舞の冴えに表れています。そして、第二には見目の容色として直截に表出しておりました。
 時間の洗礼を受けて愛らしさは美貌と呼ばうべき領域へと目覚めて、しなやかな肉体はしなやかさの上に曲線を幾重にも帯びて、いまや彼女は形容の言葉を探すのも困難なほどの佳人の予兆を放っています。

 しかし、青年にとっては。

 無論のこと、彼もまた少女の中で開花していくものに気付いておりました。当然です。誰よりも間近でそれを見続けていたのは他ならぬ彼なのですから。
 ですが、日差しを反射する亜麻の妙髪も、あらゆる男どもが振り向かずにはおれぬ明眸皓歯めいぼうこうしも、青年にとってはさほど重要ではありませんでした。
 彼は他の誰もが、当の本人である少女ですらが気付かぬ部分に最も大きな変化を感じ取っていたのです。
 たとえば、彼との談笑でたてる無邪気な笑い声に。
 たとえば、いつも不意打ちのように繋いでくる、その手の温もりに。
 それに、そう、たとえば――。

『ねぇ、なに考えてるの?』

 物思いに耽る青年に、隣を歩いていた少女が声をかけます。
 彼女の左腕は青年の右腕にまわされたままです。

『いや……別になんでもない』

 青年がそうはぐらかすと、少女はなにやら意味ありげに『ふうん』と言って、それから、上目遣いと共に雄弁な笑みを彼に向けます。
 楽しくて仕方がないというような、いたずらな笑みを。
 そう、たとえば、この猫科の笑顔に、甘え上手な仕草に、なぜだか彼は、しばしば酒を飲まずとも酔い心地とされるのです。
 それは少女の発散するなにかが関与しているのが明らかで、しかし彼にはその正体が掴めません。右の眼を閉じて特別の左の眼で見ても、それは色としては表れてはおりません。

 正体の掴めぬ、色にも表れぬ第三の魅力。

 これこそが、青年にとって最も重要な少女の変化でございました。

『……まさか魔法ってことはないよな』
『え、なにが?』
『……なんでもない』

 青年は誤魔化すように苦笑しながら、『だけど羊皮紙が増えてないか確認だけはしてもらおうか』などとさらに思考を連ねておりました。

 と、腕を組んで大路を行く二人の前に、事態はにわかに出来します。

 なにやら騒然として雑踏が割れて、やってくるのは担架を担いだ若者衆、運ばれてくるのはまだ五つか六つほどと見える男子おのこでございます。幼子は市場の喧噪を圧するほどの悶絶を叫んで、担架に寄り添う母親もまた、我が子の絶叫に絶叫で応じるが如くに悲鳴をあげ続けています。

『ねえ、あれどうしたの?』
 少女が町人の一人を捕まえて事情を問います。
『揚げた魚を商ってる家のガキがな、悪ふざけしてて鍋をひっくり返したんだとよ。不幸の中の幸いで火は消えてたんだが、しかし鍋の中の油はまだしっかりと熱かった。そいつを二の腕から手の先までどっぷり浴びて……ああ、考えるだにいたましいや』

 問われた男が眉を顰めながら答えます。
 青年が隔り世の眼を開いて運ばれていく担架を眺めてみれば、確かに、子供の左腕にあるのはあまりにも危険な色彩です。激痛を直視させる暗黒の中に走る、渇いた血のような赤。火傷のひどさを物語るそれらの色に、青年は思わず己の腕を押さえたほどです。
 あの色を消さねば、と彼は強く思います。幼子を灼熱の苦しみから解放し、母親の涙を止めること。僕にはそれが出来るのだ。
 ポケットをまさぐり、そこに乳白色の顔料があることを確認します。それから、青年はいましがた担架が向かった方に向かって踵を返します。
 と、彼が歩き出そうとした、そのときです。

『あの子を助けてあげに行くんだね』

 聞き馴染んだ声が彼の耳朶に触れました。
 見れば少女が、連れ合いの優しさを自慢にするような表情を浮かべて彼を見つめておりました。

 この一瞬に、青年の脳裡にあらゆる思考が去来します。

 これまでに投げつけられてきた面罵の数々が、繰り返された迫害の一つ一つが、彼の頭の中に唐突に蘇ります。忘れられぬものから、もはや忘れたと思っていたものまで、すべてが。
 なんでだ、と彼は思います。だって、僕はもうそんなのには慣れっこで、そんなのは織り込み済みで不幸の色を消し続けて、だから、なんでいまさらになってこんな?
 己の内側に未知の感触てざわりを覚えて、青年は大いに戸惑います。
 早く行ってやらねば、と彼は思います。
 しかし同時に、行ってはならない、と内なる声が叫びます。
 烈しい葛藤が彼を揺さぶっておりました。それまでは無縁であったそれが。
 意味不明な精神の作用に、青年は呼吸をひどく乱し、その顔は青ざめてすらいました。

『ねぇ? 大丈夫』

 そうした彼の耳に、声は救済のように再び降り注ぎました。
 愕然としながら青年は顔をあげます。
 そして、そこにいる少女をまじまじと見つめます。
 よろめきかけていた彼の背中を支え、心から案じる表情で青年を見つめている彼女を。

 その瞬間に、理解が青年を貫きます。

 自分がもしもあの子供を助けたら、そのときはどうなるだろう。もたらされるであろう結果について彼は考えます。
 母親は泣いて感謝するか? 子供は笑顔でありがとうと言ってくれるか?
 いいや、そんなことはない。そんなことは一度だってなかったのだ。与えられるのはいつも迫害であり、投げつけられるのは罵声であり石であった。今回だってきっと同じだ。
 そんなのは慣れっこだ。そんなのは、僕はどうだっていい。
 けど――。

 けどいまは、街から追われるのは自分だけじゃないのだ。
 迫害のつぶてを受けるのは、この僕だけでは。

 やめておけ、と忠告してくれる兄は、いまはここにいませんでした。
 だから青年は、自分の意思でそれを決めて、少女に告げました。

『……帰ろう。あの火傷は、僕の手には負えないから。だからそれは、医者に任せよう』

 力無くそう言った青年に、少女はほんの少しのあいだなにか言いたそうな顔をしたあとで、結局なにも言わずに『うん、わかった』と返事をしました。
 少女に支えられながら宿に帰る道すがら、彼はそれ以上一言も口を利きませんでした。



 理解が、あらゆる物事に対する理解が、次から次へと青年の心に押し寄せていました。

 たとえば、迫害は彼という個人ではなく、魔法使いという存在が受けるものなのだという事実。頭ではわかっていても深くは考えたことのなかったそれを、彼は改めて認識したのです。
 そしてその中には、自分だけでなく隣を歩く少女も含まれているのだということを。 

 彼ははじめて怒りに震えました。魔法使いへの迫害を正義と信じて疑わぬ人々への怒りに。
 彼は悲しみに冬を感じました。自分一人ならば諦めてしまえる種々のことが、悲しくて悲しくてたまりませんでした。

 そうした感情に揺れ動きながら、青年がもう一つ理解したことがありました。
 それまで正体の掴めなかった少女の変化について。彼だけが知ることの出来る彼女の魅力について。
 つまりその変化とは、少女ではなくこの自分の内面に生じたものであったのだと、彼はいまこそそれを知ったのでした。


 ままならぬ悲しみに包まれながら、そのようにして彼は恋愛を自覚したのです。

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