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バスタブに人魚
作:晴天



第1話 テレビの好きな人魚


バスタブには、うろこが一枚残っていた。

キラキラと電球に照らされて虹色に輝いている。

僕は摘み上げて傍にあった空の化粧水の小瓶にそっと入れた。

彼女が嬉しそうに使っていた化粧水の小瓶。





彼女と出会ったのは夕暮れの冬の海。

勢いで会社を辞めた僕は絶望して海に車を走らせた。

このまま海に消えても、困る家族も居なくなった。




僕の前からは色んなものが消えていった。





息子

大切な人

仕事

もういいよね。










「助けて下さ〜い。そこの冴えないオジサン」

夕日で逆光になって横たわる黒い人影から助けを求めるには無礼な言いよう!

「お願いです。カワイイ私を助けて下さい」

自分で言うほど当てにならないことはない。

スポーツ新聞の駅売り中側紙面でも「カワイイ私を指名してね」の宣伝に騙された友人は多いのだから。

渋々と砂浜を革靴で彼女に近づくと、『カワイイ』

年は20歳ぐらいだろうか。

でも・・・・

「ぎゃー。君はナニモノ?」

叫ぶ僕の目の前には、下半身をうろこに覆われた尾ヒレが・・・・


「わたし、人魚の青菜。とにかく助けて」

人魚の青菜と言われても・・・・

助けてと言われても・・・・

「わたしはマーメードよん」と言って高い金をぼったくられた友人のことを思い出すと簡単には助けられない。


「あの・・・・何かの衣装でしょうか」

僕は小さな貝殻で隠した胸と鱗の下半身に忙しく視線を動かして訊いた。

「だから、わたしは人魚なの」

彼女は尾ヒレをパタパタして、自分が正真正銘の人魚であることを主張した。

「とにかく、ここは寒いから暖かいところで話しましょう」

丁寧なんだか威圧的なんだか分からない彼女の言葉に押され抱えるようにして古いカローラまで運んだ。

「まだ寒い。何か包まるものはないですか」

「はい、寝袋がありますけど」

「なんですか?それ」

「暖かい袋です」

「暖かい袋ですか」

「はい、暖かい袋です」

「暖かい袋なんですね」

「ええ、暖かい袋です」

面倒になったのでトランクから寝袋取り出して彼女を中に押し込んだ。

この寝袋で家に帰りたくない時に、何度寝ただろう。

フロントガラスから星を眺めながら。

月を眺めながら。



彼女は寝袋から顔だけを出して満足そうに助手席に座っている。

「これは便利ですね」

「はい、至極便利です」

「本当に便利です」

「ええ、便利です」

・ ・・・

やっぱり同じ会話を何度かしてしまった。

「あのー・・・・なんで人魚さんが倒れていたのでしょう」

人魚の存在を意外とアッサリ受け入れている自分。

それは、人魚が外国人顔ではなくて日本の素朴な女の子顔だったからかもしれない。

黒い髪は肩より少しだけ長く。

瞳は二重の黒目勝ち。

寒さで紫になった唇は薄い。

鼻はちょっと低いのかな。


娘が愛読している『アゲハ』とか言う派手な女の子載っている雑誌に出てくるような娘だったら、信じなかったかもしれない。



「わたし達の一族は冬には寒い日本を離れて暖かい海に移動するんです。でも、わたしはハグレてしまって」


「はあ、回遊するわけですね」

「違います。リゾートです」

どうやら魚類と一緒にされたくないみたいだ。

「では、これから皆さんの待つリゾート地に向かわれては?」

「こんな冷たくなってしまっては、途中で死んでしまいます!」

僕に怒られても困る。

「では、水族館に保護してもらうというのは、どうでしょう」

「わたしを見世物にする気ですか。雑誌の表紙とかを飾れというのですか」

なんか勘違いしている。

「でも、僕のところには水槽も無いし、餌も無いですよ」

「水槽?わたしを熱帯魚と同じガラスケースに入れるつもりですか?そして、粉末の食事を上からパラパラと落すのですか」

「意外と人間界の事情に詳しいですね」

「はい、テレビで見ました」

「どこで?」

「秘密です」

「秘密ですか」

「秘密です」

・ ・・止めよう。繰り返すのは。

「とりあえず、暖かい所に行きましょう」

これが人魚の誘いでなければ喜んでお連れしたいところだ。

僕もオジサンとは言え男なのだから。



行かないの押し問答の末に、僕は車を走らせることになった。

向う先は、小さな4階建てのマンション。

1ヶ月前から家族と別れ家を出た僕は、郊外の古いマンションの4階に1DKの部屋を借りていた。

ベッドと小さな机を置いた6畳の部屋と、4人掛けのテーブルと小さな食器棚、それに14インチのテレビのあるダイニングキッチン。

4人掛けのテーブルには僕以外が座ったことはない。


彼女を部屋に入れてベッドの隅に座らせると上手にジャンプして寝袋から抜け出した。

「早く暖房を入れて下さい」

「分かりました。でも、水の中じゃなくても大丈夫なんですか?」

「2時間は大丈夫です」

「じゃあ後30分したらどうしましょう」

「お風呂を25度にして入ります」

「詳しいですね。去年もハグレたんじゃないですか?」

僕は横目で見ながら尋ねてみた。

「ち、ち、違います。テレビで見ました」

怪しい。絶対に去年もハグレている。

僕は部屋のエアコンを30度に設定して、風呂にお湯を入れに行った。

ワンルームマンションのユニットバスは、トイレもドレッサーも一緒の狭い空間。

この中で、彼女は3ヶ月間を過ごした。

僕と彼女の不思議な3ヶ月の始まりだ












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