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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 三章.かくれんぼでは鬼のことを

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■1 カルメ

   1

「んと、んと……かうめ!」
「違う違う、カウメじゃなくてカルメだ。ほれ、もう一回言ってみろ」
「かう……め?」
「それじゃさっきと一緒だろ。カ・ル・メ。……ったく、なんで言えないかな」
「んんもう! りえっきいじわるいう! かるちゃんりえっききやいだもん!」
「別に意地悪で言ってるんじゃない! 三歳にもなって自分の名前もいえないんじゃみっともなかろうと思ってわたしは……というかおい、なんでカルメはいえなくてカルちゃんならいえるんだよ!」
「しやないもん! かるちゃんりえっききやい! いちばんだいっきやい!」

 そう絶叫するなり幼子は立ち上がり駆け出した。一目で手作りのものとわかる小さな椅子が、タイル張りの床に倒れて図書館の沈黙を割った。
 駆けていく途中で、幼児は一度だけこちらを振り返る。

「うそじゃないかやね! ほんとにきやいなんだからね! いちばんのきやいだからね!」

 念押しするように一言そう叫び、そしてまたくるりと反転する。そして、とてとてとおぼつかない足取りで、今度こそ書架の森へと走り去ってしまった。
 リエッキはいつもの調子で鼻をならし、そのあとで深々とため息をついた。それから、彼女は傍らで一部始終を見守っていた牛頭に視線をやる。麗人の姿の悪魔は肩を竦めて応じた。

「きらわれてしまいましたね」
「はん、知るもんか」

 苦笑を浮かべている牛頭にリエッキは言った。

「まったく、風呂に入るぞといえばイヤだとごねる。夜寝ろと言えばまだ眠くない。それで、名前の練習をさせようとしたら意地悪か? ……ほんと、近頃急にかわいげがなくなっちまった。三つの時がいちばん厄介だっていうあんたの言葉に納得させられっぱなしだ」
「ですがいちばん面白いのもまたこの時期だと言ったはずですよ? 赤子という動物の季節を脱していよいよ人間が板に付きはじめる、それが三歳です。赤ちゃん相手じゃ、こんな風に喧嘩は出来なかったでしょう?」

 倒れた椅子を元に戻しながら牛頭は楽しそうに言う。その椅子は彼が半日を費やして作った特製の代物で、仕上げにはリエッキも協力していた。
 この椅子だけでなく、子供用の寝台に気の早い書見台、それに無数の玩具など、いまや図書館はそれら手製の愛情の宝庫となっていた。

 籐籠を抱えた牛頭が訪ねてきた日から三年、乳飲み子は既に乳飲み子ではなかった。
 山羊の乳を浸した布を吸っていた歯茎には乳歯が生えそろい、空を掴んでいた手は掴めるものならなんでも掴むようになった。二つの足で立ってからは瞬く間に歩くことを、また走ることを覚え、いまでは広い図書館を文字通り倒けつ転びつしながら駆け回っている。
 娘はカルメと名付けられた。
 牛頭はもちろん、リエッキにとってもまたカルメは瞳の珠であった。毎日新しいことを覚え、毎日新しいことが出来るようになる。日々成長しつづけるカルメを見ていると、リエッキはしばしば脳が溶けるような呆けた気分を味わわされる。
 言葉を話すようになってからはぐずり泣きの原因を探す手間はなくなったが、しかし今度は乳児期とは比較にならない子供特有のたちの悪さというものが開花してしまった。にも関わらず、彼女は時にそうして手を焼かされることすら楽しんでいる自分に気付かされる。

「お前の言葉で納得させられたのが、もう一つあるよ」

 なにに対して負けを認めたものか、降参とばかりに両手をあげながら彼女は言った。

「ほんとに、子供は面倒を見させる天才、だな。忌々しいほどにさ」
「……これはこれは」

 牛頭の相好が崩れる。彼は感動すら湛えた声で言った。

「三年前のあなたにいまの台詞を聞かせてやれるなら、私はなんだってやりますよ。ほんとに変われば変わるものというか……いえ、リエッキさんは元からそういう方だったような気もしますが。ただ絶望的に素直さが足りていなかっただけで……いや、そっちはいまもですが」
「……おい、自主的に黙るのと黙らされるのはどっちが好みだ?」
「『いいか、わたしは子育てにまで参加するつもりはないからな!』」

 あまりにも特徴を捉えた物真似に容赦のない裏拳が飛んだ。頬骨が砕けたのではないかと思うほどの暴力の音がして、牛頭が派手な音を立ててぶっ倒れた。

「し、死んでしまいますよ……」
「そしたら首剥製にしてここに飾ってやる。そうなればいつまでもあの子の成長を見守り続けられるぞ。どうだ、嬉しいだろ?」

 悶絶する牛頭を見下して彼女は言った。軽口の裏に本気でそうしそうな凄みが感じられた。

「ま、まぁともかくです」

 腫れ上がった頬をさすりながら牛頭はよろよろと手近な椅子に腰掛けた。

「心配はいらないと思いますよ。あの小さな身体にカルメは驚くほどたくさんの語彙を蓄えています。平均的な三歳児と比べて、あの子の言葉の発達は遅れているどころかむしろ進んでいるほどです。きっと熱心な誰かが赤ちゃんの時から話しかけてきたからでしょう。ですから、このうえ年相応の舌っ足らずまで矯正しようというのは欲目が過ぎるというものですよ」

 諭すような牛頭の言葉に、熱心な誰かは照れくさそうにそっぽを向いた。
 牛頭はさらに言った。

「リエッキさんはきっとこの環境を憂えているのでしょう。この図書館には、私とあなたの他にはカルメの話し相手はいませんからね。だから、あの子の舌っ足らずの原因はそこにあるのではないかと、リエッキさんはそうお考えなのでは?」

 図星を言い当てられて、この時ばかりはリエッキも素直に肯いた。
 牛頭は肯定的に笑んで続けた。

「確かに、街の子供であれば両親や周りの大人、それに同年代の子供たち、話し相手は多数にして多彩です。翻って、実親でもなければ実は人間ですらない私たち二人しか言葉を交わす相手がいないあの子はどうなのだろうと、そう案じるお気持ちはごもっともだと思います。
 もちろん、リエッキさんが案じているのは言葉の問題に限ったことではないのでしょう。たとえば正常な精神や情緒の発達など、人間同士の交流を欠いたこの環境があの子のそうした部分の成長に陰を落としてはと、あなたはそれを案じておられる。舌っ足らずはその代表例に過ぎず、表出している問題だからこそ気になってしまう。そうしたお気持ちは察して余りあります」

 そこまで続けて話したところで、牛頭は「ですが」と言葉を切った。

「ですが、カルメと非常によく似た境遇に育ちながら、言葉と話術では世界中探しても右に出る者はなく、人としての欠落とも無縁だった。そうした男を我々は共に知っているはずです」

 リエッキが、と胸をつかれたという表情となって牛頭を見つめ返した。

「……それは……あいつのことか?」

 牛頭が我が意を得たりという満足げな顔をした。

「そう、司書王ですよ。ご存命の折に彼から幼少期の話を聞いたことがありましてね。なんとも興味の尽きない物語でしたが、しかしどうでしょう。実の親に見捨てられ、人外境に育てられた子供……いまこうして考えてみると、司書王とカルメにはいくつもの共通点があることに気付かされます。
 ……ところで、私は随分長く生きていますが、しかし彼以上に豊かな感情と真っ直ぐな心根の持ち主にはついぞ出逢ったことがありません」

 私などがいまさら言わずとも、それについてリエッキさんは他の誰よりもよくご存知のはずですね。牛頭はそう締めくくった。
 にわかに親友の話を持ち出されて、リエッキは戸惑った。戸惑いながら、しかし彼女は心中にあった不安が陽を受けた氷のように消えるのを感じていた。
 やっぱりこいつは、と牛頭を見ながら彼女は思う。こと子供のこととなると舌を巻くような説得力を発揮する。

 リエッキは牛頭に肯こうとする。
 そしてその瞬間に、ふとあることに思い当たる。

 親友にあって、カルメには与えられていない存在。リエッキはそれに気付いたのだった。

「あいつとカルメは同条件じゃない」

 遠い記憶から一人の女の像を掘り起こしながら、彼女は再び憂慮の陰の差した声で言った。

「だってあいつには、血は繋がってなくとも母親がいたんだ」

 親友の養い親、骨の魔法使いのことを彼女は思い出していた。
 あんな母親がカルメにもいてくれたら――そんな無い物ねだりの心境が、リエッキの胸にささくれを生じさせた。

 そんな彼女を、牛頭がなにか呆気にとられたような顔で見つめていた。

「……はい?」

 牛頭が、いったいなにを言ってるんだとばかりの拍子抜けの声を出した。

「いや、だから」

 リエッキは焦れた調子で答えた。

「たとえ血が繋がってなくとも母親みたいな存在があの子にもいれば、そしたら安心なのになって、そう思ったんだよ」

 言ったあとで、リエッキは心の中のささくれが痛みを増すのを感じた。

 牛頭は唖然の度合いを深める。
 そのあとで、もはや堪えきれぬとばかりに彼はくすりと吹き出した。

「この野郎……! わたしは本気で言ってるのに、なにがそんなにおかしいんだよ!」
「いえ、いえ、すいません、その本気さがどうにも可笑しくて可笑しくて……」

 激昂してくってかかるリエッキに笑いを止められぬまま牛頭は応じた。

「いやだって、それこそ杞憂を通り越した無用の心配というものでしょう?」
「はぁ? なんでだよ? 母性の重要さみたいなの、お前だって散々語ってただろうが」

 難解な判じ物に立ち向かうような顔をするリエッキに、牛頭はただ一言、「無自覚とは滑稽にして微笑ましいものです」とだけ言った。

「とにかく、心配は万事ご無用ですよ。この私が言うんですから信用してください。あの子がもう少し大きくなったら私が町に連れて出ます。他の人間との交流の問題はそれで解決するでしょう。……さて、あの子も頭が冷えた頃合いです。そろそろ迎えにいってあげましょう」

 そう言って立ち上がる牛頭に、未だ釈然としない顔をしつつもリエッキも従った。書架と書架のあいだに蹲って泣いているカルメを思うと、彼女の心はひどくざわついた。

「あ、ところでリエッキさん」

 前に立って歩きはじめていた牛頭が急に振り向いた。微笑の中に微かな怒りが浮いていた。

「あなたが『かうめ』にあんなに拘って、私にはそちらのほう意外でしたよ。あなたが名前のことにそこまでとやかくいうなんて……あなたが、あの子が『うちあたま』と呼ぶようになるまでついに私の呼び方を改善してくれなかったことでおなじみの、あのあなたが……!」
「そんなに恨みがましい眼で見るな」

 牛頭の非難の視線をそよ吹く風と受け流しながらリエッキは言った。

「第一知らないもんは呼びようがない。わたしはお前の名前なんか聞いたこともないんだから」
「よ、よくもぬけぬけとそんなことを! 私は何度も教えましたよ! 何度も教えて、その都度そろそろ牛頭でなくそっちの名前で呼んでくれるようにとお願いしたはずです!」
「そんじゃその都度忘れたんだな。きっと覚えきれないほど長ったらしい名前なんだろ」
「長ったらしくないですし今日こそ覚えてください! いいですか、私の名前は――」

 牛頭が名乗ろうとしたまさにその瞬間、図書館を貫く異変をリエッキは敏感に感じ取った。
 したがって直後に発せられた牛頭の名前はこのときも聞き流された。

「おい牛頭」

 そう呼ばわったリエッキに、牛頭が諦めたようなため息をつく。

「なんです?」

 牛頭はふてくされたような声と表情で応じた。

「やることが出来た。カルメはお前が一人で迎えにいってくれ」

 エントランスへと続く通路を睨み据えてリエッキは言った。
 その眼差しに宿る暗い焔に気付き、牛頭の不満顔が見る間に引き締まる。
 彼は言った。

「……おそらくこれもまた無用の心配なのでしょう……でも、お気をつけて」

 友人の気遣いに固く肯いて応じ、図書館の番人は足早に歩き出した。

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