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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 二章.誰かが語って、誰かがそれを聞く限り

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■5 魔法使い

「ねぇ女給さん、つかぬ事をお聞きするけど、あなた厨房とここをこれまで何往復した?」
「た、たぶん一五か一六か……もしかしたら十七往復くらいしたかもしれないです……」

 おかわりの蜂蜜酒を手に現れた女給のその答えに、踊り子の笑みが苦い色を帯びる。
 ひとまず女給には下がってもらうことにし、彼女はユカに語りかける。

「竜退治の物語に、竜を酔いつぶれさせる展開があるわよね」
「うん、定番だね。お酒はドラゴンの数少ない弱点の一つだっていわれてる」
「今のリエッキちゃんが相手なら見習い騎士でも英雄譚の主役になれちゃいそうね」

 なんだか嫌な予感がするわ、と踊り子が呟く。ユカも肯いて同意を示す。

「もう少し話したかったけど、今日はもうおひらきにしたほうがいいかもね」

 踊り子がそう提案したのとほぼ同時に、二人のすぐ傍らで派手な音がした。
 さっきの女給が前のめりに倒れこんでいた。十五杯目か十六杯目、あるいは十七杯目となる蜂蜜酒が盛大にぶちまけられて、酒気と甘い香りとを周囲に立ち上らせている。

「うう……な、なに? なにか、変な物につまずいて……」

 泣きべそをかきながら立ち上がり、女給は足元に視線をやる。ユカと踊り子もそれに倣う。
 そして一同はそこに目撃した。
 リエッキのスカートの裾からはみ出して、いましも板張りの床をびたんと一打ちしたヘビのようなもの――彼女の酒癖の悪い尻尾を。
 女給の悲鳴が、酔客どものだみ声を圧して酒場に響き渡った。

「ほんと、君たちってどこまでも面白いわねぇ」

 出来した事態の剣呑さに反して、踊り子の呟きは純粋なまでに愉しげだった。

「どうしよう、もう一度あの物語を読んでみようか?」
「やめときなさいな。自分の魔法の効果とか特性とか、ユカ君まだ把握できてないでしょ? 迂闊に読んで万が一リエッキちゃんの変身が解除されたりしたらそれこそ大騒ぎになるわ」
「でも、変身が解かれるのも大騒ぎになるのも時間の問題だと思うけど」

 周囲の様子とリエッキとを順次に見比べて、ユカは苦笑する。
 いまや店内の視線のすべてが彼ら三人に集中していた。
 そしてリエッキ。彼女の瞳はさっきから竜と人間のあいだを行ったり来たりしている。白目が消えて虹彩が青い光を放ち、かと思えばまた白目に戻る。

「もはや一刻の猶予もない、って感じね。――よし、ここは先輩魔法使いが一肌脱ごう!」

 出し抜けにそう宣言すると、踊り子は軽やかに跳躍して円卓の上に飛び乗った。

「飲み代はこの一番のおひねりで払っておいてあげる! 二人とも、また会おうね!」



 羊皮紙が紐解かれ右手めでから左手ゆんでへと泳ぐ――その最初の挙動までもが観衆の目を虜にする。

 そして、比類なき一番ははじまる。

 酒と蛮声の真夜中に忽然ともたらされた、それは名実ともに魔法の演舞であった。
 旋回する半身、卓上を滑り跳ね上げられるしなやかな脚、羅紗の振り袖が舞うように宙に躍る羊皮紙――曲芸じみた動作を連続させながら、踊り子はその労を欠片も感じさせない。
 一つ一つの挙動が余さず観衆の琴線に響き、一瞬と一瞬の連なりの中に無限の恍惚が内包されていた。

 やがて演目は段階を次に進める。これにより彼女は酒場という舞台を完全に掌握する。

 まず二振りの短刀が登場した。
 扇情的なまでに薄手なだぶだぶのズボンの中から取り出したそれを、踊り子は酒場の天井近くまで高々と放り投げる。
 落下してきた短刀は地面にぶつかると見えたその瞬間、切っ先を下にして空中に制止し、踊り子の演舞に合わせて自律して踊り出した。
 そして、踊る短刀につられるようにしてゴブレットやタンブラーが、さらには客の持ち物であろう長剣や杖までもが舞踏に飛び入り、羊鈴と弦楽器はひとりでに背景楽を奏で出す。
 それが世に邪悪とみなされている魔法だということに、観衆の誰も頓着していない。
 酒場に居合わせた人数にちょうど倍する数の瞳が、ただ歓喜と恍惚だけを湛えて瞠られている。

 このまま観衆の一人になってしまいたいという欲求になんとか抗って、ユカはリエッキの肩を支えて酒場を後にする。去ってゆく二人に気付く者はもちろん一人もいなかった。

 誰にも見咎められることなく町を出た二人の耳に、既に遠くなった酒場から熱狂的な歓声が夜風にのって届けられた。
 緩む頬を引き締めもせず、ユカはリエッキを担いで川沿いを歩き続けた。
 そしてもう充分に町から離れたと判断してから、星を映す水面に彼女を突き落とした。
 水から顔をあげたリエッキはドラゴンの姿に戻っていた。


「まったく、文字通り尻尾を出しちゃってさ。どう? 酔いはさめた?」
「……なにも川に落とすことないだろ。人間のままだったら風邪をひいちまうとこだ」

 リエッキの恨みがましい視線を受けて、ユカは自分もまた川に飛び込んだ。

「これでおあいこだ」

 ずぶぬれになった笑顔で彼は彼女に言った。

「ほんとに話を聞かない奴だな。風邪をひいちまうっていったばっかりなのに」
「あとで君が火を焚いてくれるだろ。そしたらすぐ乾いちゃうよ」

 腰まで水につかったままユカはリエッキに背中を預ける。そして楽しそうに言った。

「最後は見事にオチがついたね」
「つかなくてもいいオチがな」

 リエッキは無愛想に応じる。
 しかし自分に寄りかかる親友を、彼女ははねのけない。
 夜は星に彩られている。
 あの夜と同じだ、と彼女は思う。夜通し語り合った、山でのあの夜と。あのとき夏だった季節は今では冬にさしかかってる。
 だけど、今夜はあの夜と同じだ。

「楽しかった」と、ユカが不意に言った。「すごく楽しかった」

「ああ」とリエッキは短く応じる。「そうだな」

「楽しくて、嬉しかった」彼はさらに言った。「まるで、夢みたいに――」

 そこでユカは言葉を詰まらせる。
 背中を向けられていて表情は窺えないが、彼の肩が震えていることにリエッキは気付いている。
 なんだよ、泣いてんのかよ――そう茶化すことが彼女には出来なかった。泣いているのは彼女も同じだったからだ。
 初冬の夜、川の水は刺すように冷たい。けれど涙をごまかせることだけはありがたかった。
 楽しかったのはこっちも同じだ、とリエッキは思う。そして、嬉しかった気持ちはこっちのほうがずっと大きいんだ、と。

 ユカの言葉が嬉しかった。ユカの心が嬉しかった。そして、ユカの涙が嬉しかった。
 それが無上の理想であるかのように彼女と過ごす時間を語ってくれた無数の言葉が。
 それを魔法という形で実現してしまった想いの強さが。
 そして、夢にも等しかった時間の余韻に打ち震えながら流されている、いまこの瞬間の涙が――。
 リエッキには、たまらなく嬉しかった。

 冷たい流れの中で互いの体温を感じながら、二人は背中を向け合ったまま声を出さずに泣いていた。
 互いに相手が泣いていることに気付いていながら、互いに気付かぬふりをして。
 この夜、彼と彼女はすべてを共有していた。深まる夜に抗って語り合った夏の日のように。

「ねぇリエッキ。僕、魔法使いになっちゃったってさ」
「そうかよ。でもわたしなんか人間に化けるようになったんだ。こっちの勝ちだな」
「違うね。君の変身は僕がいなきゃ出来ないんだから、やっぱり僕の勝ちだよ」

 ユカは勝ち誇るようにそう言う。リエッキは鼻をならしてそれに応じる。はん。
 なにも変わらないのだ、と彼女は思う。
 ユカが魔法使いになったところで、わたしが人間の姿になったところで、それでなにが変わるわけでもないのだ。
『嬉しかった気持ちはこっちのほうが大きい』、わたしが口に出してそう言ったとしたら、きっとユカも譲らないだろう。いいや、僕のほうが嬉しかった、と奴は張り合うだろう。だけどわたしだって、それについては譲るつもりはない。いいや、わたしのほうが嬉しかったね。いいや、僕のほうが。いや、わたしのほうが――。
 そんな風にして、わたしたちの関係はずっと、ずっと変わらないんだ。

 確かにわたしは空回りしていたらしい。案じることなど、最初からなにもなかったのに。

「おい、ユカ」

 そう呼ばわると、親友は背中を彼女に預けたまま、頭だけで振り返った。
 視線と視線が出逢った途端に言い表せぬ気恥ずかしさが襲ってきて、リエッキはぷいと顔を背ける。
 そっぽを向いたままで彼女は言った。

「わたしはまだ市場とやらを案内してもらってないぞ。髪飾りを買ってもらった覚えだってない。それに、あんたがわたし以外の奴らに譚ってるとこだって一度も見てないんだ」

 だから、と彼女は続ける。

「だから、それはまた明日でいい。……明日、またつれてってくれよ」

 ありったけの素直さを集めたつもりの言葉は、その実ちっとも素直でなんかなかった。
 しかし親友はすべてを酌みとった顔をして、嬉しさがこぼれるような笑みを彼女に返した。

「――うん! 行こう! 明日も、明後日も、それから先も――ずっと、ずっと一緒に!」

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