第5話 貝殻のブラ
僕はピックアップトラックに水槽を括り付けて幌を被せた。
出発は水族館が空いていそうな平日の夕方。
昼間だと小学生や幼稚園児の群れに出会ってゆっくり見れないかもしれないから。
水槽に入った彼女は少し窮屈そうに尾ヒレを折り曲げている。
全身をスッポリと水槽に入れた彼女の黒い髪がユラユラと揺れているのを見ると少し心配になる。
彼女は水槽のガラス越しに僕に笑顔を見せてVサインをしてくれた。
彼女に景色を見せながらドライブ出来ないのは残念だけど。
「緊急の時は、このボタンを押して話してね」
「なんですか?これ」
「トランシーバー」
僕は自分の持っているトランシーバーで水槽から顔を出した彼女に話かけた。
「すごい。携帯電話ですね」
「違うけど、そんなもんだね」
「こちら青菜です。聞こえますかー」
「聞こえますよー」
二人の会話は、トランシーバーを通した音より生声の方が大きくて笑ってしまった。
「では、出発します」
僕は水槽の中に潜った彼女にVサインをして運転席に座りエンジンをかけた。
目当ての水族館までは、渋滞がなければ1時間。
「青菜です。車が動いていないようですが」
「いま渋滞で、止まっています」
彼女は、5分おきにトランジーバーで話しかける。
「青菜です。もうすぐですか」
「はい。着きましたよ」
途中の高速で少し渋滞したけど、ほぼ予定通り水族館の駐車場に到着した。
海色のロングスカートに白いTシャツ。
お気に入りの服に着替えた彼女を車椅子に乗せて水族館に向かう。
「海の匂いがしますね」
「水族館の裏は、人工の浜になっているからね」
「あんまり良い匂いじゃないですね」
彼女は、磯の香りに混じる工場やタンカーの匂いに顔を顰めた。
入口を抜けると大きな水槽がいくつも並び魚達がグルグルと回っていた。
「元気そうですね」
僕は水槽に顔をつけるようにした彼女が車椅子から落ちないようにTシャツの襟を軽くつまんだ。
「何か言ってる?」
「はい。ここの暮らしも悪くないらしいです」
「海には帰りたくないの」
「帰りたいらしいけど・・・・・」
「帰りたいらしいけど?」
「もう大きな海で暮らす自信が無いって」
「人間と同じだね」
「え?」
「人間も会社に守られているうちは、窮屈でも安心するってことだよ」
僕の例えを分かったのか、分からないのか彼女は何も答えずに水槽を眺めていた。
「もう少しだけ時間があるけど、イルカのショーでも見る?」
「イルカのショー?」
「イルカがリングを飛び越えたりするんだよ」
「・・・・いいです」
「そうだね」
「海を少し見に行きたいです」
僕は車椅子を押して水族館から人工の浜に彼女を連れて行った。
砂浜を車椅子では進めないので、彼女を抱きかかえて水際まで来た
「まだ、冷たいですね」
僕に抱きかかえられたまま手を伸ばして海水に触れた。
「もうすぐ夏になるよ」
海開きまでは、あと2ヵ月ぐらいだろうか。
海水浴なんて10年以上していない僕は海開きの日も知らない。
今は消えてしまった家族。
波を怖がる息子
砂浜に穴を掘って喜ぶ娘。
遠い遠い昔のこと。
まるで今の自分とは関係ないことのようだ。
「さあ、そろそろ帰らないと」
僕は時計に目をやって名残り惜しそうな彼女に言った。
「少し泳いでいいですか?」
「冷たいよ」
「少しなら大丈夫だと思います」
「でも、人に見つかったら大変だから」
「そうですね」
残念そうな彼女を見ると少しぐらいならなんとかなるのでは無いかと考えてしまう。
「あの防波堤の陰で少し泳いでみる?」
僕は周りを見回して一番人目に付かなそうなところを見つけた。
嬉しそうに笑う彼女を見ると、早く夏になることを願う気持ちと寂しい気持ちが複雑に混ざった。
「いいかい、あまり水音を立てちゃ駄目だよ」
「はい」
僕はロングスカートとTシャツを脱ぐ彼女から目を逸らして言った。
尾ヒレジャンプで水際まで行きゆっくりと彼女は海の中に消えて行った。
このまま戻らないかもしれない。
そうしたら僕は・・・・。
4月の太陽はまだ沈むのが早い。
静かな夕暮れの海は、あっと言う間に漆黒の海に変わる。
波の音だけが聞こえる。
「寒いですー」
彼女がブルブルと震えて波打ち際に戻って来た。
「早く着替えないと」
僕はひざ掛けに使っていたタオルで彼女の身体を包んで抱きかかえた。
「あれ?貝殻のブラは?」
僕が抱きかかえた胸が柔らかい。
「あ!無くしちゃった」
どうやら泳いでいるうちに無くしてしまったようだ。
「少し大きくなった?」
「エッチです!」
二人とも顔を赤くして車に戻った。
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