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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■6 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

 それは、一巻の羊皮紙でした。

『あたしはあたしの全部を出し切るの』

 少女は答えにならぬ答えを青年に返し、逆に申し出ました。

『ねぇ、あなたの絵筆を何本か貸してもらえない?』
 少し乱暴に扱っちゃうかもしれないけれど、でも、必ず返すから――少女はそう誓います。
 なにに使うのかと、青年は問いませんでした。彼は黙って懐から三本の絵筆を取り出して彼女に渡しました。
 少女はそれを本当に大事そうにズボンのポケットへとしまったのでした。

 さて、二人が目指す広場に到着したとき、舞台の方向から喝采と拍手がわっと立ちました。
 少女の仲間の踊り子たちが、ちょうどその演目を終えたところだったのです。

『やあなんと、ほんとにそいつにも化粧をしてやったんですかい!』

 舞台袖にやってきた青年と少女に、一座の長が驚きと嘲りの入り交じった声をあげました。

『しかし、ご覧の通りいましもすべての出番は終わったところでさ。ちいと遅かったようで』
『いいえ、遅くなんかないわ』

 座長の意地悪な物言いにきっぱりと言葉を返したのは、他でもない少女でした。

『あたしはあたし一人で見事踊りきってみせるわよ。ええ、そのほうがかえって清々する』
『ふん、たった一人で? 楽師もなにもみんな引き上げちまうのに、音楽もなしでか?』
『そんなのこっちから願い下げだわ。あたしが見せるのはただあたしの才覚だけ。それ以外の誤魔化しや梃子入れは一切無用よ』

 少女は挑むように宣しました。立場の弱さに負けて縮こまっていた娘の面影は、もうそこにはありません。口角が吊り上がり、勝ち気な笑みが頬に乗せた瑠璃色をも笑わせます。

『……ああそうかい。だったらせいぜいみじめを晒してくるがいいさな』

 一変した少女の雰囲気に呑まれながら座長が言った、そのときです。
 手に手におひねりの入った籠を持った踊り子たちが舞台から戻って参りました。
 仲間の踊り子たちはそこにいる少女に、それも自分たちと同様の化粧を――いいえ、それ以上の色彩の美を纏った彼女に、瞳を奪われて硬直します。

 そんな仲間たちの横をすり抜けて、少女は颯爽とした足取りで舞台へ躍り出たのでした。

 たった一人の踊り子の登場に、観客達はしばらく気付きもしませんでした。それぞれに次の出し物を待って歓談に湧いていて、舞台のほうなど見てはいません。やがてちらほらと舞台の少女に気付きはじめるものも出ましたが、そうしたいくつかの眼も『なんだあの娘は』という呆れを浮かべるばかり、舞い手として彼女を捉えているものは一つとありません。
 そうした観客たちの観客ならぬ態度に、しかし少女は怯みもせずに悠然とした笑顔を向けます。
 余裕を孕んだ笑み、己の依って立つものはただ己の中にあるのだと、そう宣するような晴れがましい笑みを。
 一度だけ、少女は観客席ではなく舞台袖から己を見守る唯一の観衆にちらと視線をやりました。
 青年はその視線を真っ直ぐに受け止めて、彼女のすべてを肯定するように肯き返します。

 そして演舞ははじまります。
 場を盛り上げる音楽はおろか口上の一つもないままに、ただ一人の舞台は沈黙から唐突に浮上します。
 この日の最高の一番は。並ぶものなき舞姫のそれは。
 見るともなく舞台を眺めていた数名の観客がまずは居住まいを正します。次にその周囲の観衆達も彼らの視線を追って舞台に眼をやり、そしてこれもまた同様に弛んだ姿勢を正します。
 踊り続ける少女の姿を一目とした者たちから、波のようにそれは広がります。

 技術としては拙くて、洗練と研鑽の余地は多分に見て取れます。
 しかし、蹴り上げられた脚のしなやかなさはどうか?
 膚絵の施された腕が旋回して生み出すのは、残像か? それとも蜃気楼か?
 そして、共に踊る仲間もなく、楽師の奏でる背景楽もなく、さらには観客の声援すら得られてはいないというのに――あの毅然たる表情と眼差しは、いったいどこから来るのか?

 少女を健気だと感じた観衆はそう多くはありませんでした。その様があまりにも威風堂々としすぎていて、横顔が美しく輝きすぎていて。だから観衆達は哀れを感じる心など皆目忘れ去って、ただ息を呑んでこの一人きりの舞台に釘付けとなります。

『……なるほど。あの娘がハブられてたのには嫉妬ってのも多分にあるんだろうぜ』

 感嘆も顕わにそう呟いた目に見えぬ兄に対し、青年は少女に瞳を奪われたままで肯いて同意を示しました。確かに、と彼は思います。並の踊り子とは一線を画す天性のなにか、少女の踊りにそれがあることは、演芸のことなどなにもわからぬ門外漢の彼にも直観されました。

『とくと見たぞ。見させてもらったぞ。君は確かにすべてを出し切ったんだ』
 僕との約束の為に――言葉には出さずに、彼はそう付け加えます。そして、にわかに生じた誇らしさを胸に、舞台上の少女に心からの賛辞を送ります。
 見事だ。ああ、僕の仕事など霞んで消え入ってしまいそうなほどに、実に見事だ。

 しかしこのときまだ、少女は彼女の持てるすべてを披露してはおりませんでした。

 いまや観衆は惜しみない声援を少女に送っています。羚羊の美脚が空を蹴るたびに、色彩の腕が蜃気楼かいやぐらを呼吸するたびに、口笛が飛んでどよめくような歓声が沸きます。彼女の舞姿に瞳を奪われているのは舞台袖の面々も同様。青年はもちろん、少女をないがしろに、あるいは苛めの対象としてきた座長や踊り子仲間たちもまた、この孤高の舞台の虜となっています。

 この舞姫はなにかの顕現だと、ほとんど誰もがそんな直観に貫かれておりました。

 そうした観衆たちの目前で、孤高の演舞は次の局面を迎えます。
 手足の運動は一時として止めずに、まるでそれが踊りの一挙動ででもあるかのように、少女は紐解きます。片方の手にずっと持ち続けていたそれを。一巻の羊皮紙を。
 さながら振り袖が舞うように、紐解かれた羊皮紙がふわりと宙に躍ります。観衆はまたも息を呑みます。演舞の小道具にはあまりにも不似合いと思われたそれが、しかしいまは剣の舞いの円月刀もかくやと踊りを引き立てておりました。
 ああ、なるほどこういうことか。人々はこの風変わりな小道具の活用に納得して、またも口笛と歓声を少女に送ります。
 ですがそれは誤解の上に成り立った納得です。
 羊皮紙の霊験が発揮されるのはまさにここからだったのですから。
 踊り子の衣装のひとつ、砂塵の国に由来を持つだぶだぶのズボンのポケットから、少女は突然三本の絵筆を取り出します。
 青年から借り受けた彼の仕事道具。あらゆる支援を無用と断じた少女が唯一の後援として肌身に持って舞台へとあがった、彼女の中のなにかを象徴する品物。
 それを、少女は己の頭上へと高く放り投げます。
 絵筆の持ち主である青年が、また他の観衆たちが凝然とした視線を向けるのにも構わず、少女は踊りを再開します。
 裸足の脚が摺り足で地面を滑り、半月を描くように美しく蹴り上げられます。そのまま片手を足とした逆立ちになりながらぐるりと反転してみせます。曲芸じみた動作の連続でありながら、しかし少女の横顔は苦労を一縷とも感じさせません。
 とそこに、先ほど投げられた三本の絵筆が落下してきます。
 飛ぶ鳥以外は引き寄せる大地の力に、あわや青年愛用の品は地面にぶつかって砕けてしまうかと見えた――その刹那。
 地面にぶつかる直前で、三本の絵筆が三本とも、空中にぴたりと制止したのです。

 そして絵筆は、踊り子の演舞に合わせて自律して踊り出します。

 命を持たぬ道具が、さながら一つの生命であるかのように。どころか、その動きには表情すらあります。一の絵筆は滑稽に、二の絵筆は幾分慎ましやかに、そして、三の絵筆はひたすら熱狂的に、踊ります。

 さあ、そこから先はさらなる不思議の連続です。

 楽しそうに踊る絵筆たちに誘われるようにして、客席から帽子が、扇が、果てには一目で呪使いのものとわかる杖までもが、壇上の踊りに飛び入ります。少女の持ち物ではないはずの品物が、そのどれもが絵筆と同様に命を得て、それぞれ異なった表情を見せて、踊ります。

『おい――おい! こりゃ、お前……!』

 見えない兄の驚愕の声に、しかし青年はもはや肯くことすら忘れています。彼はただ、眼前で繰り広げられる光景に目を瞠るばかりでした。

 やがて演舞は終わります。少女は両手を頭上で交差させたあとで、降りしきる雪を表現するかのように、ゆっくりとしゃがみながらその手を地に着けます。
 すると彼女のこの動作に呼応するように、それまで宙に浮いていた品々もまた、静かに地面に落ちて動かなくなりました。
 神秘と呼ぶにはあまりにも浮かれた風情の強い神秘の一番は、こうして終わりを迎えたのでした。
 広場には沈黙が満ちていました。口笛と歓声がにわかに去って、そこには静寂が横たわっています。観衆は誰も、一言として言葉を発せずにおりました。演舞の終わりに気付かぬかのように。
 あるいは、それを受け入れられずにいるかのように。

 鬨の声はややあってから唐突に破裂しました。

 万雷の拍手が、歓声に次ぐ大歓声が、たった一人の少女に向かって鯨波のように押し寄せたのでした。
 この反響に少女はまず面食らった顔となります。それから、ようやくその喝采が自分に向けられたものだと理解して、含羞と喜色を満面に咲き誇らせます。
 次の瞬間、降り注いだのは雨のようなおひねりです。数えきれぬ金貨と銀貨、中には輝石をはじめとした金品の類までもが。

 総立ちとなった観客席にぺこりとお辞儀をして、少女はそそくさと舞台袖に退散します。
 その背中に再び熱狂の叫びが押し寄せますが、彼女は一度も振り返りませんでした。

 舞台袖には一座の人間が勢揃いしています。
 ついさっきまでの態度がウソのようにへつらいの笑みを浮かべている座長に、もはや嫉妬すら出来ずに憧憬を讃えた踊り子仲間たち。それまでバカにしてきた少女に対して、全員が恥も忘れてご機嫌取りの有様です。
 しかし、少女はそうした者たちには目もくれませんでした。
 一座の身内達の横を素通りして彼女が向かったのは、彼女という踊り子に舞う為の色を与えてくれた膚絵師の元でした。
 早足で青年に歩み寄った少女は、立ち止まらずに彼の胸に飛び込みました。

『見ていてくれた?』

 青年の胴に腕をまわしながら、上目遣いで少女は問いました。

『み、見ていたさ、もちろん』

 あからさまに戸惑いながら青年は応じます。『抱き返してやったらどうだ?』と見えない兄が茶化します。笑いの波を帯びた声ならぬ声に、青年は珍しくこの兄を疎ましく思いました。

『そ、それよりも』

 腰元にまわされた腕が次第に抱きしめる力を強くするのに抗うように、青年は言いました。

『君に一つだけ言っておくべきことがある。……たぶん、言っておくべきだと思うんだが』
『なに?』

 抱きついたままで、垂直に彼を見上げながら少女は応じます。彼女の眼差しと吐息にくらくらしそうになっている己を自覚しながら、青年はただ率直に告げました。

『わかってないだろうと思うから言うが、いいか……君は魔法使いだ』
『……魔法使い?』

 少女が、きょとんとした様子で問い返します。

『ええと、それって……あたしのこと?』
『だからそうだって言ってるんだ。だいたい、君以外に誰がいるっていうんだ』

 青年がそう断じると、少女はしばし考えを廻らせたあとで、

『わぁお……それってたまげるなぁ。今月一番のびっくりだ』

 そんな風に、深刻さの欠落した調子で嘆じたのでした。

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