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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■3 色の魔法使いの挿話 (『◆』)


「説話を司る神の忘れられた御名においてはじめましょう。今宵わたくしが皆様にお話いたしますのは色を視る男の物語。そして、彼という荒野に咲いた花の娘の物語でございます。


 この物語の主人公は紺屋そめものやの一人息子、彼は次男にして待望の初子としてこの世に生を受けました。
 ……と、こう申しますと『この語り部は言葉を知らぬのか』と呆れられるやもしれませんが、いいえ皆様、わたくしのいまの言葉は、いくつもの矛盾を孕んでいるようで一切の矛盾とは無縁なのです。

 彼には兄がおりました。しかしこの兄は生まれた瞬間には既に死んでいて、すなわち、死産の子だったのでございます。
 そして、父と母とが正真正銘の初子である兄の死を嘆いたその場面から一時間足らずの後、この物語の主人公である赤子は呱々の声をあげたのです。
 誰にも、腹に養っていた母にすら妊娠の事実を知られていなかった、双子の弟として。

 兄の不幸があったればこそ、父母の彼への過保護ぶりは並大抵ではありませんでした。
 患ってもいないのにことある事に薬を飲ませ、怪我などした日にはそれが転んで膝小僧を擦りむいただけでも母親が飛んでくるほど。
 ですが、こうした両親の心配をよそ事に彼は健康そのものの、発育も良ければ小さな風邪とも縁のない子供としてすくすくと育ちました。
 まるで、双子の兄の分まで世界の加護と天運とをその身に宿しているかの如くに。

 いいえ、実を申せばそれは、『まるで』でも『さながら』でもなかったのでございます。

 双子の兄は確かに彼の中に宿って、常に彼と共に在ったのです。
 死んで生まれた兄は死んだまま成長して、弟に取り憑き、弟にだけ聞こえる声でしばしば彼と言葉を交わしもする関係となっていたのです。
 悪霊、ではありません。
 自分と違い正常に命を享受した弟を死者である兄は妬むこともなく、むしろ自分の分までも幸せに生きて欲しいと、身体のない心のすべてを賭けて願っておりました。
 こうした兄の愛を弟のほうもよく理解しており、両親よりもなお深くこの目に見えない兄を慕ったのでございます。
 形こそ歪ではありましたが、彼らは強い絆に結ばれた仲の良い兄弟でした。

 さて、この兄が弟に影響して及ぼしたものが、いま一つだけございました。
 五体の頑健さと同様に視力もまた申し分なかった弟ですが、しかしある簡単な条件を満たしたとき、彼の眼は世にも稀なる特別な眼となるのでした。
 片方の目を閉じてもう片方の目だけでものを視るとき、彼の世界は輪郭ではなく色が主体の世界へと変じるのです。
 空気が色を帯びて、風が色を帯びて、人の感情までもが色を帯びる世界へと。
 四つの歳に偶然に導かれてこの現象を発見したとき、彼は幼子特有の率直な感性でもって『色の天国』とこれを名付けました。
 それは、実に言い得て妙な表現でした。死者たる兄と霊感を交わらせるうちに開かれたその眼は、まさしくかくり世の資質をそなえた眼。
 目には見えない大切な物事を色という形で直視させる、とびきりの魔眼だったのでございます。

 無限に、夢幻に。こうして、彼の世界に色彩は真理として溢れたのです。


 過保護な両親のもと半ば外遊びを禁じられていた彼は、幼い時より家の生業を間近に見つめながら育ちました。
 簡単なものから難しいもの、腕こきの染め職人であった父はおよそあらゆる色に通じており、作業場のみならず屋敷の中までも、彩りは日毎に変化して引きも切らない有様。
 そうした環境に加えて前述した特別な眼のこともあり、齢が二桁に及ぶ頃には既に彼は色彩に対しての類い希なる才能を示すようになっておりました。
 晩年にさしかかってようやく授かった我が子の天才を、父親は直截に喜びます。ああ、これで我が家は安泰だ、と。

 しかし、運命の悪魔じみた一面が、それらすべてを反故にする日が訪れます。

 彼が十三歳の夏、染め物職人の父親が街の男衆により医療所へと運び込まれました。父は、ある特殊な萌葱色に用いる蝸牛を採取していて樹上より落下したのです。
 歪んだ老皺には苦悶の涙が伝い、左の足は曲がるはずのない方向へと曲がっています。医者の痛み止めも、呼ばれて来た呪使いの唱える祝詞も、父の苦痛をいかばかりにも緩和したとは見えませんでした。
 少年は右目を閉じてみました。すると彼の左目は、折れたる足の一点、骨折の最も重篤な箇所に毒々しい黒を視ました。
 あれを正しい色に塗り替えることが出来れば、と少年は思います。
 兄には及ばぬものの彼は父もまた愛していて、職人としての尊敬も抱いておりました。
 僕には、と彼は思います。僕には、眼はあるのだ。
 だからあとは色さえあれば、救える。

 そう強く念じた刹那、彼は上着のポケットに違和を感じます。

 手を入れてみると、そこには入れた覚えのない顔料の小瓶が収まっておりました。
 どこまでも優しい乳白色が。求めていた色が。そこに、忽然と。
 これはなんだろう、と思うよりも先に。その意味を理解するよりも先に。彼は思います。
 ――これがあれば、塗り替えられる。これがあれば、治せる。これがあれば……救える。

『おい、やめとけ』見えない兄がいいました。『いまそれは、まずいことになる気がする』

 それまではなによりも重んじてきた兄の忠告に、彼はこのときはじめて背きました。彼は医者を退けて父の寝台に近づき、その足元で片膝をつきました。
 そして、右目を閉じます。
 二つの眼では見えなかった色を、可視となった苦痛を少年は視ました。彼は顔料の瓶を取り出し、二本の指の腹で掬い取ります。
 そして父を苦しめる黒を白に塗り替えて、消し去ります。
 すると、はたしてどうでしょうか。
 曲がっていた足が、あたかもしなっていた枝が弾力に従い元に戻るように、ゆっくりとあるべき方向に伸びていきます。
 苦痛の声は止まっていました。父は正体を取り戻して上体を起こし、骨折の完治した足と完治させた我が子とを、言葉もなく見つめています。父を運び込んだ男衆、手伝いに来ていた女房たち、医者や、一緒に駆けつけた母も同様に彼を凝視しています。
 それに、呪使いも。
 その無数の眼にあるものに、彼はまだ気付きません。ああ良かったと、ただ安堵して父に笑いかけます。

 その笑顔を、手加減を忘れた拳が打ち据えました。

 横倒れになった彼が眼をあけると、そこには治ったばかりの足で立った父が苛烈な視線で彼を睨み付けていました。
 大事に大事に彼を育ててくれた父が、自慢の我が子と彼を誇りにしてくれた父が、そんな過去などなかったかのように、汚らわしいものでも見るかの眼で。
 どうして、と、そう問うことすら彼には出来ませんでした。

『……魔法使いじゃ』
 街駐在の呪使いが暗い呟きを発しました。

『魔法使い……?』
 少年は聞き返します。

『おお、魔法使いだ!』
 しかし、呪使いは彼を無視して一人大仰な叫びをあげました。
『この子の中で、邪悪が目覚めたのだ! 紺屋よ、もはや子息のことは諦められい!』

 呪使いがそう告げた瞬間、母親がわっと泣き出します。集まった人々の視線が、瞳の数だけの棘となって彼に突き刺さります。

 少年はそっと右目を閉じてみました。
 現世の眼を閉じて、隔り世の眼を開きました。

 そして彼は見たのでした。

 父には怒りと羞恥の色を。
 母には悲しみと嘆きの色を。
 集まった男と女に渦巻く、畏れと蔑みの色を。

 彼にとって、色は真理であり嘘をつきません。
 それまでひそかな誇りとしてきた特別な眼を、少年はこの日はじめて呪ったのでした。

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