第13話 6月20日
6月20日
本当に別れの日が明日になった。
どんなに嫌でも太陽はちゃんと今日もこの街を明るくしテーブルの上の時計は進む。
そして、カレンダーは翌日になっている。
会社に通っていた頃は、月曜から金曜までの5日間が早く過ぎれば良いのにと思った。
ああ、もう木曜か早くしないと今週も終わってしまうと焦ったこともあった。
曜日を気にしない彼女との穏やかな3ヶ月。
今まで味わったことのない時間の流れ。
そして、今。
僕はスヤスヤと眠る彼女の横でずっと彼女の顔を見ながら繋いでいた手を解き窓辺でコーヒーを飲んだ。
「早起きですね」
彼女は今日も元気に尾ヒレジャンプで僕のTシャツを着て起きてくる。
「そちらこそ早起きですね。まだ、ズームイン!朝の時間じゃないよ」
「なんだか早く目が醒めてしまいました」
「テレビ見てもいいよ」
「いいです。太陽を見ます」
「僕の部屋からは、夕方にならないと見えないよ」
「じゃあ、外に行きましょう」
「そうしようか。少しの時間だけね」
「太陽を浴びましょう」
「残念ながら梅雨の曇り空だよ」
「うーん。雲を浴びましょう」
僕と彼女は6月の蒸し暑い朝に出た。
「蒸し暑いね」
「うーん、雲を浴びると身体がベタベタします」
彼女の額には玉のような汗が滲み笑顔が歪んだ。
「そろそろ戻ろうか」
「もう少し」
「身体に悪いよ」
彼女は建物の外から僕の部屋を見上げた。
「空の上に住んでいるんですね」
「そうだね。いつの間には空に空にと住むところを伸ばして行ったんだね」
「雲の上はどうなっているのでしょうね」
「空があって、その先は宇宙だよ」
「宇宙ですか。どうなっているんですか?宇宙」
「さあ?僕も良くは知らないんだ」
「いつか宇宙まで住むことがあるんですかね」
「近いうちにね」
「人魚は住めますかね」
「あー、住めるかもしれないね」
「その時は一緒に行きましょう」
「そうだね。月に散歩でも行こうか」
「いいですね!月でビールです。プハー」
彼女はビールを飲む仕草をして笑った。
「プハー。だね」
僕も同じ仕草をして笑った。
昼食が終わって彼女がバスルームに戻ると僕は片付けを始めた。
僕が僕に別れを告げる準備もしなくてはならない。
部屋の中のガラクタや本を全て処分して僕が居た気配を消したかった。
この部屋での3ヶ月を誰にも覗かれたくなかった。
僕と彼女だけの3ヶ月。
それに、死んだ後まで誰かに迷惑をかけるのを少しでも避けたい。
家賃やクレジットの支払も全て済ませておかなくてはならない。
ベッドルームに置いた小さな机の引き出しの中も整理した。
家族の写真が1枚。
最後に貰った給与明細書。
迷惑をかけた仲間達を密かにご馳走した焼肉屋のレシート。
大切な人から貰った腕時計
生命保険の証書
そして、
妻から送られて来た封筒に入っていた【離婚届】
「大掃除ですか」
彼女がバスルームから出てきた。
「そう、たまには片付けをしないとね」
「綺麗になりましたね」
「うん。綺麗になったよ」
「では、綺麗な部屋でコーヒーブレイクです」
彼女は尾ヒレ立ちしてインスタントコーヒーを淹れてくれた。
「もうコーヒーが無くなります」
「ちょうどいいね」
「え?」
「いや、ちょうどいい苦さだよ」
「少し飲んでいいですか」
「少しだけにしなよ」
彼女は僕のマグカップに口を付けて舐めるようにコーヒーを味わった。
「美味しく・・・ないです」
「子供には分からない味だね」
彼女はいつもの海洋深層水を口に含んだ。
銭湯の帰りにコンビニで公共料金や家賃なんかの支払を済ませた。
そして、ビール。
便箋。
「月を見ながら飲みましょう」
「そうだね。外に少しだけ出て飲もうか」
その日のビールは久しぶりに雲の間から見せた月を見ながら飲んだ。
「いつか、月でビールです」
「月で逢おう」
6月の夜風は、車椅子に乗った彼女とその後ろに立つ僕に纏わりつくように湿っていた。
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