はたらかざるもの、ひっかくもの。
「和田君、ちょっと」
月曜の朝、出社するなり課長から廊下に呼び出された。一体なんだろう。
古びた雑居ビルの三階、ひと気のない廊下で、二人きりで向き合う。
中年の課長は私と大して変わらない背丈。しかしその険悪な雰囲気に、思わず上目遣いになって顔を覗き見る。
「あ、あの……何か」
「君、仕事を辞めたいというのは本気かね?」
はて? そのようなことを言った覚えはない。そう答えると。
「ボヤィターで愚痴っていただろう」
「え」
「ほら」
課長は自分の携帯を手にして、私に画面を向ける。
そこには「ボヤィター」のクライアントソフトが起動されていた。
「ボヤィター」。ネット上でユーザーが好き勝手に愚痴を交わすことができるコミュニケーションサービスである。数年前に日本に上陸して以来、利用者数は急増の一途。
そして、そこに表示されたボヤき一覧には……。
『 わだっし/wadasshi
働きたくない……
wadasshi via web 2012/04/09 06:30 』
他でもない、私のアカウント名によるボィートがしっかり表示されていた。
そう言えば、面接に先立ち提出した履歴書に、ボヤィターのアカウントを記入する欄があり、特に疑問を抱かずに記入して提出してしまった気がする。
しかし、まさか課長が私のアカウントをフォローしているとは思わなかった。
って、今はそれどころじゃない。
「こ、これは」
「嫌なら君、無理に働いてくれなくてもいいんだよ?」
言下に決めつけられてしまった。
精神論が好きな課長は、この手の不平不満に非常にうるさい。ここまで、弱音の一つも吐かずに、笑顔を貼り付けて仕事に励んできたのだが、思わぬところに落とし穴があった。
従業員数二〇人、唯一の事業所イコール本社のこの会社。上席は創業者の血縁者で占められている。上司の機嫌を損なえば、一介の事務職社員に待っているのは、左遷ではなく依願退職だ。
数ヶ月にわたる就活の末、ようやく手にした職場は、決して望んだ職種ではない。いつかはここを離れて、という思いはある。しかし、この一向に上向く様子のない不景気の中、この安定収入を失ってしまえば、将来の夢や希望どころではなくなるのだ。
ダメだ。今は絶対、クビになるわけにはいかないのである。
胸の前で両手をぐっと握りしめる。
腹を決めた。
きっと顎を上げ、相手の顔を正視しながら、はっきりと口を開く。
「課長!」
「む?」
私の改まった口調に、課長がやや姿勢をただす。私はその目を見て、続けた。
「これ、うちの猫です!」
「……は?」
しばしの間。
きっと「鳩が豆鉄砲を食ったような」とはこういう顔を言うのだろう。ぽかんと口を開いたままの課長。虚をついた勢いを利用し、私は一気にたたみかける。
「実はうちの猫、ニャトト星からやってきた侵略者なんです!」
「にゃ……なに?」
「地球征服のために働いてるんですが、最近愚痴ばかりで」
「せいふく……?」
「このボィートも、猫が私のパソコンで勝手に打ったに違いないです!」
「ねこ……が?」
「ええ! そうなんです! 課長、信じてください!」
相手の目を食い入るように見つめたまま、にじり寄りつつ一息にまくし立てる。
しばし硬直する中年上司。
「……えー」
口を開きかけたところで、言葉を継ぐことを許さず、ぐぐぐいっと更に詰め寄る。今や相互の鼻の間の距離はほぼゼロ。相手は気圧されたかのように、両手を前に出して後ずさりする。
そこで一層声に力を込めて。
「分かって、いただけましたでしょーか!?」
口をぱくぱくさせ、手を宙にさまよわせる課長。
私は両の拳に力を込め、口を一文字に結び、相手の目を貫かんばかりに見据える。
にらみ合いの数瞬を経て――
「あー……うー……うむ。分かった」
――諦めたようにため息を吐きつつ、課長は私の言葉を受け入れた。
「仕事辞めたいなんて思ってませんから!」
「うんうん、それはもういい」
「ありがとう、ございます!」
気迫で言質をもぎ取ると、さっと踵を返す。ここは素早く撤収あるのみ。
「あ、和田君!」
そこを呼び止められ、元気よく振り返る。
「はいっ!」
「あー……もし仕事量が多すぎるようなら、言いたまえ。調整するから」
「はいっ! 大丈夫です。ありがとうございます!」
びしっと敬礼し、廊下に課長を置き去りにして自席に戻った。
先輩が心配そうに目を向けてくるのに、にこやかにうなずいてお返事。粛々と通常業務を開始する。
その日は課長のお声がかりで、久々のノー残業デーとなった。
*
「ただいまー」
玄関を開けて部屋に入ると、一匹の黒猫が元気いっぱい、ずだだだだと廊下を走ってきた。これが我が家のご主人様。
たたきにまで下りてきて足に身を擦り寄せてくるので、靴を脱ぐのもままならない。
足もとをうろちょろするのを蹴飛ばしそうになりながらキッチンに向かい、棚から猫缶を一つ取り出して、トレーにあける。
首をつっこんでガツガツと食べ始めた頭をひとなでして、上着を脱ぎつつ、我が1Kマンションの唯一の居室であるリビング兼寝室に向かった。
八畳洋室の中心には、ぶうんと低い唸りを上げる、異形の巨大なサーバーコンピューター。壁の配電盤から伸びる電源コードが床をのたくり、冷却用のパイプが窓際の壁をぶち抜き室外機まで伸びている。
壁面の一方は、一〇〇インチの液晶テレビに相当する巨大なスクリーン。
スクリーン中央には、見慣れた世界戦略図。色分けされた我らがニャトトの版図は、悲しいかな、昨日とほとんど変わっていない。つまりは、我がマンションの周辺のみ。その辺りの猫の縄張りと同程度。
思わず、ため息がこぼれる。今日一日、ご主人様はいったい何をやっていたのか。
思い返せば、あれは何年前のことだったか。我がボロマンションのベランダに、光りに包まれながら降り立った、一匹の猫型宇宙人。
世界征服のあかつきには、地球人最高の地位を約束する。酒池肉林の逆ハーレムも思いのまま。そんな甘い言葉にそそのかされて、同胞を裏切り侵略者の下僕となって幾星霜。汗水垂らして働いて得た給料は、家賃と電気代と猫缶へと右から左に費やされ、貯金をする余裕もない。
そのご主人様といえば、当初はカモフラージュだったはずが、いつの間にやらすっかり板についてしまった家猫生活。日がな一日食べては寝ているだけのヒモ状態。
こんなことでは、地球征服の大願が叶うのはいつの日やら。いつまで私はしがない事務員に身をやつしていればいいのやら。
ふとスクリーンの隅を見ると、ニャトト星謹製、情報収集ソフトウェアの画面が刻一刻と更新されているのが目に入る。無警戒な人間どもが、まさに現在進行形で、自ら進んで貴重な個人情報を提供してくれているということだ。
その様子に思わず嘲笑がこぼれる。わずかながら溜飲を下げつつ、手元の装置でその画面をスクロールさせていると、ふと一つのボィートが目に入った。
『 わだっし/wadasshi
働いたら負けかと思ってるw
wadasshi via web 2012/04/09 15:50 』
……なにが「w」だ。
すうっと笑いが引いていく。
ぴくぴくと痙攣を始めるこめかみの血管。
眉間を指で押さえつつ立ち上がると、今もキッチンの床でトレーに顔を突っ込んでいる穀潰しに、声に怒気をはらませ呼びかける。
「ご主人様ッ!!」
「にゃっ!?」
びくりと身をすくませる気配。
この際、容赦は無用である。それは普遍の真理。働かざる猫、食うべからず。
「真面目にお仕事していただけないのなら、明日からご飯抜きです!!」
「……にゃーん……」
情けない声が返ってくる。
ああまったく。泣きたいのはこっちの方なのに!
思わず口をつく、魂の叫び。
「もう、はたらきたく、なあぁーーーい!!」
「にゃーん!」
お前は仕事しろっ!!
働かず、一日中なろうの小説を読んでいられたら……(´ー`)
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最近は閑古鳥ですが、たまには盛り上がることも。
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