挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
図書館ドラゴンは火を吹かない 作者:東雲佑

■ 二章.誰かが語って、誰かがそれを聞く限り

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

12/91

◆2 獣の少女の挿話

 ある朝少女が目を覚ますと、山猫の姿はどこにもありませんでした。いつもは目覚めるとすぐに目やにを舐め取ってくれる大好きな母が、その日は彼女の隣には居なかったのです。
 不吉な予感に貫かれて少女は寝室を飛び出します。
 母を求めて屋敷の二階部分を駆け抜け、扉という扉を乱暴にてして、しかし求める姿はどこにも見つけられません。
 彼女はついに甲高い声をあげて母を呼ばわりながら、ほとんど飛び降りるように階下へと降りたちます。

 そして、目の前に開け放たれた玄関のその先に、ようやくそれを見出したのです。
 鉄製の檻の中にぐったりと横たわる母の姿と、満足そうにそれを見ているまじない使いとを。

 少女に気がついた呪使いが振り向きます。「おお、娘よ!」と彼は彼女に呼びかけます。
 そして、心疚しさなど微塵も感じてはおらぬ、むしろ晴々と曇りのない口調で続けました。

「聞いてくれ、新しい呪を閃いたのだ。その為にこの山猫の心臓が急遽入り用となったのだ」

 数ヶ月ぶりに口を利いた父の歪を極めた自慢の態度に、少女はただ呆然とします。
 呆然として、ほとんど途方に暮れて。

 それから、不意に認識が現実に追いつきます。

「――返せ!」

 気付いた時には既に叫びがほとばしっていました。
 子供のそれとは信じられぬ程の鬼気迫る剣幕で、「返せ! 母さん、返せ!」と少女は繰り返し叫びます。実の父に対して、その瞬間にはそれが父である事実を皆目忘れて、求めて、もとめて、命じます。

「返せ! 返せ! 返せェェェェェ!」
「なにをいっておる?」

 呪使いは娘の剣幕もどこ吹く風に和やかに笑って告げます。

「お前の母はとうに死んだではないか。死んで、その身を我と我が道に捧げたのだ。いや、あれこそは天晴れな殉死というもの。はは、頑是無がんぜないなぁお前は。未だ母の死が受け入れられぬか?」

 この一瞬に、少女に残された理性のすべては蒸発したのでした。

 獣じみた威嚇の声に喉を鳴らしながら、彼女は目の前の男に飛びかかります。
 不意をついて相手の両脚に組み付き、体勢を崩したと見るや即座に彼の権威と狂気の象徴である杖を奪い、股ぐらの柔らかい所を力の限り二度、三度と打ち据えます。父親が股間を押さえてうずくまった次の瞬間、彼女は幼い指と爪とを片方の眼窩に潜り込ませています。
 それは躊躇ためらいも人間的な紆余とも無縁の、最短で目的を果たす為の獣の行動でした。
 悶絶する男から鍵束を奪い取って檻を開け放つと、少女は檻の中に飛び込んで母を揺すり起こします。
 必死の呼びかけが功を奏してなんとか母が立ち上がると、再会の喜びもそこそこにまだふらつく山猫を追い立てて、続いて自分も檻から出ます。

 そこまでを済ませたあとで、彼女はようやく自分の置かれた状況に気付いたのでした。
 悲鳴をあげてのたうつ男は、何度眼をこすってみても彼女の父親に他なりません。父の片眼から零れる涙と血とその他のなにかの混ざった体液は、少女がその手で振るった暴力の結果に他ならないのです。

 取り返しのつかぬことをしてしまった――理解が彼女を震えさせます。

 そのとき、ぐううと、傍らで声がしました。
 みれば山猫が昏睡を振り切るようにぶるると身体を震わせながら、少女をしっかと見つめておりました。愛する娘に鼻面を押しつけてあやしてやったあとで、獣の母は真剣な面差しとなって少女に告げたのでした。

 お前はもうここにはいられないよ、と。

 短い逡巡のあとで、少女はまなじりを決して母に肯きます。
 彼女はもう一度杖を拾い上げると、目一杯の力を込めて呪使いの――それはかつて少女の父であった男です――後頭部を打ち据えます。相手が昏倒したのを確認するよりも先に使用人の一人としておらぬ屋敷の中に引き返し、戸棚という戸棚を漁りはじめます。
 必要な諸事万端を手早く整えると、背嚢の大きなほうを母の背に括り付け、一つは自分で背負います。
 そうして、母と揃って永遠にその場を後にしたのでした。


 こうして少女は貴族の娘から一転、放浪の身の上となったのです。
 齢にしてまだ七歳、余りにも年若すぎる旅人の誕生でした。そしてもちろん、それは気楽な旅ではありません。
 しかし二度にわたる母親の喪失――簒奪はなんとか免れて、だから彼女は自分を不幸とは思いませんでした。

 荒野から荒野へ、蛮野から蛮野へ、人ならぬ母と相伴って少女は彷徨します。
 野生する様々な植物を口にし、母の狩ってくれた動物も火を通して、あるいは火を通さずにそのまま喰らいました。
 そういう無理な食性に腹を壊してはその都度立ち直り、そうして内からも外からも彼女は己を鍛えました。少女は時を追うごとに自分を荒野へと適応させていきます。
 ある夜、少女は山賊の一党に取り囲まれます。
 卑しからぬ面立ちの娘を見て人買い稼業にも通じていた山賊どもは舌なめずりをしたものですが、次の瞬間には怒り心頭となって物陰から飛び出した彼女の母親によって一人残らず八つ裂きとなってこの世を去りました。
 四肢と首が散らばる酸鼻の現場で、八歳の少女は平然と山賊どもの死体の懐をまさぐります。
 そして死体の数と同数の財布を回収したあとで、無感動に首肯したのでした。

 それから彼女は己を囮とした盗賊狩りをはじめます。人間を手にかける慚愧の念は特にありませんでした。
 こう申しますと彼女を血を好む野蛮人のように誤解されるかもしれませんが、それは違います。
 人と獣を分ける意識は確かに希薄ではありましたが、この少女の中には二つの母性により培われた大きな愛情が資質として眠っておりました。それは十数年後に一人の拾い子に対して注がれることになるのですが、この頃にも折にふれて人々に幸をなしています。
 たとえば自分と同じように賊に囲まれた隊商や里の人々――こちらは本当に襲われている――を見かけた場合、少女と山猫はただちに賊どもを滅ぼして脅かされていた人々を窮地から救ってやりました。
 暴虐をもって他者を虐げる者に対しては冷酷そのものに振る舞った彼女ですが、翻って、虐げられる側に対しては慈悲の心を見せずにはおられなかったのです。
 救われた人々から発せられた噂は口々に手渡され、いつしか伝説となります。
『荒野の地母は娘御の姿をしている』という物語はそれから数十年をかけて民間の信仰にまで昇華されていくのですが、それはまた別のお話です。

 物語を少女が少女であった頃へと戻しましょう。

 少女の愛は人間にのみ向けられたのでしょうか?
 もちろん、そうではありません。
 生まれ育った屋敷を経ってから五年、少女は十二歳となっていました。
 未だ続く彷徨の中でしなやかにもしく成長した彼女の家族は、もはや母である山猫だけではありませんでした。
 たとえば黒く長い体毛に覆われた、人里において不吉の象徴とされ忌み嫌われている悪霊兎が。珍かな有角の馬が。それに毒もないのに毒々しい色彩を有した臆病なヘビが。雪のように真っ白な羽毛を持った、黒くないからすが。
 それら雑多な獣たちが、今では少女の流離いの道連れとなっておりました。
 人間の欲や迷信の心など、彼らはそれぞれの理由から逐われて居場所をなくした、言うなれば少女と似た境遇に置かれたものたちです。少女は彷徨のなかで出逢った彼らに慰めの手を差しのばしてやり、そんな彼女のことを獣たちも大いに愛して信頼をあずけたのです。

 そうして気付いた時には、彼女を紐帯とした異形の一団は形成されていたのです。

 獣と通じる能力を持った少女のもと、彼女の仲間たちは種族を越えて統率されて仲違いなどほとんど皆無。むしろ、それまでは孤独のうちに息をひそめて生きてきたものばかりが集まったこの集団において、はじめて味わう団結はあまりにも喜びに満ちていました。
 尋常の獣の群を、あるいは人間社会のそれをも越えて、彼らの仲間意識は強固に結びついて剣でも切れません。

 しかしこの頃、少女の胸にはひとつの悩みがありました。
 最近、彼女は自分たちが人里の噂になっていることを知っていました。
 無理からぬことではありました。漸に応じて頭数を増やしてきた家族は、既に大所帯と呼べる程にその規模を膨らませているのです。
『百獣の姫君に引き連れられた不吉の獣たち』、その名を、人々は好意とは対極のものを込めて口にします。中には声高にその討伐を叫ぶ者もいるような始末です。

 安住の地が欲しい――少女は想います。私たちだけの、安らかに暮らせる場所が欲しい。

 ……と、午後の丘で物思いに耽る少女の元に、真っ直ぐ駆け込んできたものがありました。
 彼女に飛びついて、下敷きにして押し倒して、そのまま加減も忘れて目一杯にじゃれついてくるのは巨きな山猫です。
 ですがそれは、彼女の母親ではありません。
 それは一年前に母が一頭だけ生んだ子猫で、いわば少女の妹でした。
 実の子を得ても母の愛は妹と分け隔てなく少女に注がれ、彼女もまたこの毛深い妹をたいそう可愛がりました。妹も妹で母を越えて小さな姉を慕い、二者を結ぶ絆はまるっきり真物ほんものの姉妹のそれ。
 この関係は妹がむくむくと成長して姉の数倍の大きさになった今でもまったく変わっておりません。

 仲間たちが何事かと少女の元に飛んできて、なおも彼女の顔を舐め続ける妹をどうにか引きはがします。
「あんたはまるで犬みたいねぇ」と顔をべたべたに汚した少女が苦笑します。
 そんな大好きな姉に対して、妹は手柄顔で告げたのでした。

 あった、おうち、あったよ、と。

書籍版『図書館ドラゴンは火を吹かない』、好評発売中。
特設サイトもあります。是非ご覧ください。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ