第4話 散歩
車椅子を買って以来、早朝の散歩が僕たちの日課になった。
近所の人達にも会うようになったが、近所付き合いのない僕に話かける人はいない。
助かる。
事情を聞かれても「人魚と夏まで暮らしてます」とは言えない。
バスタブから尾ビレジャンプした彼女は、新しく買った海色のロングスカートに白い長袖Tシャツ。
僕は、ジーンズに半袖のTシャツの上に白いコットンシャツ。
階段を4階から1階まで車椅子ごと抱えて降りる間、彼女は僕の首にしがみついて歌っている。
「ナンバーワンにならなくてもいい♪」
スマップがお気に入りのようだ。
下手ではないが耳元で歌われると流石にうるさい。
1時間の散歩。
車も人も少ない時間をゆっくりと車椅子で進む。
時々、尾ビレジャンプで車椅子から降りて道端に咲く花の匂いを嗅いだ。
噴水の水を飲もうとした時は、慌てて止めた。
散歩する犬が彼女の足元に近づくと犬を蹴散らした。
嫌な顔をする飼い主には「ワン!ワン!」と言って威嚇した。
猫も危ない。
彼女は犬や猫を触りたがる。
「喰われちゃうよ」とは言いにくい。
散歩の時間が出来たので彼女の朝食はバスタブで海草を食べる。
僕は便器に座ってコーヒーを飲む。
「ズームイン!朝が見れないのは残念です」
彼女は、散歩と羽鳥さんを天秤にかけて散歩を選んだようだ。
「お風呂テレビを買おうか」
僕は、退職金の残高を考えて言った。
「本当ですか!嬉しい」
彼女は尾ビレジャンプをして喜んだ。
飛びすぎて天井に頭をぶつけた。
「でもいいです。こうして、話をしてるのも楽しいですから」
「遠慮しなくていいよ。お金を残しても仕方ないから」
「本当にいいんです」
「羽鳥さんも2時ちゃおも見れるよ」
「それだとお話する時間がなくなります」
「わかった。欲しくなったら言って」
僕が2杯目のコーヒーを淹れに行ったキッチンのテレビには羽鳥さんが映っていた。
ピッ
「僕の勝ちだね」
スイッチを切った。
彼女の陸上生活は、2時間が限界。
その後、2時間以上は水の中にいなくてはならない。
そんな彼女を連れて行ってあげられる場所は限られていた。
それでも僕はテレビに映る光景を食い入るように見る彼女に、いろんなものを見せて上げたいと思った。
「水族館て知ってる?」
僕は散歩の途中で彼女に訊いた。
「知ってます。魚達がいっぱい居るんですよね」
「見てみたい?」
「魚達には会いたいけど、会ったら可哀想で泣いてしまいます」
「なんで?」
「魚達だって海に帰りたい筈だもん」
「そうだね」
僕は海を恋しがる彼女を少しでも慰めようと考えたが逆効果だった。
彼女の目からポロポロと涙がこぼれた。
真珠のように白く丸い涙。
でも彼女の膝掛けに落ちると散るように消えてしまう。
「行きたい」
彼女は涙をTシャツの袖で拭うと振り返って僕の目を見て言った。
「どこに?」
「水族館」
「でも・・・」
「行って慰めてあげる」
「魚と話が出来るの?」
「クジラやイルカは頭が良いから良くお喋りをするの。
でもカツオやイワシは、少しだけしか話が出来ないの。
カメは物知りよ」
驚いた。
やっぱり哺乳類は頭が良くて、長生きのカメは物知りなんだ。
「イカとタコは?」
僕は軟体動物はどうなのだろうと思った
「イカもタコも話は出来ないけど、なんとなく気持ちは分かるわ」
やっぱり。なんとなくそうだと思った。
「じゃあ貝は?」
「貝の気持ちは分からない」
ちょっと残念だ。
それから僕達の水族館ツアーの計画が練られた。
まずは、彼女が入れる位の水槽を買うことにした。
それを、車の後部座席に括りつける。
彼女はその中に入って移動するんだ。
水族館の駐車場からは車椅子で移動して見て回ればいい。
しかし、その計画は無理があった。
僕のカローラでは水槽と車椅子を運ぶことは出来ない。
僕が生きているのは、後1ヶ月半か2ヶ月。
退職金の残高を計算して、中古のピックアップトラックを買うことにした。
「車って高いんでしょう」
納車された車を見て彼女が心配そうに言った。
「大丈夫、どうせ・・・・」
「どうせ?」
(どうせ君がいなくなったら死ぬんだから)とは言えない。
「どうせ、食事も青菜しか食べてないからお金は心配ないよ」
「わたしを食べるんですか!?」
彼女はビックリして尾ヒレジャンプで車椅子から飛び降りた。
「違う違う、青い野菜を青菜って言うんだよ」
そうだった、彼女の名前は『青菜』だった。
なんとなく皮肉な名前だ。
僕は肉好きで3食とも肉でも苦にしないのに、今は野菜ばかり食べてる。
今度、一人でマックにでも行こう。
吉野家も行こう。
発想が貧乏だ。
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