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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

短編

生を復する女

作者:素子
 深夜きい、と扉が開く音がする。
 闇の中に人の入ってくる気配がした後で、ぼうっとろうそくがともされる。

「客か」
「お前が噂の――女か」

 ひどく尊大な、だがくぐもり間延びした声が、ろうそくを手に立つこの家の住人を誰何する。ろうそくの揺らめく光は女の背後に踊る、長い影を映した。
 黒尽くめの服をまとった女は、突然の訪問者を上から下まで検分する。
 上質の服に靴、腰に下げられているのはこれまたご大層な剣。人目をさけるためかかぶり物のついた外套を羽織っていたのを、今ははずして手に持っている。
 顔は――すっぽりと布でつくった袋を頭からかぶっているので分からない。目のところに穴があけられている。そこからの鋭い視線を女は感じた。

「どんな噂かは知らぬが、私がここの主だ」
「では復顔師なのだな」
「さて、どこでそんな話を聞いたのだ?」
「とぼけるな。町外れに望む者だけがたどりつける家に住まう人間は、どんな崩れた顔でも元に戻すというではないか」

 ここまで正確に噂を聞きつけたからには、この袋をかぶった男は『本物』なのだと女は考える。本物で、なおかつ心から望まない限りここには来れない。無垢な人間が迷い込むこともあるから、一応確認は取ったがこの男は客で間違いないようだ。
 にい、と女の口の端がつりあがる。結いもせずに流した髪は黒、目は緑。それがいかにも楽しげに男を見つめている。

「久方ぶりの客か。私の腕を買うか? ――高いぞ」
「値段などは問題ではない。仕上がりだけが問題だ」

 男は無造作に袋に手をかけて、それを取り去った。



「――これはまた、派手だな。戦でか?」
「ああ。目が無事だっただけましだったが」

 左頬は抉られて、鼻はない。唇はひきつれている。傷は右頬にも及んで凄惨な有様だ。ただ青い目だけは知性と、強い意思をたたえている。太い眉とがっしりした顎からは堂々とした雰囲気もうかがえた。
 癖のある茶色の髪は、顔を隠そうとでもしたのか前髪だけがかなり長い。

「ふ、ん。おぬしは別段外見を気にするとは思えぬが」

 女に堂々と顔をさらして動じない様子に、腑に落ちないものを感じて問いただす。
 男は肩をすくめた。

「だがこの顔では、妃のきてがない。子供が作れぬのでは話にならぬのだ」
「妃、か。では主様とでも呼ぼうか。それともエルナンド・ミゲル・カルデイロ――陛下とお呼びした方が?」
「客人でいい」

 身元を明かしてカルドナ国王でもあるエルナンドは、遠慮なく粗末な木の椅子に腰を下ろしかいつまんで事情を説明する。
 隣国との小競り合いで出張った際に、奇襲をうけてこのざまだ。出血に気を失いかけながらなんとか押し戻し、命は拾ったが顔を失った。
 それまで特に美男ではないにせよ、普通の顔だったのが化け物の顔に成り果てた。本人としては見えるものでもないので気にはしていなかったが、男はともかく女はいけなかった。震える、気絶する、悲鳴を上げる。
 とうとう、無様な袋に目を開けただけのものをかぶって過ごす羽目になった。

 それでも不都合はなかったのだが、国王には世継ぎをもうける義務がある。
 この顔では誰も寝室になど来てはくれない。

「部屋を暗くして女に目隠しでも、それこそ客人のような袋をかぶせればいい話だろうに」

 さらりと言われ、エルナンドは供された酒を噴出しそうになった。
 またあけすけに言われるものだ。この女からは敬意はこれっぽっちも感じないが、只者ではない気配だけが感じられる。
 噂では恐ろしい醜い男とも、あどけない幼女とも言われていた正体が、外見は妙齢の女性とは。

「女の口で身も蓋もない言い様だな。――この顔になってから、女が抱けなくなった」

 女の眉が上がる。

「それはまた繊細なことで。なるほど、顔と一緒にあっちの自信も回復したい、と。それは必死になるはずだ」

 笑い含みでからかわれ、無礼の極みだが怒るわけにもいかない。医師に匙を投げられ、この女だけが頼りなのだ。エルナンドは懐から革の袋を取り出した。無造作に卓に置く。

「とりあえずの報酬だ。足りなければまた持ってくる」
「気前のいいことだ。では、奥の部屋の寝台に横になってくれ」

 粗末な木の寝台に横たわり、エルナンドは感慨もなく天井を見上げる。噂だけを頼りにここに来たが、どれだけ考えても誰からいつ噂を聞いたのかが思い出せない。供につれてきたはずの近衛たちとも気付けばはぐれていた。
 それに本当に顔が元に戻るのかもはなはだ疑問だ。傷が癒えた頃に鏡に映し出されたのは、目ばかりが以前の面影をたたえる化け物だった。醜悪さに吐き気とともに笑いがこみ上げたのを覚えている。
 それで、侍従の差し出した布袋を受け取ってかぶることにしたのだ。

 ふっとろうそくが吹き消され、闇が押し寄せる。気配もなかったのにふいに顔を触られて、エルナンドはとっさに振り払おうと手を上げかけた。

「動くな。動くと顔は戻らないがいいのか?」

 恫喝する声に、意思の力で体を押さえつける。
 息もなるべく整えてまた上に視線を向けた。先ほどと同じように、顔にそっと手が触れた。輪郭を確かめるように指がすべらされ、手の平が頬を包んで親指で目の周囲がたどられる。柔らかく温かい指先が顔の上を這って、ひどくくすぐったい。そのうちに額や失った鼻、抉られた頬に温かい何かが降って来た。
 吐息でくすぐられて、今のは女の唇だったのだと気付く。
 何をしているのだと問いただしたくても、口も動かしてはいけないのかもしれないとただひたすらに我慢する。ひとしきり、女の唇が顔に押し付けられてようやく離れた。

「薬を取ってくるから、今なら動いてもいいぞ」
「では、遠慮なく」

 寝台の側から離れようとした女を抱きしめると、ひこうとした項を探り当てて引き寄せ、唇を重ねた。どん、と胸を叩かれたが構わずに久しぶりの柔らかい感触を味わう。
 息苦しさに耐えかねたのか抗議の声を上げようとしたのか、薄く開いた女の口をこじあけて更に口付けを深くする。
 このまま女と体を入れ替えようかと、体をよじろうとした時に服の上から大事なところを握り締められて動きを止めた。唇を離すと、女は地を這うような調子で囁いた。

「握りつぶしてやろうか? 顔が戻ってもこっちが役立たずでは意味があるまい?」
「――悪かった。もう、しない」
「図に乗るんじゃないぞ」

 ぎり、と加えられていた力が緩んで解放され、エルナンドは安堵の息を吐いた。
 どうしてあんなことをしたか自分でも分からない。ただ、ひどく自然なことのように思えたとしかいいようがない。醜悪な顔にも動じない女に感動したせいか? それともこの顔を慈しむように触れられたからか?
 衝動の後の虚脱にぼんやりとしていた間に、女は棚から取り出したものを手に戻ってきた。肩の下に枕を入れられ、頭の下に何かが差し入れられる。

「今からはいいと言うまで絶対に動くな」

 ひやりとするようなものを含んだ女の指示に、全霊で従う。顔に何かが塗りつけられる。冷たいような、熱くなるような不思議な感覚のするものが失った顔の上にのせられていく。なんだかふわふわと気分もよくなってくるような、心地よい香りすら漂ってくる。
 耳の横に添えられた女の手が温かくて、眠ってしまいそうなくらいに気持ちがよい。さっきまでの浅く早い呼吸が、大きくゆったりとしたものに変わってくる。

 意識がたゆたうような、どこかの狭間に落ち込んだような、そんな気がした。
 自分の顔と女の手が一つになったように何かがしみこんでくる。時間の流れすらよく分からない。いつからここにいるのか。いつまでいるのか。
 寝ているはずなのに、どこかに浮いているような奇妙な感覚を処置中にずっと感じていた。


 どれくらい時間が経過したのだろう。気付けば頭の下に差し入れられていたものが、女の手で引っ張られて顔を覆っている。
 どうやら切り込みを入れた布を差し入れていたらしく、ふわりと顔にのせられた布の上で両方から結ばれていく。目をさけて顔と頭が布で巻かれ、ふうと女が息を吐き出した。

「動いてもいいぞ。最初の処置は終わった。この布は絶対に取るんじゃないぞ。いいな」
「分かった」
「これからしばらくの間、顔には激痛が走る。だが、けして布を取るな。取ればそこで終わりだ。そして、寝ると悪夢を見る。寝ている間に布をかきむしって取り去る可能性があるから、手を拘束しておけ」

 随分と脅して女はエルナンドを寝台から起こした。
 今までの布袋をかぶるようにと言って、女はエルナンドを出口へと促した。

「七日後に来い。くれぐれも注意を違えるな」

 扉を開けて外に出て、振り返ると家が見えなくなっていた。しばらく足元だけを見ながら進むと、自分を呼ぶ声が聞こえる。応じると供の近衛だった。

「陛下、そこにおいででしたか」

 聞けばほんの一瞬姿が見えなくなったとのこと。女と話し、顔を晒して処置を受けたはずなのに。やはりあれは魔女の類だったのだろうかとエルナンドは思いながら、帰路についた。


 女の言った通り、エルナンドは顔を走る激痛と悪夢に悩まされた。かきむしりたいほどの痛みは、強く手で顔を覆うことでやり過ごし、ついでに少々酒の力も借りた。
 問題は夜だった。渋る侍従に手首を拘束させた最初の夜は、戦場で傷をうけた日のことをまざまざと再現された。肉と骨のひしゃげる音や振りぬかれた武器についていた肉片と血潮、あたりに充満する血の匂いなど薄れた記憶だったはずのそれが、痛みまでともなって押し寄せた。

 獣のような声を上げて飛び起きたら、拘束のとけた手が布袋にかかっていた。
 必死に押し留めて、今度は近衛に拘束させてそれを寝台の支柱に結び付けさせる。その上で側で不寝番を頼んで、手が顔にかかりそうになれば殴ってても止めるようにと命令する。
 疼痛と悪夢の日々を過ごし、ようやく七日後。
 またエルナンドは一人、女の家にたどりついていた。

「ようこそ、客人。その様子では随分堪えたようだな」
「いっそ気を失っていた方がましだと思う」
「だが、乗り越えねばならないのだ。我慢しろ」

 変わらず尊大に言われ、むっとしたまま女の寝台に横になる。布がとかれていき、顔を覆っていた布も取り払われた気配がした。明かりのない闇の中、それでも女が食い入るように顔を見つめているのが感じ取れる。
 触れてくる手は優しかった。

「随分と悪夢を見ただろう」
「――ああ」

 記憶の奥底に沈めたはずの嫌な思い出ばかりが、夜毎エルナンドを訪れて苛んでいく。
 手にかけた者達の断末魔の様子、反対に殺されかけた思い出。醜悪さしか感じない人の顔や、笑顔の裏にひそんだ悪意などがエルナンドを取り囲んで押しつぶそうとする。絶叫で目覚めることもしばしばで、寝た気がしなかった。

「もうしばらく続くが、耐えろ」
「狂ってしまった者はいるのか?」
「そうだ。己の手で一層顔を傷つけた者、悪夢を見る目などいらないと抉り取った者、命を絶った者もいる。客人はそうなるな。義務を背負っているのだろう?」

 頷くと、ふわりと頭をなでられた。子供にするようなと思いながら、いつまでもそうしていてほしかった。女の手が頬を包む。

「逃げるなよ」

 蕩けそうな甘い囁きとともに、女の方から唇が重ねられた。
 するりと舌が入り込む。陶然としながら、女からもたらされる感覚に酔う。悪夢のあとの夢としてはよすぎるほどだ。貪るような口付けにも女は逃げなかった。満足して唇を離すまで、女は恋人のような口付けをくれた。

「――どういうつもりだ?」
「頑張ったご褒美だ。さあ、また処置をするから動くなよ」

 すっと甘さを消して女が立ち上がった。最初の夜と同じように、顔に何かが塗られ布で包まれる。布袋をかぶって処置が終わった。

「痛みは少なくなるだろうが、悪夢はひどくなる。充分に気をつけろ」
「分かった。一つ聞いていいか?」
「なんだ」
「あの口付けは、今までの者にも与えていたのか? 男とか――女にも」

 女は緑色の目を見開いたかと思うと、こらえきれないように笑い出した。それがひどく人間くさい。今までがなんだったかと言われると困るのだが、人間離れしているように思えていたエルナンドには新鮮だった。
 女は笑いすぎて涙を浮かながら、これだから人間は面白いと年寄りじみた考えを持つ。良い方にも悪い方にも思考が飛ぶ。それが面白い。

「そんなにおかしなことを言ったか?」
「いや。客人、別段おかしくはない。質問の答えは、否だ。ではまた七日後に」

 ひらひらと手を振る女によって、エルナンドは家の外に出された。扉が閉まる瞬間、中から女の高らかな笑い声が聞こえた気がした。


 女の言ったように悪夢がエルナンドの眠りを脅かした。手はきつくいましめて寝台にくくりつける。
 それでも暴れるので手首には血が滲み痕がついた。今の悪夢は亡者に引きずり込まれるというものだ。亡くなったはずの父王が爪を食い込ませて足元の闇に落とし込もうとする。生前には見たことのないおぞましい表情に、心の底から怯えながら頭を蹴りとばす。
 恨みの表情で父王は闇の沼に、沈んでいった。
 鬱々と昼間を過ごし、夜を悪夢で台無しにする。
 ――本当に命を絶った方が楽かもしれぬ。
 危ういところを救うのはいつも、女の緑の瞳と唇の感触だった。


「やせたな」

 七日後に再会した女は、一瞥するなりそう言った。
 力なく椅子に座り込んだエルナンドは、ずいぶんと消耗していた。

「日中の痛みは治まったか?」
「――ああ。だが、夜が」
「次の七日はもっと厳しい」

 告げられた内容に絶望する。これ以上の悪夢など耐えられそうにない。思わず腰を浮かして扉へと向かいそうになるのを留めたのは、冷徹な女の雰囲気だった。

「尻尾を巻いて逃げ帰るか? 客人の精神力も大したことはないのだな」
「――言ったな」

 挑発にのった気がしないでもないが、ここで女に負けてたまるかという気概が湧いてきた。
 女はにい、と笑った。そうでなくては、とその目が告げる。
 エルナンドは気付いた。これは女と自分の戦いでもあるのだと。

「こちらに」

 三度目の寝台に横たわる。

「褒美をくれないか?」
「気の済むまで」

 腕を広げると、女は抗わずに上体を預けた。抱きしめて背中を撫でる。女の柔らかさと温かさに抱いているはずなのに、抱きしめられている気がする。女の顔をなでて闇の中でも女の顔が思い浮かべられることに、ふいに泣きたくなる。
 胸に温かいものが満ちてくる。悪夢と対極の、感覚。
 前回以上に長く、女はエルナンドと触れ合った。満足げな吐息をもらしてエルナンドが腕を緩め、女はふ、と笑った。

「なぜ、触れさせてくれるのだ?」
「客人が望み、私も応じたからだ」
「お前は望んではくれないのか?」
「前回は私から口付けたし今回も拒まなかっただろう?」

 顔をなくしてから潮が引くように女達が周囲から消えたエルナンドにとっては、女の行動は謎でもあり希望でもあり、罠のようでもあった。
 復顔を稼業にするのだから、ひどい顔には慣れているだろう。だが他の者には口付けもしたことはないと抜かす。何故自分だけに? 国王だからか?
 ――考えても謎めいた女相手に、答えは出ない。そもそも女のことはほとんど知らないに等しい。知っているのは復顔師であること、男口調なこと、髪の色は黒で瞳の色は緑。手と唇は柔らかなこと。それくらいだ。

 謎にとらわれているうちに女は処置を始める。こうなっては動きも、話もできない。エルナンドは湧き上がる疑問を胸に、女の処置が終わるのを待った。
 同じように布が巻かれて、エルナンドは強張りを解いた。

「お前の名前が、素性が知りたい」
「知ってどうする。私は市井の復顔師。それだけだ」

 そう言って女は、エルナンドを扉へと押した。名前を聞こうとしたエルナンドの目の前で扉は閉まり、叩いても応答はなかった。


 今回の悪夢はきつい。女の予言は忌々しいほどにエルナンドに襲いかかった。
 信頼していた人物が、自分に剣を向け縄を首に巻きつける。そんなはずはないと思っていても、感触は生々しく浮かべる表情は心底憎まれているとしか思えない。絶望に、恐怖に眠ることすらしたくない。
 細切れにふいに落ち込む眠りに、律儀に悪夢が顔を出す。

 そして明日が七日目という夜、自分の前に自分が現れた。
 顔は崩れてはおらず、自信に満ち溢れた自分があざけるような笑みを浮かべてすらりと剣を抜き放った。自分は何も持ってはおらず、せまりくる自分になす術がなかった。夢の中だというのに何となく分かる。
 自分に殺されれば、自分が駄目になってしまうと。
 振り下ろされる剣を必死でよける。逃げ回る自分に、剣を持った自分が執拗に殺そうと肉薄する。

『生に執着して何になる。楽になれ。ここで退けばもう悪夢は見ないんだぞ』

 自分の口からこぼれる言葉は、甘美な誘惑に他ならない。
 悪夢を見ないで済むのなら。剣に一突きされれば終われるのなら。

『そうだ。あの女を信じるな。その顔が元に戻るなんてありえないと知っているだろう?』

 抵抗を諦めかけた自分に、それは違和感を生じさせた。
 何を言っているのだ。女を信じるな、だと。確かに顔は戻らないかもしれない。あの女の処置とやらも眉唾かもしれない。
 だが――。

「自分の敵は自分とはよく言ったものだ。私はあれを信じる。だから、消えろ」

 いつの間にか剣を手に立っているのは自分の方だった。自信に満ちていたはずの元の顔が、恐怖に歪んでいる。
 ためらいなく剣を振りかぶり斜め上から下へと切り裂く。痛みも血もなく、自分はくずおれた。
 剣を捨てて上を見る。なんだか明るくなったような気がした。



「――下。陛下」

 揺すられて眠りの淵から強制的に覚醒する。目の前にはひどく慌てた様子の近衛と侍従がいる。何事だと言いかけて違和感に気付く。顔に触れているのは寝具だ。では自分の顔は晒されているのか。
 女からけして布を取ってはならないと言われていたのに。
 青ざめるエルナンドに負けず劣らず、近衛と侍従も顔色がない。

「陛下、お顔が」
「申せ。どこまで崩れた」
「いえ、いいえ。陛下のお顔は――元に戻っております」

 呆然と侍従を見返すと、震える手で鏡が差し出された。どうやら近衛は手首の拘束を解いていたようだ。
 恐る恐る鏡を手に取る。負傷してからろくに見ることもなかった顔。鼻はなく空洞があるだけで頬は抉れ唇は引き攣れているはずの、醜悪な顔は。肉が盛り上がり、正常な皮膚に覆われて、失ったはずの鼻は鼻梁を取り戻している。
 呆然とする青い瞳の中に、昔なじみの普通の顔が映っていた。

「まさに、奇跡です。陛下」

 鏡を返し手で触れても崩れた、傷の感触はなかった。
 何故だと起き上がった横を見ると、ずっとかぶっていた布袋と顔を包んでいただろう布が、綺麗に切り裂かれていた。――斜めに。
 自分と対峙した悪夢を思い出す。
 周囲は狂騒に近い興奮に包まれている。そんな中エルナンドの心中を占めるのは、ただひとつだった。


 町外れの小さな家の裏庭で、若い女が薬草の手入れをしていた。
 明るい日差しの下で、髪を束ね簡素な服を着て草を抜いたり、水をやってひと段落ついたところだった。

「なるほど、昼間のお前はそう見えるのか」
「誰です?」

 唐突に呼びかけられて振り返る。そこには簡素な家には不似合いな服を身にまとった男性がたたずんでいる。

「どちら様ですか?」
「しらを切る気か? まあいい」

 大股で近づいた男性は無造作に腰に手を回して女を抱きこんだ。
 いきなりの仕打ちに目を白黒させる女を上向かせて、男性は微笑んだ。

「夜見るよりも、いいな。ごまかすなよ」
「――客人。もうここに来る用はないだろう。第一快癒すればここへの道は忘れるはずなのに」
「そんなからくりになっているのか。見ての通り、顔は元に戻った、お前の腕は大したものだ。――が」

 思わせぶりに否定の言葉を紡ぐエルナンドに、女は眉をひそめた。
 顔を見る限り、処置は上手くいっているはずだ。それなのにここを忘れずに探し当てたのはどういうことだろう。

「問題があってな。それが解決しない限り、縁が切れそうにないのだ」
「どんな問題が?」

 復顔師としての自負心が、エルナンドの問題を見逃しにはできなかった。
 エルナンドはにやりと笑った。

「顔は戻ったが、あっちが戻らない。お前のことを考えた時にしか反応しないのだ」
「あっちって、ちょっと待て。まさか」
「そうだ。あっちが役立たずでは仕方ないが、解決法は目の前にあるのでな。良かったよかった」

 今や膝裏に手をかけて女を横抱きにして歩き出しながら、エルナンドは上機嫌だった。
 奇跡の顔復活でお祭り騒ぎの面々に対して、戻してくれた女を迎え入れると宣言しても反対の声は上がらなかった。世継ぎができれば、生母の素性などどうにでもなる。諦めの境地にいただけに臣下も歓迎の意を表した。
 熱に浮かされるように馬に飛び乗って、エルナンドはただひたすらに女のもとにたどり着くことだけを心に願った。

「お前は私をたきつけた。最後まで責任は取ってくれ」
「責任ってなんだ。私は、ただの市井の女だぞ」
「違うな。私の妃だ。お前以外を迎えるつもりはないのでな。誠実な伴侶になるぞ」
「勝手に、勝手に話をすすめるな。私は承諾していない」

 じたばたと手足を動かして逃れようとする女を馬に乗せ、エルナンドはその後ろに陣取った。腰に手を回してきつく抱きしめて動きを封じる。

「動くな。落ちると危険だ」

 立場が逆転したことに唇を噛み締める女の耳元に顔を寄せて、エルナンドは嬉しげな口調になった。

「お前が私を生き返らせたんだ。だから私はお前のものだ。これからずっと付き合ってもらうからな」
「無茶なことを言うな。私は――」
「魔女でも聖女でもない。――名前を教えてはくれないか?」

 耳まで赤くした女は、小さくラウラ・ベラスコとエルナンドだけに聞こえる声で呟いた。
 エルナンドの満面の笑みで、ラウラはいっそうきつく抱きしめられて城に着くまで不埒な触られ方にも悩まされる。


 国王の連れ帰った恩人は、妃となって世継ぎをはじめとする沢山の子供を国王に与えることになる。顔を復しただけではなく、ラウラはエルナンドに再びの生をもたらした。
 はた迷惑なほどにエルナンドに愛されて、ラウラは溜息まじりにそれでも一応は幸せだと周囲に語った。

 カルドナ王国に残されている不思議な話。
 女の手にかかれば二目と見られぬ顔だけでなく、人生までも取り戻せるとか。
 真偽の程は定かではないが、カルドナの発展ぶりだけは事実である。






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