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白馬探の大切な人
作:洋



第53話 意外な応援


 宵闇よいやみが辺りを覆い、空気が冷たさを増してきた。
今宵は新月だ。月が全く出ていない。
夜空を支配する月光がその姿を見せていないというだけで、星々もいささか元気がないように思える。
そのせいか、今は時間的には夕方だが、暗さは十分『夜』と言えた。
『夜』の何時に姿を見せるかわからない怪盗キッドに、大勢の警戒と期待が寄せられている。

 警視庁の警備は今までにないほど厳重だった。
神原氏が用意した部屋とはまた別の、重い扉の倉庫に宝石は移され、あちこちに警報装置が設置された。
部屋の中にも外にも大勢の警官が並び、蟻の入る隙間もないほど堅く守られている。

 中森警部が、本日何度目かのチェックを施していく。
・・・まぁチェックと言っても、警官たちの頬をこれでもかと言わんばかりに引っ張る、少々原始的な方法ではあるが。

 警部のチェックの結果、今のところ宝石の半径20メートル以内に居る者の中にキッドは紛れ込んでいないようだった。

「警視庁に侵入するなんて、自ら捕まりに来るようなものだな。さぁキッド、盗れるものなら盗ってみろ!!」

中森警部が、倉庫の前の廊下を歩き回りながらしきりに呟いている。

「今日こそお縄につかせてやるぞ!!」

 彼の気合いの入りようは、半端ではなかった。
警視庁に、半分挑戦状のような予告状を送り付けてきて、わざわざ警視総監まで立ち上がらせたキッドへの執着心が、メラメラと燃えている。
だがその顔には、少々勝ち気な笑みが浮かんでいた。

 それもそうであろう。
今回は、キッドよりずっと警視庁の内部に詳しい警察官たちのほうが圧倒的に有利だ。
建物全部が警報装置だと言っても過言ではない。
それに今回の警備は何度も言うように、今までよりケタ外れに厳重なのだ。

 宝石の所有者である五条氏も建物の外に出てもらい、警備に一切口出しさせなかった。
他の警察官たちも外のマスコミや野次馬の整理、検問などに回っていて、建物の中には人っ子一人いない。
他の事件があったらすぐに対処できるように連絡機能も完璧にしてあるし、外にテントを張って常に誰かが待機している。
 警察の役割をこなしつつ、キッド逮捕と宝石の守りに全力を尽くせる状態というわけだ。
キッドが警察の本拠地に乗り込むということが、どれほど警察にとての一大事かを思い知らされる。

静まりかえった廊下で、中森警部が改めて気合いを入れるように大きく深呼吸した。






 しばらくののち、警視庁の建物のすぐ外では。
冷たいコンクリートの広場に、大勢の警官たちが待機している。
 この広場は関係者以外立ち入り禁止のため、まさに切迫した空気しか漂っていない。
広場の端には、マスコミやキッド目当ての群衆が大量に押しかけ、それを押さえる警官たちをも呑み込んでしまいそうだ。

 探はその中間、広場のほぼ中心に直立していた。
無線や重機器で通信をする警官たちの声を右耳で聞きながら、左耳からは溢れんばかりの群衆の騒音が聞こえてくる。
 そんな彼はただじっと立っているだけだったが、おもむろにふところからご自慢の懐中時計を取り出した。
時間を確かめると、浅く息を吐いてそれをしまう。
 まだ、思ったより時間は経っていなかった。
それも当然だ。先ほども時計を確認したばかりなのだから。

 作戦の開始時間までには、まだほんの少しだけある。
来て欲しいような、来て欲しくないような、そんな微妙で絶妙な時間を時計の針が指すのを、探は冷や汗を浮かべて見守っていた。

 と、そのとき、背後から自分を呼ぶ声がした。
聞き覚えのあるその声に、探は意味ありげに振り向く。

 防寒対策万全の馨が、こちらに向かってきていた。
赤いセーターにミニスカート。
そこから覗く長い脚を、かかとの高いブーツが覆っている。
 羽織っているロングコートが風を受けて後ろになびくのに合わせるように、黒いニット帽から出た髪も魅惑的に流れていた。

ブーツの靴音を探の目の前で止め、馨が話しかける。

「こんなところに入っていいの?」

探はまだ冷や汗の乾かない顔を馨に向けると、無理矢理な冷静さで答えた。

「はい。今回もキッド捕獲に協力すると言って、中に入れてもらいました。あなたこそ、よく入れましたね」

馨が、肩で息を抜くように答える。

「うん。私、パパと一緒に来たからさ、建物の中に入らないって条件で広場に入れてもらったの。パパは裏の本部で、総監と一緒に待機してる」

探は素早く周りを見回し、馨にしか聞こえないような声で言った。

「ところで、例の書類のほうは・・・?」

 馨は黙って、目でコートの内ポケットを示した。
それを了解した探も、黙ったまま頷く。

 そして、まるで示し合わせたかのように揃って顔の向きを変えた。
二人の視線の先にあるのは、高くそびえる白いビル。
 月の光を浴びていないその姿だったが、何故か輪郭まではっきりと見える。
まるで、自ら光を放っているような妖しげな雰囲気を秘めていた。

 と、そのとき。
唐突に、辺りが昼間のように明るくなった。
警視庁ビルの周りに設置された大型ライトが一斉に点灯されたのだ。

 二人が時計を見ると、ぴったり7時だった。
だからライトが点けられたのだろう。
そして、探たちの極秘の作戦の開始時間でもある。

 本格的な警察の始動に、『キッドLOVE』などのプレートを掲げ持った一般民衆が興奮して大声を上げた。
それと対照的に、彼らを抑える警察官は苦しそうな顔になる。

そんな様子を横目で見ながら、探が口を開いた。

「いよいよですね」

馨も、ゆっくり頷いて答える。

「ええ」

そう言うと、二人は再び情報ビルに視線を移した。

 馨は遥か遠くの白いビルの窓の一つ一つを見つめながら、その中に居る『大切な人たち』のことを思った。
誰より自分のことを想ってくれて、優しかった父。
夫に忠実すぎる面もあるが、母親としては立派だった母。

そして、自分の一番奥にある温かい気持ちに気付かせてくれたウノ・・・

 彼にとって自分は単なる遊びか、都合の良い道具でしかなかったかもしれない。
だが少なくとも、馨にとっては幸せな恋だった。

目を閉じれば鮮明に浮かんでくる、彼との思い出。

周りの友達とは180度違う恋愛だったが、そんなこと気にならないほど、明るく美しい思い出だ。

 記憶の彼方かなたに、ウノの姿が浮かんでくる。
馨はある春の日の、穏やかなひとときを思い出していた。

『ねぇウノ』

啓吾けいごだ』

 いきなり彼の口から飛び出した、訳のわからない言葉。
馨は思わず、素っ頓狂な声を上げた。

『へ?』

ウノは煙草の煙を見つめたまま、何事もなく答える。

『俺の本名だよ』

 ウノはそれきり、何も言わなくなった。
ただ自分の横で、前だけを見つめている。

――ねぇウノ・・・それって、本名で呼べってこと?
  私と居るときは、組織のこと忘れてくれるってこと?
  それって、恋人の証・・・?

  私は素直じゃないから、嬉しくても可愛く喜べない。
  照れ隠しに乱雑な言葉を投げた。

『じゃあこれから遠慮なく呼ばせてもらおうかな』

ウノ・・・いや啓吾は、ふっと笑って馨に顔を向けた。

――その笑顔は、組織の仕事をしているときの冷酷な笑いなんかじゃなくて、温かい笑い。目でわかる。

『好きにしろ』

そう言って彼は、また視線を戻した。

――わかってる。彼の『好きにしろ』は、『了解』の意味。

  素直じゃなくてゴメンね。意地っ張りで幼稚だから、私は・・・。



「・・・・・・」

 幸せな物思いからめた馨の目に、陽光にはとてもかなわない、明るいだけのライトの光が飛び込んできた。
 まだうっすらと涙の膜が張った瞳を細め、誰にともなく言葉を発する。

「誰も、完全な悪じゃない。悪い人にだって、心はある。そう信じてる」

探はそんな馨を、静かに見守った。






 ほぼ同時刻。
情報ビルの中に、一人の男性が入っていった。
入口から、堂々と。

彼を見た人々が、口々に驚きの声をかけてきた。

「ボス、今日はキッド騒ぎの応援に行ってるんじゃなかったんですか?」

「副総監じゃないですか。今日は警視庁のはずでしょう?どうしてここに?」

そんな彼らに、男はワンパターンの返事を返していった。

『忘れ物だよ。ちょっとしたものなんだが、無いと困るんだ』

 そうかわし続けて、ようやく彼はひと気のない階段に足を踏み入れた。
一旦立ち止まり、ふところから細かく書き込みがされた地図を取り出す。
その地図の右下には、子供のように笑うシルクハットの少年のイラスト――

 そう、彼の正体は怪盗キッド。
ご自慢の変装は、今日も完璧である。
本物の伊勢谷副総監は、当然警視庁で白馬警視総監と職務を全う中だ。

彼は素早く地図をしまうと、キビキビと階段を昇り始めた。

あらかじめ仕掛けた盗聴器で、入念にビル内や部下たちのことは調べてある。

 まずクリアすべき第一ステップは、これからすぐ行われる『集会』だ。
事前調査から、組織の人間は出払っている者を除いて必ず7時に談話室に集まり『集会』を開く習慣があるらしい。
 まぁ『集会』といっても、話し合うことがなければただの雑談会のようなもののようだが。

 副総監・・・いや怪盗キッドは、談話室の扉を開いた。
とたんに、むわっと煙草の臭いが鼻をつく。
中身はまだ高校生の彼は、咳き込みそうになるのを何とか抑えて部屋に足を踏み入れた。

 見回すと、暗いランプだけに頼った室内に何十人もの男たちとごくわずかな女性がいるのが見えた。
皆、思い思いにソファに腰掛け、くつろいでいる。

そんな中、意外なボスの登場に一同は慌てて立ち上がった。

「ボッボス!!どうしたんですか!?今日は警察の仕事のはずじゃあ・・・」

「忘れ物をしてな。ちょっとしたものなんだが、無いと困るんだ」

 本日何度目かのセリフを難なく言ってのけ、彼は歩き始めた。
忠実な部下たちの椅子の間をゆっくりと通り過ぎる。
その間に、部下たちは腰を下ろしていった。

「いやぁ、警察の堅苦しい中にいるのは疲れる。やはりここが一番だ」

偽ボスがそう言うと、表の職業が刑事らしい若い男が同調した。

「本当にそうです。あいつらは地位や階級にこだわりすぎている。だから責任逃れや不祥事が絶えないんですよ」

 ちらほらと、賛成の声が上がった。
偽ボスは彼ら一人一人の肩を軽く叩きながら、ゆっくりと進んでいく。
ここまでは、キッドの思惑通りだ。

 だがここで、そんな彼の策を危うくする男が立ちはだかった。
いや、正確には座っているのだが、立っていると錯覚させられるほどの威圧感を覚えた。

 その男の鋭い目と、キッドの心の目が合った。
瞬間的に身構える。
その男は、探たちから『ただ者ではない』と聞かされていたウノだった。
 彼はじっと偽ボスを見上げているだけで、何も言わない。
だがその眼差しの奥に、何か心の不安をかき立てるようなモノが伺えた。

 余裕が無くなってきたキッドは、額に浮いた冷や汗をごまかすかのようにそそくさと目をらし、ウノの肩にも手を置いた。

「・・・これからも私の右腕として、期待しているぞ」

その言葉に、ウノは表情を変えずに答えた。

「はい」






 キッドは後ろ手に談話室のドアを閉め、大きく息をついた。
全ては、あのウノが原因だ。
 今のところ誰にも正体はバレていないだろうが、どうもあの男の側にいると内心かなり焦る。
根拠のない不安と後ろめたさに襲われるのだ。

 まだ心に深く突き刺さっているウノの視線を振り払うかのように、キッドは大きく首を横に振って再び進み始めた。
ここからは、余計な感情に振り回されている場合ではない。正体がバレてさえいなければいいのだ。

 いよいよ、最も大切な任務を実行するときが来た。
高鳴る心臓の鼓動が息苦しいくらいだ。
長年の父のかたきと、自分の二重生活の終止符がすぐそこまで迫っている。

 第一の任務はたった今、無事に成功した。
最後の戦いが始まる・・・






警視庁外庭、午後7:15

 探と馨はそわそわと、情報ビルを気にしていた。
作戦開始から15分経つが、未だキッドからの連絡はない。
考えたくはない嫌な想像が幾度と無く頭をよぎっていく。

 と、その時。
探の手元の無線が雑音を発し、くぐもった男の声が聞こえてきた。

『こちらキッド。第一の作戦は無事成功しました。これから10階へ向かいます』

探と馨が、ほぅっと胸をなで下ろす。

「了解しました。引き続き、慎重にお願いします」

『了解』

 それを最後に雑音が途絶え、二人は長く浅い息を吐いた。
今彼らが居るのは、外庭の片隅にある、ひと気のない大木の下。
周りにはコンクリートの広場が続いているだけで、別の人間が隠れられそうなものは無い。
はるか向こうに、彼らが先ほどまで居た場所を忙しく走り回る警官たちの姿が見える。

安心して、馨が言った。

「あとは、大した障害は無いわね。22階に行っちゃえばこっちのもんだし」

その言葉に探が同意の返答を返そうとした、その時だった。

「なぁ、副総監のご令嬢ハン。声の大きさには気ィ付けなあかんで」

 ぎょっとして、声のした方を見る二人。
馨は完全に動揺していたが、探の頭は一瞬にしてひらめいた。
聞き覚えのある、出来れば思い出したくはなかったその声と、口調。

 彼の予想通りそこには、どこから現れたのか知らないが、月のない暗闇でもわかるほどの黒い肌をした健康そうな顔つきの男が立っていた。
 彼こそが、探の探偵としての自信と威厳を一瞬にして崩壊させ、どん底まで転落させた張本人、探と色々な意味で同じ立場の男――

西の高校生探偵・服部平次が、そこに立っていた。












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