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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■5 色の魔法使いの挿話 (『◆』)

『まったくお前は変なところで意地を張るよ』と見えない兄が言いました。
『ごめん。僕は兄さんの忠告に逆らってばっかりだ』
『いいよ別に。きっと、だからこそお前は魔法使いなんだ。だからお前は俺の弟なんだ』

 厄介な性分を抱えた弟を誇るように兄は言いました。そんな風にいつも自分を理解してくれる兄に、青年は『ありがとう』と心よりの感謝を伝えたのでした。

『……ねぇ、誰と話してるの?』

 そのとき、青年の腕に抱かれていた少女がおずおずと身じろぎして言いました。
 二重、あるいは三重の疑問に戸惑いながら、踊り子の娘はただただ青年を見つめています。

『事情の説明は長くなるから、それはあとで。とにかく今は化粧を急ごう』

 そう言うなり青年はしまいかけていた商売道具をてきぱきと筵の上に広げていきます。

『あの……ありがとう。でもいいよ。無駄になっちゃうよ。お気持ちだけで、じゅうぶん』
『気持ちだけ充分なんて言葉、君みたいな子供が吐くな』
 半ば叱りつけるような調子で青年は言いました。
『それに、無駄にはならない。足のことを言ってるなら、それは大丈夫だ』

 道具を調えた青年は今一度まじまじと少女を観察します。
 まずは二つの瞳で。それから、右の眼を閉じて左の眼ひとつで。
 そして見ました。彼女を雁字搦めにしている悲しみの色、劣等感の色、複雑に交わる憂慮と諦観の色を。
 化粧の方向性は、即座に決定されます。

『いま君に必要なのはとにかく自信だな。僕がその色を君に……いや、上手く言えないけど、とにかく僕を信じてくれ。悪いようにはしない。さぁ、まずは右腕からはじめよう』

 言葉では応じず、しかし少女は素直に右腕を差し出します。それが青年への返事でした。
 他のどの踊り子に対してよりも、いいえ、今までのどんなお客に対するよりも真剣に青年は少女の膚に向かいました。
 周囲に取り散らかした無数の顔料を完璧に把握して、両方の手にそれぞれ絵筆を二本あるいは三本と取って、指の腹までも絵筆にして色を繰り広げます。
 手の甲から手首、前腕の表裏を染めて、肘へ。色の展開はそのまま右上腕へと向かいます。

『答えたくなければ答えなくてもいいんだけれど』
 作業の手は毫とも弛めぬまま青年は少女に問いました。
『どうして君は仲間外れにされてるんだ?』

 この質問に、少女はいっとき考えを廻らせてから、答えました。

『私が悪いからだって座長は言ってる。よくわからないけど、私は悪なんだって。他の大人もそう言う。でも踊り子の姉さんたちは、たぶん座長に右倣えしてるだけだと思う』
『……なるほど。よし、次は左腕だ』

 青年は胸中に苦いものを感じながら手を動かしつづけました。
 自覚するかしないかの短い時間、火のような憤りが彼の心を乱しました。しかしすぐにそれは静まり、あとでは却って呼び水となってさらなる集中を彼にもたらしました。
 作業は速度と精度を共に高め続けます。既に完成している右腕のそれ同様、左腕の化粧もたちまち出来上がって行きます。
 青年の集中力はいまや極限に至り、霊感と直観は限界を超えておりました。

『ねぇ、あたしからもひとつだけ聞いていい?』
 左腕を青年に任せたまま今度は少女が問いを発しました。
『どうしてあたしを気にかけてくれるの?』

 やはり手は弛めずに青年は思考を巡らし、それから、きっぱりと答えました。

『理由は二つある。一つは君が気の毒な女の子だから同情したんだ』
『言いにくいことをはっきりと言う人だなぁ。それも無表情でさ。そういうの、もう少し気遣うような顔をしながら言うもんだと思うんだけどな』

 それまで暗い顔をしていた少女が、くすりと小さく笑って言いました。
 そのとき、青年の左眼は少女からそれまでになかった色が湧き出すのを見ました。
 金糸雀かなりあと象牙の耀かがようような波。
 それは、さっきまでの彼女に絶対的に欠けていた、彼が膚絵により引き出そうとしていた陽気さと楽しさの色でした。
 綺麗な色だ、と彼は思います。この子もちゃんとこういう色を持ってるんじゃないか。これなら、きっと心配はいらない。
 そんな安堵に浸る彼に、少女がもう一度質問を重ねます。

『ねぇ、それじゃあもう一つの理由は?』

 問われて、彼はほとんど考えもせずに率直に答えます。

『君があんまり綺麗だから味方したくなったんだ』

 客観的な事実を告げるような、それは余りにも呆気ない口調と声でした。
 直後、彼ははじめて作業を中断します。中断せざるを得なくなります。
 少女から新たな色が吹き出して、それまであった色をほとんど飲み込んでしまったのです。

『……んもう、ほんとに言いにくいことをさぁ……はっきりと……もぉう!』

 少女が青年の肩を叩きます。作業中の左手で、ばしり、ばしり、二度、三度と。
 その無体に、しかし青年は抗議することすら忘れて、完全に面食らっていました。
 少女の色が余りにも美しすぎて。
 香、桃、桃花……赤に連なるそれらの色が明滅するように変化しつづける様は、さながら美しき乙女の目に見える吐息、それも、恋に濡れて艶めいた荒い息を思わせて。
 だから、青年はいっとき呼吸すら忘れてその色に魅入ります。
 それから、青年は強引に少女の腕を取って作業に没頭しようとします。
 しかし、指の腹で色を伸ばしながら、彼は少女の体温を意識している己に気付きます。ここまでの作業では少しも気にならなかった膚の温もりが、今は気になって気になって仕方がありません。

『……さあ、左手も終わった。あとは顔だけだ。もう少しだけ我慢してくれ』

 青年が告げると、少女は応じるようにそっと瞳を閉じ、小さな顎先をくいと持ち上げます。
 その仕草が青年の集中力に最後のトドメを差したのでした。色を施す面積は片腕の半分の半分にも満たないというのに、彼は最後に残された頬の化粧に多くの時間を必要としました。

 さて、ともかくこうして、青年の膚絵師としての仕事はすべて完了したのでした。

 天幕の姿見の前で、少女は歓声をあげることすら忘れて己の鏡像に見入っています。
 我らが主人公の施した化粧は繊細にして鮮烈そのもの。色彩を駆使した文様は闇雲な派手さを否定するかのようにすっきりとまとまって、しかしその無駄のなさの中で最大限に効果を発揮しています。
 あらゆる角度から己を見ようと、少女は鏡の前で止まることなく姿勢を変え続けます。

 ですがやがて、彼女は不意にはっとした顔となり、そのまま肩を落として項垂れます。

『素敵……本当に、とても素敵だわ』
 しみじみと、彼女は言いました。
『なのに、ごめんなさい。こんなに素敵にしてもらったのに、あたしやっぱり、この素敵を無駄にしてしまう……』

 悔しさに、また慚愧の念に、少女はいまにも泣き出しそうな顔となります。
 彼女のほうを見ないまま仕事道具の絵筆や顔料、それに水桶などをすっかり片づけた青年は、ポケットに手を入れます。
 そこにあるのはある顔料で、しかし膚絵師の道具ではありません。

『でも、たとえ舞台にあがれなくても、あたしはもう、じゅうぶん幸せだから――』
『だから、充分でもないのに充分だなんて子供が口にするなと、僕はそう言ったはずだぞ』

 叱るような声で少女の言葉を遮って、青年は――色の魔法使いは顔料の小瓶をポケットから出します。
 やめておけ、と兄は言いませんでした。弟を認めて黙った、それは実に雄弁な沈黙でした。

『それに僕は無駄にはならないとも言ったはずだ。さぁ、捻ってるのはどっちの足だ?』

 青年に促されて、少女はわけもわからぬまま片方の足を前に出します。青年が隔り世の瞳を開いてみれば、確かに、痛みの黒が足枷のように細い足首を締め付けています。
 顔料の蓋をあけると、青年は癒しの白を指の腹に乗せて、少女を苦しめる黒へと伸ばします。
 患部に触れられた瞬間、少女が小動物のようにびくんと震えます。しかしそれ以上の拒絶の反応は見せませんでした。青年を信じて、彼女は彼にすべてを任せたのでした。

『よし、もう大丈夫だ』
 色による治療を終えた青年が言いました。
『さ、動かしてみてくれ』

 少女はおずおずと足首をまわします。ぐるり、ぐるりと。
 そして何度かそうしてみたあとで、もはやそこに一切の痛みがないことを知って、円い瞳をさらにまんまるに瞠ったのでした。

『ウソ……』
『ウソなんてなんにもない。僕は無駄にはしないと言っただろう』

 青年は固く応じ、それから、少女に笑いかけて続けました。

『だから、次は君の番だ。君が僕の仕事を無駄にしないでくれるか、とくと見させてもらうからな』



 さあ、かくて準備は万端整いました。

 二人は共に連れ立って縁日の舞台へと向かいます。
 つい数十分前までの憂慮と諦観が嘘のように、少女の瞳には自信が溢れています。溢れて、それは輝いています。

『あたしは、あたしの全部を出し切って踊るから。絶対に、無駄にはしないから』

 そう力強く宣言した横顔は気力横溢して、頼もしくすら感じさせるほど。

『それは楽しみだね。ところでひとつ質問があるんだけど……それ、なんだい?』

 歩きながら、青年は少女の手にしているものを指して尋ねました。
 これから舞台にあがる、これから演舞を披露する踊り子には、到底無用と思えるもの。

 それは、一巻の羊皮紙でした。

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