第3話 花見
4月に入ってすぐの頃だった。
「桜の下でお酒を飲みたい」
テレビを見ていた彼女が突然言い出した。
画面には桜の下で宴会をするサラリーマンの姿と、酔っ払ったOLにインタビューするアナウンサーが映っていた。
「桜、見に行く?」
僕は彼女に聞いてみた。
「行く。行きたい」
彼女は瞳をキラキラさせ尾ヒレをバタバタさせて喜んだ。
2時間という限られた外出時間と3メートル以上は進めない尾ビレジャンプ。
僕は考えた。
車椅子で彼女と近所の池がある公園に桜を見に行くことにした。
しかも、人の少ない早朝。
買った車椅子に彼女を乗せ、足元には毛布を掛けた。
4月の早朝は、まだ肌寒いので僕のスウエットのパーカーを着させた。
少しダブダブのパーカーを被った彼女は、嬉しそうだった。
僕が背負ったリュックの中には、ワンカップの日本酒が2本。
万が一、2時間を越えそうな時は池に入って貰う。
僕は早朝の街を車椅子で駆け抜けた。
後ろに飛んでいく景色に彼女は興奮してハシャグ。
「危ないから動かないで」
「もっと早く走って」
「無理」
僕は息をゼイゼイ言わせながら近所の公園に辿り着いた。
池の傍に1本だけ桜が咲いている。
桜の下まで車椅子を押して行き彼女にワンカップを渡した。
白ワイン以来、すっかり酒の味を憶えてしまった彼女は、器用にワンカップの蓋を開けると一口含んだ。
「美味しい」
桜を見上げ満足気な彼女に長い桜並木を見せて上げたいと思った。
「そろそろ帰ろうか」
ほろ酔い気分の僕は、早めに通勤を始める会社員の間をゆっくりと車椅子を押して帰った。
「ここは何?」
「中学校」
「ここは?」
「スーパーマーケット」
「ここは」
「ここは交番で、立っているのはお巡りさん」
初めて街に出る彼女は、目につくもの全て尋ねた。
「あの高い建物は?」
彼女は、この町で一番高い建物を指差した。
「あれは、有名な会社のビルだよ」
「一番上に昇ってみたい」
「それは無理だよ。会社のビルだからね」
「海まで見えるかな」
テレビを見て本を読み、夜にはビールを飲んでハシャいでいても、やっぱり海が恋しいようだ。
「昇ってみようか」
「うん」
僕は何の計画もなく彼女が喜ぶ顔が見たくなって言ってしまった。
僕達は深夜に厳しい警備を掻い潜って屋上まで行くことにした。
僕の計画はこうだ。
彼女をダンボール箱に入れて台車で運ぶ。
ガードマンには、緊急の納品に来たことにする。
それからエレベーターに乗って最上階の20階に彼女を連れて行き窓から海の方向を見せる。
夜の海はただ黒い闇かもしれないけど。
「すいません。急な納品を頼まれたんですけど」
「中味は?」
「へ?」
想定外の質問だ。
当然、想定すべきだった。
「あの・・・生ものです」
「生もの?」
完全に疑われている。
いくらワークマンで作業着を買っても新品では怪しまれる。
「実は、社長に頼まれて銀座から運んだんですよ」
僕は咄嗟に前に見た『夜の配達は・・・』と言うDVDのセリフを思い出して言ってみた。
「ほー。又か社長も好きだな。羨ましい」
意外なことに鼻の下をのばしたガードマンは、卑猥な目で箱を見るとスンナリ通してくれた。
そんなことって現実にあるんだ。
羨ましい。
僕は台車を押してエレベータに乗り込むと腕時計を見た。
「15分しか見れないよ」
箱の中に話かける。
「うん。早く箱から出たいよー」
チン。
エレベーターが最上階で止まった。
<『社長室』>
エレベータを降りると、目の前に頑丈な木の扉。
僕は箱から彼女を出してエレベーターホールにある小さな窓を指差した。
「この部屋に入れば、もっと大きな窓があるけど入れないから」
「いいよ。ここで」
彼女は尾ヒレ立ちをして窓に顔を付けた。
「海はどっち?」
「海は違う方向だから、ここからは見えない」
「そうなんだ」
「ごめん」
「いいよ。こんな高いところから下を見れるだけでラッキーです」
彼女は夜景とチョロチョロと動く自動車のライトを楽しそうに眺めてた。
「さあ、帰ろう」
僕は腕時計を眺めて彼女に箱に戻るように言った。
短い時間で帰ってきた僕を見つけたガードマンは、不審そうに尋ねた。
「早いね」
「はい、お気にめさなかったようです」
僕は、それらしく下卑た笑い顔を作った。
ガードマンは、僕のニヤついた顔に満足したらしく帰りもスンナリ通してくれた。
彼女は部屋に戻るとバスタブにつかりしきりに街のことを訊いた。
「あの会社は何をするところ?」
「コンピューターっていう道具を作ってる」
「夜なのになんで街が明るいの」
「みんな夜遊びが好きなんだ」
「他のビルも明かりが点いてたけど遊んでいるの」
「仕事をしてるんだろう」
「何の仕事」
「さあ?遅くまでいる仕事じゃない」
僕も先月までは、夜遅くまで会社にいた。
何をしていたかと言うと、明日でも良い仕事をしていた。
誰もがきっとそうだったと思う。
いい加減、誰かが眺めているだけの書類に飽きると「飲みに行こうか」と言い出す。
それが、会社を帰る合図だ。
きっと今も。
バスタブでの質問は終わることがなかった。
特に明日の朝も早く起きる必要はないのでバスタブの横にある便器に腰掛けて朝まで話をした。
ビールを片手に。
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