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図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑/右

■ 二章.誰かが語って、誰かがそれを聞く限り

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■2 本

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「わああああ! なんだこれ! ユカ、あっ、あんたいったいなにしたんだよ!」
「し、しらないよ! それ、君が生まれつき備えてた能力とかじゃないの?」

 ユカが困惑を全身で表現する。
 しかし困惑と狼狽の度合いは彼女のほうが深刻だった。
 リエッキは自分の手をまじまじと見つめた。鱗のないつるつるの肌を見、五本の指を見た。
 それからその手を動かして、身体のあちこちにおそるおそる触ってみた。呆然とした心地で長い髪の毛を撫で梳いて、いつのまにか纏っていた服の布地をつまんでもみた。

「鏡が欲しいなんて思ったのははじめてだ……いったいわたしはどうなってるんだ……?」
「あ、うん、ええと、可愛いというよりもとにかく美しいって言葉が見合うすごい美人に――」
「そういうこと聞いてるんじゃない!」

 思わず声を荒げるリエッキ。

「いや、美人って、そうそれだ。つまりあんたの目から見ても、わたしはいま人間の姿をしてるってことだよな?」

 自分の目線とほとんど同じ高さにある親友の目を見ながら彼女はそう尋ねる。
 間違いようもなく、とユカは肯いて応じる。リエッキの混迷はさらに深まる。

「なんだよこれ……こんなの、あんたが毎晩話してる与太話そのまんまじゃないか……」
「与太話ってひどいなぁ。ああ、そうだ。そういえば、こんなものがあったんだけど」

 言いながら、ユカは一冊の薄い本のようなものをリエッキに差し出す。

「……なにさ、それ?」
「わからないけど、中身は君がいう与太話だよ。僕の空想そのまま、竜が人間になる物語」

 受け取った本をリエッキはめくってみる。
 竜は霊智の生物であり、リエッキのそれは話言葉だけでなく文字にもまた及んでいる。彼女は人の記した書物を難なく読み解けるはずだった。
 しかし、ユカの渡してきた本の内容を彼女は一行たりとも読めなかった。
 一文字一文字に目を凝らせばそれを判読することは可能だった。しかし文章として捉えようとすると途端に文字は記号めいて意味をなさなくなる。まるで、本自体が彼女の理解を拒んでいるかのように。

「これ、今の状況に関係あると思う?」奇妙な本を背嚢にしまいながらユカが尋ねる。
「当然だろ。関係ないと思うほうが不自然だ」

 リエッキは当然とばかりに言い切ると、次に自分からも意見を求めた。

「なぁ、これからどうする? わたし、どうすればいいんだろう?」

 親友が美しいと評した顔容かんばせには不安と憂慮が濃く兆していた。
 ユカは足元に視線を落として沈思と黙考に耽る。リエッキはほとんど耐え難い緊張を覚えながら彼の言葉を待った。
 しばしの熟考の末にユカは視線をあげた。彼は真剣な面持ちでリエッキを見据えた。

「何度考えてみても答えは同じだ」

 ユカは言った。

「やっぱり、まず最初は蜂蜜酒からだ」




 はじめて足を踏み入れた酒場は夜も遅いというのに今なお蛮声と人いきれに満ちていた。
 店の中央には小規模ながらも舞台が設えてあり、いましも一仕事終えてそこを去ろうとしている踊り子に対して、男たちが歓声と口笛、それにおひねりを雨のように降らせている。
 そんな騒がしさの中、早々に踊り子から関心を失った男たちの幾人かが、店内を歩むリエッキに視線を釘付けにさせていた。
 彼らの注視の一つ一つは彼女をひどく緊張させた。面を隠すように俯きがちになりながら、リエッキはとにかく一心にユカの背中を追った。

「リエッキ、こっちこっち!」

 そんな彼女の気も知らず、止まり木に二人分の席を確保したユカが手を振って呼んでいた。
 リエッキは促されるままにその隣に腰掛けながら、懸念を顔中に貼り付けて親友に問う。

「……なぁユカ、わたし、本当に大丈夫なのか? なんか、わたしを見てるやつがいっぱいいるんだけど……もしかしてだけど、人間じゃないのがばれてたりしないかな?」
「あのね、君みたいな美人が現れたら、男だったらみんな振り返って見ちゃうもんだよ」

 ユカは心底楽しそうにくつくつと笑いながら、蜂蜜酒の入ったゴブレットを二つ店主から受け取った。いつの間に注文してたんだ。リエッキは呆れた顔でユカを見つめる。

「まったく……あんたにはお手上げだよ。こんなときまで自分の調子を狂わせないんだから」
「慌ててどうにかなる場合ってのはまず滅多にないからね。それにさ、君には読めなかったけど、例の本に書かれてたのは竜が友達と一緒に町に行くって筋書きだったんだ」

 僕はただそれに従ったまでさ。そう嘯いて、ユカは問題の本を取り出して卓上に置く。

「でもこれ、ほんとになんなんだろうね?」
「……手に入れた覚えもないのに忽然と手元にあって、書かれているのはあんたの頭の中にあった空想で、しかもそれはあんたにしか読めなくて」

 列挙するようにリエッキは言う。

「で、その空想が現実になって……おかげでわたしはこの蜂蜜酒にありつけてるってわけだ」

 有り難くて涙が出るね。そう力無く笑って、リエッキはゴブレットをぐいっと傾ける。

「あ……うまい」

 一息に飲み干したそれは、こんな状況下にも関わらずとろけるように美味だった。
 もっと味わって飲めば良かった。皮肉な言い回しではなく、今度は本当に泣きたくなった。
 悲しみの瞳を空のゴブレットに注ぐリエッキの耳に、隣の席から声が届いた。

「すみません、これ、もう一杯お願いしていいですか?」

 止まり木の向こうの店主に追加の蜂蜜酒を注文して、ユカはリエッキに微笑む。

「人間の味覚は随分お気に召したみたいだね。……涙ぐむくらいに?」

「な、涙ぐんでなんかいないだろ! 変な言いがかりはやめろ!」

 赤くなって言い返すリエッキに、ユカはけらけらと笑いながら店主から受け取ったおかわりのゴブレットを手渡す。
 それから、笑顔の中に急に真面目な色合いを見せた。

「泣きたいのは僕のほうだ」

 ユカは言った。

「原因はわからないけど、ともかく君と肩を並べて蜂蜜酒を飲むっていう僕の夢は叶ったんだ。それがなんだか、泣きたいほど嬉しいんだ」

 リエッキの頬にさす朱色が増した。酔いが回ったせいではなかった。
 嬉しさと気恥ずかしさの綯い交ぜになった気持ちを誤魔化すように、彼女は「はん」と鼻を鳴らした。

「そういえばさ」

 真面目な調子から一転、再び陽気さを取り戻してユカは言った。

「この本って、ほんとに僕にしか読めないのかな? 君は竜だから読めなかったとかじゃなくて」
「さぁね」

 まだ照れを引きずったままのリエッキは無愛想を装って答える。

「知るもんか」
「よし、ちょっと試してみよう!」
「……は?」

 慌てて彼女が振り向くと、そのとき既に隣の席にユカの姿はなかった。
 彼は店内の各机を訪ねては酔客たちに例の本を見せてまわっていた。

「あ、あいつ……! 少しは繊細なところもあったと思えば、なんて迂闊な真似を……」

 そう口走ってリエッキはユカのあとを追った。不慣れな二足の歩行に加え人間の小さな身体は酒のまわりも早いものとこの期に判明し、彼女はもつれる足に大変な苦闘を強いられた。
 リエッキがどうにかユカに追いついた時には、彼は既に四つの机をまわったあとだった。

「おい! ユカ!」

 リエッキは叫ぶように怒鳴りつけてユカの肩を掴んだ。

「あ、リエッキ」

 振り向いたユカは暢気そのものの笑顔を彼女に向けた。

「『あ、リエッキ』じゃない! あんた、自分がどんな軽はずみをしてるかわかってんのか!」
「うん、誰か僕以外にこの本を読める人がいないかなって思ったんだ。でもダメだ。もう五人に見て貰ったけどやっぱり誰一人読めないんだ。それで今はこのお姉さんに――」
「違う、断じて違う! わたしは『なにをしてるのか』を質問したわけじゃない!」

 噛み合わない会話に疲れ果て、リエッキは近くの空席に力無くへたりこむ。
 この場の三人目の人物が言葉を発したのはそのときだった。

「ねぇ少年」

 そうユカに呼びかけたのは、さっき舞台上で男たちの歓声を一身に集めていた踊り子だった。

「これはね、この世であなた以外には誰にも読めない本なの」

 くだんの本をユカに返しながら、踊り子はリエッキにも視線を向けて、にっこりと笑った。

「魔法使いの魔法はみんな、本人以外には意味を成さないものなのだから」

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